第二章 第31話「激突!〝四鬼天〟」
ローブの下から現れたのは――一度天へと伸び、再び重力に従ったように歪曲した巻き角。黄色い虹彩に浮かぶ横一文字に引かれた瞳孔。指が発達した手に対し、脚には蹄が発達している。
さながら山羊と人間が融合したようなフォルム……リンではそう表現するのが精一杯であったが、旧時代のチキュウ人――特に宗教関係者――であれば〝悪魔〟あるいは〝バフォメット〟と呼称したであろう。
その肉体は獣人らしく黒色の体毛を纏っているが、その上からでも分かるほど鍛えられた筋肉を備えていることが見て取れる。これまでの慇懃かつ湿度を帯びたような話し方のイメージにそぐわぬ偉丈夫ぶりだ。
術師らしく、全身各所に金属の細い鎖の装飾やタリスマンを身に着け、極めつけは首から提げた香炉が存在感を放っている。今は火を灯していないが、ロクでもない効能の香りを漂わせることを確信させてくる。
「……やはり黒山羊族か(もはや生き残りもいないと思っていたが……)」
「ええ、ご覧のとおりに」と両手を広げる〝鬼術師〟。
「……貴様ら、何者だ?(本当に!)」
問い詰めるビカムの語気は一層強い。
リンダリアルの種族がシティの走狗として牙を剥く状況は、美剣士をして尋常ならざる事態と判断せざるをえないようだ。
「私の名はマズダー。アキツ・シティでは〝鬼術師〟というこぉどねぇむで呼ばれています。雇い主の命により、表沙汰にしづらい暴力仕事を請け負っているしがない黒山羊族です。お見知りおきを。なぜ素直に答えるのかと言いたげですねえ? 名にし負う美剣士ビカムと見えるのですから名乗るのが礼儀というもの――ましてやこれから命を奪うおうという相手ならなおさらに」
ぬけぬけとそう宣った〝鬼術師〟――いや、マズダー!
つい、とビカムの目線が移動したのを感じ取った〝鬼怒女〟は傲岸そうに腕を組む。
「我は名乗らんぞ。少なくとも、我が名を知るに値する戦士か見極めるまではな。こっちの黒い鎧も問うだけ無駄だ」
「……そうか。是非、其方の名前を聞いておきたかったが」
「ほう?」
「――これが最後になるかもしれないだろう?(逃げられた場合に備えて、通報できるよう名を知っておきたい)」
〝鬼怒女〟は心の底から不可解そうな顔になった後――一転、鬼神もかくやと言うべき凄惨な笑みを浮かべた。
「フフフ、ハッハハハハハッ‼ なるほど、貴様こそ我を殺すと宣うか! いいぞ、長らく我に威勢の良い言葉を吐く輩はいなかった!」
――〝鬼怒女〟が愚弄のために弁舌を振るうならば、美剣士は典雅な意趣返しでその舌を巻かせてみせた。
相手を殺そうとする者は、当然自分が殺される可能性を孕むもの。
ゆえに、「これから私の手によって死ぬ相手の名を知りたい」と返答することで、自分が狩人だと思い上がっている者に貴様こそ狩られる側だと突きつけた。
この痛烈な返しには〝鬼怒女〟ですら笑って舌戦の敗北を認めざるをえなかったようだ。
しかし、言葉を操ったところで勝負の決着がつくわけではない。
むしろ……相手の士気を高めてしまった点においては、この前哨戦の勝利は逆効果だったかもしれない。
「クク、気が変わった――ならば名乗らねばなるまい。我が名はラクシュナ! 幻霧山を統べる鬼族の忌み鬼子なり!」
〝鬼怒女〟ことラクシュナは機械化棍棒の先端をビカムへと突きつけた。
「貴様は今から我が獲物だ! このラクシュナと勝負を決するまで、いかなる運命も貴様を攫うことはできないと思え」
「……ラクシュナか。その名前、覚えたぞ(指名手配してもらおう)」
一瞬にして互いの闘気が膨れ上がる。
「――ちょ、ちょっと待って!」
慌てたように声を割り込ませたのは、事態を呑み込めていないリンだ。
心に波風立たせることなく落ち着いたビカムをちらちらと見ながら、
「ジャガンといい貴方たちといい、いったい何が目的なの⁉ どうして私たちをつけ狙うのよ!」
狙われる側として至極真っ当な質問をされ、〝四鬼天〟の間に一瞬呆けた空気が流れた。
そうしてマズダーとラクシュナは互いの顔を見合わせ、
「そう言えば、そのあたりの事は何も言っていませんでしたねえ」
「幼童のように目の前の戦いに気を取られ、当初の目的を失念していたようだ」
「……(戦いを吹っかけられるのに慣れ過ぎて疑問にも思わなかった)」
これまでの情報から推察するに、ジャガンが口にしていた〝例のモノ〟とやらを奪うなりしに来たのだろうが、闘争が目的化するとは呆れた連中である。
なおビカムに限っては、その辺りの魂胆を見抜いたうえで全員叩き斬ると決定していたので疑問を呈すまでもなかったのであろう……。
「失敬、失敬。我々も些か貴方の武威に中てられたようで」
「……(私のせいみたいに言うのはやめてほしい……)」
「では端的に――美剣士ビカム、貴方が『こみげむ』で購入したあの書物、我々に渡してもらいたい。我らの雇用主がそれを望んでいます」
『――マーカス・ハーディが、と言ったらどうかしら?』
柔らかな女性の人工音声が会話に割り込んだ。
「おお、そこまでお見通しとは!」
マズダーは舞台役者のごとく大仰に手を広げる。
アイが推理した今回の事件の黒幕が的中しているのは、マズダーの驚き様から明らかだった。
「……(なぜ、あの本をそこまで欲しがる? もはや死人が出ているとはいえ、正直他人に貸してもいい程度の……)」
「そこまで見通したならば――もはや貴方の命を奪うしかないようですねえ」
「……(!?!?!?!?!?)」
「〝計画の一端でも知られたならば消せ〟というのが雇用主の命令ですが……正直それはどうでもよいのです」
ニタリ、とマズダーの口が嗤いに歪む。
「私も、ここにいるラクシュナも! 貴方と存分に戦いたいのですよ! 彼女は強者を打倒し乗り越える法悦を、私は強者を惨めに嬲る快楽を――求めるものの違いはあれど、その一点で結託しているのです。しかしまあ、なるほど、なるほど……そうも平静な様子を見るに、貴方にとってはこうなる展開も予想通りということですか」
ラクシュナも大きく頷いた。
「ああ、貴様のその眼を見れば分かるぞ。大人しく渡す気など、端から微塵もないのだろう? 激突は必至だと、既に心の中では得物の柄に手を置いていたわけか」
「……(!?!?!?!?!?)」
昨日の宿屋でのビカムとアイの会話のとおり、この美剣士は既に事件の黒幕の正体を見抜いていた。
ゆえに……命を奪うという台詞が何の脅しになろうや?
霊剣フェーレが常に彼の掌中にあるという事実以前に、ビカムは既に闘争を覚悟していたのである。
「……戦う以外の道は、無いのだな?(例えば私が読み終えた後に本を貸すとか……)」
「慈悲をかけようとでもいうのか! それは我を叩き伏せてから――」
言いかけて、ラクシュナはこれまで気にも留めなかったものに初めて目を向けた。
――鮮烈な怒気がこの場を貫いたからだ。
「……さっきから勝手な事をごちゃごちゃと!」
その源たるチキュウの少女は高周波ブレードの切っ先を〝四鬼天〟に突きつけた。
「何様のつもりか知らないけれど、結局アンタたちはただの強盗殺人犯でしかない。助かるわ、斬るのに何の呵責も無くて」
――リンは怒っていた。
自分たちの目的のために『こみげむ』の店主を殺し、ビカムだけでなくたまたま居合わせた自分の命まで奪うおうとした悪党どもに。
挙句、リンなど居てもいなくても変わらない雑魚扱いで話を進めようとする。
噛み砕いて言えば――コケにされまくっているのだ、リンは。
その正当なる怒りが、ビカムの存在感に優るとも劣らない、〝四鬼天〟すらも無視ができないほどの剣気を生み出したのだ。
たとえ万が一の可能性でも……この少女の刃は己が命に届きうると。
「フンッ、ただの小娘が我の邪魔を、」
不遜な態度を崩さないラクシュナが不意に言葉を切り、警戒を露わにした。
リンの剣気に応えるよう……同質の気配が傍で膨れ上がったからだ。
「――娘。貴様ノ相手ハ私ダ」
〝黒鬼士〟。
ここまで一切の反応を示さなかった剣客からいざ放たれるプレッシャーは、浴びているだけで全身を刻まれるような錯覚すら覚えた。
漆黒の刃はまだ抜かれていないが、彼自身が最早、抜身の剣に等しい存在であった。
「貴様ガ名刀カ、ソレトモ鈍カ、私ハ見定メネバナラナイ」
同じ剣の遣い手同士、通ずる何かがあったというのか。
だが尋常ならざる剣気からは、それ以上のものを想起せざるをえない。
「娘。ココハ邪魔ガ入ル。アッチダ」
「おい〝黒鬼士〟、何を勝手に決めている。その小娘もまとめて殺、――ッッッ‼」
ラクシュナは勢い良く飛び退った。
その寸前、空間に黒い閃光が奔り、赤の飛沫が線を引いた。
前者は〝黒鬼士〟の黒刃、後者は〝鬼怒女〟の血。
神速の抜刀が、わずかに避け損ねたラクシュナの左耳を上下に切り裂いていた。
様子見のジャブでもなければ、実を伴わぬ見せ技でもない。
本気で殺すための、本気の攻撃。
安穏と待ち構えていたら、間違いなく頭と胴が泣き別れしていた。
「貴ッ、様ァ……‼」
ラクシュナの顔が憤怒の形相に変わる――頭の中からは〝黒鬼士〟が曲がりなりにも目的を一つにする同僚だという意識は消し飛んでいるだろう。
その叩き殺すための禍々しいフォルムを帯びた棍棒を振りかぶる――
しかし、それは虫一匹殺すことなく空中で静止した。
先程の剣気の応酬とは比べ物にならない圧が周囲一帯を押し潰したのだ。
――美剣士から放たれた圧倒的な覇気……!
それが何に起因し、何に向けて放たれたか。
この場にいる者は寸分違わず理解した。いや、理解させられた。
「……っ(マズい! あの〝黒鬼士〟という者、かなりの手練れ。リン殿を信用しないわけではないが、一人で向かわせるのは……! だがマズダーとラクシュナも無視できない……むしろ三対三の混戦になる方がリン殿は危ないか……⁉ 意外に、二対一と一対一に別れた方が良いのか……くっ、分からない全然……!)」
ビカムの美唇は今、極僅かながら歪みを帯びていた。
普段の彼を知る者ならなおさら……。
初めて見える者でさえ、あの瑞々しく麗しい唇が――怒りによって造形美の黄金律を崩そうなど、思いもよらないことだろう。
それほどまでに彼の感情を昂らせた原因は明らかであり、沸騰した〝鬼怒女〟の脳味噌に冷や水を浴びせた。
「……リン殿、(ちょっと作戦会議をしたく……)」
ビカムが最後まで告げるまでもなく、
「ええ、私は大丈夫。ビカムこそ決着、つけてきてね」
そう言い残し、威風堂々とサムライガールは〝黒鬼士〟の指し示す場所へ歩みを進めていく。
「……(いやっ、まだ何も、あれっ……⁉)」
――ゴッ! と鈍い音が響いた。
ラクシュナが、敵を叩き潰すはずの大きな棍棒で己が額を打ち据えたからだ。
打撲箇所の皮膚が滲み、紅い血を一筋滴らせる。
傷は鬼族の生命力で瞬く間に塞がっていき、〝黒鬼士〟に斬断された耳の傷もとうに治癒を終えていた。
「……(何事……⁉ 急に怖っ……)」
「すまなかったな、美剣士ビカム」口端を流れる血を舌で舐め取ってラクシュナは言う。「貴様という極上の敵が居ながら、我は味方との内輪揉めを優先するところであった。このとおりだ」
無防備に下げられた頭はこちらの油断を誘うものではなく、戦士としての礼儀を欠いたことの真摯なる謝罪であった。
「我が名に誓って、あの小娘と〝黒鬼士〟の戦いを邪魔しないと約束しよう」
「それは〝鬼怒女〟殿だけご勝手に。ただ、私も――余所見している余裕は無いでしょうがね!」
それが開戦の合図だった。
詠唱もなしにマズダーから魔法が飛ぶ。密やかに印を組み終えていたか!
骨だけの半透明の鳥の群が召喚され、ビカムへと飛来する。
しかし、それは当然のように霊剣フェーレによって斬り払われた。こんなものは小手調べにもならない、ただの御挨拶だ。
その隙にマズダーがさらなる印を組むために下がり、殺戮の歓喜を充溢させたラクシュナが前進する。
前衛として躍り出たラクシュナに、美剣士はたった一人で立ち向かう。彼の傍には、援護射撃を試みる射手も、負傷を癒す魔法使いもいない。徒党を組んだ敵を前に、彼は独り。
だが、
「――恐れ戦け! ラクシュナがいざ参るッ‼」
「……(怖い)」
その台詞がまさか自分に帰ってくることになるとは、ラクシュナ自身も想像していなかったであろう――




