第二章 第30話「闘いは終わらず」
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レベト平野を覆っていた霧が晴れていく光景に、王国軍第一軍のあちこちから快哉の叫びが上がった。
霧が消滅する――即ち、王獅子の討滅を意味する。
長らく王国に影を落としていた魔獣が伝説的英雄によって打ち倒された。これを聞き、歓呼をもって迎えない王国民はいないだろう。
第一軍を率いるエメリッヒ将軍……いかなる状況においても冷徹な表情を崩さない男も、この時ばかりは溜め込んでいた不安を吐き出すように息を吐いていた。
「本当に、よくぞ……」
昨夜、軍務省から壮行式の準備を命じられた際、謁見の間における出来事は伝え聞いていた。
我らが軍の精兵が惨敗を喫した相手をたった一日で倒してみせると聞いたときは、「彼の美剣士ならさもあらん」と思う気持ちより、「そんなこと可能なはずがない……」と疑念の方が強かった。
しかし、彼はやってみせた。
たった二人で、特等級の魔獣を打ち滅ぼしたのだ。間違いなく王国史に刻まれる偉業。
やはり自分は凡人で、彼は英雄なのだと思い知らされる。だが、エメリッヒには胸がすくように心地よかった。
(兵たちの興奮が収まったら、獅子殺しの英雄を迎えに行かねば)
エメリッヒが首から吊った右腕を無意識にさすった時――第一軍に巨大な影が落ちる。
「な、何だ⁉」「鳥か……?」「おいアレ見ろ!」
動揺する兵たちがすぐに空のある一点を指差す。
エメリッヒの双眸も、その姿を捉えることとなった。
「竜……‼」
巨大な翼、長く太い尾、全身を鎧う鱗、禍々しい角。
見間違えることなどありえない。長い軍人生活で見えたこともある恐るべき魔獣、その最高峰。
人類に夥しい流血を強いる怪物。
もう空の点になるほど遠く飛んでいったが、あの方角は……。
「まさか……!」
エメリッヒはその可能性に思い至り……忸怩たる思いを噛みしめざるをえなかった。
ビカムがレベト平野のどの位置にいるかは分からない。しかし今まで戦闘音が聞こえてこなかった以上、平野の奥深くまで進んでいるだろうことは間違いない。
それだけの距離、自分一人だけならまだしも軍団で駆けつけようとすれば、かなりの時間がかかる。
そしてその頃には、ビカムと竜の戦いは既に終わっているだろう。
「ビカム殿……」
あの竜は無関係な、ただ上空を飛んでいっただけであってくれと、彼は女神に祈ることを止められなかった。
だが、残念ながらにそうはならないだろうと……この静まらない胸騒ぎが訴えてくるのである。
***
二回目の、ガラスが砕けるような音。
本来なら二度目の死を意味する事実。
自分以外が氷点下に包まれた世界を目の当たりにして、リンは即座にビカムの方へと後退する。
彼女が身に纏う強化外骨格とインナースーツは耐寒機能も備えているが、氷河期を撒き散らしたような寒さには無いも同然だった。
「ビカム!」
こんもりと、彼が居たはずの地点には氷の山が出来上がっていた。そこ以外は全て真っ平な氷原しかない。リンには、あの美しいエルフが土竜のように地面を掻き分けて寒波を逃れたとは到底思えなかった。
その予想は正しい。
氷の山はひび割れたかと思うと内側から爆ぜる。
勿論出現したのはロングコートを颯爽と翻すビカムだ!
彼のコートはグレイプニル23という繊維で編まれており、それは最高の防弾防刃性能を有するばかりか耐熱耐寒にも秀でているのである。
美剣士の周囲に漂う魔力の発散光から推察するに、瞬時に自身の内包魔力を全方位に放射したことも寒波の相殺に一役買ったのであろう……台風を送風機で逸らすような無茶の極致である。言うまでもなく、彼以外には出来ない、やろうとも思わない荒業だ。
いったい何者が卑劣な不意打ちを行ったのか。
リンは空中に下手人の姿を認め、あまりの非現実的な光景――魔法の存在する世界だと言われればそれまでだが――に目を丸くした。
シティの自動攻撃ヘリを超える巨大な生物が空を飛んでいた。一対の大翼で宙を叩き、その躍動が地上にまで伝わってくるかのようだった。あんな生物はチキュウのアーカイブでも見たことがない。強いて言えば、翼が無い大蜥蜴に近しいだろうか。
その空飛ぶ大蜥蜴が旋回し降下の体勢を取った。半開きになった顎は再度の凍結攻撃の構えだとリンは直感した。
ビカムが動いた。
金色の颶風と化して疾駆。踏み砕かれた霜が空中で光を乱反射する。
そして恐るべき跳躍力で舞い上がる。彼こそが鳥であった。
美剣士は跳び上がった勢いそのまま、降下する大蜥蜴とすれ違い――
――キンッ! と遅れて刃鳴りが響く。
次の瞬間には、首を落とされた大蜥蜴が大地に失墜するところであった。
しかし巨体が大地に触れる前に、いかなる仕儀かそれは空中に溶けて消え、代わりに三つの人影が何事もなく降り立った。
「仮初の竜とはいえ一刀両断か。噂に違わぬ傑物ぶりよ!」
「嬉しそうに言わないでくれませんかねえ、まったく」
「…………」
ビカムとリン。
シティからの恐るべき刺客。
遂に――邂逅の時が来てしまった。
「……何者だ?」
ビカムの誰何に、彼らはあっさりと口を割った。
「我ら〝四鬼天〟……と名乗っても分かりますまい。面汚しのジャガンの関係者、と言えば想像もつきますかな?」
代表して答えたのは〝鬼術師〟。嗜虐性に満ちた、凶悪な術師。
顕著な反応を示したのはリンである。
「シティ……! まさかこんなところまで追ってきたっていうの⁉」
「フフフ、こう見えて雇われの身でしてな。雇用主の命あらば異世界だろうと渡るのですよ。そして――暗殺、強奪、略奪、虐殺、何でもござれといった具合にね。業務範囲が異なるだけの武装請負人のようなものですよ……そう思いませんか、サムライのリン・ツカモト殿?」
「……ッ!」
わざと外道の引き合いに出すことでサムライを侮辱した〝鬼術師〟に対し、続く言葉でリンは沸騰しかけた頭を急速に冷やされた。
自分の素性が相手に知れ渡っている――そこから派生しうる危険な未来は多様に枝分かれしていた。
「……なぜ、こちらの居場所が分かった(チキュウには〝プライバシー〟という言葉があってだな……)」
異常事態の連続、ビカムの冷静さだけが現実に繋ぎ止める楔のようだった。
答える義理もないだろうに、静かに問い詰める美剣士へ〝鬼術師〟は得意気に手管を開陳した。
「フフ、簡単な事ですよ」
〝鬼術師〟の体毛に覆われた獣の手が掴んでいたのは、そう、〝鬼蜘蛛〟のジャガンの生首である!
死に際の凄絶な表情を貼りつけた彼の面は直視に耐えないものがあった。
「私の術法に、遺物と探し人が結んだ縁を占い、大まかにですが居場所を探るものがあるのですよ」
「まさか……占星術……」
「おおっ! 御名答です。既に蘊蓄があるようで……。この遺体は実に良い触媒となってくれましたよ。もう用済みですがねえ」
と言いながら、〝鬼術師〟はその首をぞんざいに放り捨てた。
〝四鬼天〟という名乗りの以上、ジャガンと彼らは、仲間とは言わずとも同僚に近しい関係にあったと思われるのだが、平気で遺体を辱める行いに、直接命を狙われたリンですら険しい眉となる。
「……その腕の特徴、占星術を使える特徴……貴様の種族は(もしや……)」
何か合点がいったらしいビカムの、鍔広帽子に挿された不死鳥の尾羽が揺れる。
答え合わせとばかりに〝鬼術師〟は薄ら笑いを零しながら、そのローブを自ら剥ぎ取った。




