第二章 第29話「乾坤一擲の策」
「……(いや、やっぱり危ない。戦場の後方に)下がってくれるか?」
「ビカム……」
「……前には私が出る(王獅子とは私だけで戦う)」
なんと……なんと……!
この並々ならぬ技量を有する麗しの剣士は、自身が前に出てリンの露払いを務めると言ったのだ!
ビカムは魔法の収納袋から丸められた皮紙を取り出す。
竜の皮を鞣して作られた最高級の書写材料は、ほとんどの高位魔法を刻み保存することができる。たとえ使用者に魔力が無かろうと、持ち主の明確な意思を感じれば、あらかじめ込められた魔力が仕事を為すのである。
そして、この巻物には防御魔法をも貫通する目潰しの閃光を発する魔法が込められているのだと。
「……(私が負けそうな)時が来たら、この巻物を遠慮なく使ってほしい」
「時が、来たら……」
「……リン殿は(私たちが戦いから退くべき)そのタイミングを見極めてくれ」
「本当にいいの……? そこまで私のこと、信頼して……」
「……今、君にしか出来ない事がある(私は剣と銃で両手が塞がって巻物が咄嗟に使えないからね)」
……溢れそうになる涙をこらえる。
代わりに、少女は唇を引き結んだ。
出会ってから数日と経っていない未熟なサムライを、この熟達の剣士は信頼に値すると、何をするとも一切訊かずに作戦に己の命運を懸けた。
その嬉しさを、その誇らしさを、自分は一生涯忘れることがないだろう。
「……頼んだ(ちゃんと後ろに下がっていてね)」
「ええっ……! 任せて、絶対に成功させる!」
一陣の風となって美剣士は駆け出した。怯むことない王獅子の咆哮が出迎える。
その少し後を、巻物を握りしめたリンが追う。
「……(……あれ⁉ この足音、絶対後ろにリン殿がいる……! えッ、なぜ付いて来ているんです⁉ 後ろで待機してくれって、任せてって……⁉)」
わずかながら、致命的な隙にならない程度にビカムは振り返る。
決意を表明する力強い眼差しを宿した少女の姿を認め、彼もまた王獅子へと向き直り眦を決した。若く瑞々しい勇気が、老練たる美剣士にすら発破をかけたのだ。
「(だがもう行くしかないッ……‼ 王獅子の胸の盾を剥がすためには)……アイ!」
『――弾種:エネルギー弾・凝縮熱榴弾。」
状況分析とビカムの声音だけで何の弾種を望んでいるか完璧に汲み取ったアイ。
ハイテク銃の内部で急速にエネルギーがチャージされ、その量は昨夜の就寝前に汎用エネルギーパックから完全補給を受けたばかりだというのに、四割を注ぎ込むほどの莫大な熱量だ。
ビカムは霊剣フェーレを――消し去ると同時に左腕のハイテク銃を右の手に持ち替える。
そして空いた左手――機械鎧の手甲から流れるようにエネルギー・フックショットを打ち出した。
先端が王獅子の股下を潜り抜け、大地に着弾、固定。
前脚の横薙ぎを伏せるようにスライディングで回避。疾走の速度とフックショットの巻き取る速さを乗せ、ビカムは仰向きの姿勢で王獅子の巨躯の下を勢い良く滑り抜けていく。
「……(ここ!)」
銃口が王獅子の胸部を捉えた瞬間、引き金は引かれ、青白いエネルギー塊が命中。だがそれは何ら痛痒を与えることなく着弾地点に貼り付いたまま。
『――BANG』
否! 時限式の熱榴弾が炸裂、十トンを超える体を一瞬とはいえ浮き上がらせるほどの爆発が王獅子を襲った。
様々な武具と共に、巨盾が弾け飛ぶのをリンは見た。
美剣士ビカムは――疑いなど微塵も抱いていなかったが――確かに仕事を成し遂げてくれた。
ならば、勝敗の命運は、この少女の双肩に乗せられた。
跳躍! 悶絶する王獅子の頭部に飛びかかる――!
しかし、あまりに無謀! 隙を突いたつもりだろうが、百戦錬磨の魔獣がいつまでも怯んでいると思うてか! 痛みと衝撃は最早怒りに追加の燃料を注いだだけに過ぎない。
グバッ! と開かれた顎が、空中で身動きが取れない獲物を丸齧りにせんと迫った。
――今ッ!
強烈な閃光が辺り一帯に迸った。
「グルォオオオオオオオオオオ――⁉」
「……⁉(目がああああああああああ!?!?!?!?!?)」
光に視界を潰された王獅子は胸を守るよう姿勢を低くし、滅茶苦茶に暴れ回る。そこに王者の余裕はなく、ただ癇癪を爆発させた魔獣の姿があった。
そしてまた何度目かの咆哮。散乱した武具が主の下に纏わりつく。
それは勿論……ああ! せっかくビカムが剥した盾が元の位置へ納まっていくではないか……。
目に光を取り戻した王獅子が怒りの咆哮を上げる。傍目にも、この魔獣が生涯で最も怒り狂っているのが今なのだと理解できるほどの憤怒。
掃いて捨てるほどいる餌の分際で、生態系の頂点である己に土をつけた不遜の輩を誅伐せんと鼻息を荒くし――
「……(ようやく視界が……まさか巻物をそんな使い方をするなんて、リン殿……なんだ?)」
瞑目していたビカムがゆっくりと瞳を開けた。
それは憐れな魔獣に対し、彼が鎮魂の祈りを終えたということ。
――そして敵の命運が尽きたことを意味していた。
不意に王獅子が動きを変じさせる。
油が切れて錆び付いた機械のごとく小刻みに震え……雄叫びを上げながら胸を掻きむしった。骨肉を容易に切り裂く爪が巨盾の表面を滑り火花を散らす。
ごぷり、と巨盾の隙間から大量の赤い血が流れ出る。
突如として王獅子が纏う武具がボロボロと剥がれ落ちた。能力を解除したのだ。
胸部を覆う巨盾の下から現れたのは、真一文字に大きく切り裂かれた切創であった。
巨大な獅子が苦悶の声を上げ、のたうち回り、その度に大地が鳴動する。
だが……それも永遠には続かない。
やがて命というエネルギーを大きく失った獅子の魔獣は力なく地に倒れ伏した。
大きく見開かれた瞳から光が消え、その魂が消滅したことを知らせる。
王獅子の体が端から崩れ去っていく――魔獣は他の生物と異なり、肉体を構成する最小単位である細胞に魔力が組み込まれている。死によって魔力の統制が途切れると細胞から魔力が霧散し、結果、細胞が崩壊することで魔獣は肉体を保てなくなるメカニズムが存在した。
禍々しい霧が宙に溶けて消えた後には……片膝を着き、天を突くように両手でブレードを掲げたリンが。
「(ようやく意味が分かった……確かにリン殿にしかできない作戦だとはいえ)……無茶をする」
ビカムがポツリと呟きを漏らす。その声音に安堵の色が混じっているように感じるのは気のせいだろうか?
リンの意図を見抜いていた美剣士とて、文字通り我が身を擲つ彼女の奇策には、流石に肝を冷やしたのだと思いたいところである。
王獅子の胸部、心臓直上を守護する一際大きく頑丈なアダマンティン製の巨盾。
彼女は王獅子が剥がされた巨盾を引き寄せるのに乗じ、盾の影に潜んだのだ。
しかしそれだと王獅子の体と盾に挟まれて重傷を負うばかりか動くのもままならないはずだが、リンは大盾が扁平ではなく湾曲しており中心部に空間があることに目をつけた。そう、小柄な彼女なら体を丸めることでギリギリ納まるぐらいの空間を。
その結果は御覧のとおり。
目論見を成功させた彼女は、高周波ブレードを王獅子の胸に突き立て、流れ出る血に逆らうように体内へ侵入、どくどくと脈打つ心臓へ刃を無尽に叩きつけたのだった。
魔獣が魔獣であるゆえ、血も肉も骨も黒い粒子となって霧散したからよいものを、そうでなければ今頃リンは頭から全身血を被ったスプラッタな姿になっていただろう。おお、年頃の娘がなんという! アカネが目の当りにしたらそう叫んで卒倒していたこと間違いない。
美しく佇むエルフの剣士へ何と声をかけたものか。
短い時間逡巡した後、リンは言葉ではなく、会心の笑顔とピースサインを送るのであった。
――その頭上から、あらゆる命を凍りつかせる絶対零度の吐息が降り注いだ。




