第二章 第26話「『白き翼』の死闘」
開戦の合図はアインが放った一矢であった。
固定弩砲台にも劣らぬ威力と速度で放たれた矢は、ローブから抜いた手で印を組もうとした〝鬼術師〟を真っ先に狙ったものだ。
矢が〝鬼術師〟を貫通し、姿が掻き消える。消滅した幻影に対して実体は三歩真横の位置に存在した。
「初手で術師を潰すのは基本ですものねえ? ――【聳え立つ亡者の壁が迫る】」
「クソッ!」
両手を活用し忙しなく長大な印を結びながら、〝鬼術師〟の口は別の魔法を紡いだ。
――魔法文字に対応する印は、文字を繋げる際とは異なる独特の規則があり、また対応する印が全て見つかっていないため、行使できる魔法は制限される。
しかし口と手でそれぞれ別の魔法を同時に行使できるメリットは、習得にかかる労力を差し引いても大きい。
「アイン、バックロゴン、術師を止めろ! ミニーニャとミィスは鬼の方! 俺が鎧野郎を止める!」
アインの第二射は〝鬼術師〟を囲むように地面から出現した骸骨の壁に阻まれてしまう。だが、射かけた矢の結果を見届けるより前にバックロゴンは弾丸のごとく駆け出していた。鈍重なイメージの付き纏う鉱窟人にあるまじき素早さだ。
「つれないな、我とも遊んでくれないか」
その前方に立ちはだかった〝鬼怒女〟が上段から棍棒を振り下ろした。
バックロゴンの二つ名〝堅盾〟のとおり、掲げた大盾で受け止める。
――爆発のごとき轟音が一帯を震撼させた。
(なんちゅう膂力! こないだの竜の尾の叩きつけとまでは言わんがっ……!)
地面にめりこんだバックロゴンの足が威力の壮絶さを物語る。
「アンタの遊び相手はアチシにゃ!」
ミニーニャが投擲した煙幕は辺りに白煙を充満させ、狙い通り〝鬼怒女〟の視界を潰す。反射的にバックロゴンを蹴り飛ばし遠ざけたのは敵ながら流石と言うべきであろう。
その背後、飛びかかったミニーニャの短刀が首筋を急襲する。
「――マジかニャ⁉」
「フン」
なんと、渾身の短刀の一撃を、〝鬼怒女〟は振り返りざま噛んで受け止めてしまった!
その恐るべき咬合力を褒めるべきか、それとも曲芸師じみた防ぎ方を選んだ豪胆さを褒めるべきなのか。
「視界を潰して狙うのが背後とは。素直過ぎて面白くない」
寸評を贈る間にも、得物である棍棒はお返しとばかりに横薙ぎを振るう。
「舐めるニャ!」
しかしどうだろう、ミニーニャの体は、まるで斬ろうと振りかぶる剣自身が巻き起こす風圧によってひらひらと避ける木の葉のごとく、魔法のような身のこなしで攻撃を躱してみせた。
続く連撃も、身を伏せ、捻り、跳び、空を切るばかり。体の柔軟性に優れた猫獣人の面目躍如である。
「ミニーニャどけ! ――【白き星の失墜は大地を紅く染めた】!」
〝鬼怒女〟の頭上で冷気が渦を巻き、巨大な氷塊が生成される。
何だ、と頭上を見上げた頃には、既に回避しえない距離まで白き星は墜ちてきている。
ミィスフェルナが得意とする、氷塊の圧倒的質量で敵を押し潰す攻撃魔法。通常は広範囲殲滅に用いるが、こうして単体の敵にも勿論有用である。
「……化、け物め!」
……それが片手一本で受け止められるところを、ミィスフェルナは予想できていただろうか。
「素敵な贈り物だ。だが返すぞ」
氷塊をひょいと空中に放ると、〝鬼怒女〟は両手で棍棒を振りかぶり、剛力でもってそれを打ち返した。
当然、耐えられることなく砕け散る氷塊――それは極悪の散弾と化してミィスフェルナを襲った。
「きゃあああッ!」
「ミィス!」
ミニーニャが仲間の声に、はたと足を止めるが、
「余所見をする暇があるか?」
振り下ろされた棍棒を後ろに跳んで避けるミニーニャ。
しかし、判断の誤りはダメージとなって報いてくる。この場合、彼女は真横へ飛び込むように回避すべきであった。
〝鬼怒女〟の剛腕が繰り出す棍棒は、大地にめり込むどころか爆散させた。その軌道の延長線上に、めくり上げられた砂や石の礫が打ちだされ、猫獣人の柔らかな肌を切り裂き、無情にも打ち据える。
「ぐ、ぎ……ありえないぐらい馬鹿力ニャの……!」
「猫は好きだぞ。皮を剥いで腰巻にしてやろう」
「それ好きって言わないニャ、動物虐待ニャ……!」
ミニーニャとミィスフェルナが戦う一方、こちらでは激しい剣閃の交換が行われていた。
カイラスの振るう魔剣と〝黒鬼士〟が振るう黒刃が打ち合わさり、火花を迸らせる。
(――コイツの剣、尋常じゃないな。魔剣じゃなけりゃとっくに折れてる)
刃を触れ合わせる度に伝わってくる異常な手応え。
その感覚は正しく、〝黒鬼士〟の得物は高周波ブレード……それ自体の鋭さもさることながら、一秒間に千回を超える振動により、骨肉はおろか鋼ですら斬ってしまう異世界の武器である。
対するカイラスの剣も負けてはいない。一等級冒険者まで上り詰めた者の武器が、そこらの数打ちであるはずもなし。
魔剣『竜牙』。名のとおり竜の牙を剣として打ち出した一品。
下手な鋼より強靭であり、備えた自己再生能力によって刃毀れは自動的に修復される。この剣さえあれば、遣い手が限界を迎えない限り、武器の耐久性を理由に敗北することはない。
武器の性能に差は無いならば、勝負を決するのは人間の技量だ。
既に数十回に及ぶ打ち合いを経て、カイラスは〝黒鬼士〟の手並みを把握するどころか、纏わりつく嫌な予感を拭えないでいた。
様子見のため全力を出していないとはいえ、相手はそれ以上に手を抜いているように感じる。
いや、故意に実力を抑えているという意味ではない。一切の力みが無い、淡々とした剣捌きといった印象なのだ。こう来たらこう返す――膨大な蓄積の中から対応したケースを呼び出し、そのまま出力したような。
もしカイラスがチキュウ人であれば、〝黒鬼士〟をこう評すだろう――これは剣を振る人型の機械だ、と。
人間同士の読み合いが一切ないのだ。カイラスは様々に攻撃の手を変化させ〝黒鬼士〟に揺さぶりをかけているが、そのことごとくが不発に終わる。ただの凡手として淡々と処理されていく。
膨大な攻めのパターン全てに反射的に対応できる絡繰りがあるはずだ。しかし、この戦闘中にそれを突き止められる気は到底しない。カイラスは深さの知れない水底を覗き込んだような感情を覚えた。
不意に剣戟が止んだ。〝黒鬼士〟が一歩、闘争から引いたからだ。
カイラスも追うことなく大きく背後へ跳躍した。
何かが来る――戦闘のフェーズが進んだことを、ひりつく肌の感覚で知る。
「……才羽流抜刀術」
黒刃が鞘の中に納められる。
鍔が奏でる金属音は、次なる破壊の呼び水であった。
「――〝目臥〟」
目にも留まらぬ神速の抜刀――しかし、黒刃は何人を斬ることもなく空を切り裂いただけであった。〝黒鬼士〟も納刀した位置から動いていない。
(何だ? 奴はいったい何を、)
――ぐらり。
酩酊したように傾いたカイラスの視界に映ったのは、一度の踏み込みであっという間に彼我の距離をゼロにした〝黒鬼士〟の姿であった。
自由の利かなくなる体。それでも中途半端ながら防御の構えを取ったのは一等級冒険者の意地。
ただし、戦いで不覚を取った代償は、利き腕たる右腕で支払うハメとなった。
一瞬カイラスの平衡感覚を奪ったのは、超高速の抜刀により鞘から発せられた超音波だった。ブレードの抜き口を相手の頭部に照準することで、指向性を帯びた音波が三半規管を狂わせる。
――魔剣『竜牙』を握ったままの腕が、断面の切り口から血を噴きながら宙を舞う。
それはまさしく『白き翼』にとって絶望的な光景に他ならなかった。
「カイラス――ッ‼」「こりゃマズいッ⁉」
「バ、カ野郎ッ……お前ら術師を止めろ……ッ!」
相棒たるカイラスの窮地に、動揺したアインとバックロゴンの攻め手が切れた。
「善哉、善哉」
その隙を〝鬼術師〟が見逃すことはなく、最後まで印は完成してしまった。
「――さあ、貴方たちの恐怖を私に見せてください」
いったい〝鬼術師〟が発動させた魔法は何なのか。
その答えは空中に漂い出した、夥しい量の白い靄となって現れた。
カイラスたちは始めに見た〝禁語〟の猛毒霧のような効果を想像したが、すぐに裏切られることとなる。
大量の霧は凝り、実体となって形を得る。
「……そんな」
呆然の呟きは誰の声だろうか。
『白き翼』の眼前に顕現していたのは、彼らが最後に請けた依頼で討伐した霧の竜、紛れもなくその姿であった。




