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異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる-  作者: 鹿紅 順


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第二章 第23話「英雄の出立」

   ***




『黄金の鷹の止まり木亭』に戻ったビカムとリンは、宿の食堂で夕飯にありついた。

 リンダリアル世界の未知なる食材にリンは内心目を輝かせていたが、黙然と(さじ)を口に運ぶビカムを見て、興奮を表に出すのは躊躇われた。

 今、こうしてスープを味わう彼の表情は、いつもと変わらず平静そのものだ。


 感情を掻き立てんとする事象のことごとくをいなし、凪のように世界に佇む。それはまさしくテスカが寝物語に語った、神話に登場するエルフの在り方そのものだった。


 彼はその血を、色濃く引くという。


「……ビカム」


「……どうした?」


「……ううん、何でもない」


「……(え……? え、何なんだ? 一回訊きかけてやっぱり止めるって絶対何かあるだろう。しかも直前で思いとどまるぐらい重大な何かだと暗に示しているようなものだ。こういうのは黙られるより、はっきり言ってくれる方が良い。だから言ってくれ! 頼むから! 私からはとてもじゃないが訊けな――)」


 質問したい衝動が喉まで込み上げてきたが、寸前でグッと堪えた。

 リンは思い直す。彼は彼なのだ。

 饒舌も寡黙も、本人の気質によるもの。種族だからどうこと訊くのは無粋もいいところだろう。


 そんなリンの心情すらお見通しなのか、彼は動じることなく無言のまま食事を続けた。伏せられた目線は、美剣士なりの気遣いか。視線を合わせれば、勘ぐられているとリンが勘違いしかねない。ビカムめ、いじらしい事をする。

 結局、二人は目立った会話を交わすことなく、各々の部屋に別れた。

 後はもう寝台に身を預け、朝の訪れを待つのみである。


 王城に登る前と同じく外套すら脱がないまま、ビカムは寝台で仰向けになり、天井をじっと見つめていた。

 (はた)からでも、彼が激しい物思いに沈んでいることが分かる。

 (きた)る王獅子との戦い、美剣士の胸中に渦巻く感情はいかなるや……。


「…………(はあ……仕方ないとはいえ、大事を請け負ってしまったな……。王獅子と戦ったことは何度かあるが、いずれも追い払うだけで終わっている。だが討伐となると相手も死に物狂い、危険度は跳ね上がる……。特にリン殿がいるからな……安全な後方で待っていてくれと言っても絶対ついてくるだろうし……いっそ最初から私の目の届く範囲にいてくれる方がいいかな……。しかし戦うとなると、武器は申し分ないが防具が心許(こころもと)ない。強化外骨格だ、防御力が無いとは言わないが、あくまで筋力補助のための機械。人間同士の戦いならまだしも、魔獣との戦闘を想定した設計にはなっていない。となると、リン殿のための新しい鎧が必要になるか……重量軽減の効果が付与された魔法鎧じゃないと着られないだろう。あとは魔効液(ポーション)も一通り揃えておく必要がある……回復、毒、解毒、爆薬、粘着罠……収納袋に在庫はまだあっただろうか? いや、どうせ魔法鎧を見繕いに行くのだ、薬屋にも寄ればいいか。……そうだ! 彼女に巻物(スクロール)を持っておいてもらおう。魔力を持たないリン殿でもこれなら使うことができる。手持ちがないからこれも買いだな)」


 ふう……、ビカムから吐息が漏れる。


 この部屋に余人がおらず幸いである。たちまち今の悩ましい声に悩殺されていたであろう。


「…………(あとは王獅子対策か……霊剣を解放すれば何とかなるが、魔力の消費が激しいから軽々に使いたくない。とはいえ特等級になるほど成長した個体か……どんな化物具合になっていることやら……はあ……。精霊たちを呼ぶべきか? ……いや、纏った鎧に呪死効果を持つ武器が無いとは言えない。危ないからやめておこう。結局、地道に鎧を剥いでいくしかないか……魔法使いギルドに寄って武装解除の杖をありったけ買い込もう。うーん、金の暴力だ……。普段なら冒険者として外聞はよろしくないが今回は情勢的にそうも言っていられないだろう。よしっ、そうと決まれば今日は早く寝て、明日、太陽が昇ったらすぐに出発だ。明日一日がかりで王都中の店を巡って、戦いに必要な物を完璧に準備する。ここが王都でよかった。地方の街なら取り扱っている店が無いかもしれないし、品揃えも残念ながら王都には及ばなかっただろう。不幸中の幸いだな。ああ、予定が決まったら心が軽くなった気がする。今夜はぐっすり眠れるだろう)






 明日に備えて寝ようとしていたリンは、ノックの音に呼ばれて扉を開ける。

 そこには美しい痩身が。

 いつにも増して精悍な顔で彼は告げる。


「……リン殿、明日は早朝に発つ(そして丸一日使って王獅子との準備を万全に整える)」


「……っ! ええ、分かったわ。……腕が鳴るわね」


「(……?)……今夜はゆっくり心身を休めることだ」


「ええ。ビカムもね。お休み」


 別れた二人は各々の部屋で疲れた体を横たえた。

 明日は間違いなく、激動の一日になる――






 太陽が地平の向こうから姿を現してから幾ばくもしない頃。

 美剣士ビカムとサムライ少女リンは宿の一階広間に集結していた。


「……よく眠れたか?(私はぐっすりだった)」


「正直、ちょっと寝つきが悪かったの。武者震いってやつね。でも大丈夫、足を引っ張るような真似はしないわ」


「(……?)……そうか(まあ今日は寝不足でも問題ない)」


 玄関扉の脇には支配人を始め、都合のつく従業員たちが勢揃いで見送りに来ている。


「……世話になった(ありがとね)」


「ご武運を……お祈りしております、ビカム様。王国の無辜(むこ)の民たちのために、どうか、どうか……」


「(……?)……ああ(何だろう? この空気感……)」


 両開きの扉を開かんと従業員が把手に手を伸ばす。

 ビカムは口を開いた。


「……リン殿、今日は王都の――」


 開け放たれた扉から朝陽が差し込んだ。

 視界を光が埋める――











「――これより、英雄ビカム様の、王獅子退治壮行式を取り行います!」


 鳴り響く幾重もの喇叭(らっぱ)と太鼓。

 降り注ぐ紙吹雪。


 ずらりと続いた人垣に、とめどない歓声。


「……(!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?)」


『黄金の鷹の止まり木亭』の目の前を伸びる大路の両脇は英雄の出立を見送ろうとする群衆で埋め尽くされている。

 近くの建物の二階の窓はほとんど全て開け放たれ、溢れだした人々がそれでも一目見んと身を乗り出して手を振っていた。


 制止が無ければ今にもビカムに殺到しそうな群衆に目を光らせているのは、王都警邏(けいら)隊と近衛騎士団だ。朝早くにもかかわらず任に就く彼らの顔は不満どころか誇らしげである。


 護衛の騎士を引き連れ歩み寄ってくる人影の一団。

 中心にいたのは利発そうな目と爽やかな雰囲気を纏った十代後半の少年。隣には同じ年頃の美しい淑女を伴っている。

 両者とも見るからに、貴種に連なる家柄の出。

 リンのその見立てに間違いはなく、どころかこの国でも頂点の血筋であった。


「お久しぶりです、ビカム様」少年が口を開いた。「国王陛下の名代として、グリンド・グアド・エスタード・アーライン・グウェン・ネレスがご出立を祝しに(まか)り越しました」


「……王太子殿、か(何で⁉ 何で王太子殿がわざわざ来てるの⁉)」


 王太子の隣に侍る淑女もまた、膝を折り綺麗な礼の所作の後、挨拶を述べる。


「お初にお目にかかります。ラングベルド公爵家フォードが娘、リリエラと申します。この度の王獅子退治への名乗り、国民一同感謝の念に尽きません」


「ビカム様、私と彼女……リリエラは、将来の婚姻を約した関係で――」


「ああっ! ようやく! ようやくお会いできました! 叙事詩に違わぬ美しい佇まい、見るだけで心が焼かれるような心地! 何度この日を待ち望んだことか……イェレナ様にご無理を申し上げた甲斐がありましたわ! 吟遊詩人を邸宅に招いてビカム様の冒険譚を聞くのも至高ですが、やはり本物のご本人と言葉を交わせることは至上の幸福でございます! そう思いませんこと、グリンド様?」


「あ、ああうん、そうだね。はは……」


 胸の前で両手を組みキラキラと瞳を輝かせているリリエラ。

 未来の妻の様子にやや引き攣ったように笑いつつ、グリンドはこの壮行会について説明する。


 ビカムが美しく去った後すぐに閣僚が参集され、この後の具体的な対応について協議が行われた。英雄に任せるだけでなく、自分たちにも出来る最善を尽くすために。

 その一環として、王女がこの壮行式を企画したという。全大臣の賛成をもって案は可決された。流通が止まり経済の落ち込んだ今、国民には希望が必要だった。


 美剣士ビカムが王城へ登り、国王から王獅子退治を請け負った情報は、枢密院内部室の一つ――国土公安室に所属する腕利きの諜報員によって、夜になる頃には王都中に噂として伝播されていた。

 名にし負う伝説的剣士の登場は、瞬く間に王都の民を興奮と熱狂に叩き込み、国土公安室が煽るまでもなく、英雄を激励しようという機運が市井(しせい)に醸成された。


 こうして早朝に驚くべき人数が密やかに集い、サプライズの壮行式が実現することになったのだ。


「ご覧ください。皆が貴方の出立を祝い、戦いの無事を祈らんと駆け付けました。この人波はここから(・・・・)王都北門まで(・・・・・・)途切れることなく続いています」


「道中、どうか手を振ってあげてください。この場に立ち会えたことが民たちの誉れとなります」


 グリンド王太子とリリエラ公爵令嬢が晴れがましく大路を振り返った。

 不死鳥の尾羽を挿した鍔広帽子が揺れる。


「……(は……? え……? つまり、この分厚い人垣が、王都を出るまで……一本道に続いている……⁉)」


 ビカムが左を向く。


 ワアアア――! ただそれだけで歓声が一層大きくなる。


 ビカムが右を向く。


 キャアアア――! ただそれだけで熱を帯びた声が一斉に花開く。


 ビカムが正面を向く。


 英雄の道は、彼の栄光の果てが無いかのごとく、どこまでも続いていた。


「……(武具屋、薬屋、魔道具屋、魔法使いギルド――こんなの絶対に途中で店に立ち寄れる空気じゃない……! 出発は今日じゃなくて明日なんだと言ったら興醒めどころでは……!)」


 わずかながらビカムの纏う空気が、揺れた。

 武人たるリンだけでなくグリンド王太子もリリエラ公爵令嬢も、彼の気配の変化を感じ取った。

 相変わらず平静と寡黙を貫いているが、民の心からの激励と祈りに、さしもの美剣士も感極まったに違いない。

 それを悟られまいと表情に出さないところがなんとも微笑ましく、王太子と公爵令嬢はどちらともなく顔を見合わせてクスリと笑った。




 鳴り響く幾重もの喇叭と太鼓。

 降り注ぐ紙吹雪。

 ずらりと続いた人垣に、とめどない歓声。

 その只中を堂々行進する美しき剣士、供に侍るは異世界のサムライ。


 近衛騎士と警邏隊、そして王都に住まう民たちによって作られた道をビカムは進む。

 やはりその表情は凪いでいて、いっそ諦観すら感じさせるほどだ。

 敵対する以上、もはや死を免れぬ王獅子の命すら儚んでいるのだろうか。


 ビカムとリンは予定通り真っ直ぐ王都を出立し、郊外で待機していた王国軍第一軍に護衛されながら、一路レベト平野へと向かった。

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