第二章 第22話「想像を超えてゆく」
「ヨ、ヨランパ卿! 王獅子退治を彼らにですと……⁉」
真っ先に声を上げたのはビカムでもグウェン王でもない――不動たる姿勢で謁見の成り行きを見守っていた軍務大臣だ。
彼は信じられないものを見る目でヨランパを見つめざるをえなかった。
「何だい。問題でもあるのかい」
「大ありですぞ!」ヨランパに睨まれようと軍務大臣は退かない。「彼奴の脅威度は一等級を超え、特等級にまで足を踏み入れておるのです! 一等級の冒険者ですら匙を投げた怪物……王国七軍団の二つをもって討伐せんとしているのに、たかが二人で退治ですと? バカげている!」
「何もバカげちゃいないさ。私を誰だと思ってる? 未来を見通す占星術師様だよ。それに……アンタこそコイツを誰だと思ってるんだい」
ズイ、と突きつけた杖の切っ先。
軍務大臣に向けていたそれを、ヨランパはビカムの美しき顔へとスライドした。
「そこらの冒険者とビカムを一緒にしちゃあいけないよ。どんな無理難題だろうと、コイツは涼しい顔を崩さないまま片付けちまうんだ。獅子だろうと、竜だろうとね」
「……(無理な時は無理だぞ)」
ビカムは……黙して語らず。
ヨランパに視線を向けることもなく、ただ目を伏せて寂寞たる空気を纏っていた。
しかし、それこそがあらゆる怪物を討ち取ってのける自信の表れのように見えた。
名人が己の技を無暗にひけらかさないように、彼もまた褒められて喜ぶ二流三流とは次元が違う。
「……依頼を請けよう(元より力を借りるにはそれしかない)」
おおお……、玉座の間にどよめきが響き渡った。
本当に二人だけで――そう声ならぬ声が聞こえてくるようだ。
「……ヨランパ殿。王獅子退治、成し遂げた暁には私たちの用向き、確かに応えてもらおう」
「その件なんだがねえ……」左手で顎をしごくヨランパ。「実はもう、アンタに報酬は渡したようなもんなんだよ」
「……どういうことだ(どういうことだ?)」
なんとも理解しがたい言葉を紡ぐ老婆に、さしもの美剣士も美しい眉根を寄せざるをえなかった。
焦らすことなくヨランパはあっさり種を告げる。
「私の本職をお忘れかな? ――未来を視たのさ。ジャガンという獣人の雇い主、ソイツの目的を知りたいんだろう? 面白いことに、アンタが王獅子退治の依頼を請けることが、それを知るための最も近道なのさ。不思議でたまらないって顔だね。でも間違いない。それがこのヨランパ=メグゥの視た未来なのさ」
そこまで言い切る以上、ビカムとしても疑義を差し挟むことはなかった。
占星術師は――確かな占星術は、この世界で大きな力を持つ。
「んで、いつ退治に行く気だい?」
「――時は一刻を争います!」
声を上げたのは外務大臣である。
大使からの報告に卒倒した彼だが、外交行政の長に安眠を貪らせるほどの余裕は、現在のエスタード王国に存在しなかった。叩き起こされ回復魔法をかけられてから一時間も経っていない。
「王獅子が縄張りにしているのはレベト平野。ここにはミルドラン共和国に通じる大街道がありますが、現在は軍が封鎖中。流通の滞りにより、既に王国と共和国の経済的損失は計り知れません。王獅子は我が国の領土内に居座っているゆえ、日に日に解決を要請する外交圧力は高まっております……これ以上手をこまねいていると各国間の勢力均衡にも影響しかねません。ビカム殿には今すぐにでも討伐を……」
「しかし、それはあまりに性急すぎます、外務卿閣下!」
たまらず口を差し挟んだのはイェレナ王女だ。目端には涙すら浮かべている。
「軍が戦わねばならないような相手を今すぐ倒せだなんて、ビカム様だってそれなりの時間を、」
「――口を慎めイェレナ」
反論を許さない、押し潰すような音が玉座から発せられた。
グウェン王が全方位に、人々を圧する威圧を放っている。
完全な王としての姿に、イェレナ王女は唇を噛みしめることしかできなかった。
「軍務卿、万全の準備をもって軍を動かすには、どの程度の時を要するか」
王の下問に軍務大臣が畏まる。
「陸・空・魔導の三科を編成いたしますゆえ、十日……いえ、七日頂ければ必ずや」
「外務卿、ミルドランはいつまで抑えておけるか」
「このままだと三、四日というところですが……前々から彼の国が強く要望している食肉関税の引下げを餌としてチラつかせれば、最低十日は譲歩を引き出してみせましょう。それ以上は何とも」
「商務卿、貿易の損失を我が国はどこまで許容できるか。民への影響は」
「食料品については備蓄物資の放出で一月は大丈夫です。商会の倒産問題の方は既に損害支援金の補正予算を組み始めております。この時期だと国債を発行するしかありませんが、いくつかの銀行へ内々で引き受けを打診し、幸いにして良い返事を貰っております」
「我が臣下は皆優秀で安心したぞ」
グウェン王の双眸がビカムを捉える。
王と英雄の視線が交錯した。
「――七日だ。今日より七日以内に王獅子を討ち取ってみせよ」
七日……予断を許さない国内・国外情勢を総合的に鑑みた結果、ビカムに与えられたのはたったの七日だけだった。
「見事達成したならば、以降余の裁可を不要とし、ヨランパの助力を願うことを許す。出来なければ、永久にヨランパに力を借りることを許さぬ」
「へ、陛下……」
イェレナ王女が思わず呻く。
短期間で成し遂げよというには、あまりにも厳しすぎる条件。
しかし、取り成しを図る者は誰もいない。
いたとしても、王が応えないことは分かり切っている。
「どうだ。今なら先の返事を撤回することを許す」
グウェン王は煽りではなく儀礼的にそう言った。たとえ「考え直させてくれ」と申し出ても日和ったとは見なされない。それほどの難度なのだ。
だが、誰が何と言おうと、この男の答えは変わらなかったであろう。
「――(考える時間が)一日欲しい」
なんと……なんと――
彼の口からまろび出たのは、およそ信じがたい発言だった。
美剣士は、我らの想像をどこまで超えてゆこうというのか!
「ま……さか、一日……ッ⁉」
軍務大臣の一言が全員の心情を代弁していた。
自分の聞き間違いではないのか、いやそうであってほしいとすら思う。
しかし、全員の視線を一身に浴びたビカムは、
「……ああ(考える時間はそれぐらい必要だ)」
誤りの無い、純然たる事実であると肯定したのだ。
例えるならば、梃子で山を動かしてみせる、と真顔で言われたようなもの。
だというのに、王を含めてこの場の誰もがビカムの発言を笑い飛ばせないでいた。
この男ならもしかすると……、そんな予感が魂を掴んで離さない。
訪れた無言が雰囲気に一区切りをつけたことで、謁見はこれにて終わりと相成った。
「……(よし。こんなところ、早く帰ろうそうしよう)」
宮内大臣が告げるや否や、颯爽と踵を返し歩き去っていく孤高の背中。
追いすがろうとするイェレナ王女の「今日を記念した歓待の宴を準備して――」と呼びかける声も無視して。ビカムの関心は既に、レベト平野にて待ち受ける王獅子に移っている。
「……(聞こえないふり聞こえないふり……。宴なんてお断りだ。たくさんの人に囲まれて気を遣う)」
慕う相手にあしらわれたイェレナ王女だが、それでもなお、彼女の瞳の輝きが曇ることはなかった。
「ああ、ビカム様。なんとお労しい……。ですが、イェレナは分かりました。その決意のほどを汚すことはできません。ならば、私に出来ることは貴方を盛大に――」
美剣士の姿が扉の奥に消え、十分に時間が経過したのを見計らってから、王はヨランパを残して人払いを命じる。
訝しみながらも、この場に集った廷臣たちは唯々として謁見の間を退室していった。
「……なぜ、ビカムに王獅子退治を命じた」
二人には広すぎる空間。王の声が響く。
「お前は何を視た、ヨランパ」
大臣たちは、降って湧いた英雄にこれ幸いとヨランパが怪物退治を押し付けたと思い込んでいる。
だが、王だけはヨランパの僅かな声の震えから、威勢に隠された老婆の怯えの感情を見抜いていた。
「……済まないね、ビカム坊や」
返ってきたのは、独白めいた吐露であった。
「アンタは本来何もせずとも、王都に留まっていれば望むものと邂逅できる運命だった――その代わり、この王都は惨劇の地になる。たった一日のズレで、夥しい血が流れる定めだったのさ。だから私は運命を捻じ曲げた――ビカムとあの少女により大きい苦難が降りかかる方にね。王都を守るためには、どうしてもそれが必要だった。……偉大なる王よ、私は悪人かい……?」
気の強いヨランパから漏れ出た、縋るような問い。
罪悪感に良心を痛める老婆に、王は慰めの言葉をかけた。
「天を彩るは導きの星だけではない。空には恐ろしき凶星も潜んでいる。星見のみが人知れずそれを読み解き、孤独に運命と戦う。――民草が知らずとも、余だけはその献身を魂に刻み込もう、偉大なる占星術師よ」




