第二章 第21話「王異問答」
ビカムを除く誰もが固唾を飲んで見守っていた。
頭を垂れて顔を伏せたまま、リンは心根のままに言った。
「……私の世界と変わらないと思いました。誰もが笑ったり、怒ったり、悲しんだり、感謝したり……。そこに本質的な違いは無いと感じました」
「――その同じだという世界を、チキュウは貪らんとした」
王が放つ、明らかに一線を超える切り返し。
青ざめた顔で宮内大臣は覚悟のもと片膝を着き、直言した。
「陛下ッ! それ以上は、どうかっ、どうかっ……」
「囀るな、宮内卿。……貴様らの行いを余は咎めん。元より我が国も長い歴史の中で、いくつもの周辺国を併呑した。我が玉体に流れる血は、我が国が踏みしだき、喰らってきた人の血の赤さでもある。ならば、余が貴様らの行いに憤激すれども非難できる道理は無い」
言葉だけを見れば、漏れ出たグウェン王の胸中は非常に冷めていた。
〝大衝突〟も、所詮は過去から連綿と繰り返されてきた、人の営みの延長線上に過ぎない。
国が国を侵略することと本質は変わらず、それが世界と世界に置き換わっただけに過ぎない、と。
だからこそ、グウェン王はチキュウ世界の侵攻を、肯定も否定もしない。
「臣下どもは狼狽えておるが、貴様の言のとおり二つの世界が同じならば、余に迷うところはない。剣を抜けば剣を持ち、言葉には言葉を繰るのみ――ゆえに、余が貴様に問うべきことはない。貴様もまた余に問うべきことはない。同じようにするがよい」
王はそう締めくくり、それ以上、言葉を発する気配は無かった。
拝聴した者たちは王の発言に打ちのめされていた……いくら相手がチキュウ人だとしても、あまりに殺伐とした言葉である。相争ったチキュウに再び刃を突きつけるでもなく、関係を改善するでもなく、それが人の営みなのだと突き放す。
外交に携わり多少心得ある者ならば、なんと血の通わない意思疎通なのだと、冷たく乾いた風が胸中を吹き抜けたことだろう。遠くない昔に争った相手へ抱いたこの怒り憎しみすら、歴史の無数の繰り返しの一つにしか過ぎないというのか……。
それが、王がゆえに至る境地とでも言うのだろうか。
沈痛な表情を滲ませる者の中で、
――しかし、リンは王の言葉の意図を正しく感じ取っていた。
「――はい。私も、陛下と同じ思いです」
許しなく上げた面は少女らしい可憐な笑みを湛えており、宮内大臣と官吏たちはリンの非礼を注意するどころではなく混乱した。今のどこに笑うような部分があっただろうか?
「剣を抜けば剣を持ち、言葉には言葉を繰る――だから私は今、陛下と言葉を交わせることを非常に光栄に思います。陛下と私だけではなく、願わくばチキュウとリンダリアルがそのような関係になることを願います」
リンの返答が足りない情報を埋め、ようやく臣下たちは王の真意を理解した。
同時に、日頃身近に仕える自分たちが察せなかった王の叡慮を見抜き、さらにはその王の言葉になぞらえて理想的な返事をしてのけたチキュウの少女に舌を巻かざるをえなかった。
剣を抜けば剣を持ち――だが我々には刃以外にも交えられるものがある。
言葉による対話を諦めなければ、きっと違う未来を迎えることができる――王の言葉にはそのような含蓄が込められていた。異世界の少女もまた、王の期待通り言葉を受け取った。
生まれも身分も違えども、彼ら二人は心の深い部分で考えを通じ合わせたのだ。
それをお膳立てしたのは――
「食えないエルフよ。茶番に乗ったうえで台本を逸れるとは……余に胸襟を開けと迫るか」
王は膝を着く美剣士に一瞥をくれたのち、フンと鼻を鳴らすのだった。
つまりは、そう――全てはビカムの策略だったのだ。
「……(何の事だ?)」
筋書き通りの会話、筋書き通りの居ない者扱い。
儀式でしかない謁見を、ビカムは下らぬと断ずる。
再びの衝突を恐れるあまり腰の引けた両者を、無理矢理対話の舞台に上げ、本心に近い会話を引き出してみせた。
王の体面を傷つけず、チキュウ人に対する偏見すらも改めてさせてもみせた。
そちらが形式を踏襲させるなら――踏襲したその上で形式を壊す!
齢数百年を生きるエルフの痛烈な策略に、グウェン王は癪に障るも乗せられたことを認めざるをえなかった。
「フン……。彼奴の願いは〝宮廷占星術師であるヨランパの力を使いたい〟であるな、宮内卿?」
「は……ははッ! その通りでございます」
「ならば良きに計らえ。条件はその方らで詰めよ。謁見は以上だ」
「思し召しのままに。……それでは――」
宮内大臣が結びの言葉を口にしかけたその時、王が入来した際の扉が勢い良く開いた。
現れたのは、ちょうどリンと同じ年頃の少女だ。
身を飾るドレスや宝飾品は、彼女もまた至尊の一族に連なることを表していた。
「お父様! 黙って謁見を始めてしまうなどあんまりです!」
「……イェレナ、今は公務である。陛下と呼べ」
「陛下、私やお母様たちを出し抜いたつもりでしょうが、そうはいきませんからね! ……あ、あああああっ⁉ そんな!」
謁見の間に漂う空気などなんのそのと騒ぎ立てる少女は、片膝を着いて頭を垂れた美しい人影に目を留め、舞台役者を思わせる大仰な悲鳴を上げた。
「ビカム様⁉ おやめください! 貴方様がそのような……美しき方に膝を着かせるなんて……!」
傍らに駆け寄り、必死に説得――客観的には懇願であった――するも、麗しのエルフは黙して首を垂れるのみ。
「……(ちょっ、やめっ……! 王様の前だから、勝手に顔を上げたら怒られるから……!)」
「陛下っ!」
「……楽にせよ、英雄ビカム」
王の許しを得て、ようやく美剣士は礼を解き、すらりと立ち上がったのだった。まったく、律儀な男である。
「ああっ、ビカム様。貴方様と最後にお会いしてから今日まで、私は寂しさで胸が張り裂けそうでした。流した涙で二つ目のエスタン河ができるかと思うほど、貴方様を想って枕を濡らさなかった日はございません! ですが、こうして再び巡り合えたのも天上の意思のお導きに他なりません。女神様が私たちを引き合わせた――これはもう運命と呼んでよいのでは?」
「(いつもながらスゴいグイグイくるよこの人)……王女殿下におかれては、ご機嫌麗しく」
「なんてこと……! おやめくださいましっ」イェレナが叫ぶ。「そのような形式ばった言葉……。アーライン家が貴方様へ口にするのは虚飾や下らない筋書きなど無い、真実の言の葉だけですわ! そのような余所余所しい物言いは好きではありません!」
二人のやり取りに、グウェン王が苦々しそうに表情を歪めた。具体的には〝下らない筋書き〟のところで。
イェレナ王女、先ほどまでのビカムたちと王の会話を知っていての発言ならこの上ない皮肉である。
「――王女殿、ビカム様を困らせてはなりませんよ」
と、イェレナに続いて姿を現したのは、彼女がまさに年を重ね、大人の気品を兼ね備えたらこうなるだろうと思わせる婦人であった。
王妃アズリカ――エスタード王国の国母。全ての貴婦人の頂点その人である。
アズリカはするすると歩いてグウェン王の隣に納まった。
そして夫たる王を小声でちくちくと攻撃し始める。
「酷いお方。娘の懸想する相手を人知れず追い返そうだなんて」
「……その方も姦しく騒ぐであろう」
「まあ! 私がイェレナと同じ年の頃、ビカム様に夢中になっていたことをまだ根に持っていらっしゃるの?」
「根に持ってなどいない。王女の婚姻が遠のくと危惧しているだけだ」
「いい加減諦めなさいませ。この国の王家の女が、あの方に恋煩うは宿命でございます」
「息子から相談される余の身にもなれ。……婚約者が夢中になっていて気が気ではない、と。未来の良人の前で他の男の話をされて、喜ぶ男はいないのだ」
「ビカム様に負けないほど男ぶりを上げればよいだけでしょう」
渋面を帯びた王につんとそっぽを向く王妃。
そのある意味仲睦まじげな様子を「かっかっか」と笑う声はビカムの背後から響いてきた。
振り返る――ビカムとリンが入室してきた扉は今まさに閉じられるところで、杖を突いた一人の老婆の姿があった。
「久しいね、ビカム坊」
この人が――リンはそう直感し、まじまじと新たな登場人物を観察した。
浅黒く焼けた肌、完全に色を失った白髪。ゆったりとしたドレスとローブを身に纏う。両耳と鼻には多くのリングピアス。
まるで若者のような傾きぶりだが、顔に年輪のごとく刻まれたシワは彼女が老境であることを示している。
はっきり言って身形も雰囲気も王城にそぐわない人物ながら、追い出されていないのは、ヨランパの数倍も生きているビカムを坊と呼ぶ豪胆な気質もあるだろうが、極めて貴重な占星術師であるがゆえだ。
「……ヨランパ殿も、壮健でなにより」
「かかかっ! なあに、もう自分の死期まで視終えたもんさ。矍鑠なうちは、こうして首を突っ込ませてもらうよ。呆れるほどの罪作りっぷりだねえ。王女殿下がべったりじゃないか。……ああ、今回の逢瀬でまた婚期が延びたよ」
「ヨランパ卿! 勝手に人の未来を除かないでくださいまし! それに私は誰にも嫁ぎません。生涯を捧げる殿方はもういるのですから」
そう宣うイェレナは両手でビカムの左手をがっちりホールドしている。
「やれやれ、未来が思いやられるねえ……。んでだ、ビカム坊。私の力を借りたいんだろう? 別に構わんよ。今から言うこちらの条件を吞んでくれたらね」
唐突に交渉のテーブルに着きかけた二人。
そこへ宮内大臣が待ったをかけた。
「ヨランパ卿、勝手な事をされては困ります。それに関しては後程詳細な条件を詰め――」
「ふうん……アンタ、月も半ばでもう五回もお気に入りの店に通っておるのかい」
ギロリと音が聞こえそうなほどヨランパは鋭く大臣を見据える。
「……ははあ、最近入店した若い娘っ子が初恋の相手に似てるんだねえ。いくら子が独り立ちしたとはいえ、火遊びはほどほどにしないとお家騒動の、」
「――今話が纏まるならそれに越したことはありません。どうぞ続きを」
「嫌いじゃないよ、その切り替えの早さは。かかか!」
ヨランパお得意の過去視、占星術師の本領発揮だ。
ひとしきり笑った後、ヨランパはビカムに向き直り、
「――〝鎧纏いし鬣〟……ソイツの退治が交換条件だよ」
託宣を下す巫女のごとく、厳かに告げたのであった。




