第二章 第16話「推理」
***
ビカムが宿を取った『黄金の鷹の止まり木亭』は王都でも指折りの高級宿である。
王都に邸を持たない富貴なる主人は、大抵ここを定宿とする。歴史も格式もある宿場ゆえ、当然のごとく一見客はお断りだ。働く従業員も、生家の家格や能力で厳しく篩にかけられた、超一流のみが在籍を許されている。
その分、部屋の設備も一級品。たとえば魔道具を利用した温水シャワー設備。これは普通の宿には存在しない。ましてや個室ごとに付いているなど。大抵は盥に水一杯と渇いた布を渡されて終わりである。
従業員が入口の扉を恭しく開き、ビカムたちは楚々と中に足を踏み入れる。
ロビーは既に人払いが済んで静寂に包まれていた。普通なら客たちの怒りは免れない宿側の対応も、かの美剣士が来店するとあっては、進んで彼らは快く部屋へ引き上げるか市中へと繰り出していった。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
受付近く、佇んでいた品のある老紳士が頭を下げる。礼の行き届いた所作である。
「……世話になる(支配人自ら毎度毎度……気を遣わなくていいのに……)」
「お連れ様の部屋は、お隣に用意させていただいております」
いかなる仕儀か、ビカムに連れ合いがいることは関知のうえらしい。
この会話中もビカムは立ち止まることなく、受付の貨幣皿に二人分の金貨を、流麗な手つきで流し入れる。
空いた手で二人分のルームキーを受け取ると、ロングコートを颯爽と翻し階上へ姿を消す。
二階の最も奥まった位置にある部屋がビカムの部屋だ。
『黄金の鷹の止まり木亭』は彼以外の客を誰もその部屋に泊めない。彼から宿泊代を貰うこともない。しかし彼の善意から手渡された代金は、王都の孤児院に寄付することになっている。
それがずっと昔に交わされた、古い約束だった。
頭頂から肌を伝った熱い湯が床に落ち、排水溝へと流れていく。
「はぁぁぁ……」
久方ぶりに浴びた湯の熱さに、リンの口から思わず溜息がこぼれる。
体の汚れを落とす以上の魅力が風呂にはあるとつくづく思う。
最後に風呂を浴びたのはいつだったか……〝ゲート〟を潜り、リンダリアル世界で夜を明かし、冒険者ギルドで用を済ませ、王都の宿屋に入ったのがおよそ一時間前。いや、チキュウ世界で輸送車の復路の護衛に就いた時から含めると、およそ二日に近い。乙女にとっては致命的だ。
付け加えるなら、リンが宿に入ってすぐ風呂にありつけたわけではない。
風呂場に直行したリンは手慣れた手付きで腰の後ろにあるカバーを外し、内蔵されていた紐を引く。たちまち強化外骨格の装甲が開き、脱皮するように科学の鎧を脱いだ。抜け殻となった強化外骨格は、非装着時は自立する構造になっている。
脱いで終わりではない。次いでリンは四つに分解したパーツを組み合わせ、輪を作った。
輪の中に強化外骨格を収めると、ふくらはぎ部分の装甲から接続ケーブルを伸ばし、輪と接続する。
最後に強化外骨格の内と外に満遍なく水を掛けて完了だ。
間も無く輪の円周部分から極薄のポリマー樹脂が生成、上へと押し出されていき、瞬く間に半透明の円筒を形成した。
すると、シュー……、という音と共に円筒内部に水蒸気が立ち込めていくではないか。
これは強化外骨格が吸入した水に熱を加えて蒸発させ、高温蒸気洗浄を行っているためである。本当は然るべき場所で然るべきクリーニングを受けるべきだが、携帯式簡易洗浄が可能な機能も備えている。
その一連の間も、リンは別の作業を行っていた。首元から爪先までぴっちりと覆うレザースーツを苦労して脱ぎ、風呂場備え付けの桶に張った湯に浸けると、スーツ専用液体洗剤を溶かし揉み洗いする。
最後に水を軽く振り落とし、適当な場所に引っかけておけばいい。速乾素材のスーツは強化外骨格の洗浄が終わる頃には乾いているだろう。
ここまでやって、ようやく人間の番である――壁から突き出た把手を捻ると、天井に空いた孔から熱い湯が降ってきた。異世界のシャワーだ。
本当は湯に浸かりたかったが自重する。今、疲れ切った体で入浴すれば、たちまち意識は夢の彼方に飛んでいってしまう。それはダメだ。まだ考えるべき事があると自分に言い聞かせる。
「…………」
……この世界に来て感じるのは、チキュウ世界に対してリンダリアル世界が抱く、拭えない不信感。
リンがチキュウから来た事実を知ったリンダリアル人は皆、次の瞬間には警戒度を最大限まで引き上げる。
中にはビラートやテスカのように誤解を解いてくれた人たちもいるが、ファーストインプレッションは警戒で共通していた。
二つの世界の関係性は良好とは言いがたい。それはリンも理解していた。
ただし、冷え切った両者の間には無視できない温度差が横たわっている。
チキュウ人的感覚において、リンダリアルとは例えるなら〝非友好的な隣人〟とでも言えばいいのか。
挨拶を交わすことはなく、ただ必要があれば話をするし取引もする、そんな関係。
だが、どうだろう。
リンダリアル人が見るチキュウ人はまるで……〝汚らわしい侵略者〟そのものではないか。
いかにリンが気高きサムライの矜持を体現しようとしても、チキュウ人というだけで十把一絡げに唾棄すべき対象と見なされる。
それは、あまりにも――
「……いや」
(逃げちゃいけない)
リンの心に去来したのは、目を背けるなと叫ぶ内なる自分の声であった。
いかに自分が当事者ではなかったとしても、知っておかなければならない事がある。
過去の罪を背負うとまでは言わないが、当時何が起きたか分かっていなければならない歴史がある。
〝大衝突〟
全ては、そこから始まった。ならば、知るべきはそこにある。
シティの教育機関はリンダリアル世界について何も教えない。チキュウ人類はあまりにも無知であり、同時に無関心すぎた。
少なくとも自分はそれが許されない。こうして異世界に身を置く以上は。
把手を捻り、頭上からのシャワーを止める。幸いにして教えを請うにうってつけの相手がいるではないか。
リンは思考に沈みながら、じっと、レザースーツが乾くのを待った。
ビカムとリンが各々の部屋に別れてから小一時間ほど経過した頃。
ガイゼンが王城に使者を遣わしてくれたとはいえ、早々返事が来ることはまずありえない。少なくとも一日は無聊を託つことになるだろう。
「……(今日は色々あり過ぎた。もう外に出たくない。着替えないといけないが……面倒だな……)」
入室してすぐさまビカムが行ったのは、着の身着のまま寝台へと背を投げ出すことであった。
寝衣へ着替えるのが煩わしかったなどと……そんな的外れで恥知らずな邪推をする者はおるまい?
『――貴方にしては迂遠よね』
久々の電子音声が高級宿の一室に響いた。
「(今イイ感じにうとうとしていたのに……)……何がだ?」
『わざわざ占星術なんて怪しげな術法に頼ろうだなんて。――襲撃の目的はともかく、黒幕の目星はもうついてるのに』
「……(全然、目星ついていないが……)」
ビカムの注意が左腕の機械鎧、アイに向けられる。
「(いったい誰が黒幕なんだ?)……アイの推理を聞こう」
『どうして? 貴方だって、もうとっくに気づいてるんでしょう?』
「……(まったく気づいていないなんて口が裂けても言えない……)」
ビカムから応えは無い。
有無を言わさぬ主人の態度に、相棒の人工知能は『はあ……』と溜息を出力した。
『……〝クリーナー〟。あれは都市間戦争を見越して設計された兵器の一つよ。シ民を取り締まる警備ロボットなんかとはわけが違う。それをシティ内部で火器解禁のうえ暴れさせるなんて、余程の権力がないと不可能だわ。命令者は企業上級役員に自動的に絞られる』
「……(ほう……)」
企業――シティを運営する母体。
新時代において滅亡した国家に代わり地上を支配する存在。
『そしてシティから脱出する際、門のコントロール権を奪い合った時に感じた途轍もないマシンパワー……あれはシティ中央演算室からの攻撃で間違いないわ。一千万人以上の人間の生活を維持するための莫大な演算能力を、極一部、一瞬とはいえ、個人を攻撃するためだけに割いた。そんな事、たとえ上級役員だろうと許されることじゃない――たった一人を除いて、ね』




