第二章 第15話「深謀遠慮」
「……そういう、事なのだな?(つまり、死――)」
「ああ、アンタのお察しのとおりだ。――あの婆さん、転職したんだ」
「……(――あ、ああ、てっ、転職ね……)」
落胆の理由をあっさり見抜いたビカムだが、さしもの美剣士も意外だったのか、玲瓏な顔がどことなく狐につままれたように見える。
さもあらん。生まれながらに自身の天命――世界を流離う宿命を悟っていたであろうこの男にとって、職を変えるなどという俗世の事情は遠い世界の話であろう。
「前々から誘いの話はあったらしいんだが……」
――人間で占星術を扱える者は極めて少ない。
ゆえに人間の術師は様々な勢力から身柄を狙われる立場にあり、既に術師を有する勢力は手厚い保護を行う。
術師にとっても、欲望を剥き出しにした輩に四方八方詰め寄られるよりは、強力な庇護者が居る方が何かと便利だ。……まあ、庇護者が監禁犯に変貌する事例も往々にしてあるが。
ともかく、ヨランパ=メグゥにとって冒険者ギルドこそが庇護者であった。国家と強く結びついた組織の後ろ盾は、彼女にとって都合が良い存在たりえた。
ギルドも彼女の力を借りるだけでなく、ヨランパの存在そのものが交渉のカードとして隠然たる影響力を発揮した。
今までは。
おもむろにガイゼンが顔を窓に向けた。
リンがつられて見た先、窓硝子の遥か向こうには堂々たる威容を誇る城――王城イリム・エスタードが鎮座していた。
「魔法学校を卒業した孫娘が王城に就職したってんで、宮仕えにあっさり鞍替えしやがった。見返りに一代限りの法衣貴族の爵位も貰ったらしい。あの婆さんが今ではヨランパ卿だとよ! ギルドとは良い関係を築けてたと思ってたんだがなあ……孫の力ってのは偉大らしい」
「……まったくだ(テスカ殿といい、ヨランパ殿といい)」
ビカムの脳裏に、口の達者な罠猟師の老婆が浮かんだことは想像に難くない。
……しかしながら、まだ万策尽きたわけでもない。
「ギルド長名義で王城に使者を出そう。少なくとも無下にされることはないだろう。あとは貴きお方々の存念次第だ、ヨランパの力を貸してくれるかどうかは」
「……この礼はいずれ(ありがとね)」
「そう思うんなら異世界行脚もホドホドにして、もうちっとマメに顔を出せ。アンタを手ぐすね引いて待ち構えてる女どもがうるさくてしょうがねえ」
「……(手ぐすね引いて待ち構えているから来たくないんだが……)」
答えるに及ばす。ビカムは席を立った。神々ですら縛ることを躊躇う美の化身をいったい誰が自由にできようか。
さほど期待していなかったのか、ガイゼンもやれやれと息を吐く。
「なあ、嬢ちゃん」
代わりに、ビカムを追って立ち上がったリンの背中に声を投げかけた。
「しばらくこっちにいる予定なら、いつでも俺を訪ねてくれ。チキュウ世界の話、興味がある。二人きりでゆっくり話そうや」
好意的に笑いかけるギルドの長に、リンもまた鋭く砥いだ微笑みを返した。
「ええ。――天井裏に誰もいないなら、喜んで」
ゆっくりと、天井に一瞥をくれてから、慇懃にお辞儀をする。
「……(リン殿……? 普通、天井裏に誰もいないだろう……)」
「失礼します」
――ぱたり、と扉は閉じられた。
ギルドの建物を出て大通りを進んでいく二つの人影。
自然と割れゆく人波を、ガイゼンは窓際で眺めていた。
その背後で天井の一部が外れ、軽やかな動作で一人の女性が降り立った。
「――申し訳ありません。気づかれてしまいました」
「構やしねえよ。端からビカムには気取られてたさ。だが何も言ってこなかった。こっちの狙いが嬢ちゃんを測るもんだと知って目こぼししてくれたんだろう」
ガイゼンの慰めに、だが女性は面目なさそうに顔を伏せた。
彼女は秘書のクラウディア。普段はギルド長の業務を補佐する傍ら、元冒険者にして一流の斥候という経歴を生かし、密かに忍び働きを行う影の者でもあった。
「最初から、ですか。……底の知れないお方です」
「ったりめえだろ。生きる伝説だぜ? 王族ですらアイツには気を遣う」
実のところ、ガイゼンも飄々とした態度に見えて、内心ではヒリつくような緊張に苛まれていたのだ。
冒険者として幾度も修羅場を潜った彼といえど、圧し掛かってくるような凄味と重圧に怯みそうになる。
相手は二百年前に冒険者ギルドが誕生した頃から所属している最古参。ギルド長の権威など通じるはずもなく、まるで鎧を剥がれた丸腰の状態で立ち会った気分であった。
クラウディアを潜ませたのは、ビカムの同行者がチキュウ人だと見抜いたから。無礼だと怒りを買う覚悟のうえで。
だがビカムは終始何も言わなかった。
あのリンという少女が指摘しなければ、おそらく最後まで素知らぬフリを貫いて部屋を出て行ったことだろう。
いくらでも誤魔化す手段はあったろうに、あっさりとリンがチキュウ世界出身だと明かしたことも含めて妙だったが、今になって合点がいった。あれは全て敵意や危険が無いことを示すためだったのだろう。
基本的にチキュウ人は注意すべき存在だ。少なくともリンダリアル世界の常識では。
ゆえに、ヨランパの力を借りたいと願い出る手前、後からチキュウ人だと知られて不信感を抱かれるより、先に事実を話すことで信用を得ようとしたのだ――あのビカムが。
まったく、なんとも誠実な男ではないか。
「……どんなに怪しかろうとアンタがごり押ししてきたなら、俺に断るつもりはなかったんだがな。自分の持ってる権威に自覚が無いのかねえ……」
そう結論付け、納得しようとしたガイゼンの脳裏に違和感という名の警鐘が鳴る。
(……本当に? それだけなのか?)
ガイゼンはその小さな違和感を無視しない。現役時代、それに幾度も命を救われたことを知っているから。
こちらが無断で潜ませた監視者に気づかないフリをし、加えて下手に出るような気の回し様……。
(何か別の狙いがあったはず……)
「それにしても」クラウディアが感慨深そうに言った。「あの少女、無害そうに見えて油断ならない強者でしたね」
「ん? ああ、お前の気配に気づくとは大した――」
(――そうか! それが狙いだったか……ッ!)
ガイゼンはソファの背もたれに体重を預け、笑い声を漏らしながら天井を仰いだ。
「くくく……」
「ギルド長?」
「クラウディア、俺たちはどうやらだしに使われたらしい」
「だし?」
「あの嬢ちゃんさ。ビカムは嬢ちゃんが天井に潜んだお前に気づけるか、わざと口にしなかったのさ」
「それは……何のために?」
「推し測るに、今の嬢ちゃんの戦士としての力量を調べるため。あるいは隠れ潜んだ相手の気配を探れるようになるための修行の一環か。確信は無えが、大きく外してるとも思わねえ」
ビカムとリンの関係性は、会話を交わしても終ぞ分からなかったが、単純な連れ合いというわけでもなさそうだ。
こちらに信用を抱かせ、一方で少女を見定め鍛える。
これが何百年と世界の最前線を生きる男の遠謀深慮といったところか。
舐められているとは微塵も思わなかった。侮られているとも。都合が良いから上手く利用しよう、そんな意図を感じた。
それでも不快感を覚えなかったのは、心底から彼我の圧倒的な差を認めているからなのだろう……。
(悔しい……と思うのは傲慢なのかねえ)
憮然とした表情を浮かべるクラウディアを見て思う。悔しさは裏返せば、自分も同じ高みに立てるという驕りにも似ている。
爽やかな諦観を抱く自分と、悔しさが湧き上がる彼女との違い。
「若さかな……」
その言葉で片付けきれないものが世の中にあると自覚しながらガイゼンは執務室を出て行く。無性に外の空気が吸いたくなった。
廊下と繋がる扉を開けると、女性職員たちが行儀よく並んでいた。
代表するように受付嬢のリーナが一歩前に出る。
不穏な空気を感じつつ、ギルド長の威厳は崩すまいとガイゼンは堂々と問うた。
「何だ?」
「ギルド長……ビカム様を引き留めず、あっさり帰されたんですって……?」
しまった、と臍を噛む。
だが「はい、すいません」と言うわけにはいかない。ガイゼンにも立場があるのだ。
「ああ? 引き留めるも何も、アイツの用事はもう終わったからな。アイツもだらだら居座る性格じゃねえし……」
「そういう事じゃありません」
「じゃあどういう事だよ」
「――警告しましたよね? 〝独り占めしないでください〟と」
――若き頃、無謀にも一人で竜と対峙した時に劣らない悪寒が背筋を貫く!
「……ぎょ、業務中の公私混同は、」
「クラウディア先輩――いや、会員番号63番、ギルド長を拘束しなさい」
「はい、リーナ会長」
持ち前の隠密能力を十全に発揮した有能秘書は、狼狽える四十路男を背後から容赦なく羽交い絞めにした。
「お前っ⁉ どっちの味方だ!」
「美しいものの、です。……今日、ギルド長の予定は、夜、外務副大臣との会食のみです」
「じゃあ……それまでゆっくりお話しできますね」
ぞろぞろと女性職員がギルド長執務室へ踏み入っていく。
幸いな事に、この光景を目撃した他の職員はいなかった……正確には急遽人手不足に陥り、それどころではなかった。
ギルド長の尊厳は保たれたのだ!
――ぱたり、と扉は閉じられた。




