第二章 第11話「次の目的地」
やおらニチカの手を取ったリンはずんずんと強引に歩き出す。
「えっ、ちょっ、ちょっと」
引きずり出したるはビカムの眼前。
「ビカム、ニチカさんが言いたい事があるそうよ!」
「ぃえええ⁉」
目に見えて狼狽えるニチカの肩を掴むリン。
「言いたい事は今! 言ってしまいましょう。次、私たちはいつ会えるか分からないんだから……」
「……ぅ」
文字通り背中を押されてニチカは前に出る。
見上げれば、見惚れるという言葉では足らない美貌。
神工の彫刻のごとく、彼はただ見据え、彼女の言葉を待っている。
すう、と息を吸う。はあ、と息を吐く。
儀式のように手順を踏んで、心を奮い立たせる。
「……昨夜は、申し訳ありません。私の早とちりで危うく取り返しのつかないことになりかねませんでした。挙句、魔法も一蹴されて……人としても魔法使いとしても未熟を恥じています」
「……あの夜は、何もなかった(誰も傷ついていない。私も気にしていない。いいね?)」
「ッ、そういう事には、できません。私は、貴方に魔法を撃ったんです……どんな理由であれ、許されることじゃない……」
言葉を紡ぐほどに項垂れるニチカの頭。
ビカムは少女から視線を外し、遠く蒼穹の空を瞳に映した。
「(嗚呼、物凄く落ち込んでいる……。気にするなと励まさねば。何でもない、些細な事だと)……私は、そよ風に当たっただけだ」
「――ソ、ヨ、カ、ゼ……?」
「……頬を撫でる風に、怒る旅人はいない(それぐらいの事だから、気にしないでいいよ)」
ニチカの双眸から光が消える。
――確かに、ニチカが放ったのは攻撃魔法において初歩も初歩の【射て】の魔法だ。
魔法使いを志す者が、初めに習う簡単な魔法。たった一語の魔法文字しか用いないがゆえに、構築も最短ではあるが威力も最弱。命中しても、よほど当たり所が悪くなければ致命傷にもならない。
そんな最弱の攻撃魔法といえど……魔法使いとして独り立ちして久しい自分が使ったのだ。院まで進まなかったとはいえ、魔法学校を優良な成績で卒業した自分が。
あの時も、魔法の構築は完璧だった。咄嗟に込められるだけの魔力もぶち込んだ。――本音を言ってはなんだけれど、思い返せば内心、ここ数年来会心の魔法の出来だったような気もする。
それを……そよ風呼ばわり。
ニチカの胸に去来した感情は……。
「フ、フフフ、フフフフフ……私の魔法をそよ風呼ばわりですか、そうですか」
「……(おや? ニチカ殿の様子が……?)」
くわっ! と見開かれた彼女の瞳には新たな光――いや、炎が煌々と灯っていた。
「――絶っっっ対に貴方を見返してやります! その日まで首を洗って待っていてくださいバカーッ‼」
「「「なんでそうなる(のよ)ッ⁉」」」
悔し涙を目に貯めて走り去って行くニチカと、それを追う三人の仲間たち、呆然とそれを見送るリン。
この場において、美剣士だけが先の未来に思いを馳せていた――自分がわざと口にした挑発に発奮し、様々な経験を積んで素晴らしい成長を遂げるだろう少女の未来に。
そうして、いつか気づくのだろう。
この美しきエルフの少し意地悪な物言いが、自分を成長に導く鍵だったのだと……。
「……(バカって言われた……怒ってた……なぜ?)」
「エルフの御仁よ」
冒険者たちが走り去った方角へ別れの哀愁を帯びた目を向けているビカムに、村人の中でも身なりの良い老爺――ロッペル村の村長が声をかけた。
「もしや王都に向かうのですかな? よろしければ倅に荷馬車を出させますゆえ、お送りしんぜようと思うのですが」
「……それは、ありがたいが」
「何ゆえか、と仰りたいお顔ですな。いやはや、大した事ではございません。ただ、古い約束を果たすためでございます。貴方様が気にされるほどの事ではございませんとも。ホッホッホ」
顎髭をしごきながら屈託なく笑う老爺に含むところはなさそうだ。ビカムとリンはありがたく申し出を受けることとした。
「ありがとう! エルフのお兄ちゃんありがとーっ!」
去りゆく馬車に誰よりも元気よく別れの挨拶を叫び続ける人影……病から救われたダン少年であった。
「俺、エルフの兄ちゃんみたいに誰かを助けられるような、大きくてカッコいい人間になるよ! そんで次は俺が兄ちゃんを助けるんだ! それまで待っててくれよなーっ!」
遠ざかる点になっていく少年に対し、馬車からの応えはない。
いや、お互いに必要も期待も感じていない。
全ては約束が果たされた時に――それは、そう遠い未来ではない。
「村長や、お主が馬車を出したのはなぜかのう? 当事者である我が家が申し出るべき事であったが……」
丘の向こうに消えるまで馬車を見送ってから、テスカは隣に立った村長にささやかな疑問を投げかけた。
「……ワシはただ古い約束を果たしただけじゃよ」
「ほう……もしや、あの御仁と以前会ったことが?」
「いいや、ワシじゃない。けれど、あの方はワシの恩人でもあるのじゃよ」
禅問答のような言い様にテスカは眉を顰める。
村長の視線は丘の向こう側……見えなくなった馬車の後ろ姿を今も捉えているかのようだった。
「……この村の開拓団、初代村長を務めたワシのご先祖からの言い付けじゃ――〝目が覚めるほど美しいエルフの剣士が再びこの村を訪れることがあれば、あの時の恩返しをするように。自分の代で叶わなくとも子々孫々に言い伝えよ〟――とな。ワシの代でようやく叶うとはの。とはいえ馬車を出した程度じゃ。これで恩は返したと墓前に報せれば、夢に出て叱られるじゃろう。やれやれ、倅には孫にも伝えよと言い含めなければならんな」
「そりゃあアタシの台詞でもある」テスカは未だに手を振り続けている己の孫に苦笑する。「……まあ、この老婆が言うまでもないかもしれないけどね」
「そうじゃな。――古き約束は果たされ、新たな約束が今結ばれた。心配せずとも、女神様がいつか必ず運命を巡り合わせてくれるじゃろう……」
――そんなテスカたちとの別れを回想し終え、リンは次に王都のどこに向かうかビカムへと問いかける。
刺激的な横道に逸れたが、チキュウ人のリンが異世界へ渡ったのは、シティからの謎の襲撃者……〝クリーナー〟や〝鬼蜘蛛のジャガン〟を差し向けた黒幕の目的を暴くためだ。目的も分からず襲われ続ける状況に陥る前に、反撃へ転じるためである。
その活路を開く手段があると、ビカムは言った。
「……(知り合いに遭遇したら嫌だな……嫌というか、別に嫌ではないけれど、今の状況を訊かれたら上手く説明する自信がない……しかも最近は、相手が一方的に私を知っていて話しかけてくる状況も多いからな……)」
深い憂愁と真剣味を帯びた表情に、リンはごくりと唾を呑み込んだ。
避けられぬ闘いの気配を既に掴んでいるのだろう、この美剣士は。
おもむろに彼の足は歩みを刻み始めた。偉大な一歩とはこのようにさり気なく始まるのだろう、そう思わせた。
「ビカム……?」
「……冒険者ギルドへ向かう」
言葉少なく、ビカムは次の目的地を示した。
「そこに事件を解決する何かがあるのっ?」
「……行けば(多分)分かるだろう。だが、(人に会って話をするだけだし)期待のし過ぎは禁物だ(何か派手な捜査をするわけでもないから……)」
逸るリンを冷静に窘めるビカム。
そう、事件とは唐突に始まるが、真相は常に幾枚ものヴェールを被っている。それを一枚一枚剥がす過程は慎重さと時間を要するのだ。ギルドに行けば解決するなど楽観もよいところ。期待のし過ぎとはそういう事だろう。
(ああ、やだなぁ自分。先走っちゃって……)
リンはひっそりと頬を赤らめた。隣を歩く美の化身に悟られぬよう。
どうも気持ちが舞い上がって仕方がない。自覚してなお止められない。
初めての異世界。初めての体験。
忘れるなかれ、彼女は乙女なのだ。
浮かれる心は否応なしに。
心地良い沈黙は、二人が目的地に到着するまで続いた。




