第二章 第10話「不死鳥の尾羽」
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「ここが……リンダリアル世界の都市……」
ひょんなことから巻き込まれた騒動の夜が明けて、太陽が中天に差し掛かった頃合。
ビカムとリンは目当ての目的地――エスタード王国の王都イルフィースへと辿り着いた。
眼前に広がる街並みはまさに御伽噺の世界と言えた。木や漆喰、煉瓦、石積み等で作られた家々、石畳の大通りを行き交う馬車の列、人間を含む様々な種族が織りなす人混みの坩堝。
派手さや絢爛さ、規模においてはシティの摩天楼に軍配が上がるだろう。
だが、ここには原始的な熱気があった。チキュウ人類が失ってしまったかもしれない発展の熱が渦巻き、今も量を増しているかのようだ。ゆえにこそリンは目が離せないのかもしれない。
「……(いつ来ても人が多いな……嫌だな……)」
その様子を無言で見守る風雅な人影。
ビカムである。
万人が見惚れる美貌の大半を、あろうことか鍔広帽子を今は目深に被り、隠している。もはや日蝕と呼んでいいのではないだろうか? この美しき顔が自ら隠れるなど、いったい誰が考えたであろう。
とはいえ、これもまたビカムの考えあってのもの。常人には計り知れぬ狙いが美剣士にはあるのだろう。……世に二つとない美貌を隠すことで得られる利があるとも思えないが。
彼の頭上を彩る鍔広帽子には、いつもの飾り羽とは違う、紅く鮮やかに色を放つ別の羽が挿してあった――不死鳥の尾羽だ。
たった一度きり、持ち主を死から救うとされる。王侯貴族が財と権力を振りかざしてなお手に入るか分からない秘宝。売れば庶民が一生を遊興に費やせるほどの代物は、なんとテスカからの贈り物である。
揺れる尾羽を見るたびに、今朝分かれたばかりの老婆とのやり取りをリンは思い出す――
「――爺さま……死んじまったアタシの夫がね、森の奥の奥に分け入った時に偶然、羽休めしてる不死鳥に遭遇したのさ。飛び去った後にこれが一本残ってたらしい。俺はあの不死鳥を目にしたんだって、死ぬまで口にし続けたよ」
無事『女神の憐憫』によりダン少年が快癒したのを見届け、いざロッペル村を発とうという時、老練の罠猟師ことテスカは美しい尾羽をビカムに掲げてみせる。
「その帽子をお貸し」
言われるがまま、ビカムはゆっくりと、まるで恐る恐る鍔広帽子を差し出した――いや、見間違いであろう。この男に限って恐れるものなど何もない。
するとそれだけで、頬を赤らめながら遠目にビカムへ熱い視線を送っていた村娘や婦人たちが呼吸を忘れた。中には本当に息をせず失神して倒れ込む者も。無理もない。
「……(ああっ、やっぱり……。だから私は帽子を脱げないんだ……)」
「うむ、これでええじゃろ」
返された帽子を素早く被り直したビカムの頭上には、陽の光を燦々と反射して輝く不死鳥の尾羽が。
「(えっ⁉ 貰っていいの⁉)……よいのか? 夫君の大事なものだろう」
「なあに、どれだけ後生大事にしようとも結局あの世にまでは持っていけなかったものさ。それに、爺さまもアンタのような御仁の身を飾れるなら文句も言わんじゃろうて」
「……礼を言う(ホントめちゃくちゃありがとう。……うむ、こういう命を守る系の物は何個あってもいいのだ)」
ビカムは一言礼を言ったきり、いつもの凪のような沈黙を纏いなおした。
貰った物に対して簡素な謝意……だがテスカはそれでいいと思った。万の美辞麗句は、この美剣士には似合わない。
ここで……真に不謹慎な仮定だが……ダン少年が病により命を失った後、この不死鳥の尾羽があれば蘇生できるのでは? と思うかもしれない。
その認識は実際正しい――不死鳥の蘇生能力の一片とはいえ、尾羽に秘められた力は幼い少年を死の闇から救い上げるだろう。
しかし、尾羽が有するのはあくまで蘇生の力である……死した肉体を蘇らせることはできても、肉体に巣食った病魔を取り除く効能はない。
するとどうなるか? ダン少年は死病に体を蝕まれる苦痛を二度味わうことになるのだ。……実際にあった笑い話に
もならない寓話をテスカが知っていたことが幸いであった。
そしてリンもその話を教えられ、淡く抱いた希望を密やかに霧散させた。これがあれば母の病を治癒できるかと思ったのだが……。
というのも、しばらく前に『女神の憐憫』がどんな病気の治療もできるのか、七年前の母の診断結果をビカムに伝えたのだが……
「……おそらく『女神の憐憫』は効果がないだろう」
「そんなっ……⁉」
「……リン殿の母君の病は自然に生まれたものではない。〝病魔の魔女〟の魔菌だ」
根本的な理が違うのだという。
例えるなら、機械の壊れた箇所に消毒液を掛けたり絆創膏を貼るような、まるで見当違いの無意味な行為なのだと。
無意味となる理屈は分からないが、ビカムがまさか嘘を述べるとも思えず、リンは納得したつもりだった。
そして不死鳥の尾羽ならばと期待を寄せたものの――結果は聞いたとおりだ。
人知れず肩を落としたリンをよそに、乳飲み子を抱えた母親が恐る恐るビカムに歩み寄った。
「あの、ビカム様。もしよろしければ、この子の開眼の儀をお願いできないでしょうか? 貴方様に開眼の儀を行ってもらえたなら、この子にとってこれほどの幸せはありません」
「……(私はこの手のことをよく頼まれる……)」
ビカムは口を開くことなく、無言のまま両手を赤子へと差し出した。意味を理解した若い母親は喜んで彼の手に熟睡中の我が子を預けた。
――開眼の儀とは、生後一ヶ月を超えた赤子に施される儀礼である。
その内容とは、魔力を知覚する感覚を強引に開いてやることにある。
胎児の肺が出産直後に呼吸により稼働を始めるように、人類も誕生してから魔力を扱うための感覚を脳の中に持っている。
しかし、それがいつ開き始めるかは個人差の大きいところであった。平均的には五歳を超える頃。だが誕生直後から開いている者もいれば、大人になってようやく、あるいは一生開かないまま人生を終える者もいる。
早くに開く分はいい。だが年を取ってから開く場合は問題が多い。
なにせ、新しい感覚器官がもう一つ増えるのだ。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。そこに新たなる未知の感覚の訪れは、五感に慣れ切った大人ほど苦労させられる。
ゆえに誕生から間もなく、赤ん坊の段階で魔力を知覚できるようにしておけば物心つく頃には六感が当たり前になっているという寸法である。
開眼の儀には魔力の扱いに長けた者――一般的には教会の司祭など――が任されることが多い。慣れていない下手糞がこれをやると感覚が開き切らないからだ。
篭手に包まれたビカムの指先が、ゆっくりと傷つけないように赤子の額に触れた。
途端、赤子は目を覚まして炎のごとく泣き声を上げた。突然、世界中に満ちる魔力を感じ取れるようになり驚いている。開眼の儀が成功した証だ。
「……抱いて安心させてやれ」
「え……もう終わったのですか……?」
母親はビカムから受け取った我が子をあやしつつも、あっけなく開眼の儀が終わったことに驚きを隠せなかった。長子の誕生の際は、王都近くの教会で長々と儀式を執り行ったというのに……。
「(開くだけならこんなのものだ)……祝福は司祭に頼むといい」
教会の無い集落は村を訪れた冒険者などに開眼の儀を依頼することも珍しくないが、大抵はありがたみを感じる間もなく、あっさり終わるものだ。祈祷までも欲するならば本職に頼むしかない。
きょとんとする母親の様子にテスカが呵々大笑する。
「ハッハッハ! 少なくともこの子に祝福はもう必要ないかもしれないけどね。アンタは運が良いよ!」
そう、この美剣士の施しを祝福と呼ばずして何と呼ぶである。
……さて、意気消沈から立ち直ったリンは、冒険者四人組と別れの挨拶を交わしていた。
「色々と悪かったな」気まずそうに鼻を掻いたビラート。「チキュウ人にも良い奴がいるってよく分かったぜ。つうか、俺たちリンダリアル人とたいして変わらねえのな」
「うん。でも……やっぱり悪い事を考えるチキュウ人だっているから、異世界人に用心するのは間違っていないと思う。その上で、信用に足る人だって分かれば、優しくしてくれると嬉しいわ」
リンの願いに勿論だと頷くビラート、マルティナ、モルデン。
「……それで、ニチカさんは後ろでこそこそ何をしているの?」
「ビカムさんに合わせる顔がないんだってー」
マルティナが呆れたようにニチカの服の襟を掴んで引っ張り出す。
「あうぅ……」と情けない声を上げた魔法使いにモルデンも溜息を禁じえない。
「後で報告を受けた時は眩暈がしましたよ。ビカム殿に杖を向けて脅すだけじゃなく、本当に魔法を撃つなんて……。しかも信じられないことに、それを魔法文字一語で掻き消したというではないですか。さらには駆け抜け様に剣を振るい八頭蛇を半死半生に、絶望水母は一刀の下に絶命させた……そんな相手に実力を弁えず短慮にも喧嘩を売った己を恥じているのですよ、この子は」
「ビカムさんが許してくれたからいいものを、斬られててもおかしくないんだからね!」
「わ、分かってます。反省してます……」
しゅんと項垂れたニチカを見る仲間の目に、怒りというよりも困ったという感情が大きく宿っている。行いは罰を受けて然るべきではあるが、彼女が思い立ったのは仲間の安全を思うがあまりの行動だった。怒るに怒り切れないのが人の情というものだろう。
「……、……よしっ」
なにやらリンが決意したようだ。




