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異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる-  作者: 鹿紅 順


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第二章 第8話「女神の憐憫」

 リンは記憶の中から、昔アーカイブで閲覧した旧時代の人類が描いた空想上の動物の姿を引き出した。


「ユニコーン……?」


「……リンダリアルでは一角馬(いっかくば)と呼ぶ」リンの呟きにビカムが答える。「……獲ることを禁じられた聖獣だ」


 一角馬――深い森の奥に生息する百獣種の一つである。


 気性は穏やかで、他の生物と争うことも滅多にない。

 山を熟知した猟師が人生のうち数回出会えるか否かの稀少な馬だ。

 また、人の心を感じ取ることが出来ると言われ、善なる心に寄り添い、邪まな念を忌避するという。


「なるほどね、合点がいったわ」


「絶望水母も八頭蛇も、一角馬を追って森の浅いところまで来たんですね」


 一角馬は確かに大人しい生き物ではあるが――相手が魔獣だった場合は話が別だ。

 嵐のごとく荒ぶり、たとえ生まれたばかりの仔だろうと、それが魔獣であるなら容赦なく殺してしまう。そうあれかしと創世の女神が生み出したのだ。世に蔓延る魔獣を滅ぼしてしまうよう、チキュウ風に言うなら遺伝子レベルで刻み込まれた一角馬の本能なのである。

 その特異な気質に違わず、殺虫剤が特定の虫を駆逐するかのごとく、一角馬は対魔獣に関しては滅法強い。


 対して魔獣の側も、一角馬を蛇蝎のごとく嫌っている……いや憎悪しているであろう。なにせ自分たちを滅ぼすために神が遣わした聖獣なのだ。

 魔獣の強い個体は一角馬を殺そうと執拗に戦いを挑む。今回、絶望水母と八頭蛇がありえない場所で出現したのも、テスカが運んでいた一角馬の気配を感じ、誘き寄せられたから以外に考えられない。


 しかし、そんな一角馬は不思議な事に、魔獣以外の生物……例えば人間にとっては角の生えた美しい馬程度の脅威しかない。

 捕獲に必要な知識、道具、運の巡り会わせさえあれば捕獲は不可能ではないのである。


 そして一角馬にとっては不幸な事に、かつてある言い伝えが存在した――


「頼むぅ、見逃しておくんなあ!」


 それまでの強気が一転、テスカは地に伏せて懇願を始めた。


「孫が、孫が死病に(かか)っちまったんだよ。もう幾ばくも時間がないんじゃ。早く、早く一角馬の角を煎じて飲ませてあげないと……」


「じょっ、冗談でしょう……⁉」マルティナが同意を求めるように周囲を見渡す。「一角馬の角に病気を治す効果があるって、どれだけ昔の迷信だと思ってるのよ!」


 そう――一角馬の額から伸びる角には病魔を祓う効能があるとされ、古より最高級の薬として時の権力者や富豪が求めてやまなかった。


 そのせいで一角馬の乱獲が進むが、近年になり、ようやく角に薬効が無いと証明された頃には個体数が激減していた。

 一角馬を獲りすぎたせいで、それまで適度に間引かれていた魔獣が大繁殖し滅亡した国も存在する。

 ゆえにこの馬は人類の愚かさの象徴であり、どの国でも禁猟指定されているのである。密猟が分かれば中長期の収監は確実だろう。


「そんなの試してみなけりゃ分からんじゃろ! どんな薬も効かなかったんじゃ、一角馬の角が効かないとどうしてわかるんじゃッ……⁉ 迷信でも何でもええ、あの子を助けられるならアタシは悪魔にだってなるよ!」


 一心に孫を思うテスカに、だがニチカは冷ややかだった。


「……信じられません。むしろ一角馬の切り取った角を密売すると言われた方が信じられます。稀少動物を求める好事家には高く売りつけられるでしょう」


 あまりな物言いであるが、凪のように在るビカムは勿論、ニチカを咎める者は誰もいなかった。彼女の言も的外れとは言えない、現実的な推測であるからだ。

 テスカの言葉を確かめる術はない。

 孫を助けるために禁忌を犯した憐れな老婆か、己の強欲のために法律を破った業突く張りか。

 決定づける証拠など何も無いのだ。

 果たして誰が裁決を下せようか。


 (おの)ずと視線は、たった一人へ導かれるように収束した。


「……(だからなんで皆、私を見るんだ……? まさか、どうするか私が決めろと⁉)」


 ビカム――このエルフの剣士が、俗世をも超越した視座を持つであろうことを誰もが肌で感じていた。

 人間が裁決を下せないならば、彼にこそ……そんな集合的無意識が圧となってビカムへと向けられたのだ。

 とはいえ、当の本人はそよ風に頬を撫でられたと言わんばかりの佇まいである。


「(とりあえず何か喋らなければ)……孫の」


 永遠のような刹那の後、ビカムが口を開いた。


「……孫の病は、何という?」


 問いを受けたテスカは「黒班病じゃ」と忌々しく病名を口にした。


「この病に効く薬は見つかっておらん。治せるのは治癒魔法だけ。それも高位の魔法でなければ、孫の体から病魔を取り除くことはできん。じゃというのに、我が家には高名な魔法使いの伝手も、治療の大金を払う財もない……」


「……(なんだ、黒班病か。それなら……)」


 ビカムはテスカの嘆きには答えず、腰に下げた魔法の収納袋へ手を入れる。

 引き抜かれた手が握っていたのは、透き通った黄金色の液体を並々とたたえた硝子瓶であった。

 美剣士はその正体を告げた。


「……『女神の憐憫(れんびん)』だ」


「ま、さか……ッ⁉」


 モルデン驚愕を露わにする。

 信じがたい存在を目の当たりにした驚きを、この青年は魂から表現していた。


「で、伝説に謳われる魔効液(ポーション)……あらゆる病に対する特効薬! 創世の女神が地上に落した涙と言われる、人類には絶対に作れない神の遺物! 歴史上、それを欲して教皇が聖軍を動かしたこともある……! なぜ貴方がそんなものを、いや、それよりも――まさか――使う気ですか? 偶然鉢合わせただけの、行きずりの老婆の孫のために……?」


「……(いや、実は入手しようと思えばいくらでも……)」


 伝説級の薬を今日会ったばかりの他人のために使う。歴史上いかなる偉人聖人であろうと、果たしてビカムの聖性に比肩するや否や。


 だがテスカにとって薬の稀少性や逸話など二の次。

 愛する者を救えるか……価値などそれだけでしかない。


「それをッ! それを、を、を……ッ!」


 わなわなと手を震わせるテスカの沸騰した脳髄を――冷たい視線が貫いた。

 ビカムの、射殺すような冷たい視線が。


「……(顔が怖い……貴方にあげるから……)」


 ビカムはただ魔法の収納袋から『女神の憐憫』を取り出したるのみ。テスカに与えるとは何も、言質はない。

 運命は、美剣士の胸三寸で決まる。


 テスカは、『女神の憐憫』が乗せられた天秤の片方が大きく沈み込む幻影を見た。

 つまり――ビカムは待っているのだ。この高く掲げられたもう片方の皿に、テスカが何を乗せるのか。天秤同士が釣り合うまで何をどれだけ乗せるのかを。


 厳しいとは言うまい。

 対価は伝説の薬。最も欲してやまない治療薬。本来なら天秤に乗ることすらない(・・・・・・・・)遺物。

 そんな幸運に臨んで、しかし己にいったい何が差し出せるのか……。


「アタシは、何をすりゃあええ? な、何でも言うてくれ!」


 ……結局、このちっぽけな老婆に正解など分からなかった。

 唯一出来る事は、相手がまさしく求めていることを教示してくれと、浅ましく(こいねが)うしかなかった。


「(何でもと言われても……可哀そうだからとりあえず)……一角馬を解き放て」


 ――そう告げられたテスカ、いや、この場にいる面々の驚きたるや……。


 まさに背筋へ氷の刃を刺しこまれたかのごとく、体の芯まで凍るような心地であった。

 縛られた一角馬がただ可哀そうだから縄を切れと言ったのでは当然ないのだ。

 この美剣士が、世界をさすらう美身なるエルフが、そんな目に見える表面上の浅い領域で物事を語るなど、ありえるだろうか?


(――ビカム、お婆さんに、命を差し出せというの……⁉)


 リンもビカムの意図に気づいていた。

 羨望の溜息を吐かせる美の化身の口から、こんな残酷な条件が出たことに、彼女は戸惑いを隠せなかった。


 ビカムが求めたのは、犯した罪の清算である。

 本来なら自由に野を駆けていたはずの一角馬。

 それが脚を縄で戒められ、虜囚の苦痛を味わっている。

 解放すれば、どうなるか――一角馬は己の(うち)に煮え滾った怒りをもって、テスカを真っ先に突き殺すことは想像に難くなかった。


 しかし一方で彼女は償わねばならない……禁じられた聖獣を自己の都合により捕えた罪を。

 今、一角馬を解き放てば――たくましい一本角を折らなければ――犯行の途中で良心の呵責により改心したと、幾分か情状酌量の余地があるかもしれない。

 だが、たとえ寛大な処置を受けたとしても、待ち受けるのが縛り首から監獄行きに変わるだけだ。

 衛生環境の劣悪な牢獄の中で、余命短い老婆が刑期を全うできるのか。……おそらく出てくるのは死体になっているときだろう。


 いや、自分一人の命で済むならまだ温情だ。自分が重罪犯者だと知れ渡れば、残された家族はどうなるか。間違いなく迫害され、村を追い出される。

 代々罠猟で生計を立ててきた家系だ。それ以外に、たつきの道などありはしない。早々に食い詰め、悲惨な最期を迎えるのは間違いなかった。


 つまりテスカ(自分)には、ここで一角馬に殺されて死ぬ以外、選択肢など残されていないのだ。

 ……そこまで思い至って、老婆は覚悟を固めることができた。体の震えは止まった。


 厳しく残酷と思えたビカムの提案は、もはや慈悲ですらあった。

 自分一人が死ねば全てが丸く収まる。

 孫は助かり、残された家族は生きていける。自分は犯した罪を償える。何の不満があろうか?

 双眸いっぱいに涙をためながら、それでもテスカはくしゃりと笑った。


「分かった。エルフの御仁よ、ロッペル村のダンっちゅう男の子にその薬を飲ませてやってくれ。赤毛の可愛い可愛い男の子じゃ。……冒険者、アンタらもすまなんだの、意地の悪い事を言うて。許しておくれ。依頼票にはもう完了の署名はしておる。この荷馬車も持って行ってもらってええ。売るなり何なりしておくれ。この婆からの詫びじゃ。……もう、思い残すことは、ない。さあ、一角馬を解放してやっておくれ!」


「……ああ(だが、なぜ悲愴な顔つきを……?)」


 誰も声を出せない中、ビカムだけが平静に霊剣フェーレを振るう。

 黄金の軌跡が走った後、一角馬を戒めていた縄は断ち切られた。

 たちまち、一角馬は勢い良く起き上がり、荒々しく荷馬車から飛び出したかと思うと、口端から泡を飛ばしながらグルグルと旋回する。


 雲間に月が隠れた。薄曇りのヴェールが地を覆い隠した。

 まるで、これから起こる悲劇を月光の下にさらさせまいと。しかし、神々の深遠な計らいは、人にとってどれほどの慰めになろうか。


 充血した一角馬の瞳が、己に許しがたい仕打ちを行った老婆を捉えた。


「すまんかったのお……このとおりじゃ。この婆の命で許しておくれ。吹けば飛ぶような消えかけの火じゃが、もうこれしか差し出せるものがないのでの……」


 たとえ生まれ変わって再び同じ状況に置かれても、もう一度同じ事をやるだろう――そんな清々しさが笑顔に纏わりついていた。

 人はそれを開き直りというのだろう。あるいは、愛と。


 一角馬の角の切っ先がゆっくりと老婆の胸に迫る。

 マルティナは目を逸らし、ニチカは唇を噛みしめ、モルデンは手向けの印を結んだ。ビラートは拳を握り、この光景を生涯忘れまいと立ち尽くす。

 リンは胸の奥の苦しみに耐えようとして静かに涙をこぼした。


 ビカムは――言うまでもなかろう。

 自ら裁決を下した刑の執行に、審判者は揺るがない。

 無慈悲なのではない。真の結末(・・・・)を知るがゆえに。


「ああ……」


 誰かの感嘆の溜息が漏れた。


 裁きを下すはずの角は横を通り過ぎて、

 ――一角馬はテスカの顔へ己が首を擦り付けた。


 それは間違いなく、慈愛をもって抱きしめるようになされた許しであった。

 一角馬は人の心を感じ取ることが出来るという。そして善なる心に寄り添うとも。

 一心に孫を想う祖母の愛情を一角馬は読み取り――怒りの感情を霧散させたのだ。

 人と獣、種族違おうとも認めざるをえない慈愛に、聖獣は心を打たれたのだ……!


「ゆ、許してくれるのかい……お前に酷い事をしたこの婆を……?」


 そうだ、と言うように一角馬は(いなな)く。テスカはおいおいと声を上げて泣いた。


「ううっ……良かった……」


「なんだマルティナ、泣いてんのか?」


「泣いてないし! ぐすっ」


 分かり易く顔を逸らした仲間にビラートは苦笑しつつ……気取られぬよう、彼は覗き見た。深山幽谷のごとく佇む美剣士を。


(婆さんの心に、わずかでもテメエの命を惜しむ感情があれば、ほぼ間違いなく死んでただろうな。――最初から奴は、こうなることまで見通していたとしたら……)


「……フ……(なんでテスカ殿は泣いているんだ? なんで一角馬は急にテスカ殿に懐いたんだ? なんで感動的な空気が流れている? 分からない。何も分からない。いっそ笑えてくるほどに……)」


 流れ星よりも貴重な、一瞬の微笑。

 一人目撃したビラートは己の推測が正しかったことを確信した。

 そして、運命をすら見通す彼の(まなこ)をひっそりと畏れた……。






 彼ら一行がロッペル村に辿り着き、ダン少年の体から死病が取り除かれたのは、チキュウ時間表記で四時間後……朝日が山々の頂から顔を出し始めた頃であった。

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