第二章 第7話「暴かれた秘密」
「――ふざけるなコーイチロー! お前、幼いリンを置いていく気か!」
「コーイチローさん! お願いッ、考え直して!」
数日後、リンは目に涙を貯めながら、今まさにゲートを潜ろうとしている父の背中を見ているしかできなかった。
武装請負人としての装備に身を固めた父を、祖父とアカネが凄まじい剣幕で必死に引き留めようとしている。
「この子には親が必要なんじゃ! リンを一人ぼっちにするつもりか!」
「……親父がいるだろう」
「ッ……! 本気でそう思っとるんなら、お前は大馬鹿者じゃ!」
「……ユノーも一人だ」
ハッと祖父は口を戦慄かせた。
振り上げた拳は行き場を失い、震えるしかなかった。
「ユノーもたった一人眠り続けている。でも、リンにはアンタがいる」
「お父さん……」
「リン……我慢できるな? 大丈夫、お父さん、すぐ戻るからな。だからそれまでお祖父ちゃんと二人で待っていてくれ。お父さんが必ず、お母さんを助ける方法を見つけてくるから」
暗い光をたたえた父の瞳。
その双眸に見つめられ――リンは気丈に笑ってみせた。
もう会えないかもしれない予感に、一筋の涙をこぼしながらも。
「うん、私待ってるっ! お父さんが帰ってくるの、お母さんが目を覚ますの、ずっと待ってるよ!」
「……、…………強い子だ。お母さんに似たな」
それが父を見た最後だった。
父は母を救うため〝ゲート〟で異世界へと渡った。
あれから七年。いや、もうすぐ八年が経とうとしている。
父は帰らず、母は眠り続け、祖父は心残りのまま寿命を終えて亡くなり、アカネは店を引き継いだ。リンは憧れの父の背中を追うように武装請負人となった。
だが、現実は何も変わらない。
父は帰らない。
母は目覚めない。
祖父はもういない。
義姉はもう、何事もなかったように――
「リン、諦めろ」
死んだはずのゲンジューローが目の前に立っていた。
「お前の父は異世界で死んだ。お前の母も異世界の病でいずれ死ぬ。ワシも息子と会えないまま死んだ。アカネは賢く全てを忘れようとしておる」
――やめて……。
「頑張ることに意味はないんじゃ……この世にはどうすることもできない運命がある。ワシらはたまたまそれに巡り合ってしまったんじゃ。抗うことなど考えるべきじゃない」
――嫌だ。
「諦めは悪ではない。無意味な事を続ける方が余程悪じゃ。ちっぽけな人間一人の人生に何の意味があるのじゃ。コーイチローも、ユノーも、ワシも、アカネも、そしてお前も、ただ生まれてただ死ぬ。人生とは、世界にある悲劇の塵芥のような一つに過ぎないのじゃから」
――聞きたくない!
「なあ、リン。お前、本当は父を探すために武装請負人になったんじゃろう? 本当にまだコーイチローが生きていると思うか? とっくに死んでいるとは思わんのか? なあ、リン――」
――言わないで!
「――お前がサムライになったことに、意味なんて何も無いんじゃ」
「――やめてええええええええええ!」
――一筋の黄金が、漆黒の闇を切り裂いた。
母の眠る病室も、ブレードを手に出て行った父の背中も、諦めろと囁く祖父の姿も、擦り切れた義姉の笑顔も、切り裂かれた闇から溢れ出た光に呑まれ、消えていく。
気がつけば、リンはあの森の中にいた。
片膝を着いたビカムの両腕に抱きかかえられている。間近にビカムの美貌があった。
レディであれば法悦のあまり失神を禁じえないシチュエーションだが、茫然とする彼女は己の幸運に気づかない。
「……お祖父ちゃんは、私のお祖父ちゃんはあんな事言わない。これは夢……」
譫言のように呟くリンから少し離れた位置では、一閃の下に切り伏せられ、黒き塵となって消えゆく絶望水母の死体があった。
「(こういう時、なんと言えばよいのだろう)……悪夢は去った」
その悪夢を打ち払ったのは自分だというのに、恩着せがましく感じさせないよう言い述べるビカム。
その気遣いが、悪夢にうなされた少女の心に染み込んでくる。
(今だけ、今少しだけ……)
この瞬間だけリンは、サムライという鎧を脱ぎ捨て、自分を包み込む暖かい体温に身を預けながら静かに涙を流すのだった。
「……(動けない……)」
青い左月が木々の合間から月光を降ろしている。ビカムは天を仰いだ。
きっとそれは、過酷な運命に傷つけられた少女へ祈るためなのだろう。
月よ、せめて今だけは、月光が傷痕を暴くことなかれ……と。
***
ビカム、リン、ビラート、マルティナ、ニチカ、モルデン、テスカ。
奇しくも運命が巡り合わせた七人。
野営地の傍らには、黒い塵へと崩壊しつつある八頭蛇の亡骸が横たわっている。
冒険者四人の顔には濃い疲労と満足感が同居していた。各々複雑な思いを抱えてはいるが、もはやビカムやリンに対する不信感は存在しない……ニチカはそれでも口をへの字に曲げてビカムを見ているが。
「これは明らかに異常です」
全員の思いを代弁するようにモルデンが言った。
「八頭蛇に絶望水母。どちらもこの辺りで目撃された例はない。そもそも本来の生息域を大きく離れている。早急に最寄りのギルド支部に立ち寄り報告すべきです」
「ちょいとお待ちよ!」
それに異を唱えたテスカ。
「最寄りのギルド支部に立ち寄るだって? 聞き捨てならないねえ! 寝惚けたあまり頼まれた仕事を忘れたと見える。アンタらの本分はアタシと荷馬車を傷一つなく村まで送り届けることさね! その後のことは勝手におし、ギルドでもどこでも行くがいい!」
「し、しかしですね」たじろぎながらマルティナが言う。「このまま何も報せず放置すれば、今後ここを通過する隊商や冒険者が危険にさらされます。幸い近くにギルド支部が置かれた街がありますから、半日ほどあれば――」
「その半日はッ、この婆の半日だよ! アンタらが決める権利なんざ微塵もありゃしないよ! 早くアタシを村まで送っておくれ!」
テスカは口角泡を飛ばしながら憤激した。
鉄火場に生きるビラートたち冒険者ですら、そのあまりの剣幕に二の句を継げず圧倒されるほどだった。
「テスカさん……」
リンもまた困惑に包まれた一人だった。
数十分前は丁寧に……それこそ孫に寝物語を聞かせる祖母のごとく彼女はリンダリアル世界の神話を聞かせてくれた。
「アタシに首輪付けて引きずってギルドに行くってんならね、こっちは依頼不履行で罪に訴えてやってもいいんだよ!」
……それが今は別人のように目を剥いて怒っている。いったいなぜ……?
(強力な魔獣に襲われたことは気にしていない……? 村への到着が遅れるから……?)
リンは黙考を続けるも、それ以外の理由を思いつかない。
その間もビラートたちはなんとか宥めようと必死だ。
「だけどよぉ、これじゃあ他にもヤバい魔獣がいるかもしれねえ。そこを無理矢理突っ切っていくのはお勧めしねえな。ギルドに行くってのは一時避難の意味もあるんだぜ、婆さん?」
「フン! そりゃアンタらが実力不足だからじゃろうが。見な、あの御仁を!」
テスカが振り向いた人物は、言うまでもないだろう。
皆が視線を追った先には、唯一人、喧騒とは無縁の沈黙を従えたビカムが佇んでいる。誰の意見にも賛同せず、冷静に運命を見極めようとしているビカムが。
「……(私も一度ギルドに寄るべきだと思うが……)」
「たった一人で八頭蛇を半死半生に! 絶望水母は一刀両断切り伏せたってんじゃないか! この御方が居れば、なぁにも恐れる必要はないんじゃ。あとちょっとの距離なのさ。いいかい、婆にはもたもたしてる時間はないんだよ!」
うぐ、とビラートたちが息を詰まらせる。
事実としてテスカの言うとおり、ビカムの実力ならばどんな魔物でもたちどころに屠ってしまうだろう。テスカの望みどおり無傷で早々村へ送り届けてしまうに違いない。
なまじ手段が取れる分、どちらを優先するべきか逡巡の間が生じてしまう。
誰もがビカムに注目していた。
彼の次の発言が、一行の進むべき道を決めてしまう……そんな確信を抱えながら。
「(ギルドへの報告を後回しにして依頼遂行を強行した場合、成り行きで加勢した私たちも問われるのだろうか)……罪に……」
つみに――
その言葉が鼓膜を震わせた瞬間、テスカの声にならない動揺の呻きが静かに響いた。
皆が振り向いた事で自分が動揺した事に気づき、しかし取り繕うも遅きに失したと悟り、年輪のようにシワが刻まれた額に冷や汗が浮かんだ。
「つみに……積み荷……?」
ニチカが呟く。
確かめるようにビカムへと振り返る。
「……(え……⁉ 今何か変な事言ったか、私……?)」
美貌の剣士は若き魔法使いからわずかに顔を逸らす。
その視線の先には――テスカの荷馬車が。
「――っ‼」
ニチカは彼の示唆するところに気づき、二つの驚愕に包まれた。
この依頼が、老婆と荷馬車を護衛するだけの依頼ではなかったことに。
そして……たった一人、彼だけが事態の真相を見抜いていたことに。
「あの荷馬車にはいったい何が積んであるんです⁉ 答えてください!」
ニチカの糾弾の声に、ビラート、マルティナ、モルデンも最悪の可能性に思い至った。
「あ、アンタらには関係ない事で――」
「いいや、婆さん、関係は大ありだ。依頼内容は食料と罠猟道具運搬の護衛だったよなぁ? もしまったく違う物をあの馬車に載せてるってんなら、こいつぁ重大な契約違反だぜ」
「ええ。我々も看過できません。もし知らぬ間に犯罪の片棒を担がされたとあっては冒険者活動に甚大な影響があります」
ビラートとモルデンが有無を言わさぬ勢いで荷馬車の後ろに回る。
「やめんか! アタシの私物じゃぞ! ギルドに訴えて――」
「どうせギルドに突き出すつもりなんだろ? だったら構やしねえよ。マルティナ、婆さんを抑えとけ」
「やめろッ、やめるんじゃあああああッ!」
羽交い絞めにされたテスカの目の前で、ビラートとモルデンが荷馬車の木戸を開け放った。
「まじかよ……!」
「やってくれましたね、テスカさん……!」
荷馬車に積まれていたのは――一頭の馬だった。
白く美しい毛並み、白銀のたてがみ。
何よりも特徴的なのは頭部から伸びた一本の角。
前脚と後脚を縛られ、嘶きが漏れないよう口に布を巻かれ、力なく尻尾が揺れていた。




