第二章 第4話「創世記」
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時は少し前に遡る。
暗い森の中、焚火の明かりが煌々と夜闇を照らしている。
野営地にはテスカ、リン、ビラート、モルデンの四人がいた。今の不寝番を務めているリン以外は思い思いに休息を取っていた。
ビラートは背嚢を枕に早々に寝転がり、焚火へ背を向けて睡眠の構え。
モルデンはビラートともリンとも距離を空けた場所に腰を下ろし、焚火を見つめながら思い出したように黙々と薪をくべている。
危険な外でいつ満足な休憩が取れるかも不明な以上、休める時に休むのは冒険者として正しいのだろうが、リンはどうしても彼らの行為に隔意を感じずにはいられなかった。
そして当のリンは……生まれて初めてする野宿に密かに興奮していた。
サムライとなってからは輸送の仕事でアキツ・シティの外に出ることもあり、当然泊りがけになることもあった。
その際は滞在するシティで宿を取るか、それが叶わないとしても輸送車には簡単ながら護衛用の生活空間が設けられている。ゆえに外気を浴びながら眠るなどまず体験することはなかった。
しかし、このリンダリアル世界で己を守るものは何もない。
ビカムから借り受けた毛布は、瑞々しい自然の空気を遮断するに用を為さない。頭上には星々が輝き、チキュウ世界では不夜の都市明かりに掻き消されてきた夜空の住人たちが、こちらの異世界では燦然と存在を主張している。
リンは己の生きてきた世界の狭さと、その世界が広がっていく不可思議な心地を味わっていた。
「眠れないようだね」
体に毛布を巻いたテスカが声をかけてくる。雇い主たるこの老婆は勿論見張り番の役など御免されているが、寝付くには早いと言わんばかりに矍鑠としていた。
「すみません。ちゃんと寝て、体力を回復するべきですけど……」
「いんやあ、攻めてるんじゃないよ。昼には昼にしか出来ない事があるように、夜には夜にしか出来ない事があるもんさ。自分の裡にある深い思考の海に潜るのもそうさね。……それとも、あの一等美しいエルフの御仁のことでも想っていたのかえ?」
揶揄うようなテスカの推測は、リンが苦笑したことで的中していたことが分かる。
「……とても不思議な人だなって」
やがてリンの口から絞り出されたのはそんな言葉だった。
「ビカムと出会ってから短い間だけど、いくつも驚くような出来事があって。でも私と違って、あの人は何ら動じることがなかった。まるで……まるで盤上の駒の指し手というより、それを横から見ている人のような……上手くは言えないんですけど、そんな風に思えてならなかったんです。それが、とても――」
「――恐ろしい、かい?」
逡巡した後、結局リンは首を縦にも横にも振らなかった。しかし、それこそが雄弁に意思を語っていると言えるだろう。
年の功なのか、少女の迷いを悟った老婆は促す。
「話してごらん。一度吐き出しちまえばスッキリするもんさ。老い先短いこの婆になら、どんな秘密も墓場まではすぐさね」
……リンはビカムとの刺激的な出会いから今に至るまでを、かいつまんで語った。
「……なるほどねえ。アンタも若いのに鉄火場を潜ってきたわけだ」
「私もテスカさんと同じように、都市への物資運搬の途中でビカムに助けられたんです。……そう言えば、この馬車は何を運んでいるんですか?」
「ん? ああ、まあ、商い関係のものさ。で、アンタは何を思い悩んでいるんだい?」
「私もサムライ……武に身を置く人間として、高みを目指す気持ちはあります。でも、武だけじゃなく人の器を比べても格が違い過ぎるビカムを目の当たりにして……彼ほどの高みに私が至るには、どれだけの時間を費やせばいいのか思い悩んじゃいまして」
「――だからこの世のあらゆる努力は無駄ってかい?」
ドキリ、と濡れ場のような黒髪が跳ねた。
心中に蟠った感情の正体を自覚し、同時に、言い当てられた事への驚きがリンを襲った。
テスカは呵々大笑した。
「ハッハッハ! 聞いて安心したよ。つまり、ただ向上心が仕事し過ぎたってわけだねえ! ……しっかしお嬢さん、そりゃあ高望みってもんさ。あの御仁はエルフ。人間の物差しは当てはまらないお人さね」
「エルフ……」
リンはビカムが語った五つの種族の話を思い出した。エルフとはおそらく人類種のカテゴリーに入るのだろう。
その事を言うと、テスカはゆっくりと首を横に振る。
「今でこそ、エルフは人類の一種族として認識されておるけどね、それは遠大な世界の歴史の中で言えば、実にここ最近の話さ。彼らにはもっと古い呼び名がある――――創世種」
「創世種……」
それこそは、ビカムの語らなかった種族――神話の住人。
「アンタはチキュウからの客人だったねえ、知らないのも無理はない。……そうさね、語ろうか。神話の物語を」
テスカは風に揺らぐ焚火の火を見つめながら言葉を紡ぎ始めた。
あえて焦点を定めていないかのような双眸は、神憑りのような雰囲気を湛えていた。
かつて世界には光も闇もない、完全なる無だけが広がっていた。
ある時、何もないはずの無に、次々と波紋が生まれ、重なり合った波紋から最初の神、創造神が生まれた。
創造神は歌と名付けられた波紋で原初の世界を創り上げた。
創造神は歌い、自身を支える神々を生み出し、生まれたての世界を整えていった。
だが、創造神が初めて生命の創造を行った時、それは失敗した。
世界はまだ、か弱き命を受け入れられるほど完成していなかった。世界の外から内を窺い知る事は、神といえど限界があった。
ゆえに創造神は己の御業を内より支えさせるため、世界の内側に三柱の女神を創造した。
愛と誕生を司る女神。
美と結婚を司る女神。
死と運命を司る女神。
創造神と神々と三女神は歌い、世界は形を得ていった。
再び創造神が生命の創造を行った。
生まれた命はわずかに営んだ後、動かなくなった。「やはりか」と創造神は言った。これが最初の神の最初の言葉になった。
三度目の創造は、三女神がともに行った。誕生した命を愛し育み、成長した命を娶せ子を成させ、生を全うした命に死の安らぎを与えた。
そうしてようやく世界に生命は根付いた。
創造神は「善きかな」と満足した。
「――これが創世記さね。アタシたちはみーんな創造神様が願って生まれた子供たちなんだよ」
リンはテスカの語る神話を興味深く聞く。
その一方で、チキュウ人としての教養が物語への没入を邪魔してくる感覚を拭えなかった。
チキュウにおいて人々は、原始生命の誕生は数十億年前の深海の熱噴出孔を起源とするという定説をシティの一般教育カリキュラムで教わる。
そこに神は登場しない。
いや、形而上的存在など、生命の誕生には絶対に介在していないのだと病的なまでの偏執さで記されていた。
リンは疑問を口にする。
「全ての生命は創造神によって創られたなら、エルフだけが特別な理由が分からないんですが」
「婆の話はまだ終わっていないよ。創世期にはまだ続きがあるのさ」
しかし、生命が増えるにつれて三女神の仕事はとても多くなり、このままでは女神の力が行き届かない生命が出かねなかった。
そこで三女神は創造神に願い出て、女神の仕事を補佐する各々の眷属を生み出した。
愛と誕生を司る女神は、神の祝福を間違いなく届けるための白い翼を持った眷属を。
美と結婚を司る女神は、愛し合う者の声を聴く優れた耳と輝ける体を持った眷属を。
死と運命を司る女神は、速やかに死の安らぎを届けるための黒い翼を持った眷属を。
三女神を補佐するため、いずれも不老不死不滅の存在として生み出された眷属は、己が女神から与えられた仕事を行い、やがて世界には生命が満ち満ちていった。創造神は「増えよ」と言祝いだ。
しかし、世界が生命で満たされた頃、眷属たちに異変が起きた。
白い翼を持った眷属は、慈愛の強さゆえに生命を過剰に育んでしまう。生命が自らの力で営むことが出来なくなるほどに。
黒い翼を持った眷属は、もたらされる死が少ないと不満を抱き、創造神が生み出した生命を造り変え、死を与えるためだけの魔獣を生み出し、世界に争いを撒き散らした。
優れた耳と輝ける体を持った眷属は、生命が自然に育まれるようになってから、何もせずに世界が移ろう様をただ眺めていた。白と黒の翼の眷属によって世界が荒れていく間もそれは変わらなかった。
この様子を悲しんだ創造神はそれぞれの眷属に罰を下した。
白い翼を持った眷属には、この世界に関わる権利を取り上げる罰を。しかし、眷属の生命に対する曇りなき慈愛と献身を認め、創造神の御許で直接仕える栄光を与えた。眷属としての名は封じられ、彼らは天使と呼ばれるようになった。
黒い翼を持った眷属には、この世界から追放し、セプテールの炎が渦巻く地獄へと閉じ込め、業火に焼かれながら永遠に争い合う罰を。眷属としての名は封じられ、彼らは悪魔と呼ばれるようになった。
優れた耳と輝ける体を持った眷属には、不老不死不滅の権能を取り上げ、同じ定命の生命として生きる罰を。
しかし、美と結婚を司る女神が「彼らに何の罪があろうや」と具申したことで、創造神は不老の権能だけを残した。
眷属としての名は保たれ――今日も彼らはエルフと呼ばれている。




