第二章 第5話「話し合い(剣)」
「――分かったかい。彼の種族だけは創世の女神様が生み出した、まさしく半神半人。悠久の時が過ぎて神威が薄れようと、尊き一族であることに変わりはない。アンタが感じる浮世離れした感覚は間違いじゃなくて、エルフの視座はもうちっと高い所にあるがゆえなのさ」
燃える薪が二つに折れ、火の粉を巻き上げる。
揺らぐ炎がリンの横顔を照らした。
穢れなき疑問をたたえた顔を。
「ビカムはどうして〝異界渡り〟になったんだろう……」
静寂が野営地を支配した。
その問いに答えられる何者もいなかったゆえに。
「さあてね……」テスカが息を吐いた。「生きてりゃ色々あるんだろうさ。エルフほど長生きすりゃ思うところもあるんだろう」
「――そんな理由で片付けるには惜しい問答ですね。私も興味がありますよ」
今まで黙々と焚火の面倒を見ていたモルデンが口を挟んできた。
「なんじゃ坊主。あの御仁に気に入らないことでもあるのかい。チキュウを庭にしとることがそんなに不愉快かい?」
「そういうテスカ殿も随分肩入れしているように見えますがね。田舎の地域ほどエルフへの畏敬が強いと言いますが、私から言わせれば、彼らも今や人類の一種族。善き人格の者もいれば悪しき人格の者もいる。目線を公平にせねば、見るべきものを見誤る」
「フン! まず坊主の仲間の男に聞かせるべき説教さね。……アンタ、起きとるんじゃろ!」
規則正しく寝息を立てる背中に声が浴びせかけられる。
……と思いきや、すくっと身を起こしたビラートが挑戦的な目をテスカに向けた。
「なんでえ、気づいてたのかよ。油断ならねえ婆さんだな。なんで分かった?」
「寝たフリをするなら呼吸の間隔は多少不規則にするんだね。拍子に変化が無い方が不自然さね」
「覚えておくぜ」
ビラートとモルデン、二人の視線が向けられる。リンはゴクリと唾を飲み下した。
「そう緊張しないでほしい」モルデンは努めて優しい声で言う。「私たちは君たちにお願いしたい――今すぐとは言わないが、朝になれば速やかに我々と別れてほしいということだ」
「――‼」
「さすがに夜が近かったゆえ無下に放り出すことはしないが、やはり〝異界渡り〟とチキュウ人、連れ合いとするには不安が残る。魔獣との戦いに加勢してくれたことは確かに感謝している。礼金を支払おう。だから、お互い出会わなかったことにしてやり過ごした方が良いのだ」
モルデンの声音には一切の悪意や害意が含まれていなかった。好意的な何かもない。
ただ冷徹に状況を鑑みて、最も安全と思われる選択肢を選んだにすぎない。ビカムやリンの人格ではなく、彼らのレッテルを重く見て、雇用人と仲間のためを思ったにすぎないのだ。
サムライと冒険者。異なる世界の稼業も違う者同士。
しかし、そこにはプロフェッショナルに通底する、依頼達成を至上とした冷静な判断があった。
「……分かりました。モルデンさんの言うとおりにします」
「何を勝手に決めとるんだい! 雇用主のこの婆を無視して、ええ? 何様のつもりじゃ! アタシが良いって言ったら良いのさ。護衛が増える方が荷の安全性は弥増すじゃろうて」
「いいんですテスカさん。私たちは……私は、この世界で部外者だから」
老婆が悲しまないよう、リンは努めてさりげなく微笑んだ。
テスカとって、それこそがむしろ悲しみを煽った。
「ま、そういうこって。俺ァ〝異界渡り〟よりチキュウ人の方こそ得体が知れなくて不気味だね」ビラートが嘲るようにリンを見る。「噂じゃ奴ら、俺たちリンダリアル人のことを蛮族みてえに思ってるらしいが、こっちからすりゃあ信じる神もいなけりゃ伝統と文化も忘れちまった連中のほうが野蛮だぜ」
「……全ては否定できないけど、その噂は真実ではないわ」
確かに旧時代からの復興の過程で、繁栄に寄与しない伝統、文化といったものは一度忘れ去られた。チキュウの人間は生きるのに精一杯だった。
それではよくないと文化復興運動が興り、リンたちチキュウ人はアイデンティティを取り戻す道半ばにいた。その点に関しては事実である。
「でも、私たちはリンダリアル人を馬鹿にしてるわけじゃない――知らないから怖い。貴方も、得体が知れなくて不気味って言った。私たちは同じ問題を抱えているだけだと思う」
〝――恐ろしい、かい?〟
テスカの言葉が、リンの脳裏にこだまする。
自分がビカムに抱いていたのも、理解できない事への恐怖なのだろうか。
「……へえ、怖がってるってか。俺が、お嬢ちゃんを?」
ビラートはすらりと愛剣を鞘から抜き放つ。「ビラート⁉」とモルデンが叫んだ。
「だったらよォ、お互いを知り合おうじゃねえか。特に剣士同士なら手っ取り早い方法がある。それなりに遣うんだろう?」
ビラートがリンの佩く高周波ブレードを一瞥した。
「剣士は言葉じゃなく刃で語る――俺の師の言葉だ」
「……いいでしょう」
リンもまた、挑まれて背を向ける乙女ではない。気負うことなくブレードを抜刀する。
ただし、高周波の機能は止めている。この剣は鉄であろうと振動の力で切り裂いてしまう。武器の性能で勝っていてはビラートに認められることはない。
「一度剣を抜いたらば、事結するまで納めることなし――私の父の教えです」
「望むところだ」
互いに剣を正眼に構える。
テスカとモルデンが何事か騒いでいるが、既に二人の耳には入っていない。極限の集中が仕合に関係のない事象を切り捨てた。
リンとビラートは相手の一挙手一投足に反応し、先に致命の一撃を叩き込むだけの機構と化した。
チキュウのサムライ。
リンダリアルの剣士。
果たしてどちらの技量が上回るか……しかし、勝負の決着がそう遠くないことを二人は直感した。
「――シッ!」
先に動いたのはビラートだ。
奇を衒わない直線的だが素早い袈裟斬りを、リンは半身になって躱す。
続く下から掬い上げるような横薙ぎは大きく後退し距離を取った。
「どうした? 逃げ足はご立派なようだが、攻め足も見たいもんだ」
「……」
リンは沈黙を保ち、静かに構え続ける。
これもまたビラートの策略であった。
確かに速さは目を瞠るものがあるが、些か攻撃が素直すぎる。攻撃の合間に反撃を叩き込む明確な隙があった。
しかし、それこそが罠、わざと作り出した弱点であることをリンは看破した。得意満面に突けば、待っていましたと手痛いカウンターが待ち構えているのだ。ゆえに挑発の言葉に乗ることもない。
ビラートの顔から感情の色が消える――罠を見抜かれたことを悟り、芝居を終わらせたのだ。
ここからがまさに真剣勝負。互いの技量と経験を刹那に燃やし尽くし、最も早く一太刀を見舞った方が勝ち残る。
やはり攻めたのはビラートだった。待ち構えることをリンも望んだ。
森の暗闇に火花が散る。絶え間ない剣の猛攻をブレードが弾く。
連撃の終わり際、ビラートが止めていた呼気を吐き出した瞬間、リンは初めて反撃に転じた。防御の手とは明らかに込められた力が違う、渾身の一手だ。返す剣は間に合わない。
決定的一閃を、ビラートは左腕の皮鎧で受けた。
鋭い金属音が鳴った。
ブレードに対して流すように受けることで刃が滑り、皮を向くように鎧表面が削がれる。
なめし革の下には金属の板が仕込んであった。これぞビラートの秘策。攻撃が決まったと油断させ、今度こそ相手の虚を貫くのだ。
「――‼」
驚愕は、しかしビラートから発せられた。
リンが想定よりも早くブレードを引き戻した。全力で打ちかかっていたならば絶対に不可能な反応速度で。
(――左手が不自然でしたよ)
リンの視線が物語る。彼女は相手のわずかな挙動から策を見抜いていた。
(――上等!)
動揺どころか歓喜をもってビラートが迎える。受け流しの反撃を見切られただけだ。隙をさらしたわけではない。
次の交錯で勝負が決まる――誰もが限界まで集中を極めていた。
だからこそ、気づけた。闇の中に潜む影を。
リンの総身を強烈な怖気が襲った。
躍動するビラートの後方、闇を抱いた雑木林から放射されている。
自分以外の誰も気づいた様子はない。
猶予は幾ばくもなかった。
ビラートの振り下ろした剣を、神憑った見切りで躱す。切っ先から肌まで三センチを切っていた。
斬られる――ビラートの表情に初めて恐れが浮かぶ。
「危ないっ!」
リンの手がビラートを突き飛ばした。
ゆっくりと後ろに倒れ込んでいく視界の中、少女の体は横手から現れた濃い暗闇に飲み込まれた。




