79
めちゃめちゃ長くなってしまった
二話分の分量に気付けばなっていました。こういうときって二話に分割したほうがいいのかな?
結局その日もアルベルトは日が沈むまで帰ってこなかった。
戻って来た彼は、やはりいつも通りだった。疲れた様子で、しかし何でもないと俺に微笑みかける。
「今日も訓練か?」
「うん、そうだよ」
「どうしたんだ、急に?何か理由が?」
「うん、ちょっとね。ここに来てからの僕は完全に腑抜けだったということに気付いて、反省したんだよ。もう左肩の怪我も完治したというのにいつまでもだらだらしていたツケが回って来たのさ」
「本当か?」
彼は困ったように笑った。
「本当さ。僕は君に嘘は言わないよ」
「でも……」
「実際大したことじゃないんだ。君が気にすることは何一つないよ」
そして彼は俺の頬にキスをするとすぐに体を離した。
「汗臭いだろう?」
そう言ってまた笑う姿があまりにもいつも通りの様子だったから、俺はそれ以上は特に何も言わなかった。
その後はいつものようにシャワーを浴びて一緒に夕食を摂って、部屋に戻ってだらだら過ごした。アルベルトのいつもと変わらぬ様子に俺はほっと胸を撫でおろして、彼が変わったのではなくて、何か一時的なことがあって、いつもと違う行動をしているだけなのだろうと思った。
それから二人でベッドにもぐりこんで眠った。
なのに、翌朝、三度彼はベッドに見当たらなかった。
時計の針は朝の八時を指していた。
アルベルトの従僕のクリストフやベルナールやロベルトらに、そしてギルを始めとした彼の部下たちにもそれとなく彼の様子を尋ねてみたけれど、彼らは特に気にかかるようなことは何も言わなかった。
その夜は、俺はアルベルトと布団の中で彼の腰に腕をしっかりと巻き付けながら目を閉じた。彼がこっそりどこかへ行ってしまわないように。
アルベルトはそうする俺になんだか少し狼狽えた様子で、暑くないかとしきりに繰り返し聞いてきた。俺は別にと答えた。
いつもなら笑いながら抱きしめ返してくるのに、今日に限っては、アルベルトは俺の背を優しく叩くにとどめた。アルベルトの規則正しく叩く手のぬくもりを感じながら目を閉じた。
そして翌朝、四度、彼はベッドから抜け出した。
ここに来て俺は、彼に何かしてしまったのかと考え始めた。しかし、そのしでかしたことがわからないし、彼の反応も腑に落ちない。俺のことが嫌いになったのならもう少し態度に出る気もするのに、アルベルトは帰ってくると真っ先に俺の顔を見に来て、キスをして、それから一緒に夕飯を食べながら他愛無い会話をする。
全く変わったところはないのだ。朝早くにベッドを抜け出して日中ずっと演習に明け暮れているということを除いては。
一人で朝食を食べ、何をするともなく手持無沙汰な午前中を過ごした。
本当にすることもなかったので、適当に一人で屋敷の外周を散歩しているときのことだった。ぼんやり青い空や白い連山や緑の草原を眺めていると、後ろから呼び掛ける声があった。
振り返って見てみると、ギルがこっちに向かってのんびり歩いてくるところだった。
「おはようございます」
「おはよう、ギル」
そう言いながら立ち止まっている俺のすぐ隣に来て彼も止まる。
「散歩ですか?」
「まぁ……。することもなくて」
正直に俺はそう言った。
「日中は殿下が訓練と称して隊員を連れ歩いていますからね。お暇でしょう」
俺はその言葉の裏で、アルベルトがいないと駄目なんだなと言われているような気がして、胸の内がざわりと波打つような感覚を味わった。
ただ、それは事実でもあって、事実を指摘されてへそを曲げるのも大人げないような気がしたから、俺は努めて平静を装った。
「正直に言うと、そうなんだ」
俺はしぶしぶ認めた。彼は無表情に頷いて見せる。
「でしょうね。こんな田舎ではできることも多くはありませんし。まぁ、その分よそ者がほとんど現れないので警護が楽ではあるのですが……」
「楽だけど?」
「殿下の訓練に人数を取られているので、警備体制の再編をしなくてはなりませんでした」
「あぁ……、アルベルトが申し訳ない」
「いえ。問題ありません。先ほども言ったように、ここでの警備任務は本当に楽なものですからね。少し人数が減らされたからといって、問題が起きようはずもありません」
彼は堂々とそう言い切った。確かにそれもそうかと思った。王子直属の部隊に選抜されるような者たちだ。優秀な人材が集まっているのも道理だった。
「逆に何も起きないせいで、ここ最近では隊員たちがたるんでしまっていて、殿下があいつらをしごいてくれる分には願ったり叶ったりです」
彼はここで一度言葉を切った。
「まぁそうは言っても、ですけどね」
「けど?」
「ここには女がいないじゃなですか。麓の村にもそういう施設はありません。だから、こう、ね。なかなか発散できないっていうのは、辛いものがありますよ、やっぱり」
「……あぁ、まぁ、そうかもしれない」
彼は右手を何かを握るような形にして俺たちの視線の先で動かして見せる。
「一人でやるのもなかなか虚しい」
「はぁ……」
辺境軍に入っていた時の、寮でのことを思い出した。
「あなたはいいですね。殿下がいらっしゃいますから。ですが、こっちはそうもいかない。それが辛い」
「ちょっ……」
俺は直接的にそう言われてぎょっとしてしまったが、彼の様子があまりにも普通で、その驚きは中途半端なものになってしまった。まじまじと彼の顔を見る。視線の先では相変わらずのギルが立っている。その表情に、彼の声の調子に俺を揶揄するような意図が一切なかったというのが感じ取れた。
さらには、彼の忌避感の無いあけすけな言いぐさもあって、不快感は湧いてこなかった。これは一つの驚きだった。
そのために、俺の方はというと、却って何と言えばいいのか分からなくなってしまって、曖昧な、言葉にもならな言葉を口から零しただけだった。
俺は、俺たちの関係が普通ではないということを自覚していたから、現状アルベルトのせいでおおっぴらになってしまっているという事実は置いておいて、外に向かって喧伝するつもりはなかった。
どちらかというと、俺たちのことを知っている人の中にはきっと普段顔や態度に出さずとも不快に感じている者が多いだろうと思っていたため、できるだけ内緒にしておかなければと思っていた。
なのに、ギルはそれを知っていて、俺たちの関係をあまり重大視していないようだった。彼はこちらの反応に頓着せずに言葉を続ける。
「部下たちもですね、若い身空であればこそ、ここでの生活はなかなか厳しいはずなんですよ。女遊びも満足にできないような環境ではね……」
そう言って、彼は不満を体現するように頭を左右に大げさに振って見せた。
「まぁ、分からないでもない」
俺はジャンやマーカスのことを自然と思い出しながら、相槌を打った。
俺の肯定する言葉に、我が意を得たりというような顔をギルがした。それから即座に彼が周囲を窺うように視線をあちこちに向けたかと思うと、声を潜めて俺の耳に耳打ちするような態勢をとった。俺は思いがけず耳を貸すような恰好になる。
「ところで、キース。お前は、おっぱいと尻だったらどっちが好きだ?」
「え?」
ギルの方を見ると、彼の目は真剣だった。その真剣な顔のまま、彼は両手で自らの胸と尻に手をやって何を言わんとしているかを身振り手振りで表現する。
「女のケツと胸だったら、どっちがそそられる?」
「突然何を言い出すんだ」
「いいからいいから。な、キース。お前はどっち派なんだ?」
「それはどうしても答えないとダメなやつですか?」
「もちろんだ。大事なことだ。男は性癖の開示を通じて仲を深めるものだろう?」
「はぁ……」
そういうものだろうか。
「で、どうなんだ?うん?」
「強いて言うなら、胸でしょうか」
「でかいのと小さいのだったらどっちが好きだ?」
「大きい方が良いと思いますけど」
「やはりそうか。分からんでもない。でかいのは正義だからな」
「はぁ……」
「しかし、若いな」
若いとか若くないとか、関係あるのか?
「あの、それが何か」
「殿下もおっぱいがでかいほうが好きらしい。以前教えてもらった」
「はぁ、そうなんですか」
「殿下もまだ若い。女の魅力をまだ十全には理解できていない」
あいつはどんな会話を普段部下たちとしているんだと思った。
「そういうギルはどうなんですか」
「俺か?俺は尻が好きだ。尻はいいぞ」
彼は確信を持った声で答えた。
「もちろん零れるような巨乳も捨てがたい。しかしだな、やはりでかケツだ。あの俺に安心感を与えてくれるすばらしい造形。良い子を産んでくれそうだと言う期待感。お前にあの魅力が分かるか?」
「まぁ、分からないでもないですけど……」
「そうか。素質があるな。デカ尻は良い。もちろんでかパイもたまらん。しかしやはり尻だ。視覚的に征服欲を掻き立ててくれる。両手に収まり切らないようなでかい尻を掴んでこう……」
そう言いながらギルの両手が自らの腰の前に移動する。何か目に見えないものを掴むような形をした手が肩幅くらいの間隔を開けて空中に固定されている。
「お前は何の話をしているんだ、ギル!」
怒鳴り声とともに突然エイブラムが現れた。つかつかと足音高くギルに近寄るとその頭を小気味よい音を立ててはたいた。
「エイブラム、今俺たちは女の趣味を通してお互いの仲を深めるための重大な話をだな……」
「黙れ!この破廉恥漢が!恥を知れ!所も相手も構わずに与太話ばかりしおってからに!」
そう言って再度ギルの頭をはたくと俺に向き直る。
「すみません、キース様。こいつには後できつく言い聞かせておきますので、何卒ご容赦を」
そう言って頭を下げると、突如として現れた彼はギルを引き摺って歩き去って行った。
その様子がおかしくて、俺は自分が笑うのを止められなかった。
その出来事以降は俺ももうなんだか馬鹿らしくなってアルベルトの奇行のことを気にするのはやめることにした。何も事態は変わっていないのに、心の奥のもやもやしたものは無くなっていた。
そうして、俺もちょっと運動でもしようかなと思った。少し太ったような気がしていたからだ。
丁度いいかもしれない。
ここにきてから朝も昼も夜もアルベルトとべったりで、その辺を散歩したり馬にのって遠出をしたりだらだらしたりと、はっきり言って全く体を動かしていないも同然の日々を送っていて、筋力や体力の衰えをなんとなく感じてはいたんだ。
アルベルトが訓練と称して毎日汗をかいているのなら、俺も何かしら軽く運動をしようと思った。
そう思うと、さっきまでと比べて視界が明るくなるのを感じた。近頃の俺はすぐ側にアルベルトがいることに慣れ過ぎていたと反省した。
こうして一人で考えてみて初めて実感することもあるのだなと感じた。
俺は心機一転、屋敷の周りで走り込みをしたり、腕立て腹筋など、軍属のころには日課としていた運動をその日から日々の生活の中に取り入れることにした。毎日午前中にしっかり目に体を動かして、それから午後には魔法の訓練をした。
久々にやってみるとあらゆることに対する感覚が鈍くなっていることに愕然として、個人的な特訓に嫌が応にも熱が入る。
久しぶりの訓練は体に辛いものがあったけれど、それでも楽しいと思えた。体を動かすと、それだけに集中できて、他のことを一切考えなくて済むのも良かった。人間は暇だと良からぬことを考えるものだと誰かが言っていたが、その通りだ。
一人の訓練を開始して数日、アルベルトが俺の行動に気付いた。たぶん屋敷の誰かが報告したのだろう。その日は帰って来るなり、出迎えた俺に向かってアルベルトが問うてきた。
「なんだか、最近屋敷の周囲で運動してるんだって?キース」
俺は彼の伸ばしてきた手を掴みながら答える。
「そうだよ。お前の真似をしてみようと思って」
「そうなのかい?」
「最近自分がたるんでいるという自覚は俺にもあったんだ。こっちにきてから運動らしい運動は全くしていなかっただろう?だから、お前が頑張るなら俺もやってみようと思って、辺境軍にいたころと同じ訓練を再開したんだ」
「なるほどね」
そう言って彼が俺の腕に触れて確かめるような動作をしてから、腰に腕を回してくる。その大きな手の平が、俺の尻のあたりに伸びてくる。
「こらこら。何をしているんだ、お前は」
「いや、ちょっとね。君の伴侶として、君の体の変化を確かめないといけないと思って」
「馬鹿なことを言うな」
俺はアルベルトの腕から逃れた。彼はそれ以上は絡んでこなかった。
さらに数日して、今度はカインが俺の元にやって来た。彼は俺が訓練をしている場所まで来ると、考えてもみなかったことを言った。それは彼がしばらくここを離れるということだった。
カインはここへ絵を描きにやって来たはずなのに、まだ下描きすら完成していない現在、すでにここを離れるという事実に頭が混乱する。中途半端な状態でこの地を離れる意図が掴めないと思ったから、それを直接尋ねてみると思いも寄らない返答が返って来た。
「あぁ、アルベルトからしばらく時間が欲しいと頼まれたんだ」
「時間が欲しい?」
まさかの答えだった。
「そ。ほら、ここ最近ずっとあいつは屋敷にいないで、外で訓練をしているだろ?もうしばらくこのままの生活が続くから、申し訳ないが絵を描くのは延期してほしいと言われたんだ」
「いつ?」
「三日前だったかな。で、今日俺はここを出るってわけ」
「なんだそれ。俺は聞いていない」
俺は苛立ちが体の奥から湧き上がってくるのを感じた。できるだけ表情や態度に出ないようにその感覚を抑え込もうとしたけれど、できなかった。俺の言葉は知らず険を含んだものになっていた。
カインは片眉を上げて俺を見た。
「じゃ、お前に言うのを忘れたんだろう」
「言い忘れにしたって、なんで……」
「まぁ、アルベルトにも色々あるっつうわけだな」
「あなたは理由を知っているのですか?」
「うーん。まぁ、下らない理由だな」
その言葉に俺は愕然とする。どうして俺には話してくれないのに、カインには話をしているのか。真っ先に知らされるべきは俺ではないのか?
頭の中でアルベルトに対する失望と怒りと自分を蔑ろにされたという落胆が渦巻く。
カインがそんな俺を見て笑った。俺の肩を軽く叩きながら言う。
「ま、しょうもないことだ。気にするな」
そんなことを言われて気にしないでいられるわけがない。
「俺はあいつがそんな些細なことで悩むな姿なんて今まで一度も見たことがない。お前のせいでもあるかもな」
「私の?」
「そ。あいつにだってお前に知られたくないことの一つや二つあるだろう。お前にもアルベルトに知られたくないことがあるように?」
「……はい」
「だから言えなかったんだろう」
カインの言葉は俺を気遣うような響きがあった。俺はただ冷静になることに努めた。
「理由は、本当に些細なことなんですか?」
「そ。馬鹿馬鹿しくて笑えてくるぜ?お前がどうしても気になるって言うのなら、あいつに直接聞いてみるといい。完全無欠に見えるあいつにも弱点はあったってことだな」
肝心なことは何一つ言わないままに、彼はにやにやと一人で笑っている。
俺はそれ以上は何も言わなかった。ただ、彼の話振りから、ことは本当に些末なことで、重大な要素がないということだけは理解できた。それでも胸のしこりは残ったままだ。
「というわけで、ちょっと知り合いのところにでも遊びに行ってくる。一か月経ったら戻ってくる。そのころには絵を描き進められる状態になっているだろう。ま、それまでによくよく話をしておけよ」
そう言ってカインは踵を返すとさっさとこの屋敷から出て行った。
その日カインが去った後、俺は玄関広間でアルベルトの帰りを待っていた。
日が沈む頃に、いつも通りアルベルトは疲れた様子で、しかしどこか清々しさを感じさせる表情で返って来た。それが妙に許せなかった。
玄関の扉を抜けて俺を見て嬉しそうに微笑んで、しかしその笑みは中途半端なところで止まった。彼の動きも同時に止まった。
「キ、キース?」
彼は恐る恐ると言う風に俺に声を掛けてくる。
「アルベルト」
努めて平静を装って俺は彼の名を呼ぶと、アルベルトの体が小さく跳ねた。
「ど、どうしたんだい、キース?何か、その……」
彼の声は尻すぼみに小さくなって、最後は言葉にならなかった。
「話があります」
それだけ俺は言った。
側に控えて俺と同じようにアルベルトの帰宅を出迎えていた使用人たちが、俺とアルベルトの間で視線をさ迷わせる。
「えっと、先にシャワーを浴びてからでも……。いや、何でもない。行こうか」
俺はその言葉を背に、先頭に立って歩き出す。その後ろを重い足取りでアルベルトがついてくるのが、その靴音から分かった。
俺たちの部屋に戻ると、俺はアルベルトに椅子を勧める。彼が座ったのを確認してから、向かいの椅子に腰を下ろした。
「それで、その、話とは?」
「今日、カインがこの屋敷を出て行ったんだ。俺はそれを見送った」
「今日出て行ったのか?カインは僕には何も言わなかったんだけどなぁ」
「なんでも絵を描くのをしばらく延期したいと、お前から言われたからだそうだ。一か月と言っていた」
俺の言葉に察するものがあったらしいアルベルトの表情が変わった。
「キース、そのことについては」
「俺はそんな話を一言も聞いていないんだが?」
目の前に座るアルベルトがしまったと言いたげなような顔をした。
「何故なのか、理由を聞かせてもらいたいものだ。あの絵は俺たち二人の絵だ。そうだろう?」
「うん、そうだね。僕が迂闊だった」
「じゃあ何故、その延期の件についてまず真っ先に俺に話さなかった?正当な理由があれば聞かせてもらおうか、アルベルト?」
俺の言葉に、アルベルトが目を泳がせる。
「それは、その」
「それは?」
そこで、アルベルトが必死に何事かを考えるような顔をした。俺は黙ってその表情の変化を見ていた。
「言い忘れてて……」
それだけをやっと絞り出すように彼が言った。
「言い忘れ、ね。そうか」
俺は言葉を一旦切る。
「アルベルトだって人間だ。そういうこともあるだろう。俺だって忘れることはあるから、それは良い」
アルベルトが期待を込めた眼差しで俺を一瞬見て、しかしすぐにその希望の光は消えた。
「絵の延期の理由を聞かせてもらおうか」
「その、事情があって」
「どんな?」
「あの、僕個人のことで」
「個人的な理由で、俺に許可無く延期したと?」
「あ、ま、うん、そういうことに、なります。はい」
彼が申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん、キース」
「俺は悲しい」
ぎょっとした顔をして彼が俺を見た。
「二人のことなら、まず真っ先に話して欲しかった。言いにくいことなら仕方ない。人に言えないことの一つや二つ、誰しも持っているから。でも、何かしら言っておいて欲しかった」
「ご、ごめん、キース」
アルベルトの狼狽えた様子に、性格の悪いことに、俺は少しずつ留飲が下がっていくのが分かった。それと同時に、頭に上っていた血が落ち着いて、今の俺がアルベルトをいじめているような構図になっていることを客観視し、却って申し訳ないような気がし始めていた。彼の態度から、完全に俺の裏切りとか不実だとかそういったことが原因ではないというのが分かったからだ。
「ごめん、キース」
彼が再度そう言った。ここに来て俺は完全に冷静になった。罪悪感すら芽生え始めていた。
「いや、悪い、アルベルト。ちょっと俺も今の態度は良くなかった。きつく言い過ぎたと気づいた。ごめん、アルベルト」
そう言って俺は頭を下げた。
「そんなことはない。悪いのは僕の方だ」
「その、カインが理由を知っていて、俺がその理由を知らされていないと言うことに、その、嫉妬していたみたいだ。恥ずかしい」
「いや、君の怒りは正当なものだよ。その、君のその嫉妬は全く当たり前のことだよ。ごめん、キース」
彼も頭を下げた。
「別に君に隠そうと思ったわけじゃないんだ。あぁ、いや、うん。隠したかったのは本当なんだけれど、それはただ単に言い出しにくかったと言うか……」
彼が何やら逡巡しながら、言葉を選びながら語る。
「その、笑わないかい?僕がこれから話すことを?」
「笑わない」
俺はそう言った。
「ほんとに?」
「ほんとだ」
じっと俺を見つめて、それから意を決したようにアルベルトは話し出した。
「じゃあ、言うけど、その、実は僕は、太ってしまって」
「は?」
思わず間抜けが声が口から零れた。
「……太ってしまったんだ」
聞き取れなかったと勘違いしたのか、彼は再度言いにくそうにそう言った。
「……そうなのか?」
一瞬聞き間違いかと思った。語られた内容があまりにも些細なことだったからだ。
「うん、そうなんだ。それが恥ずかしくて、痩せなければいけないと思ったんだ。君に嫌われたくはないからね」
「そんなことで嫌いになったりしないぞ?」
彼は小さく首を振った。
「だって、俺は、俺はそのことに全然気づいていなかったくらいだ」
「本当に?」
「本当だ。どうして急にそう思ったんだ?アルベルト」
「それは、君が……」
「俺が?」
アルベルトが重い口を開く。
「その、先日一緒に寝ているときに、君が言ったんだ。眠りに落ちる前に、僕に。その僕の腰に腕を回しながら」
「なんて?」
「その……」
アルベルトの顔が赤くなる。俺はそのことに驚愕していた。アルベルトが恥ずかしがっている?使用人に全裸を見せても動じないあのアルベルトが?
「俺はお前に何と言ったんだ?」
俄然気になって俺は再度問いかけた。言い難いことを言おうとしているのだろう。時間を掛けてやっとアルベルトが口を開いた。そこから漏れ出てくる声は小さい。
「ほら、寝る時、君は僕に抱き着いてくるときがあるだろう?あの日も、僕らは抱き合った状態で眠ろうとしていたんだけれど、その時に、君が、その、言ったんだ」
「うん」
「その、気持ちがいいって」
「うん?」
「最近すごく抱き心地が良いって言うんだ。それで、眠りかけている君に僕はなんのことかと尋ねたら、その、ふかふかしていて気持ち良いって言うんだ。腰回りだとか胸のあたりだとかが。抱きしめると。だから僕は」
要領が掴めず俺は困惑する。そんなこと言っただろうか?
「その時気付いたんだ。君はその、僕が太ったってことを言っているんだって」
「すまん。全く覚えていない」
「そ、そうなんだ。でも、その、太ったのは事実だったんだ。その夜言われて初めて僕も気づいてね。その晩はその事実で頭がいっぱいになって全然眠れなかった。なんとかしないといけないと思ったんだ」
「そうなんだ」
「そうだ。だから翌朝早くに僕は体を鍛えようと思ったんだ」
「あぁ……。あの日起きたらお前が居なくて俺は驚いた」
「そ、そう。ごめんね。言っておけばよかったんだろうけれど、恥ずかしくて、居てもたってもいられなくて。君には迷惑をかけたね」
「俺以外にもな」
「そうだね」
「でも、なんでまた、急に?そんなの少しずつ改善していけばいいだけだろう。一日中外で走り回ったり腹筋したりするなんて、いくらなんでも極端すぎないか?」
「それは、その、君に嫌われたくなかったから」
「いや、さっきも言ったけれど、お前が太ったくらいで俺は嫌いにならないよ」
「そうかな?」
「当たり前だろう」
俺はアルベルトの語った内容が、本人にしてみれば重大事だったのだろうけれど、俺からすれば本当に些細なことで、内心密かに安堵していた。
彼の内心を直接聞くことができて、逆に完全に俺は舞い上がっていた。カインの言ったように聞いてみれば実にくだらないことで、それが俺を浮足立たせる。
「別に慌てて痩せる必要なんてないんだぞ、アルベルト」
「いや、キース。これは重要なことだ」
「何故?」
「君が今の僕に不満がないことが分かった。嬉しい。でもそれじゃ駄目なんだ」
「そうなのか?」
「絵だよ。カインに描いてもらう絵さ。絵はこの先ずっと、僕らが死んだ後も残り続ける。君が気にしないと言っても、やっぱり、一番格好いい僕たちの姿を残したいだろう?だからね、やっぱり絵はしばらく延期せざるを得ないんだ」
「なるほど」
「そのために僕は頑張らないといけない」
「その期限が一か月ということか」
「そう。だから、君にはこれからしばらく寂しい思いをさせると思う。それは本当に申し訳なく思う。でも、どうか許して欲しい。この一月で、絶対に以前の僕に戻って見せる」
そう言うなりアルベルトが椅子から立ち上がって、卓の上に両手を乗せた状態で俺の方へ身を乗り出した。
「お、おお……」
「だから、待っていて欲しいんだ」
そう決意を込めて言うアルベルトの表情は真剣そのものだった。
「わ、分かった。アルベルトのしたいようにしてほしい。俺は応援するよ」
「ありがとう!」
そう言うなり彼は円卓を回り込んで俺のところまで来ると俺を椅子から抱き上げた。
笑いながら俺を赤ん坊にするみたいに抱き上げてぐるぐる回る。俺はしばらく彼のしたいようにさせておいた。
「そう言うことなら、俺もお前に告白しないといけないことがある」
「え、何だい?」
アルベルトが止まって俺を床に下ろす。
「その、恥ずかしながら実は俺も最近太ってしまって。だから実際にはお前のことをとやかく俺は言うことができないんだ」
「そうなのかい?全然気づかなかったよ」
「俺自身も最近気づいて、だからここしばらく屋敷の周りで運動をしていたんだ」
「なるほど」
「どうにもたるんでいると思った。実際、軍にいたころの訓練をやってみたけれど、筋力も体力も各段に落ちてしまっていることに気付いた」
「僕もだ」
「だから、俺もカインが戻ってくるまでの間、以前の体つきに戻れるよう頑張るつもりだ」
俺は決意を込めてアルベルトを見つめながらそう宣言した。
しかしアルベルトのほうはなんだか微妙な反応だった。
「うーん」
そう言って俺を抱きしめる。背中に腕を回して撫でるようにその手を下へ下へと下ろしていく。
「アルベルト?」
その大きな手が俺の尻や太腿のあたりをまさぐるように動いている。そして言った。
「僕としては今ぐらいのほうが抱き心地が良くていいなと思うんだけれど」
「と、言うと?」
「以前の君は細すぎたからね。もちろんそれが悪いというわけじゃない。でも今ぐらいのほうがこう、ね?気持ち良いと思うんだよね」
そんなことを言った。
俺は馬鹿らしくなって、アルベルトを部屋から追い出すと、汗臭いからシャワーを浴びてくるよう命令すると、彼は素直に従った。
翌朝、アルベルトはベッドの中に居る俺に声を掛けてから意気揚々と出かけて行った。
ちょっとだけあったすれ違いが無くなって、俺たちは穏やかにそして充実した日々を過ごした。
俺は時々馬に乗ってアルベルトたちが演習をしている場所まで見学にいったりもした。
あっという間に月が替わって六月になった。
六月に入って少しして、いつものように眠りにつこうとしたとき、アルベルトが満面の笑みを浮かべ弾んだ声で俺に話を振ってきた。
帰ってきてからそわそわというかわくわくというか、何か落ち着かない態度をしていることに俺は気づいていた。しかもその表情は晴れ晴れとしていたのもあって、俺は何かあるなと分かっていたから、その時は特段驚かなかった。
「ねぇ、キース」
「なんだ、アルベルト」
「聞いて欲しいこと、というか見て欲しいものがあるんだ」
「藪から棒になんだよ、一体」
俺は努めて何にも気付いていなかった風を装ってアルベルトとベッドの上で向き直った。
「この一か月、本当に君には迷惑をかけてしまった。すまない」
「いや、そんなことはない」
「寂しい思いもしたと思う」
「うーん」
「それも今夜で終わりだよ!」
俺は彼の勢いに気圧されながら、なんとか曖昧に返事をする。
「見てくれ、これを!」
そう言ってアルベルトがおもむろに寝間着の上衣に手を掛けたかと思うと、それを一息に取り払った。
部屋の灯の中、彼の引き締まった上半身が露わになる。
「どうだい!とうとう腹筋が八つに割れたんだ!すごいと思わないかい?」
彼が見せびらかすように腰に両手を当てて、自慢の腹筋を突き出すようにしている。
「おお……」
俺はなんだか可笑しくて、でも、一応神妙な風を装って彼の頑張りを褒めた。
「すごいな。以前と全く遜色ないじゃないか。頑張ったなアルベルト」
俺の言葉に気を良くしたらしいアルベルトがそうだろうと言いたげに頷いた。
「触ってみて欲しい。もう、少し前の僕とは全く違う触り心地のはずだ。君も満足する体になったと思うよ」
「う、うん。分かった」
とりあえず言われるがままに、右手の平で彼の鍛え上げられた腹筋を撫でる。
「ほんとだ。あの頃のままだ」
「だろう?」
アルベルトの嬉しそうな顔が可愛い。
「すごい。さすがアルベルトだな。この一か月で本当にあの頃の体型に戻すなんて、なかなかできることじゃない」
「君のためを思えばこそだよ」
「俺のため?」
首を傾げる。
「君は僕の筋肉が好きだからね。なんとしても君を満足させようと僕は頑張ったんだ」
「俺、そんなこと言ったっけ?」
「いや、君が言葉にして言ったことはない。でもね、君の視線から察してあまりあるというものさ。君が僕の体を見る時の視線、表情を思えば、どれほど君が筋肉に焦がれているか知れようと言うもの。君の熱い視線に僕も滾ってくるというものだよ」
「そうなのかな?」
「そうだよ。僕には分かる」
「そうか」
あまりにも自信満々に言うものだから、俺はなんとなく肯定するしかなかった。
「これでカインには僕たちの一番良い姿を絵に描いてもらえるというわけだね。戻ってくるのが楽しみだよ」
そう言ってアルベルトがにこにこしている。そんな様子を見て俺もアルベルトに今報告すべきだと思って口を開いた。
「実は俺もそろそろお前に言おうと思ってたんだけれど」
「何かな」
今度はアルベルトが首を傾げる番だった。
「お前も知っての通り、俺もずっと運動に励んでいて、その結果を近いうちに報告をしようと思っていたんだ。数日前倒しになったけれど、まぁいいだろう」
「へぇ!」
彼の目がキラキラと輝いている。
「お前と比べると見劣りすると思うんだけれど、俺もそれなりに成果が出たんだよ」
そう言って、アルベルトに倣って俺も上着を脱いだ。
「どうだ?見えにくくなっていた腹筋が、ほらこの通り!くっきりはっきり六つに分かれているのが見えるだろ?俺も頑張ったんだよ」
そう言ってアルベルトに良く見えるよう少し体勢を変えた。ランプの灯に俺の体が浮かび上がる。俺はアルベルトの言葉を期待したけれど、彼は何も言わなかった。
「どうだろう?」
俺はアルベルトからの反応がないことに不審に思いながら、問いかけた。
彼はやっぱり無言だった。
「もしもーし?」
あれ、思った反応と違うなと思って、アルベルトのほうを見遣ると、その目が爛々と輝いているのに気づいた。
アルベルトの大きな手が俺のほうに伸びてくる。あっと思ったときには、俺はベッドの上に押し倒されていた。
「この一か月間、君にはほとんど触れていなかったからね。そんなあられもない姿を見せられて、僕としては今日はもう我慢できそうにないよ」
ベッドがぎしりと音を立てた。
俺の上に覆い被さるような態勢を取りながら、片手で器用に体を支えたままで、せっかちなアルベルトの右手が忙しなく動き、俺の下着類をはぎ取ろうとしている。
「今夜は君を無事に寝かせてあげられる自信がないな」
「お手柔らかに頼む」
「任せてくれ、とは言えないかもしれない」
俺の笑い含みの返事に大真面目にそう言って、アルベルトが俺の唇にキスを落とす。
俺はそっと彼の背中に腕を回した。久しぶりに抱きしめたアルベルトの体は大きくて、俺をひどく安心させた。
いつか第二部とか書きたいですね
草原の七部族連邦との戦後調停の話とか、二人が海に行く話とか、帝国との今後の関係とか、それ以外の国々との交流だとか、エリックやデミアンの結婚、エスメラルダとギュスターヴの子供、テオドールのことなど、まだまだ書きたいことは多くあります。
頂の国とは何なのか、巨人のこと、魔法のこと、世界に散らばる不可侵領域、なぜ〇〇〇〇〇は〇〇〇〇〇〇のかといった布石も回収したいなと思うんですけれど、忙しいこととお話自体が切りの良いところだからこのまま終わりにしてもいいかなとも思ったり
自分がもう一人いればいいんですけど
それではまた!




