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第36話 眠る回路(1)

倉庫へ戻ってからも、レオはしばらく端末を閉じなかった。

 作業机に置かれた画面には、黒い扉の写真と、創が電流を流した時の測定記録が並んでいた。床の溝を光が進み、途中で消えるまでの映像を、レオは何度か速度を落として見直した。エマも隣で宗助のノートを開き、扉の線と見比べている。

 創はアルゴー号の脇に座り、二人の様子を眺めていた。右手の痺れは残っていなかったが、指先を開くたびに、あの床へ触れた時の感覚を思い出した。

「何か分かった?」

 尋ねると、レオは映像を止め、別の画面を手前へ出した。

「光った線だけ、あとから測った値が変わってるんスよ」

 創は立ち上がり、作業机へ近づいた。画面には線の位置を示す写真と、その横に数字が並んでいる。

「電気が残ってるってこと?」

「それとは少し違うかもしれないッス。通りやすさが変わったというか、一度流したことで、材質の状態が変わった感じなんです」

 白石も机の前へ来て、測定した時刻を確かめた。

「光が消えたあとも戻っていなかったんだな」

「はい。引き上げる前に測った時も、同じでした」

 創は床の写真を見た。暗くなった時点で何もかも元へ戻ったと思っていたが、そうではなかったらしい。

「じゃあ、途中までは進んでたのかな」

「その可能性はある。ただ、もう一度同じ場所を測らないと、どれくらい続く変化なのかは分からないッスね」

 レオは記録を保存し、端末を机へ置いた。白石に休むよう言われると、今度はエマもノートを閉じた。

 創は寝る場所へ戻ったものの、すぐには横にならなかった。力が足りなくて届かなかったのか、流す時間が短かったのか。それとも、そもそも流し方が違ったのか。考えるたびに別の可能性が出てきて、自分の感覚だけで続きを試さなくてよかったのだと思った。

   *

 再び地下へ入ったのは、休息を取り、周辺の人通りが減るのを待ってからだった。

 岩壁の三つの音は変わっておらず、エマが順に合わせると入口が開いた。レオは前回と同じように空気を調べ、通路へ入ってからも測定を続けた。

 巨大な扉へ着いた時、創はまず床を見た。光は残っていなかったが、どの溝に触れたかは覚えていた。レオがそこへ測定器を当て、前の記録を呼び出す。

「戻ってないッス」

 創も隣へ屈み込んだ。

「昨日と同じ?」

「多少違うけど、流す前の値とははっきり違う。ほかの線も測ってみます」

 レオは隣り合う溝へ順に器具を当てた。同じ黒い材質に見えても、表示される値には違いがあった。創には数字だけで意味を読み取れなかったが、レオが図へ書き加えていくと、似た値を示す線がまとまっていることは分かった。

 少し離れた場所で扉を照らしていたエマが、レオを呼んだ。

「この線、全部が同じところに集まるわけじゃないみたい」

 レオは測定器を置いて立ち上がった。創も二人と一緒に扉を見上げる。

 エマは床から伸びる線をライトで追った。

「こっちは中央より左でまとまってる。でも、隣の線は途中で右へ分かれる。天井から下りてくるものも、そのまま中央へ入ってるわけじゃない」

 光を動かしながら説明されると、創にも少しずつ違いが見えてきた。複雑に交差しているため一つの模様に見えたが、何本かずつ辿ると、別々のまとまりを作っていた。

 エマは端末の写真へ印をつけた。

「五つに分けられると思う。完全に独立しているわけじゃないけど、ここで集まる線と、こっちへ続く線は違う」

 レオは床へ戻り、エマの印と測定値を照らし合わせた。さらに数か所を調べてから、端末を白石へ見せる。

「こっちも五つに分けると整理できるッス。線のまとまりと、電気の通りやすさが対応してる」

 創は扉から床へ視線を下ろした。前に触れた溝も、その五つのうちの一つだった。

「全部に流す必要があるのかな」

「そうかもしれない。ただ、同時なのか順番なのかは、まだ分からないッス」

 エマは扉へ近づき、線が交わる箇所を横から照らした。光の角度を変えると、交差しているように見えた線の一方が、もう一方の下を通っていた。

「ここにも違いがある」

 彼女は何か所かを撮影し、画面を拡大した。

「下から来る線が深いところを通って、その上に別の線が重なってる。中央に近いところでも、同じ重なり方になってるの」

「配線の都合じゃないスか?」

「それもあると思う。でも、この順に働くように作られている可能性はないかな」

 レオはすぐには否定せず、ほかの交差部分にもライトを向けた。白石も図を見ながら、エマの示した線を辿っている。

「今のところ、構造から考えた仮説だな。別の手掛かりがほしい」

 創は鞄からノートを取り出した。

 宗助の指示が書かれた頁には、短い記号がいくつか残っていた。これまでは意味が分からず、文の方ばかり読み返していたが、五つという数を聞いてから気になっていた。

「これ、関係ないかな」

 エマが覗き込んだ。横に並ぶ印を一つずつ数え、それから扉の写真へ目を戻す。

「五つあるね」

「最初は文字だと思ってたんだけど」

「文字というより、流し方を表してるのかもしれない」

 一番目は途切れない一本の線で、二番目には短い線が三つ並んでいた。その先の記号にも、線を二本並べたり、途中に空白を挟んだりした違いがある。

 レオが創の横からノートを見た。

「これが手順なら、最初は続けて流すってことッスかね」

 創は前に触れた床を見た。エマが最も下の層だと考えた系統と、同じまとまりにつながっていた。

「昨日は、すぐ止めたから途中で消えた?」

「その説明はできる。でも、まだ決まったわけじゃないよ」

 エマはそう答え、ノートを開いたまま白石へ向けた。

 白石は記号と回路の図を見比べたあと、創の顔を見た。

「前と同じくらいの出力を保てるか」

「船の電球より弱かったから、ぴったり同じかは分からないです。でも、加減は覚えてます」

「レオの測定値を見ながら合わせよう。光が止まっても、自分の判断で強くするな」

 創は頷き、鞄を下ろした。

   *

 白石は創の手首へ簡易モニターを取り付け、安静時の数値を確かめた。レオは床の入力点に近い場所へ測定器を置き、端末を立てて表示が見えるようにした。

「痺れや胸の違和感が出たら、その時点で言え。扉が動いていても黙って続けるなよ」

「はい」

 創は床へ手を置いた。冷たさのあとに、前と同じ弱い感覚が返ってくる。そこへ注意を向けすぎないようにして息を整え、小さく《トール》と唱えた。

 指先から流し始めると、床の溝に青白い光が浮かんだ。

「少し高いッス。もうちょっと落として」

 レオの声を聞き、創は出力を緩めた。光は消えず、床の先へゆっくり進んでいる。

「そこ。そのくらいッス」

 創は右手を動かさず、その加減を保った。

 前は数メートルで消えた光が、今回は扉の下部まで届いた。そこから細い溝に沿って上へ向かい、交差する線の下を通っていく。

 創は顔を上げかけたが、視線を手元へ戻した。どこまで進んだかを追いすぎると、指先への注意が緩みそうだった。

「扉に入ってる。今は変えなくていい」

 エマの声が聞こえた。

 十秒ほど経った頃、右手の先に痺れが出始めた。創が伝えると、白石はモニターを見てから、どの指かを尋ねた。

「指先全体に、少し。強くなってる感じはないです」

「増えるようなら止めるぞ」

 創は頷き、同じ量を流し続けた。

 扉を上っていた光が、中央の手前で止まった。創は端末へ目を向けたが、レオの示す数値はほとんど変わっていない。

 押し進めるように出力を上げたくなったものの、創は手のひらを床へ置いたまま待った。

「変わってないッス。そのまま」

 レオの声から少し遅れて、止まっていた光が横へ伸びた。別の溝へ移り、円形に線が集まる場所を満たしていく。

 壁の奥で低い音がした。

 創は白石を見た。白石が頷いたので電流を落とし、完全に止めてから床から手を離した。

 光は消えなかった。

 床から続く一つの系統が、淡い青色を保っていた。扉は閉じたままだったが、先ほどまで黒い面に紛れていた線が、上から下まで見分けられるようになっている。

「……今のは、通った?」

 創が尋ねると、レオは測定器を動かしながら頷いた。

「状態が変わってるッス。流すのをやめても戻ってない」

 白石は先に創の右手を取った。指を曲げ伸ばしさせ、痺れがどこまで残っているかを確かめる。

「胸は?」

「何ともないです。手も、さっきより薄くなってます」

 白石がモニターを見直す間、創は扉を眺めていた。自分が電気を止めても線は光り続け、音がした場所から、ごく低い振動が伝わっている。

「ずっと電気を送り続けるんじゃないんだ」

「スイッチを入れたようなものかもしれないッスね」

 レオは光った系統と、隣の暗い系統を測り比べた。

「電気を溜めて、その分だけ光ってる感じとは少し違うんです。動作する状態へ切り替わったように見える」

 エマはノートの最初の記号へ指を置いた。一本の長い線を見てから、扉に残る光を確かめている。

「続けて流す、という読み方は合ってそうだね」

 創も頷いた。扉が開いたわけではないが、何を変えたことで反応が違ったのかは、今度は分かった。

   *

 二つ目の系統は、最初のものより電気を通しにくかった。

 レオが測定値を示すと、創は床へ目を落とした。強くすればいいのかと聞きかけたが、その前にノートの二番目の記号を見た。

 短い線が三つ、間を空けて並んでいる。

「こっちは、分けて流す?」

 エマは扉の写真と見比べてから頷いた。

「そう読めると思う。長く一度じゃなくて、短く三回」

「最初と同じくらいの出力で、途切れさせる方を試したいッスね」

 レオの言葉を聞き、創が位置を変えようとすると、白石に止められた。

「その前に休憩だ」

 創は右手を開いた。痺れはほとんど消えていたが、指を伸ばしたところで、中指の先が小さく震えた。

 白石は何も言わず、その手を見ていた。

「……分かりました」

 創は壁際へ下がって座り、エマから水を受け取った。蓋を開ける時に右手へ力を入れると、わずかな不確かさがあった。できるだけ弱く使ったつもりでも、負担がなくなったわけではなかった。

 エマも隣へしゃがみ、扉を見上げた。

「光があると、奥に何かありそうに見えるね」

「さっきまでは、ただの壁だったのに」

 創は水を飲み、ボトルを足元へ置いた。一本分の光で照らせる範囲は狭かったが、黒い面の広さは、ライトだけで見ていた時よりもよく分かった。

「俺が流した電気で、あれを動かしてるのかな」

「全部じゃない気がする」

 エマは少し考え、床から扉へ続く線を指した。

「創が止めたあとも光ってるでしょう。中に別の力があって、それを起こすための合図になったんじゃないかな」

 近くで記録を見ていた白石が顔を上げた。

「その方が考えやすいな。今の入力だけで、この扉全体を動かす力を賄っているとは思えない」

「鍵みたいなもの?」

「起動信号か、何かの認証かもしれない。ただ、何を確かめているのかは、まだ分からない」

 創は自分の右手を見た。

 電気を流すだけなら、発電機でもできるはずだった。それなのに宗助は、創が雷を得ることを条件にしていた。

「父さんは、普通の電源じゃ駄目だと思ってたのかな」

 白石はすぐには答えなかった。エマもノートへ目を落とし、例の一文を読み直した。

「私たちは、ほかの電気で試したわけじゃない。でも、宗助がわざわざ『雷を得たなら』と書いた理由はあると思う」

「流れる量だけじゃなくて、変化の仕方まで見てるのかもしれないッスね」

 レオが端末を持って近づいてきた。

「創の旦那が出す電気に、機械で適当に流しただけじゃ再現できない特徴があるなら、それを合図にすることは考えられるッス」

 創は膝へ右手を戻した。宗助の残した文は、この扉の前へ来て初めて具体的な意味を持った。自分が与那国で何を得るのかを知り、その先でどう使うかまで書いていたのだとしたら、どこまでが父の予想の中にあるのだろう。

「父さんは、ここで何を見たんだろうな」

 誰も答えなかった。

 エマはノートを閉じず、創にも見える位置へ置いた。書かれた文字は変わらないのに、今はそこに、自分たちの知らない手順がまだ残っているように思えた。

   *

 しばらく休んでから、白石が右手を確かめた。

 指先の震えは収まり、痺れも消えていた。創が水のボトルを持ち上げて蓋を閉める間も、白石はその動きを見ていた。

「次も、途中で状態を言えよ」

「はい」

 創は立ち上がり、二つ目の系統につながる場所へ移った。レオが測定器を置き直し、エマはノートを持って扉の横へ立った。

「短く三回。出力はさっきの範囲で」

 レオの確認に頷き、創は手のひらを床へ置いた。

 《トール》を起動し、最初の電流を短く流す。青い光が数十センチほど進んだところで止めると、線はすぐに暗くなった。

 創は手を離さず、レオの声を待った。

「値は変わってるッス。次も同じくらいで」

 二回目を流すと、光は前より先まで伸びた。同じ強さで同じくらいの時間しか流していないのに、進む距離が違っていた。

 創はそこで止め、扉を見た。まだ光は残らなかったが、最初の時と同じように、見えないところで状態が変わっているのかもしれない。

「三回目」

 エマの声を聞き、創はもう一度流した。

 今度の光は途中で止まらず、先ほど進んだ範囲をつないで扉の下まで届いた。そこから上へ広がり、最初とは別の線を辿っていく。

 創が電流を止めても、光は進み続けた。

 扉の奥から低い音が響き、二つ目のまとまりが青く浮かび上がった。最初の系統も消えず、二つの光が交差する場所だけ、少し明るく見えた。

 創は床から手を離した。

「いけた」

 レオも画面を確かめながら笑った。

「三回で合ってたみたいッスね」

 エマはノートの二番目の印と扉を見比べ、記録へ書き加えた。白石が創の手を確かめる間、三人とも時々、扉へ顔を向けた。

 中央の継ぎ目は、まだ閉じていた。その周囲には光のない溝が残っており、五つのうち、動いたのは二つだけだった。

 創は右手に異常がないことを伝えてから、エマの持つノートを覗いた。次の記号には、細い線が二本並んでいる。

 すぐに床へ手を戻そうとは思わなかった。あの形が扉のどこに対応しているのか、まずはレオとエマの隣で確かめたかった。


 三つ目の記号には、細い線が二本並んでいた。

 エマはノートを開いたまま、扉へ続く溝をライトで追った。三つ目の系統は床の左右へ分かれ、それぞれ別の場所から扉へ入り、中央に近いところで合流している。

 レオが両方の線を調べ、端末の図へ位置を書き加えた。

「入口が二つあるッスね。片方だけだと、途中までしかつながらないのかもしれない」

「二か所から同時に流す、という意味かな」

 エマの言葉を聞き、創は床の左右を見た。少し身を乗り出せば、両手が届く距離だった。

「出すことはできると思う。でも、同じ強さに揃えるのは、やったことがない」

「最初から揃える必要があるかも分からないッス。両方を測るんで、差が出たら言います」

 レオは測定器を置き直し、二つの値を同じ画面で見られるようにした。白石が創の手を確かめてから頷くと、創は床へ膝をつき、それぞれの溝に手を置いた。

 右手からだけ流す時とは、姿勢も感覚も違った。左手にも意識を向けようとすると、慣れた右側の加減まで分からなくなりそうだった。

 創は一度手を離し、膝の位置を変えた。

「ちょっと待って。これだと途中で腕が疲れる」

 レオが機器を少し寄せ、創が身体を支えやすい場所を空けた。白石は急かさず、モニターの表示を確かめていた。

 姿勢を整えてから《トール》を起動すると、両手の先に薄い光が浮かんだ。床を進む二本の線は、最初こそ並んでいたが、途中から右側が先へ出始めた。

「右が高いッス」

 創は右手から流す量を減らした。今度は左の光が先行したので、さらに加減を変えようとすると、レオが声をかけた。

「一度に戻しすぎないで。少しずつでいいッス」

 船の電球でも、同じ失敗をした。明るくなったと思って急いで下げると、今度は消えてしまった。

 創は左側を強くするのをやめ、右手の余分な力が抜けるのを待った。左右を交互に確かめながら調整すると、端末の二つの値が近づいていった。

「そのくらい。今、ほとんど揃ってます」

 エマが扉へ光を向けた。

「どちらも進んでるよ」

 創は顔を上げず、手元の感覚を保った。両腕の同じ場所へ力を入れているつもりでも、出ていく電気は同じにはならない。指先の感触とレオの声を頼りに、片方が強くなりすぎるたび、少しだけ抑えた。

 額に汗が浮き、鼻の横を伝った。拭うことはできず、顎へ落ちるのをそのままにした。

 やがて扉の奥で音がして、エマが二本とも届いたと告げた。創は出力を落とし、光が残ることを確かめてから両手を離した。

 三つ目の系統が、先の二つに並んで青く浮かんでいた。

「手は?」

 白石に尋ねられ、創は左右の指を順に曲げた。

「両方、少し痺れます。右の方が強いかな」

 白石はその場所を確かめ、創を床から立たせた。壁際へ戻る途中で、創はもう一度扉を振り返った。

「これ、思ってたより疲れるな」

「左右を見てるだけでも、難しそうだった」

 エマがタオルを差し出した。創は礼を言って受け取り、額を拭った。

「でも、嫌いじゃないかも。何を変えたらいいのか、少しずつ分かるから」

 レオは測定記録を保存しながら顔を上げた。

「次はもっと早く揃えられると思うッスよ」

「同じ扉、何回も開けたくはないけどね」

 創が言うと、エマも扉を見て笑った。白石だけは次の準備へ移らず、痺れが消えるまで創の手を確認していた。

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