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第35話 王たちの墓

カイロの市街地へ入った頃には、太陽がすでに高くなっていた。

 ポートサイドから走ってきたアルゴー号は、建物が増えるにつれて速度を落とした。乾いた土地の間を延びていた道路は、高架や集合住宅に挟まれ、交差点の手前では何列もの車が詰まっていた。歩道の露店から張り出した日除けの下を人が行き交い、その上を配送ドローンが通り過ぎていく。

 レオは前の車との間隔を確かめながら、フロントガラス越しに街を見回した。

「思ってたより、普通に都会ッスね」

「どんなところを想像してたの?」

 後部座席からエマに尋ねられ、レオは少し考えた。

「砂漠にピラミッドが三つあって、横にラクダがいる感じッス」

「いつの観光ポスターだよ」

 創が笑うと、レオは前を向いたまま肩をすくめた。

「でも、ピラミッドはあるんでしょ」

「あるよ。ただ、私たちが探してるのは、その中じゃないと思う」

 エマは膝の端末へ視線を戻した。創も鞄からフィールドノートを取り出し、ギザについて記された頁を開いた。

 三つの三角形の下に、うねった線が一本引かれている。その間には小さな黒い点があり、横に宗助の字で一文が添えられていた。

《王たちを、水の側から見ろ》

 創は図を眺めてから、窓の外へ目を向けた。ここからでは建物が邪魔をして、ピラミッドのある方角さえ分からない。

「王たちって、ピラミッドのことだよな」

「そう考えるのが自然だろうな」

 助手席の白石が答えた。

「じゃあ、水はナイル?」

「そこまでは私も同じ」

 エマに言われ、創は少し顔を上げた。

「今日はついていけてる」

「まだ一行だけだけどね」

「それでも進歩だろ」

 白石は二人を振り返らず、端末に表示していた地図を拡大した。

「問題は、今のナイルを見ればいいのかどうかだ」

 創はノートの波線へ目を戻した。

「昔と場所が違うんですか」

 エマが端末を二人の間へ寄せた。現在の地図に、色の薄い線がいくつも重なっている。

「こっちが昔の流路を推定したもの。時代によって違うし、まだ分かっていない部分もあるけど、古代には今よりギザの近くまで水が来ていたと考えられてるの」

「じゃあ、この線も昔の川か」

「その可能性はある。ただ、どの時代の、どの流れを描いたのかは確かめないと」

 創は画面とノートを見比べた。自分には一本の波線にしか見えなかったものが、エマの端末ではいくつもの候補に分かれていた。

「何で、普通に場所を書かないんだろう」

「誰でも読める形には、したくなかったのかもしれないね」

 エマの答えを聞き、創はノートの端を指で押さえた。

 父は必要なことを書き残しているらしいが、それが何を意味するのか、自分一人では分からない。エマが古い地形を調べ、レオが道を探し、白石が立ち止まらせる。そのたびに先へ進めているものの、宗助が誰の手を借りることまで想定していたのかは、考えても答えが出なかった。

 前方の車列が動き、アルゴー号もゆっくり進み始めた。創は開いた頁をそのままにして、地図を調べるエマの手元へ目を戻した。

   *

 アルゴー号を隠したのは、ギザ郊外に残された古い物流倉庫だった。

 かつては自動配送網の中継拠点として使われていたらしく、入口には薄れた区画番号が残っていた。広い床には荷物を置いていた跡があり、壁際に使われなくなった運搬台が寄せられている。近くに新しい施設ができてからは、ほとんど利用されていないという話だった。

 レオは入口から車体が見えない位置まで進め、エンジンを切った。機関の音が止まると、屋根のどこかで金属板が風に鳴っているのが聞こえた。

「しばらくは、ここを拠点にするッス」

 創は車を降り、入口の方を振り返った。

「カメラは?」

「古いのが二台。動いてるか怪しかったけど、正面は通ってないッス」

 白石も降りてきて、建物の奥と入口を順に確かめた。

「街中に置くよりは目立たないな。出入りは少なくしておこう」

 レオが荷室を開ける間に、創はシャッターの隙間から外を覗いた。低い建物の向こうに、斜めに切り取られたような輪郭が見えた。その先で二本の線が頂点を作り、少し離れた場所には別の三角形が続いている。

「見える」

 エマが隣へ来たので、創は隙間から指を差した。

「ピラミッド」

 エマも顔を寄せ、同じ方角を見た。

「やっと来たね」

 映像では何度も見ていたが、周囲の建物と一緒に眺めると、大きさの印象が違った。遠くにあるはずなのに、町の屋根よりずっと上まで石の斜面が続いている。創は首を少し傾け、隠れている下の部分まで見ようとした。

「父さんも、ここから見たのかな」

「同じ場所かは分からないけど、見たと思う」

 エマは創の手にあるノートへ目を向けた。

 創も表紙を見下ろした。父がここへ来たことは、これまで文字から想像するしかなかった。今は目の前の景色と図を見比べられる。そのことが気になり、創はもう一度ピラミッドへ目を向けてから、倉庫の奥へ戻った。

   *

 壁際の作業机を片づけ、四人は中央へノートを置いた。

 レオが地図を壁へ投影し、エマは古代の流路を重ねた。倉庫の壁には汚れや傷があったが、ピラミッド群と川の位置を見比べるには十分だった。

 創はノートにある三つの三角形を指した。

「これが三大ピラミッドなら、この間を探せばいいんだよね」

「私も最初はそう思った。でも、この図を上から見た地図として使うと、位置が少し合わないの」

 エマは実際の配置を示し、ノートをその横へ置いた。確かに三角形の並び方が違っていた。距離だけでなく、大きさの比率も揃っていない。

「宗助さんが、簡単に描きすぎただけとか」

 レオの言葉に、創は頷いた。

「父さん、絵は下手そうだし」

「見たことがあるのか」

 白石に尋ねられ、創はノートを見た。

「……これ以外は、あんまり」

「なら、まだ決めるな」

 エマは小さく笑い、端末の表示を立体図へ切り替えた。

「雑に描いた可能性もあるけど、大きさが違うのに理由があるなら、上からの配置じゃなくて、横から見た時の形かもしれない」

 画面には三つのピラミッドが現れた。エマが視点を動かすと、手前の一つが大きくなり、奥のものが一部隠れた。さらに角度を変えると、頂点の間隔も変わっていく。

 創はノートを持ち上げ、画面の横へ並べた。

 北側からでは合わず、南へ回っても三つの間隔が違った。エマは流路の表示を確かめながら、視点を東寄りへ移していった。

「ちょっと待って」

 創が声をかけると、画面が止まった。

「今のところ、似てない?」

 エマは少しだけ位置を戻した。三つの頂点の高さと、その間に見える斜面が、ノートの図へ近づいた。

 レオが投影を拡大し、エマは図の輪郭を重ねた。線のずれは残ったが、上からの地図として見ていた時より、ずっとよく合っていた。

「たぶん、この向きだと思う」

 エマが言うと、創は横にある一文を読み返した。

《王たちを、水の側から見ろ》

「場所を描いたんじゃなくて、川の方から見た景色だったのか」

「うん。少なくとも、この三角形はそう読むとつながる」

 創は図の下にある黒い点へ指を移した。

「じゃあ、これは?」

 エマはすぐには答えず、画面を地図へ戻した。ピラミッドを眺める向きと、推定された古い流路を行き来しながら、候補になる範囲を絞っていく。

「この見え方になるのは、東側のこの辺り。黒い点も手掛かりにするなら、まずはここを調べたい」

 表示されたのは、ピラミッド群から少し離れた岩場だった。レオが周囲を拡大し、道路や建物との位置関係を確かめた。

「目立つ施設はないッスね。遺跡の表示も出てない」

「入口があるのかな」

「そこまでは分からない。実際に立って、見え方を確かめる必要があると思う」

 エマの返事を聞きながら、創は椅子から腰を上げた。白石がその動きを見て、壁の時計へ目を向ける。

「今からは行かないぞ」

「近いんですよね」

「観光区域のそばで、四人が岩場を調べていたら目立つ。先に周囲の道を確かめて、暗くなってから動こう」

 創は何か言いかけたが、投影された地図を見て座り直した。目的地の周囲には道路があり、少し離れれば人の集まる場所もある。自分たちだけが、誰にも見られず調べられるわけではなかった。

 白石は創が座るのを見届け、レオへ道順の確認を頼んだ。

「今、何か言いたそうでしたよね」

 創が尋ねると、白石は端末を開いた。

「座ったから、もういい」

 エマが笑い、創もそれ以上は言わなかった。ノートを閉じて鞄へしまったものの、壁の岩場の表示だけは、しばらく見続けていた。

   *

 日が沈んでから、四人は倉庫を出た。

 ギザ周辺の夜は、創が想像していたほど暗くなかった。都市の明かりが空に残り、観光区域の近くには照明が並んでいた。道を外れれば姿を隠せそうに見えたが、建物の角にはカメラがあり、上空には巡回するドローンの光が動いていた。

 レオが建物の陰で足を止め、固定カメラの向きを確かめた。創も隣から覗き、光を点滅させながら横切るドローンを見上げる。

「あれ、止められないかな」

 白石がこちらを向いたので、創はすぐに言い足した。

「壊すんじゃなくて、通る間だけ」

「急に止まったら、確認に来るかもしれないッスよ」

 レオに言われ、創はドローンが進む先へ目を向けた。確かに、自分たちが通る場所の機器だけ動かなくなるのも不自然だった。

 創は声を落として《ヘルメス》と唱え、周囲の動きへ意識を集中した。

 カメラが向きを変える間隔や、ドローンが建物の向こうへ消えるまでの動きを、普段より細かく追えるようになった。目に入るものをすべて見ようとせず、四人が次の陰へ移るために必要な範囲だけを確かめる。

 しばらく観察したあと、創は能力を止めた。

「カメラが向こうへ戻って、今のドローンが建物の裏へ行ったら渡れると思う。走らなくても間に合う」

 レオも行き先を確かめ、頷いた。

 四人はその場で待ち、創の合図に合わせて移動した。角を曲がるまでの距離は短かったが、能力を使ったまま先へ進みたい気持ちを抑える方に注意が要った。次の陰へ入れば、また立ち止まって確かめられる。

 白石が追いつき、創の顔を一度見た。

「問題ないか」

「大丈夫です」

 創は答えてから、速くなった呼吸が落ち着くのを待った。以前なら立ち止まる時間が惜しかったはずだが、今は後ろの三人と一緒に進めていることを確かめてから、次の道を見た。

   *

 観光区域から離れると、足元へ届く明かりが減った。

 遠くにはピラミッドの輪郭が見えていた。建物越しに眺めた昼間とは違い、斜面が夜空の下へ大きく広がっている。創が歩きながら顔を上げると、先にいたレオが振り返った。

「足元も見てくださいよ」

「見てる」

 答えた直後に靴先が石へ当たり、創は少しよろめいた。レオは何も言わなかったが、その顔を見れば言いたいことは分かった。

 エマが笑いをこらえながら、創の横を通った。

「帰りに、もう少し見られるといいね」

「そうだな」

 創は今度こそ足元へ目を戻した。

 レオが端末で位置を確かめ、低い岩場の前で止まった。周囲には硬い砂地が広がり、岩の根元に小さな石が溜まっている。入口らしい穴も、階段も見当たらなかった。

「この辺りッス」

 創は岩場の端まで歩き、裏側を覗いた。細い裂け目はあったが、人が通れるほどではない。

「何もないな」

「まず、見える範囲を確かめよう」

 白石の言葉で、四人は離れすぎない範囲に分かれた。創は岩の裂け目を調べ、レオは簡易スキャナを地面へ向けた。エマはピラミッドの見える角度を確かめながら、候補の場所から少しずつ移動していた。

 十分ほど探しても、それらしいものは見つからなかった。

 創は手についた砂を払い、エマのところへ戻った。彼女はノートを開き、ライトの明かりを外へ漏らさないよう、身体で覆っていた。

「この点、入口じゃないのかも」

「うん。私もそう思い始めてる」

 エマは図を見直し、その先の頁をめくった。創も横から覗くと、いくつかの書き込みのあとに、小さな星の印があった。

《地上を見るな》

 創は声に出さずに読み、顔を上げた。

 都市の明かりで薄くなった夜空にも、明るい星はいくつか見えた。エマも同じように空を見てから、三つのピラミッドへ視線を移した。

「星も、見え方の一部なのか」

「たぶん。ここからの景色を、もう少し絞るための手掛かりだと思う」

 エマはノートの図と空を見比べ、数歩横へ動いた。創もついていこうとしたが、途中で止められた。

「創は、そこにいてくれる?」

「ここ?」

「うん。位置が分かるように」

 創がその場に立つと、エマは少し後ろへ下がり、ピラミッドの頂点を見た。次に横へ移ってから、創の足元と端末を確かめる。

「何を合わせてるの?」

「三つの頂点の間隔と、星が見える位置。最初の図に近いところでも、少し動くと重なり方が変わるから」

 レオも端末を開き、エマの位置を記録し始めた。白石は周囲を見渡し、遠くを動く明かりがこちらへ近づいてこないか確かめている。

 エマは何度か場所を変えたあと、一か所で足を止めた。

「ここから見てみて」

 創が隣へ立つと、エマはノートを低く掲げた。三つのピラミッドの上に、ひときわ明るい星が見える。手元の図と実際の景色を交互に見ると、先ほどよりも頂点の並びがよく合っていた。

「……似てる」

「黒い点は、入口じゃなくて、この景色を確かめる場所だったのかもしれない」

 レオが端末へ位置を残した。創は自分が先ほど調べていた岩場を振り返り、思わず息を吐いた。

「父さん、もう少し分かりやすく書いてくれてもよかったのに」

「分かりやすかったら、私たちより先に誰か来ていたかもね」

 エマはそう言ってノートを下ろし、そこから見える岩場を改めて眺めた。創もその視線を追った。

 近くにある大きな岩壁は、先ほど一度通り過ぎた場所だった。正面から見る限り、周囲の岩と変わらない。創は近づき、表面へ手を置いた。指先にざらつきが伝わったが、押せそうな部分も、扉の縁らしいものもなかった。

「ここも調べたと思うけど」

 レオがライトを向けると、エマは横へ回り込んだ。

「その明かり、一度消してくれる?」

 レオが照明を落とし、エマは自分のライトを壁際へ寄せた。浅い角度から照らすと、それまで見えていなかった細い影が表面に浮かんだ。

 創は顔を近づけた。

 線は途中で途切れながらも、一定の間隔で並んでいた。自然の亀裂にしては幅が揃い、隣り合うものが似た形を繰り返している。エマがゆっくりライトを動かすと、その影は人の背丈ほどの範囲に続いていた。

「これ、削ってあるッスね」

 レオが明かりの角度を変えて確かめた。白石も近づいたが、表面へ触れず、線の続く先を目で追った。

 創は一歩離れて岩壁全体を見た。さっきまで、探すべきものは穴や階段だと思っていた。何も見つからなかったのではなく、見つけたものを入口として考えていなかったのかもしれない。

 エマがノートの先を開き、指を止めた。

《彼らは声を鍵にした》

 創はその一文と壁面を見比べた。並んだ溝は、少なくとも自分の知っている文字には見えなかった。

「声って、ここに何か言うのかな」

「そうかもしれない。でも、まだ何を読めばいいのか分からない」

 エマはノートを閉じずに持ち、もう一度、岩壁へ光を当てた。長さの違う線や、途中でわずかに曲がる溝を、一つずつ確かめている。

「開けられそう?」

 創が尋ねると、エマは少し考えてから答えた。

「調べてみる。適当に声を出す前に、もう少し壁を見たい」

 創は頷き、彼女の手元を照らすようにライトを持ち直した。隣でレオが道具の入った袋を下ろし、白石は背後の道へ目を向けた。

 岩壁の細い溝が、斜めからの光の中に浮かんでいた。創はその形を追いながら、エマが次の手掛かりを探すのを待った。


 エマはライトの角度を変えながら、岩壁に並ぶ溝を確かめていた。

 長い線と短い線が、いくつかのまとまりを作っている。途中で幅が狭くなるものや、わずかに曲がるものもあったが、創には何を表しているのか分からなかった。エマもすぐに読み始めることはせず、端末で撮影してから、これまでに記録した文字と見比べていた。

「何か読めそう?」

「文字とは違うと思う。少なくとも、今まで見たものとは並び方が違う」

 レオが横から覗き込み、溝の長さを指で示した。

「音を出す時間とかじゃないスか。長い線なら長く、短い線なら短く」

「その可能性はあるね。ただ、高さをどうするのかが分からない」

 エマはノートの一文を見直したあと、壁から少し離れた。溝の並びに合わせて短く声を出し、次の音を長く伸ばしてみたが、岩壁には変化がなかった。

 彼女は続きを試さず、もう一度ライトを壁面へ向けた。創も明かりを動かし、線が途切れる先を照らした。

「下も見せて」

 エマに言われて光を落とすと、腰ほどの高さに丸い窪みが現れた。岩の凹凸に紛れていたが、横から照らすと縁の形が整っている。その隣にも、同じくらいの大きさの窪みが二つ並んでいた。

 創は一つへ手を近づけた。

「ここ、押せるのかな」

「まず見ろ」

 白石の声で手を止めると、エマが窪みの前へ屈み込んだ。内側をライトで照らし、縁に顔を寄せたあと、そのまま動かなくなった。

「どうした?」

 創が尋ねると、エマは片手を上げた。

「少し静かにして」

 四人が話すのをやめると、離れた場所を通る車の音が聞こえた。エマはそれが遠ざかるまで待ち、窪みへ耳を近づけた。

「中から音がする」

 場所を譲られ、創も同じように屈んだ。最初は自分の服が擦れる音しか分からなかったが、息を止めて待っていると、岩の奥から低い唸りが伝わってきた。ずっと同じ高さではなく、途中でわずかに変わっているようだった。

 顔を離すと、レオが隣の窪みを調べていた。

「こっちは、もう少し高いッスね」

 白石も最後の一つへ耳を寄せ、ほかの二つとは違う音がすると言った。

 エマはノートを開き、壁面と見比べた。

「壁の方から、音を出してるんだと思う。私たちが好きな音を選ぶんじゃなくて、これに合わせるのかもしれない」

「返事をするってこと?」

「試してみる」

 エマは最初の窪みへ戻った。しばらく音を聞いてから身体を起こし、同じ高さを探るように声を出した。

 一度目は何も起こらなかった。彼女はもう一度聞き直し、次は途中で音程をわずかに上げた。その時、壁の奥から低い振動が返ってきた。創は靴の裏へ伝わった感触に気づき、足元を見た。

「今、動いた?」

「音が返ってきたと思う」

 エマは窪みへ視線を戻し、同じ声をもう一度出した。今度は縁に沿って淡い青色の光が浮かび、声が途切れたあとも残った。

 レオが測定器を持ち上げたが、壁には触れず、その変化を記録した。

「反応してるッス。その音で合ってるのかも」

 二つ目の音は高く、短かった。エマは二度やり直してから合わせ、同じように光を点けた。最後の窪みでは、聞いている時間が長くなった。音の途中で高さが下がるらしく、彼女は小さく口の中で確かめてから首を振った。

 創はライトを持った腕を支え直した。何か手伝えることを尋ねたくなったが、エマが耳を澄ましている間は黙っていた方がよさそうだった。

 やがて彼女が顔を上げ、ゆっくり息を吸った。

 声は低く始まり、途中からわずかに下がった。そのまま静かに消えると、三つ目の窪みにも青い光が浮かんだ。

 床から伝わる振動が、今度ははっきりと強くなった。

「下がれ」

 白石の声に合わせて、四人は壁から離れた。窪みを囲んでいた光が細い溝へ広がり、先ほどまで見えなかった線を次々と浮かび上がらせていく。やがて人の背丈を大きく越える長方形が現れ、その中央に縦の隙間ができた。

 岩壁は、左右へゆっくり動き始めた。

 創は落ちてくる石を警戒して頭上を見たが、縁から少量の砂がこぼれただけだった。大きな面が動いているのに、耳障りな軋みもほとんどない。開いた隙間から冷たい空気が流れ、汗の残る首筋を冷やした。

 エマは声を出すのをやめたまま、動く壁を見つめていた。

「開いた……」

 創が明かりを向けると、奥には人が並んで歩けるほどの通路が続いていた。床は緩く下り、先の方は暗くて見えなかった。

 足を踏み出しかけたところで、白石が腕を出した。

「先に空気を調べる」

 レオは携帯センサーを取り出し、入口の内側へ差し入れた。数値が落ち着くのを待ち、白石と画面を確かめる。

「今のところ、警告は出てないッス」

「中でも測り続けろ。ここが大丈夫でも、奥まで同じとは限らない」

 創は待っている間に、開いた壁の断面を照らした。外からは自然の岩にしか見えなかった面の裏に、滑らかな黒い材質が覗いていた。

 白石が準備を確かめて頷くと、レオがセンサーを持って先へ入った。創はエマと視線を合わせ、彼に続いて入口を越えた。

   *

 最初の通路は、天然の洞窟を削って広げたように見えた。

 天井には低い部分があり、足元には細かな砂が残っていた。創は壁の突起に肩をぶつけないよう、ライトを前へ向けて歩いた。少し進んで振り返ると、入口の外の明かりは、もう小さくなっていた。

 地下へ下りるにつれ、靴の下から砂の感触が減っていった。床が平らになり、壁の凹凸も少なくなっている。やがて岩肌が途切れ、その先の通路は、入口の断面に見えた黒い材質で覆われていた。

 創は立ち止まり、境目へ光を当てた。

「ここから、作りが違う」

 黒い壁は光を強く反射せず、表面だけが薄く照らされた。石を積んだ目地も、板を合わせた継ぎ目も見当たらない。

 レオが壁面へ測定器を当て、位置を変えてもう一度確かめた。

「金属には見えないんですけど、電気は通すみたいッス」

「石なのに?」

「電気を通す材質はいろいろありますけど、これが何なのかは分からないッスね」

 エマは通路の先まで光を動かしていた。

「削った跡も見えない。これだけ長い面を、どうやって作ったんだろう」

「古代エジプトのものじゃないの?」

 創が尋ねると、エマは壁へ近づき、表面を横から眺めた。

「少なくとも、私が知っている石造技術とは違う。積んだものにも、岩を掘り抜いたものにも見えない」

 創は通路の奥へ視線を向けた。外にあった砂や風化した岩肌から、急に切り離されたようだった。傷みの少ない黒い面が続いているせいか、遺跡を探検しているというより、使われていない施設へ入っていく感覚に近かった。

 レオが空気の測定値を確認し、先へ進めると合図した。創は壁から離れ、三人と一緒に奥へ向かった。

   *

 しばらく進むと、黒い壁に赤褐色の絵が現れた。

 横向きの人物や、動物の頭を持つ姿が並び、その間に円形の記号が描かれている。創にも、ようやく見覚えのあるエジプトの壁画に思えた。

「こういうのを想像してた」

 創が光を向けると、エマはその一つへ近づいた。人物の輪郭を見ていた彼女は、すぐにライトを持つ手を横へ動かした。

「下に、別の線がある」

 創も隣から覗き込んだ。顔料の薄い部分に、細く刻まれた線が見えた。上に描かれた腕や衣装とは少しずれ、顔の輪郭も重なっていない。

「描き直したのかな」

「元の図に、別の絵を重ねたように見える。こっちも」

 エマが示した隣の人物にも、同じようなずれがあった。白石は二つを見比べ、顔料が剥がれた箇所へ光を向けた。

「この場所を作った者と、上から絵を描いた者が違う可能性もあるな」

「うん。年代は調べないと分からないけど、少なくとも一度に描かれたものではなさそう」

 エマは撮影を済ませ、少し先へ進んだ。

 通路が広くなったところには、壁一面を使った大きな図があった。中央に人が横たわり、その周囲を複数の人物が囲んでいる。顔料で描かれた衣装や手の形だけを見れば、死者に対する儀式のようにも見えた。

「オシリスかな」

 創が言うと、エマは壁全体へ目を動かした。

「そういう場面として描いたのかもしれない」

 白石が低い位置から照らすと、横たわる人物の下に、細長い台のような形が浮かんだ。そこから何本もの線が伸び、頭や胸、腹部、手足へつながっている。さらに台の下にも線が続き、周囲へ枝分かれしていた。

 創は一本の線を目で追った。

「これ、身体につながってるよね」

「単なる棺には見えないな」

 白石が光を動かすと、レオも屈んで下側の図を見た。

「台の下にも何かあるッスね。機械の内部を描いたみたいな」

「治療装置?」

 創が尋ねても、白石はすぐには答えなかった。身体へつながる線と、周りに立つ人物を順に確かめている。

「そう考えることはできる。ただ、何をしているところかは、これだけでは分からない」

「先生が病院で見たら、何だと思います?」

「患者につながる線だけでは、治療中なのか検査中なのかも分からんだろう」

 創は図へ目を戻した。言われてみれば、その人がけがをしているのか、眠っているだけなのかさえ、はっきりとは読み取れなかった。

「こっち、続いてる」

 エマに呼ばれ、三人は右側へ移った。

 同じ人物と思われる姿が、いくつかの場面に分けて描かれていた。最初は台の上へ横たわり、次の図では身体の周囲に線が集まっている。その先では上半身を起こし、最後の場面では、台のそばに立っていた。

 創は最初と最後を見比べた。

「少なくとも、起き上がれるようにはなってる」

「うん。身体の状態が変わるところを描いているんだと思う」

 エマは横たわる人物の周りに、あとから描かれた装飾を照らした。台を囲む線の一部が顔料で覆われ、儀式に使う道具のような形に変わっていた。

「もしかしたら、順番が逆だったのかもしれない」

「何の?」

「オシリスの話に合わせて、この施設を作ったんじゃなくて、この場所を見つけた人たちが、神話の形で理解したのかも」

 創は横たわる人物へ目を戻した。

「治療を見て、生き返ったと思ったってこと?」

「あるいは、この図を見て、そう読み取ったのかもしれない。何をしていた場所なのか分からなくても、横になっていた人が立ち上がるところなら、自分たちの知っている話に結びつけられるでしょう」

 レオは上から描かれた人物の顔と、その下に残る線を見比べた。

「じゃあ、復活の話に、ここのことが混じってる可能性もあるんスね」

「可能性はあると思う。ただ、絵を重ねた人たちが、どこまで知っていたのかは分からない」

 白石も頷いた。

「施設の方が古いとしても、それだけで神話の由来まで決められるわけじゃないからな」

 創は二人の話を聞きながら、自分の右腕へ触れた。

 ここに描かれているものが身体を治す装置なら、宗助がこの場所へ向かわせた理由にも関わってくるのだろうか。船の中で白石は、能力を生きるための機能として考えろと言っていた。そうした機能を、自分の身体の中だけでなく、施設と組み合わせて使うこともあるのかもしれない。

 レオが壁画を記録し終えると、エマはノートへ短く書き込んだ。創は台から起き上がる人物をもう一度見てから、先へ進む三人を追った。

   *

 奥へ行くほど壁画は少なくなり、代わりに細い溝が目につくようになった。

 壁の途中から床へ下りるものもあれば、何本かが合流して通路の先へ続くものもあった。創は装飾かと思ったが、角を曲がっても同じ線が続いているのを見て、レオへ声をかけた。

「これ、さっきから全部つながってない?」

「つながってると思うッス」

 レオは何か所かで足を止め、溝と、その周りの材質を測定した。

「周囲と性質が違うんです。線に沿って、電気を通す部分を作ってあるのかもしれない」

「壁の中に電線を入れてるんじゃなくて?」

「壁そのものが回路になってる感じッスね。まだ、どこまで続いてるか分からないですけど」

 創は足元を走る線へ光を向けた。それが奥へ伸びていくのを見るうちに、宗助の書いた「眠る道」という言葉が気になり始めた。

 通路の先で、ライトの光が急に届かなくなった。行き止まりかと思って顔を上げると、天井が高くなり、左右にも空間が広がっていた。

 正面には、巨大な黒い面が立っていた。

 創は少し後ろへ下がって光を上へ向けた。高さは十メートル近くありそうだった。中央には細い縦の継ぎ目が走り、その左右へ、数えきれないほどの溝が集まっている。

 床から続いてきた線も、壁や天井を通る線も、その黒い面へつながっていた。

「ここに集まってるッスね」

 レオは足元から扉の中央へ、ライトをゆっくり動かした。

 エマがノートを開いた。創も隣から覗いたが、どの文を探しているのかは、頁が止まる前に分かった。

《雷を得たなら、眠る道へ流せ。閉ざされた門は、お前の到着を待っている》

 創はノートから巨大な扉へ目を移した。

「ここなんだ」

 近づこうとすると、白石が先に声をかけた。

「まず調べる。能力は使うなよ」

「分かってます」

 創は足を止め、レオが測定器を準備するのを待った。

 レオは扉の表面と、その手前の床を調べた。溝に沿って位置を変え、何度か表示を確かめてから振り返る。

「導電性はあります。弱い電気的な反応も出てるんで、完全に止まってるわけじゃないのかもしれない」

「待機状態のようなものか」

「機械なら、そう考えたくなるッスね」

 創は床へ屈み、溝を間近で見た。表面に文字や記号は見当たらず、触れる位置を示す印もなかった。レオが測定を終えるのを待ち、白石を見上げる。

「ここ、触ってもいいですか。電気は流しません」

 白石は測定値を確かめてから、短く頷いた。

 創が指先を置くと、最初は冷たい感触しかなかった。ところが、そのまま待っているうちに、右手の奥へごく弱い痺れが伝わってきた。

 創は手を離した。痺れはすぐに消えた。

「何かある」

 レオが測定器を向け直した。

「こっちは、大きく変わってないッス」

「痛むのか?」

 白石に聞かれ、創は首を振った。

「痛くはないです。電気に近い感じだけど、流れ込んでくるのとは少し違う」

 白石がそばへ屈んだ。創はもう一度短く触れ、同じ感覚が戻るのを確かめてから手を離した。

「何かがつながりそうになる、というか……こっちから流したら、通り道ができそうな感じがします」

「そう感じるだけで、仕組みが分かったわけじゃないぞ」

「分かってます。でも、《トール》を使う時の感覚に似てるんです」

 創は床から扉へ続く溝を見た。力を強く出したいとは思わなかった。船で電球を点けた時よりも弱く、ごく短く流せば、今の感触が何なのか確かめられる気がした。

 白石はレオと測定値を見直し、それから創の右手を取った。指先の感覚や痺れが残っていないことを確かめ、手を離す。

「試すなら一度だけだ。反応がなくても、そのまま強くするな」

「はい」

 レオが記録を始め、エマは少し離れた位置から床と扉の両方へ光を向けた。

 創は手のひらを床へ置き、呼吸を整えた。小さく《トール》と唱えると、右手に慣れた感覚が集まってくる。その量を増やさず、指先から細く流した。

 青白い火花が一度だけ弾け、創はすぐに電流を止めた。

 しばらくは何も変わらなかった。創が手を離そうとした時、床の溝に淡い光が浮かんだ。それは指先の位置から扉へ向かって進み、数メートル先で弱くなって消えた。

 創は手を引き、レオの顔を見た。

「見た?」

「記録できてるッス。今の、反応しました」

 扉の中央の継ぎ目は変わらず閉じていた。作動音もなく、光ったのも床の一本だけだったが、創が流した電気に何かが応じたことは、四人とも見ていた。

 白石がもう一度手の状態を確かめた。創は痛みも痺れも残っていないと答え、立ち上がった。

「船の電球と、少し似てました」

「そうか」

「何かを壊すためじゃなくて、動かす方の使い方なんですね」

 白石は床へ目を向けたまま頷いた。

「少なくとも、この場所ではそう使える可能性がある」

 エマはノートの一文と扉を見比べていた。

「でも、開くところまではいかなかったね」

「線が一本だけだったからかな」

 創が言うと、レオは扉の表面へライトを向けた。細い溝は途中で枝分かれし、隣の線とつながって、複雑な形を作っていた。

「量が足りなかったのか、流す場所が違うのか、それもまだ分からないッス。強くすればいいとは思わない方がよさそうです」

 創は光の消えた床を見た。何も起こらなかった時より、もう一度試したい気持ちは強かった。少し場所を変えるか、少し長く流すだけで、次の反応が見られるかもしれない。

 白石が、創と床の間へ立った。

「今日は、流すのはここまでだ」

「もう一回だけでも?」

「一度だけと決めただろう。今の記録を見てから、次に何を変えるか考える」

 創は返事をせず、レオの測定器へ目を向けた。画面には、先ほどまでなかった波形が残っていた。レオはそれを保存し、同じ記録を別の端末にも移している。

 船の中では、失敗した理由が分からないまま電流を戻し、また明るさを変えてしまったことがあった。ここで同じことをすれば、失敗するのが電球一つで済むとは限らなかった。

「……分かりました」

 創は床から離れ、エマの隣へ立った。レオが線の配置を撮影し始めると、扉の上部へ光を向けるのを手伝った。

 入口を示す図も、岩壁の音も、ここまで来れば役目を終えていた。宗助が書き残した次の指示は、創の身体にある力を使わなければ確かめられないものだった。

 創はライトを持ち直し、床から扉へ続く一本の溝を見た。

 それが誰に使わせるために作られたのかは分からない。ただ、与那国で得た力に、この施設が応じたことは確かだった。

 光が消えたあとも、創にはその線だけが、ほかの溝とは違って見えていた。

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