第37話 眠る回路(2)
四つ目の記号は、途中に空白を挟み、その先に長い線が続いていた。
エマは扉の写真を拡大し、対応する系統の途中を示した。そこにはほかより幅の広い部分があり、何本かの細い溝が集まってから、再び一本へ戻っている。
「ここまで流して、一度止めるのかもしれない」
レオも床の線を調べたが、形だけで働きを決めることはできなかった。二人は、光が広い部分へ届いたところで止め、その後の変化を確かめることにした。
創の手が元に戻ってから、四つ目を試した。
弱い電流を流すと、青い光が床を進み、途中の広い部分へ入った。エマの声で創が止めると、そこだけは消えずに残った。
レオが画面へ顔を近づけた。
「今のところ、戻ってないッス」
創は手を置いたまま待った。電気を流していなくても、掌には弱い感触が返ってきていた。それが少し落ち着いた頃、レオが表示の変化を告げた。
「値が止まった。もう一度、同じくらいで」
創が流し直すと、残っていた光から先の線が明るくなった。今度は途中で途切れず、扉まで進んでいく。
四つ目が点灯した直後、足元へ低い振動が伝わった。
創はすぐに電流を止め、床から手を離した。扉の奥で音がした時とは違い、靴の下だけでなく、周囲の壁からも響いてくる。
白石が全員を壁から離し、天井を照らした。落ちてくるものはなかったが、振動は数秒続いた。
「今の、扉だけじゃないッスね」
レオが来た道を振り返った。エマもそちらへライトを向け、途中で手を止める。
「あそこ、光ってる」
通路の黒い壁に、細い線が一本浮かんでいた。先ほどまで暗かった溝に沿って、光が奥へ続いている。
創は自分の右手と、その線を見比べた。
「もう止めてるのに」
「施設の側で、動き始めた部分があるのかもしれない」
白石は振動が収まるのを待ち、レオへ測定値を確かめさせた。空気の数値には大きな変化がなく、扉の四つの系統も同じ明るさを保っていた。
エマは記録へ時刻を書き込み、通路に現れた光も撮影した。創はその間、床へ手を戻さずに待った。
*
最後の系統は、扉の中央へつながっていた。
ほかの四つが集まる場所に深い溝があり、そこだけは測定器の表示が落ち着かなかった。レオは器具を当て直し、隣の線と比べてから、もう一度同じ位置を測った。
「接触が悪いわけじゃなさそうッス。こっち側の状態が変わってる」
エマはノートの最後の記号を見ていた。線が閉じた輪を作っており、これまでのように、長く流すのか短く流すのかは読み取れない。
創はレオの画面を覗いた。表示はわずかに上がってから下がり、少し戻って、また動いていた。
「これに合わせるのかな」
白石が創を見た。
「何を合わせる」
「こっちが決めた量を流すんじゃなくて、向こうの変化を見ながら変えるんです。今までは止まってたのに、最後だけ動いてるから」
レオは画面から床へ目を移した。
「応答を返してるなら、あり得るッスね。ただ、何を合わせればいいのかは、まだ分からないです」
創は床へ屈み、能力を使わずに手を置いた。
初めて触れた時よりも、感触の変化が分かりやすかった。強くなったり弱くなったりするように感じたが、それが端末のどの値に対応するのかまでは説明できなかった。
「何か返ってくるのは分かります。ずっと同じじゃない」
白石はモニターを確認し、創へ顔を向けた。
「まず短く試す。合わないからといって、続けながら無理に探るなよ」
創は頷いた。
《トール》を起動し、掌へ伝わる変化を追いながら、ごく弱く電流を流した。扉の中央に光が浮かんだが、すぐに消えた。創はそこで止め、レオの方を見た。
「今、こっちが遅れた気がする」
「記録を見るんで、少し待ってください」
レオは直前の波形を表示し、床の反応と創の入力を並べた。完全に一致してはいなかったが、中央が光った瞬間だけ、二つの変化が近づいていた。
創はその部分を指した。
「この時、手に返ってくる感じが変わった」
「じゃあ、そこを手掛かりにできるかもしれないッス」
二度目は、光が少し長く残った。
創は消えたところで流すのをやめた。右手の痺れが先ほどより強くなっていたので、それを伝えると、白石は試行を中断させた。
創は膝から手を離し、その場で身体を起こした。扉の中央は暗くなっていたが、四つの系統は消えていない。休んでいる間に最初からやり直しになる様子はなかった。
エマがノートを置き、水を渡した。
「近づいてる?」
「たぶん。でも、合わせようとすると、強くしすぎる」
創はボトルを左手で持ち、右手を開いた。
「追いかけてるうちに、大きくなるんだと思う」
レオが端末を向けた。二度目の終わりでは、創の入力が施設側の変化より大きくなっていた。
「ここから外れてるッスね」
創は画面を見ながら頷いた。船で電球の明るさを戻そうとした時と似ていた。遅れた分を取り返そうとすると、必要な加減を越えてしまう。
白石は創の手と脈を確かめ、休息を続けさせた。痺れが薄れ、数値も落ち着いてから、もう一度だけ試すことになった。
創は床へ手を戻し、すぐには電流を流さなかった。掌へ伝わる変化をしばらく確かめ、追いかけなくても、その次を待てるくらいになるまで呼吸を整えた。
《トール》を使い始めると、中央がかすかに光った。創は光を強くしようとせず、前より出力を下げた。
手元の感触が弱くなる。そこで上げたくなるのを抑え、さらに少しだけ落とした。
掌へ返ってくる変化と、自分が流している電気の区別が、一瞬つきにくくなった。
扉の中央から青白い光が広がった。
それは途中で消えず、すでに点灯していた四つの系統へつながっていった。創はレオの声を聞いて出力を落とし、完全に止めてから手を離した。
右手の指先が震えていた。白石がすぐに手首を取り、創を床から離れさせる。
「胸は?」
「少し速いです。痛くはない」
白石はモニターの記録を見た。
「脈が一度乱れてる。もう使うな」
創は頷き、右手を身体の前へ寄せた。
その時、レオが扉へ顔を向けた。
「動く」
中央の継ぎ目に光が見え、その幅が少しずつ広がった。巨大な黒い面が左右へ動き、床から低い振動が伝わってくる。
四人は距離を取ったまま見上げた。
最初は暗闇しか見えなかったが、開口部が広がるにつれ、奥の床に細い光が灯った。それが通路の先へ延び、壁や天井にも次々と明かりが戻っていく。
創は何も流していなかった。右手は白石に取られたままで、指先の震えが治まるのを待っていた。それでも施設の反応は、扉の向こうへ広がり続けていた。
「電源は、別にあるんスね」
レオが奥を眺めながら言った。
「創の旦那が止めたあとも、動くところが増えてる」
白石は頷き、開いていく扉を見た。
「お前の電気は、起動のための入力だったんだろう。動かす力は、施設の側に残っていたようだな」
エマはノートを手にしたまま、明かりの増えていく通路を見つめていた。
創もその先へ目を向けた。宗助の書いた「眠る道」は、ただの比喩ではなかったらしい。誰も動かしていないように見えた場所で、今も使える仕組みが待っていた。
「父さんは、ここまで知ってたんだ」
返事はなかったが、ノートを見直す者もいなかった。
*
扉が開ききっても、四人はすぐには進まなかった。
レオが向こう側の空気を調べ、白石は創の脈と手の状態を確かめた。震えが収まり、胸の違和感もないことを確認してから、創はモニターをつけたまま立ち上がった。
扉の内側は、これまでの通路よりわずかに暖かかった。天井の方から低い作動音が続き、黒い壁の一部が半透明になっている。その内側を細い光が走っていた。
創は壁へ触れず、ライトを近づけた。
「本当に施設なんだな」
エマが隣で足を止めた。
「遺跡じゃなくて?」
「遺跡って、もっと壊れてるものだと思ってた。ここは、電気を止めてあった建物に入ったみたいだ」
エマも壁の中を動く光を見た。
「止まっていたから、残ったのかもしれないね」
通路は奥へ続いていた。曲がり角の手前で、先頭のレオが立ち止まり、右側へライトを向けた。
「ここ、違うものがついてる」
黒い壁に沿って、銀色の金属フレームが固定されていた。そこへ樹脂製のカバーが取り付けられ、何本もの配線が収められている。創にも見覚えのある部品の形だった。
「これ、新しくない?」
「現代のものッスね」
レオは固定金具を照らし、配線が延びる先を見た。
「後から持ち込んでる。しかも、ちょっと測りに来ただけの量じゃないです」
先へ進むと、同じような設備が増えた。
壁際に金属製のラックが並び、電源装置やモニターが固定されている。冷却機器から伸びる管が床を横切り、その先には簡易的な処置台のようなものがあった。
古い施設の中へ、別の研究室を組み込んだような光景だった。
白石は足を止め、台の上と、その周囲へ光を当てた。
「誰かが、ここを使っていたんだな」
「これだけ運ぶなら、人も相当いるッスよ」
レオは装置の側面へ近づいたが、操作部には触れなかった。足元から続く配線と、古代の壁へ接続された部分を見比べている。
その横で、暗かったモニターが点灯した。
創は反射的に振り向いた。画面へ文字が走り、接続の確認や同期処理を示す項目が次々と現れる。少し離れたラックでもファンが回り始め、別の装置に表示灯が点いた。
「触ってないよな」
白石に聞かれ、レオは両手を少し上げた。
「何もしてないッス」
機器は時間差で動き始めていた。古代の壁の中に光が広がったあと、そこへつながる現代の装置にも反応が起きている。
レオは接続部分を照らし、画面の表示を見た。
「古代側から、電力か起動信号が来てるのかもしれない。こっちも連動するように組んであるんだと思います」
「俺が流した電気で?」
「直接じゃないッス。旦那が起こした施設から、こっちにも何か伝わってる」
創は背後を振り返った。開いた扉は通路の向こうにあり、床の光はそこからさらに奥まで続いていた。
自分たちが動かした範囲は、扉一枚では収まっていなかった。
奥で新たな作動音がした。白石が立ち止まるよう合図し、全員の位置を確かめてから、角の先を照らした。
*
その先には、広い研究区画があった。
透明な容器が、金属の枠に支えられて何列も並んでいた。配管や太いチューブがそれぞれにつながり、側面には電子表示パネルが取り付けられている。通路で見つけたラックと同じ、現代の設備だった。
一番近い槽の中に、人がいた。
創は入口で足を止めた。液体の向こうに見えるのは、目を閉じた成人の男だった。身体には管がつながり、右肩から上腕にかけて、筋肉の形が不自然に膨らんでいる。
奥の槽にも人影があった。さらにその隣にも、同じように液体の中へ収められた身体が見える。
「……患者ッスか?」
レオが声を落とした。
白石は答えず、最も近い槽の表示へ向かった。創も後ろから覗いたが、項目が次々に切り替わっていて、何が起きているのか分からなかった。
体温、酸素化、循環、神経活動。表示が揃っていく中で、心拍の欄だけはゼロのままだった。
白石は隣の槽へ移り、そちらの画面も確かめた。
「先生、心臓、止まってるんですか」
「表示はそうなっている。ただ、測定が戻っていないのか、本当に拍動がないのかは、まだ分からん」
白石は画面の端へ目を近づけ、別の項目を読んだ。
「この装置が、何をどう維持していたのかも確かめる必要がある。勝手に開けるなよ」
創は頷いたが、男の顔から目を離せなかった。頬は痩せているのに、首や肩には盛り上がった部分があり、その違いがひどく不自然だった。
短い警告音が鳴った。
創が表示へ目を戻すと、ゼロだった心拍の欄に数字が出ていた。十二、二十四と変わり、やがて三十を越えた。画面の別の部分にも波形が現れ、繰り返し形を作り始める。
「先生」
「見てる」
白石は画面と男の身体を交互に確かめていた。創はその横で、槽の底に近い右手へ目を向けた。
男の指が動いた。
液体の流れに揺れたのかと思ったが、もう一度見ると、人差し指と中指がわずかに曲がっていた。
「今、手が」
言い終わる前に、隣の槽でも音がした。
その奥の表示にも光が戻り、別の列からも警告音が聞こえ始めた。レオは一番近い画面を見てから、配管のつながる装置へ視線を向けた。
「これ、一台だけじゃないッス」
低い作動音に、いくつもの電子音が重なっていった。白石は全員を見渡し、来た通路を指した。
「レオ、戻る経路を確かめろ。エマは装置から離れて。創、お前もだ」
エマが一歩下がり、レオは入口の方へ身体を向けた。
創も離れようとしたが、その時、男の瞼が動いた。何度か細かく震えたあと、ゆっくりと開いていく。
濁った瞳が液体の向こうで動き、創のいる方へ向いた。
創はその場で止まった。男の目が、本当に自分を捉えているのかは分からなかった。それでも、口元が動き始めると、顔を背けることができなかった。
声は聞こえなかった。
唇がもう一度動き、創には、助けて、と言っているように見えた。
「先生、この人――」
創が半歩近づいた時、槽の表面で小さな音がした。
透明な外殻に、細い線が現れた。照明の反射かと思うほど薄かったが、その先がゆっくり伸び、途中から二つに分かれた。
「創、下がって」
レオの声で、創は足を引いた。
亀裂は止まらず、男の胸元が見えるあたりまで広がっていった。創は距離を取りながらも、槽の中から視線を外せなかった。
男の口が、再び動いた。
助けを求めているのなら、何かしなければならない。だが、どうしてここに入れられ、何によって身体が変わり、槽を開ければどうなるのか、創には分からなかった。
白石は表示を確かめながら、創たちをさらに後ろへ下がらせた。その向こうで、男の目だけが、創のいる方へ向けられていた。




