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第11話 氷壁の神殿

地底へと続く漆黒の裂け目を、アルゴー号は雪崩とともに滑り落ちていった。

 どれほど落下したのか、もはや誰にも分からなかった。何度も岩盤へ車体を叩きつけられ、そのたびに火花が車内を走り、身体が座席から浮き上がるほどの衝撃が襲ってきた。

 それが、ある瞬間を境に嘘のように止まった。

 クローラーが硬い岩盤を捉え、ギャリ、ギャリと氷を砕きながら回転したあと、アルゴー号はようやく停止した。

「…………」

 誰もすぐには口を開かなかった。

 暗闇の中には、ディーゼルエンジンの低い唸りだけが残っている。

 やがてレオがゆっくりと顔を上げた。

「……助かった、のか?」

 返事はなかった。

 代わりに、アルゴー号のヘッドライトが前方の闇を照らした。

 その光景を見た瞬間、レオの顔から血の気が引いた。

「……嘘だろ」

 ハンドルを握ったまま、呆然と呟く。

「なんだよ……これ」

 バタガイカ・クレーターの最深部。地底千数百メートル。

 そこに広がっていたのは、自然が造り出した鍾乳洞でも、単なる地割れの底でもなかった。

 建造物だった。

 完璧な直角に切り出された漆黒の巨石が積み上げられ、その間には巨大な石柱が一本、また一本と、闇の奥まで規則正しく並んでいる。柱同士の間隔には寸分の狂いもなく、その表面には長い年月を経たはずの風化さえ、ほとんど見られなかった。

 氷の中に閉ざされながらも、黒い石肌だけは異様なほど滑らかだった。

 アルゴー号のヘッドライトが壁面を照らす。

 光は数十メートル先まで届いたところで、闇の中へ溶けた。さらに遠くへ向けてライトを振っても、その先にある暗黒は消えない。むしろ光のほうが、何かに吸い込まれていくように見える。

 天井も見えなかった。

 見上げれば、巨大なアーチらしき輪郭がはるか上方にわずかに浮かび、そのまま闇の中へ消えていた。

 高さも、幅も、奥行きも、人間が建物を造るときに想定する尺度とはまるで違っている。

 その中では、アルゴー号でさえあまりにも小さかった。キャンピングカー一台が、巨大な石柱の根元へ置かれた玩具のように見える。

 レオが乾いた声で呟いた。

「……これ、本当に地下か?」

 誰も答えなかった。

 エマが車外へ出る。

 靴底が薄い氷を踏んだ。

 パキッ。

 小さな音が広大な空間へ放たれ、それが遠く離れた壁から何度も返ってきた。

 パキ……。

 ……パキ……。

 ……パキ……。

 それだけで、この空間がどれほど巨大なのかが分かった。

 空気は極端に冷えていたが、地上のシベリアで感じた冷気とはどこか違っていた。乾いた冷気の中に、凍った土や鉱物、それに長い時間閉ざされてきた洞窟だけが持つ、金属にも似た冷たい臭気が混じっている。

 エマが小さく息を吸った。

「……古い」

 口にしてから、自分でも奇妙な表現だと思ったのか、少し苦笑した。

「変な言い方だけど……空気そのものが古い」

 創もアルゴー号から降り、足元の氷を踏んだ。

 パキッ。

 小さな振動が靴底から足へ伝わる。

 その瞬間、創の右手がわずかに震えた。

「……?」

 手のひらを見る。

 熱い。

 右手の奥から、微かな熱が湧き始めている。

 それと同時に、足の裏から何かが伝わってきた。

 ――ドン。

 ほんの一瞬。

 地面が震えたような気がした。

 創は顔を上げる。

「今……聞こえた?」

「え?」

 エマが振り返った。

「何が?」

「音……いや」

 創は言葉を止めた。

 音とは少し違う。

 もっと低く、身体の内側へ直接響いてくるような振動だった。

 ――ドン。

 もう一度。

 今度ははっきりと分かった。

 地面が微かに震え、その振動がアルゴー号の車体にまで伝わっている。

「待って」

 エマがすぐに端末を取り出した。

 画面に複数の波形が立ち上がる。

「……やっぱり」

 エマの瞳が鋭くなった。

「丹後で記録した波形と一致してる」

「丹後の石板と?」

 創が尋ねる。

「ええ」

 エマは端末を操作し、二つのデータを画面へ表示した。

 一つは、丹後の地下遺跡で記録された波形。もう一つは、今まさにこの地底神殿から拾っている波形だった。

 二本の線が画面上で重なっていく。

「ここ」

 エマが指を差した。

「低周波の周期がほぼ同じ。それから、この細かい振動……」

 波形を拡大すると、小さな山と谷が規則正しく並んでいるのが見えた。

「丹後の石板も、ただ一定の音を出していたわけじゃない。何かを発信して、それに対して別の周波数が返ってきていた」

「返事をしていた?」

「そう」

 エマが神殿の奥へ目を向ける。

「でも、ここでは規模が違う」

「どう違う?」

「丹後では、一枚の石板が発信源だった」

 エマの指が、現在の波形をゆっくりとなぞる。

 そして、途中で止まった。

「ここでは……神殿全体が発信源になってる」

 創の背筋を、冷たいものが走った。

 ――ドン。

 まただ。

 今度は足の裏から、はっきりと響いてきた。

 心臓の鼓動と、ほとんど同じ周期だった。

 創は無意識に胸へ手を当てた。

 ドクン。

 自分の心臓。

 ――ドン。

 地底の鼓動。

 ドクン。

 ――ドン。

 一瞬、二つの拍動が重なった。

「……創?」

 エマの声が、少し遠くに聞こえた。

 創は返事ができなかった。

 まるで、この地底に眠る何かが自分の存在を確認しているような、説明のつかない感覚があった。

「……行こう」

 白石が低い声で言った。

「ここに長居するのは危険だ」

     *

 アルゴー号は、巨大な神殿の回廊へと入っていった。

 クローラーが氷を砕くたび、ガリッという音が広大な空間へ放たれ、何度も反響しながら遠ざかっていく。

 エンジン音でさえ、この場所では妙に小さく感じられた。

 左右には巨大な石柱が延々と並び、その表面には丹後の石板とよく似た溝が無数に走っていた。

 血管のようにも見える。

 植物の葉脈のようでもある。

 人工的に刻まれたものなのか、それとも自然に形成されたものなのかさえ、判別できなかった。

 エマがライトを向ける。

 その瞬間、溝の一部が微かに青白く光った。

「……今、光った?」

 レオが振り返る。

「ええ」

 エマが答えた。

「でも、光源じゃない」

「じゃあ何なんだ?」

「……分からない」

 その言葉を口にしたエマ自身が、少し悔しそうだった。

 考古学者として、あるいは言語を研究する者として、未知のものに出会うことには慣れている。

 だが、これは違った。

 ここにあるものは、単なる「古い文明の遺物」ではない。

 今も動いている。

 その事実が、何より不気味だった。

 十分ほど進んだところで、白石が前方を見ながら声を上げた。

「……止まれ」

 レオがブレーキを踏む。

 アルゴー号がゆっくり停止した。

 ヘッドライトの先にあったものを見て、全員が息を呑んだ。

「……行き止まりッスか?」

 レオが呟く。

 回廊を丸ごと塞ぐように、巨大な壁がそびえていた。

 青黒く、半透明。

 氷であることは間違いない。

 だが、通常の氷とは明らかに違っていた。内部には細かな層が幾重にも重なり、まるで深い海の底をそのまま固めたような、不気味な色をしている。

 エマがセンサーを向けた。

「……厚さ、推定三十七メートル」

「三十七……?」

 レオが絶句する。

「最低でも、よ」

 エマが訂正した。

「内部まで正確に測れない。もっと厚い可能性がある」

 白石がゆっくり氷壁へ近づき、手袋越しにその表面へ触れた。

「……冷たい」

「氷なんだから当然でしょ」

 レオが言う。

「違う」

 白石は首を振った。

「これは冷たいというより……熱を拒絶している」

 ライトを向けると、氷の表面には無数の傷が残されていた。

 巨大なドリルで削った跡。

 レーザーを照射したような痕。

 爆薬を仕掛けたらしい黒い焦げ跡。

 だが、どの痕跡もせいぜい数十センチ程度で止まっていた。

 巨大な重機の掘削ブレードらしきものまで、折れた状態で氷壁の根元に転がっている。

「……アダム社」

 白石が呟いた。

「ここまで来ていたのか」

 エマが残骸を調べる。

「このドリル……かなり大型ですね」

「最新型だ」

 白石の声が低くなった。

「地上の鉱山なら、岩盤ごと削り取れる」

 レオが氷壁を見上げる。

「それが……これだけ?」

 削れた跡は、本当にわずかだった。

「そうだ」

 白石が答える。

「奴らは、この壁を突破できなかった」

 創は何も言わず、青黒い氷壁を見上げた。

 その向こうに何かがある。

 丹後の石板と同じ共鳴波。

 そして、父が残した言葉。

 ――永久の氷壁を融かすためにある。

 創は右手を握った。

 掌の奥で、熱が少しずつ強くなっていく。

「……俺なら」

 白石が振り返る。

「何?」

「俺の熱なら……この壁を融かせる」

 沈黙が落ちた。

 白石はすぐには答えなかった。

「……そうだな」

 やがて低い声で言った。

「おそらく、お前ならできる」

「じゃあ――」

「だが」

 白石の声が鋭くなる。

「問題は、その後だ」

     *

 白石は再び氷壁を見上げた。

「ここは閉鎖空間だ」

 それから創へ視線を戻す。

「数十メートルの氷を一気に融かせば、大量の水が発生する。それだけならまだいい」

「……水蒸気?」

「そうだ」

 白石は頷いた。

「もし一気に沸騰させれば、膨大な水蒸気が発生する。逃げ場のない地底空間では、圧力が一気に跳ね上がる可能性がある」

 白石は周囲を見渡した。

 巨大な石柱。

 閉ざされた回廊。

 出口と呼べるものは、彼らが通ってきた背後の一本だけだ。

「爆発的に膨張した水蒸気は、この空間そのものを破壊するかもしれない」

 エマの表情が強張った。

「私たちは……逃げられない」

「そういうことだ」

 白石は創を見る。

「そして、もう一つ問題がある」

 その視線が、創の右腕へ落ちた。

「お前自身だ」

 創は黙って白石を見る。

「今のお前は、ただ熱を出しているんじゃない。細胞そのものが、通常では考えられない速度でエネルギーを使っている」

 白石の声が重くなる。

「ミトコンドリアが働き続け、ATPを作る。作ったそばから使う。そして、また作る。だが、そのサイクルにも限界がある」

「……限界を超えたら?」

「細胞が壊れる」

 即答だった。

「筋肉だけじゃない。神経も、心筋も、肝臓も腎臓もだ」

 創は無意識に拳を握った。

「つまり……」

「お前の身体は、燃料を燃やして熱を出す機械じゃない」

 白石は言った。

「自分自身を燃料にして動いている」

 創の顔から表情が消えた。

「この壁を融かせるほどの熱を出せば――」

 白石は一度言葉を止め、それから慎重に続けた。

「細胞のエネルギーサイクルが戻らなくなる可能性がある」

 創には、その言葉の意味が分かった。

 医学を学んでいるからこそ、それが単に「疲れる」という話ではないことも理解できる。

 身体を構成している細胞そのものが、生命活動を維持できなくなる。

 心筋が止まれば終わる。

 脳細胞が耐えられなければ、終わる。

 腎臓が壊れれば代謝の破綻はさらに進み、そこから先は連鎖的に全身が崩れていく。

 氷を融かすために熱を出し、その熱で自分自身まで壊してしまう。

「……死ぬぞ」

 白石が静かに言った。

「創」

 その声には、これまでになかった焦りが滲んでいた。

「これは父親の研究を証明するための実験じゃない。お前自身の命が懸かっている」

 創は青黒い氷壁を見上げる。

 その奥から――。

 ――ドン。

 古代の鼓動が響いた。

 氷壁そのものが、ほんのわずかに震えたように見える。

 同時に、創の右手も熱を帯びた。

「……でも」

 創が呟く。

「向こうに何かある」

 エマが創を見る。

「石板?」

「分からない」

 創は首を振った。

「でも……親父は、ここに俺を来させようとしていた」

 白石の表情が険しくなる。

「だからこそ、やめろと言っている」

「先生……」

「お前の父親が何を考えていたかなど、今はどうでもいい!」

 白石が声を荒らげた。

「お前が生きて帰ることのほうが――」

 その言葉を遮るように、遠くから低い駆動音が響いた。

 ゴゴゴゴゴ……。

 三人が同時に振り返る。

 暗い回廊の向こうに、赤い光が一つ浮かんだ。

 続いて、もう一つ。

 さらに一つ。

 サイボーグのサーチライトだった。

「……来た」

 レオが呟く。

 続いて聞こえてきたのは、機械の駆動音だった。

 ギギギギ……。

 金属製の脚が氷を踏みしめる。

 ガシャン、と重い音が神殿の回廊を震わせ、その後ろからさらに複数の駆動音が続いてくる。

 数が多い。

 しかも、確実に近づいている。

 エマが一歩後退した。

「後ろは……」

 振り返った先には、青黒い氷壁。

 その向こうには未知の神殿。

 正面を見れば、絶対的な壁。

 背後を見れば、機械の軍勢。

 完全な袋小路だった。

 レオが小さく笑った。

「……参ったな」

 創は何も言わなかった。

 ただ、自分の右手を見つめる。

 そして、ゆっくりと首元の抑制パッチへ指をかけた。

 白石がすぐにその手を掴む。

「やめろ」

 創は白石を見る。

「先生」

「やめろ、創!」

 白石の手が震えていた。

「今のお前の身体で、これ以上やれば本当に戻れなくなる!」

 創は答えない。

 背後から、赤い光が少しずつ近づいてくる。

 ギギギギ……。

 正面には、何万年もの時間を閉じ込めた青黒い氷壁。その奥からは、古代の鼓動が一定の間隔で響いていた。

 ――ドン。

 創の心臓が応える。

 ドクン。

 ――ドン。

 ドクン。

 ――ドン。

 ドクン。

 気づけば、二つの鼓動は完全に重なっていた。

 創はゆっくりと、首元のパッチに指をかける。

「……俺が行く」

 白石が目を見開いた。

「創――!」

 ピッ。

 抑制パッチの固定音が鳴る。

 創の指がその端を掴み、ゆっくりと剥がし始めた。

「創、待て!」

 バリッ、と乾いた音を立てて抑制パッチが剥がれた。

 その瞬間、世界が止まったように感じた。

 直後、ドクンッ、と心臓が肋骨の内側を殴りつける。

「――ッ!」

 創の身体が大きく反った。

 さらにもう一度、激しい拍動が胸郭の内側を突き上げる。まるで心臓そのものが、内側から身体を破壊しようとしているかのようだった。

「創!」

 白石が駆け寄ろうとする。

「来るな……!」

 創は右手を押さえた。

 血管が異様なほど浮き上がり、その走行に沿って青白い光が皮膚の下を走っている。一本、また一本と、異常な発光が腕全体へ広がっていった。

「血圧が……!」

 白石が携帯モニターを確認する。

「急激に上がっている!」

 表示される数値が跳ね上がり、脈拍も異常な速度に達していた。

 創には、血液が全身を駆け巡る感覚があった。いや、それ以上だった。血管の一本一本に熱い金属を流し込まれているような感覚が、右腕から肩、胸、背中、首へと広がり、身体中の神経が一斉に悲鳴を上げている。

「ぐ……あ……ッ!」

 皮膚の下で細胞が目を覚ます。

 ミトコンドリアが異常な速度でエネルギーを生み出し、作られたATPが片端から消費されていく。身体は生きるためのエネルギーを必死に作っているはずなのに、それ以上の速度で使い続けていた。

「まずい……!」

 白石が呟く。

「代謝が上がりすぎている!」

 創は膝をつきかけたが、なんとか踏みとどまった。震える足へ力を込め、ゆっくりと右腕を見る。

 青白い光は、さらに強くなっている。

「……まだだ」

 声が震えた。

「まだ……いける」

 瞳には恐怖よりも強いものが宿っていた。

 創はそのまま、永久氷壁へ向かって歩き始めた。

     *

 数十メートル先に、青黒い氷壁がそびえている。

 間近で見ると、あまりにも巨大だった。壁というより、大地の一部そのものが凍りついたように見える。どこまで視線を上げても頂上は見えず、暗闇の中へ消えていた。

 創はその前で立ち止まった。

「エマ」

「うん」

「少し……離れて」

 エマは頷いたが、最後まで創から目を逸らさなかった。

 創は肺いっぱいに空気を吸い込む。

 冷たい。

 肺そのものが凍りつきそうなほどの冷気だった。

 それをゆっくり吐き出すと、喉の奥が震えた。

「……イグニ」

 低い声が神殿へ響いた。

 その瞬間、創の周囲で空気が歪んだ。陽炎のように視界が揺らぎ、足元の氷がジュウウウ……と音を立てて融け始める。

 白い蒸気が立ち上った。

「……フェル……」

 右腕の光がさらに強くなり、皮膚の表面から青白い光が漏れ出す。その周囲では空気が細かく弾け、バチッ、バチッ、と火花のような光が散った。

 エマが息を呑む。

「これ……炎じゃない」

 鼻を刺すような、オゾンにも似た臭いが広がっていた。

「空気が……電離してる」

 白石が呟く。

「プラズマ……」

 創の周囲で青白い光が渦を巻いている。

 見た目は炎に似ていた。だが、炎とは違う。

 熱せられた空気そのものが発光しているのだ。

 バチッ、と空間が弾けた。

 創は一歩踏み込む。

「……ウ……」

 声が途切れた。

 喉が焼けるように痛み、肺も悲鳴を上げる。

 それでも止めなかった。

「……ル……ッ!」

 最後の音を絞り出す。

「――イグニ・フェル・ウル!」

 その瞬間、創の右腕が青白い閃光に包まれた。

 ただの炎ではない。

 空気を電離させながら、極端なエネルギーを放つ光。

 プラズマ。

 その青白い光が、巨大な氷壁へ向かって伸びた。

「うおおおおおおおッ!」

 創が右腕を突き出す。

 ドゴォォォォォンッ!!

 プラズマが氷壁へ叩き込まれた。

 青黒い氷が一瞬だけ白く輝き、表面が急速に融けていく。

 だが、その直後だった。

 内部で生じた膨大な水が、一気に蒸気へと変わった。

「まずい!」

 白石が叫ぶ。

「伏せろォッ!」

 ズバァァァァァンッ!!

 爆発。

 白い蒸気の壁が氷壁の内部から噴き出し、逃げ場のない地底神殿を巨大な衝撃波が駆け抜けた。

「うわあああああッ!」

 エマの身体が吹き飛ばされる。

「エマ!」

 レオが硬化した腕で彼女を抱え込んだ。

 直後、アルゴー号の車体も激しく揺れた。

 ガンッ!

 衝撃波が装甲へ叩きつけられ、金属が大きくへこむ。フロントガラスには、蜘蛛の巣状の亀裂が一気に広がった。

 さらに後方では、赤い光が激しく乱れていた。

 追いついてきたサイボーグ部隊が蒸気の奔流に巻き込まれ、次々と吹き飛ばされている。

 巨体が宙を舞い、壁へ叩きつけられた。別の機体が転倒し、その上へさらに一体が突っ込む。

 ギギギギ――。

 ガシャァン!

 無数の金属音が神殿に響き渡り、やがて静かになった。

     *

「ぐ……あ……」

 創は、まだ立っていた。

 いや。

 立っているだけだった。

 右腕を氷壁へ突き出したまま、青白いプラズマを氷の内部へ押し込み続けている。

「創!」

 エマが叫ぶ。

 だが、創は答えなかった。

 身体はすでに限界を迎えていた。

 喉が異常なほど乾き、舌が口の中へ張りついている。唇は裂れ、身体の中から水分が消えていくような感覚があった。

 汗すら出ない。

 それなのに、全身は猛烈に熱かった。

 皮膚の下では血管が膨張し、毛細血管が次々と破れている。腕から飛び散った赤い雫は、床へ落ちる前に白い蒸気へ変わった。

「……ッ!」

 激痛が全身を走る。

 筋肉の一本一本が引き裂かれていくようだった。細胞はエネルギーを使い果たし、身体のすべてが「もう止めろ」と叫んでいる。

 脳が警告する。

 心臓も、神経も、限界を訴えている。

 それでも。

「……まだ……」

 創の右腕は動いていた。

「まだだ……!」

 氷壁の内部で、ピシッ、と小さな音がした。

 続いて、メキ、メキメキメキ……と低い破砕音が響き、巨大な亀裂が氷壁の奥へ走り始める。

「創!」

 白石が叫ぶ。

「もうやめろ!」

 創は首を振った。

「……ここまで来たんだ」

 声は掠れていた。

「俺は……」

 右腕が震える。

 それでも、さらに前へ押し込む。

「俺は……親父の答えを……」

 熱量がさらに上がった。

 青白い光が神殿全体を照らし出す。

「……知るんだッ!」

 ドゴォォォォォンッ!!

 氷壁の内部で巨大な破砕音が響いた。

 亀裂が一気に広がる。

 上から下へ。

 左右へ。

 蜘蛛の巣のように、氷壁全体へ走っていく。

「――貫けえええええッ!!」

 創は残された力のすべてを振り絞った。

 右腕から最後の熱量が放たれる。

 そして――。

 パリィィィィィンッ!!

 巨大な氷壁が崩壊した。

 何万年もの時間を閉じ込めていた青黒い氷が一斉に砕け散り、轟音と蒸気、無数の氷片が白い嵐となって前方へ吹き抜けていく。

 その向こうに、新たな空間が現れた。

「……!」

 エマが息を呑む。

 蒸気の向こうには、これまでの回廊とは比べものにならないほど巨大な空間が広がっていた。

 そして、その中央に何かが立っている。

 巨大な影。

 神殿そのものよりもさらに異質な、黒い構造物だった。

 輪郭だけが白い蒸気の向こうに浮かび上がっている。

「……あれは……」

 創が呟いた。

 だが、その直後だった。

 身体から力が抜ける。

「創!」

 エマが駆け寄った。

 前へ倒れ込んだ創の身体を、寸前で抱き止める。

「創! しっかりして!」

 右腕からは、まだ微かな熱が立ち上っていた。

 だが、先ほどまで全身を包んでいた異常な光は、もう消えている。

 白石も駆け寄り、すぐに創の手首へ触れた。

「脈を……」

 数秒後、表情が険しくなる。

「……速い」

 そして、弱い。

「重度の脱水……代謝性のダメージもかなりある」

「助かる?」

 エマが尋ねる。

 白石はすぐには答えなかった。

 創の胸へ手を当てる。

 かすかな鼓動。

 まだ生きている。

「……まだだ」

 白石が呟く。

「まだ、死んでいない」

 その言葉に、エマは創を強く抱きしめた。

「よかった……」

 だが、そのときだった。

 蒸気の向こうから――。

 ドン。

 地底の鼓動が響いた。

 それまでとは比べものにならないほど大きく、重い音だった。

 神殿全体が微かに震える。

 創の意識が途切れる直前、エマの腕の中で彼の右手がわずかに動いた。

 そして、暗闇の奥からもう一度。

 ドン。

 低い鼓動が響いた。

 何万年もの眠りを終えた何かが、ゆっくりと目を覚まし始めていた。

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