第9話 何もしていないはずの罪
腰が抜ける、という感覚を。
俺は初めて理解した。
立っているつもりだった。
だが気づけば、そこに座り込んでいた。
――違法越権行為の債務者。
――引きこもりの果ての殺人自殺者。
そして。
――俺。
「……ふざけるなよ」
喉の奥から、声が漏れた。
「なんで……俺が」
「同列なんだよ」
ただ、バスを少し遅らせただけだ。
誰にでもあるだろ。
ほんの数分。
たった、それだけのことだ。
「そんなことで……」
「いちいちこんな結果になるなら」
「……何もできないだろ」
アリだって踏めない。
呼吸するたびに、誰かに影響があるじゃないか。
それを全部、“因果”だと?
「あなたに“罪”があるわけではありません」
天使の声が、落ちる。
「問題は――」
ほんのわずかな間。
「あなたの“在り方”です」
在り方?
「他人の状況を想像しない」
「自分の視点からしか世界を見ない」
「それ自体を“罪”と呼ぶ者はいないでしょう」
静かに。
だが、逃げ場なく。
「しかし」
「あなたは“人がいる”という前提を、常に抜かしている」
――
心臓に、何かが刺さる。
「結果として」
「あなたは“事故が成立する世界”を選び続けた」
選んだ?
そんなつもりはない。
だが。
「……」
否定する言葉が、出てこない。
思い当たることは――ある。
他人に期待しない。
関わらない。
余計なことを考えない。
それが楽だった。
それが安全だった。
傷つかないための方法だった。
だが。
その積み重ねが。
いつの間にか――
「……他人を見ない」
それが、当たり前になっていた。
「……」
「違う……」
言葉が、弱い。
「それは……」
「俺だって……ちゃんと……」
――見ていたつもりだ。
だが。
本当に、見ていたか?
バスの後ろに並んでいた人間。
急いでいた運転手。
その先にいる、無数の生活。
「……」
考えたことがあったか?
――ない。
「……っ」
胸の奥で、何かが軋む。
「あなたは、何も悪くない」
天使が言う。
「だからこそ、自覚がない」
その一言で。
何かが、決定的に崩れた。
「あああああああああああああ!!」
叫びだったのか。
それとも、ただの破裂音だったのか。
分からない。
ただ。
今までなかったものが――
“流れ込んできた”。
――
俺は、学校を卒業したと言った。
だが、それは大学じゃない。
専門学校。
調理師の資格を取るための。
つまり。
中卒だ。
働いていたのは、酒を扱うチェーン店。
だから、出勤は遅い。
あの時間のバスに乗っていた理由だ。
あの席に座る理由も。
タイヤの上で不安定でも、腿を伸ばせるからだ。
長時間立ちっぱなしの仕事。
それだけで、足は限界だった。
給料は安い。
上がらない。
「転職すればいい」
簡単に言うやつはいる。
だが。
俺には“何もない”。
資格はある。
だが、技術がない。
現場で使えない。
どこが欲しがる?
そんな人間を。
気づけば。
世界が嫌になっていた。
誰の言葉も信用できない。
全部、裏があると思っていた。
だから。
見ないことにした。
関わらないことにした。
「……」
その結果が。
これだ。
俺は承認欲求に支配されたコンプレックスの塊
何も見ない様にすることで薄っぺらいプライドを守っていたんだ
「――あなたに足りないものが」
天使の声。
「理解できましたか?」
答えは、出ない。
出したくない。
だが。
理解はしてしまった。
その時。
視線を感じた。
顔を上げる。
崩れていたはずの女性が。
こちらを見ていた。
泣きながら。
明確な“何か”を。
俺に向けて。
逃げ場は、もうなかった。




