第九話「告白」
警察へ事故記録を提出する小野寺に同行した亮は、組織の資料から、小野寺が十年前に被害者へ口止めを頼んでいた事実を知る。亮が非公開情報を口にしたことで、小野寺は橋本消失への関与を疑う。秘密を守れば残存価値を維持できる。それでも亮は、自分が橋本を処分したと告白する。直後、別の選定員・御子柴慧が現れる。
《残り54時間29分》
須藤亮は、営業所の休憩室で決済端末を閉じた。
午前八時二十九分。
夜勤を終えた運転手たちが、売上金を数え、乗務日報を提出している。誰も、亮の端末に小野寺誠の顔が表示されていることを知らない。
昨夜まで、ここは小野寺を待つ場所ではなかった。
小野寺が先に来て、遅れてくる亮をからかう場所だった。
「本当に来たんだな」
入口から声がした。
小野寺は私服だった。紺色の上着の下に白いシャツを着て、灰色のファイルを抱えている。
「八時半まで待つって言ったでしょう」
「お前、約束を守るときだけ五分前に来るよな」
「一分前です」
「そこ訂正するところか」
小野寺は亮の向かいへ座らず、壁際に立ったままファイルを開いた。
中には十年前の事故報告書がある。
「原本ですか」
「そうだ」
「コピーは」
小野寺の手が止まった。
「取った」
「どこに置いたんですか」
「言わない」
「どうして」
「今のお前には、言わない方がいい気がする」
小野寺はファイルを閉じた。
「警察へ行く前に、橋本さんのことを話せ。お前が知ってる範囲でいい」
亮は答えを用意していなかった。
決済端末へ目を落とす。
昨夜まで施錠されていた《追加調査》が、正式任務の受諾後に開けるようになっている。
「少しだけ、待ってください」
「何を確認する」
「事故のことです」
「その端末でか」
亮は画面を小野寺から隠すように持ち直した。
「五分で終わります」
小野寺は何も言わなかった。
*
《対象者関連記録》
亮は、小野寺がすでに認めた事実から読み始めた。
事故発生日、十年前の六月十四日。
天候、雨。
運転者、橋本隆志。
運行前点検者、小野寺誠。
橋本は出庫前から三十八度を超える発熱があり、手の震えを小野寺へ訴えていた。欠員が出れば小野寺が夜勤へ回り、別居中の娘との面会に間に合わなくなる予定だった。
小野寺は点検済みの署名をして、橋本を出庫させた。
そこまでは、昨日聞いた話と同じだった。
続きがある。
事故翌日、午後四時十二分。
小野寺と橋本は、被害者の自宅を訪問している。
被害者は当時十九歳。雨の中を自転車で走行中、橋本のタクシーと接触し、右脚を骨折。手術後も可動域に障害が残った。
面談記録の音声が残っていた。
小野寺の声で、こう記録されている。
《会社全体の安全管理責任になれば、補償の決定が遅れる》
《橋本が体調不良を申告しなかったことにすれば、本人の保険で早く払える》
《点検担当者が発熱を知っていたという部分は、正式な申告から外してほしい》
被害者の母親は、治療費がすぐに支払われるならと同意した。
小野寺は点検表へ署名しただけではない。
自分の署名が意味する責任を知ったうえで、被害者へ口を閉ざすよう頼んでいた。
画面には当時の小野寺の収支まで表示されている。
離婚成立から三か月。
養育費、月額六万円。
家賃と自動車ローンを引けば、手元に残る金は二万円に満たない。懲戒解雇になれば、翌月から養育費を払えない状態だった。
《処分支持要素:自己保身を目的とした証拠改変への積極的加担》
《生存支持要素:扶養義務の継続を目的とした行為》
同じ行動が、二つの欄へ分類されていた。
娘を守りたかった。
だから、被害者と橋本へ責任を押しつけた。
決済端末は、どちらも事実として扱っている。
「五分、過ぎたぞ」
小野寺の声がした。
亮は画面を閉じた。
「警察まで、俺が送ります」
*
小野寺は後部座席へ座った。
いつもなら、助手席へ乗る。
新人の運転を見るときも、仕事終わりに同じ車で帰るときも、助手席だった。
亮はメーターを入れず、車を発進させた。
バックミラーの中で、小野寺は灰色のファイルを膝に置いている。
「警察へ着く前に、事故のことを聞かせてください」
「昨日話した」
「全部じゃない」
「何が聞きたい」
「事故の翌日、被害者の家へ行きましたよね」
小野寺が顔を上げた。
「補償を早くするためだと言って、橋本さん一人の責任にしてほしいと頼んだ」
車内の空気が変わった。
「誰から聞いた」
「答えてください」
「先にお前が答えろ。その話は、会社の報告書にも残ってない」
信号が赤になった。
亮は前方を見たまま言った。
「残っていました」
「どこに」
「消した側の記録に」
後ろの車からクラクションを鳴らされた。
信号は青に変わっていた。
亮はウインカーを出し、広い道路から脇道へ入った。コンビニの配送口の前を避け、少し先の路肩へ車を寄せる。
「ここで止めろって言う前に止めました」
「成長したな」
小野寺の声に、冗談の響きはなかった。
亮はエンジンを切った。
「本当なんですね」
「本当だ」
小野寺は前方を見た。
「橋本さんは朝から熱があった。俺に手が震えるって言った。代わりの運転手はいなかった。休ませれば、俺が夜まで乗ることになってた」
「娘さんとの面会があった」
「それも知ってるのか」
「はい」
「だったら、全部見たんだろ」
小野寺は乾いた声で笑った。
「最低だよ。娘に会いたかったから、熱のある人間を運転させた。事故が起きたら、今度は養育費を払いたいから首になれないって思った」
「橋本さんが、一人で責任を負うと言ったんですか」
「俺が頼む前にな」
事故の夜、橋本は営業所の裏で小野寺へ言ったという。
《俺は独り身だ。お前より失うものが少ない》
「それで、受け入れた」
「あの人が自分で決めたことだと思いたかった。俺が頼んだわけじゃない。そう言い続ければ、俺の責任じゃなくなると思った」
亮は決済端末を見た。
小野寺の言葉は、橋本が処分される前に亮が自分へ言い聞かせたことと似ていた。
資料を読んだ。
組織の推奨を見た。
最後は自分で決めた。
誰かに強制されたわけではない。
だから、誰かのせいにもできない。
「被害者の家で、俺が説明した。橋本さんが体調不良を隠して運転したことにしてくれれば、保険が早く下りるって。半分は本当だった」
「半分は?」
「俺の名前を報告から消したかった」
小野寺はファイルへ手を置いた。
「被害者の母親は、娘の手術代が必要だった。俺は、選べない人に選ばせた」
「今、警察へ行くのは、責任を取るためですか」
「分からない」
小野寺は即答した。
「橋本さんが消えて、怖くなっただけかもしれない。十年黙ってた自分に、まだ罪悪感があるって確認したいだけかもしれない。警察で全部話して、楽になりたいだけかもしれない」
「それでも、行くんですね」
「行かなかった十年よりはましだ」
亮は返す言葉を失った。
小野寺は、亮の横に置かれた決済端末を見た。
「今度は、お前が話せ」
*
「橋本さんが消えた日、お前は最後にあの人を乗せた」
小野寺は一つずつ確認するように話した。
「橋本さんは、お前に事故のことを話した。違うか」
亮は答えなかった。
「さっきお前が見てた端末に、消した側の記録がある。橋本さんの名前が消えたあとも、お前だけは知っていた」
決済端末に警告が現れた。
《対象への機密情報開示は禁止されています》
《違反した場合、残存価値を再査定します》
小野寺には、通常の決済画面に見えているはずだった。
「お前が、橋本さんを消したのか」
否定すればいい。
橋本を最後に乗せたことは認めても、処分については知らないと言える。
黒瀬から口止めされている。話せば自分も危険になる。小野寺を守るために黙る。
理由はいくらでも作れた。
亮は端末を裏返した。
「俺が処分しました」
小野寺は動かなかった。
「橋本さんから、事故を公表した方がいいか聞かれました。俺は、今さら明かさない方がいいと言いました」
亮は続けた。
「橋本さんを生かせば、小野寺さんの責任も分かる。俺の仕事にも影響する。だから、処分を選びました」
「処分って、何だ」
「戸籍も、口座も、免許も、仕事も、橋本隆志という名前に結びついたものを全部消すことです」
「死んだのか」
「生きています」
「どこで」
「分かりません」
「会えるのか」
「今の俺には、その権限がない」
「権限?」
小野寺が初めて、亮の方へ身を乗り出した。
「お前、何をやってる」
「人を、生存か処分か選ぶ仕事です」
「それを仕事って呼ぶのか」
亮は答えなかった。
「金も出たのか」
「十二万円」
「受け取った?」
「滞納していた家賃に使いました」
小野寺は目を閉じた。
怒鳴られると思った。
運転席のドアを開けられ、外へ引きずり出されても仕方がないと思った。
小野寺は後部座席のドアを開けた。
「小野寺さん」
「俺を守るためだった、なんて言うなよ」
「言いません」
小野寺は車を降りた。
「俺が自分を守りたかっただけです」
小野寺の足が止まった。
振り返らないまま言った。
「それを本人に言えたら、橋本さんは処分されなかったかもな」
ドアが閉まった。
*
警察署までは、歩いて十分ほどだった。
小野寺は灰色のファイルを抱え、一人で歩いていく。
亮は車をゆっくり動かし、後ろから追った。
警察署が見える交差点で、小野寺が振り返った。
亮は路肩へ車を止めた。
小野寺が運転席の窓まで来る。
「ここからは一人で行く」
「でも、電子記録には何も残ってません。俺が説明しないと」
「お前は来るな」
「橋本さんを消したことも、警察へ話します」
「今のお前が話せば、この紙まで消されるかもしれない」
小野寺はファイルを持ち上げた。
「コピーの場所を言わなかったのは、そのためだ」
「俺を疑ってたんですか」
「疑って正解だっただろ」
亮は否定できなかった。
「俺を生かすか消すか決める前に、自分が何をしたか考えろ」
「どうして、そのことを」
「お前、分かりやすいんだよ。昔から」
小野寺は警察署へ向かった。
入口の階段を上り、自動ドアの前でファイルを開く。中身を確かめてから、建物へ入っていった。
亮は追いかけなかった。
決済端末に通知が出る。
《機密情報開示を検知》
《残存価値を再査定しました》
《70→62》
続いて、小野寺の対象資料が更新される。
《組織推奨判定:処分》
《推奨信頼度:96%》
真実を話したことで、自分の価値が下がった。
小野寺を警戒させ、コピーの場所を聞き出すこともできなくなった。
組織の計算では、亮の告白は二人を悪い方向へ動かしている。
それでも、知らないふりを続けるよりはよかった。
そう思った直後、自分がまた選択を正当化していることに気づいた。
*
運転席の窓を、指の関節で叩く音がした。
配達用のヘルメットをかぶった男が立っている。
二十代後半。赤い防水ジャケットの胸元に、見覚えのない配達会社のロゴがある。背中には、大きな保温バッグを背負っていた。
亮が窓を少し開ける。
「ここ、駐車禁止ですよ」
「すぐに動かします」
「その前に一つだけ」
男は亮の決済端末へ目を向けた。
「対象本人に喋ったんですか」
亮は窓を閉めようとした。
男が自分の配達端末をガラスへ向ける。
料理の受取先と配達時間が表示されている。その画面の右上に、《91》という数字が浮かんでいた。
「俺も同じです。選定員」
亮は窓を開けた。
「名前は」
「御子柴慧。二十八歳。職業、配達員。そっちの資料には、そのくらい出るでしょう」
「俺のことを、どうして知ってるんですか」
「近くで別の選定員が機密違反すると、衝突警告が出るんですよ。事故を起こした車の近くに同業者がいる、みたいなものです」
「俺の対象に、何かするつもりですか」
御子柴は警察署の入口を見た。
「取ったりしませんよ。対象は変更できないし、他人の判定には触れない。それくらいは守ります」
「じゃあ、何の用です」
「忠告です。対象に本当のことを話すと、判定しづらくなります」
「どうしてですか」
「人間に見えてくるから」
御子柴は笑わなかった。
天気の話でもするように続ける。
「資料は、生存理由と処分理由を同じ条件で比べられる。本人に会うと、声とか家族とか、数字にしづらいものが入ってくるでしょう。あれ、邪魔なんです」
「会わずに決めるんですか」
「資料を読んだら、会う前に押します」
「それで間違えたら?」
「処分された人が、本当は必要だったかなんて証明できません」
御子柴は配達端末を胸元へ戻した。
「生存を選べば、その人が次に起こした問題まで残ります。処分なら、少なくとも予測された問題は起きない。判定としては、そっちの方が正確です」
「正確と正しいは、同じじゃない」
「でも、選定員を評価するのは正確さですよ」
御子柴は、亮の決済端末の《62》を見た。
「あなたも、すぐ分かります」
背を向け、警察署へ歩き出す。
「そこへ配達ですか」
「四階の生活安全課。カレー二つと、親子丼一つ」
御子柴は振り返らず、片手を上げた。
「対象じゃないですよ。今日は、ただの客です」
警察署の自動ドアが開く。
小野寺を判定する対象資料を持つ亮。
昼食を運ぶ御子柴。
二人の選定員が、別々の入口から同じ建物を見ていた。
亮の決済端末へ、新しい項目が表示された。
《近接選定員》
《御子柴慧》
《残存価値:91》
《稼働案件数:4》
《平均判定時間:11分42秒》
《処分率:93%》
その下に、亮自身の数字が並ぶ。
《残存価値:62》
《平均判定時間:49時間08分》
《処分率:33%》
小野寺の残り時間は、減り続けている。
《残り53時間41分》




