第八話「面談」
西新宿の無名オフィスへ呼ばれた亮は、自分が正義感ではなく「孤立していて操作しやすい人間」として選ばれたことを知らされる。正式任務を拒めば権限を失う。一方、小野寺は事故記録を警察へ持ち込もうとしていた。彼を救うには組織へ入るしかないと考えた亮は、任務を受諾する。最初の対象は、小野寺誠だった。
東洋アークタワービルのテナント案内には、六階だけ会社名がなかった。
一階、東洋総合保険。
二階、セントラル人材開発。
三階から五階にも、聞いたことのある企業の名前が並んでいる。
六階は、銀色の板だけがはめ込まれていた。
須藤亮は腕時計を見た。
午後二時五十六分。
営業所から急いで来たため、制服のままだった。小野寺誠が抱えていた灰色のファイルと、「明日の朝、警察へ持っていく」という言葉が、頭から離れない。
エレベーターホールに受付はなかった。
上昇ボタンを押しても反応しない。六基ある扉の上には、階数表示さえ点灯していなかった。
亮の決済端末に案内が出た。
《認証してください》
壁に埋め込まれた黒い読み取り部へ、端末をかざす。
一番奥の扉だけが開いた。
中に階数ボタンはなかった。亮が乗ると扉が閉まり、そのまま上昇を始める。
到着した六階には、廊下と一枚のドアしかなかった。
社名も、部屋番号もない。
亮がノックする前に、ドアの向こうから声がした。
「入ってください」
黒瀬梓の声だった。
*
面談室には、机と椅子が二脚ずつ置かれていた。
窓はない。壁も床も白く、監視カメラらしいものは見当たらない。
机の中央には、名刺ほどのカードが二枚ある。
一枚は白。
もう一枚は黒。
黒瀬は机の向こう側に座っていた。第七話で乗客として現れたときと同じ黒いスーツ姿だった。
「十五時ちょうどです」
壁の時計を見て言った。
「俺が来なかったら、どうするつもりでした」
「来ると判定されていました」
「判定が外れることもあるでしょう」
「あります。その場合は、来なかったという結果を使って、あなたを再評価します」
亮は椅子へ座らず、白と黒のカードを見た。
「先に聞かせてください。小野寺さんが持っている事故報告書を、どうするつもりですか」
「その質問は、現在のあなたの権限では回答できません」
「橋本さんを消したのは、俺です。小野寺さんは関係ない」
「橋本隆志さんに関する判定は終了しています。ここは、あなたの面談を行う場所です」
「なら、早く始めてください」
亮は椅子を引いた。
黒瀬が決済端末を机の上へ置くよう指示した。
亮が従うと、白い壁の一面に文字が浮かび上がった。
《選定員候補 須藤亮》
その下に、亮の経歴が並ぶ。
二十五歳。未婚。扶養家族なし。
東西自動車入社以前に、短期の職歴が四件。
実家との通話、過去一年間で三回。
交際相手なし。
家賃、二か月滞納。
職場で私的な相談が可能な相手、一名。
亮は最後の一行を見た。
《小野寺誠》
「俺が選ばれた理由ですか」
「一部です」
「誰にも必要とされていないから?」
「組織が重視したのは、あなたが消えた場合の影響ではありません。選定員として継続して働けるかどうかです」
「同じことじゃないですか」
黒瀬は別の資料を表示した。
タクシー車内での会話記録だった。
退職を迷う若い乗客へ、亮が「本人が決めること」と答えた場面。橋本へ、事故のことを今さら明かすべきではないと助言した場面。三崎へ、南部とは別れた方がいいと言った場面。タネへ、生きていてほしいと答えた場面。
「あなたは、他人から相談されやすい。その一方で、相談の結果について責任を求められることを避ける傾向があった」
「過去形なんですね」
「橋本さんを判定して以降、その傾向に変化が見られます」
「人を消せるようになった」
「自分の判断が誰かの人生を変えることを、受け入れ始めた」
「言い方を変えただけでしょう」
「はい」
黒瀬は、あっさり認めた。
壁の表示が切り替わる。
《低い対人拘束》
《経済的不安定》
《助言行動への親和性》
《権威への反発傾向》
《救済可能性提示時の高い従属性》
亮は最後の項目を読み返した。
「救えると思わせれば、言うことを聞く」
「簡潔に言えば、そうなります」
「俺を選んだんじゃない。使いやすい人間を探しただけだ」
「その評価を否定する資料はありません」
正義感を認められたわけではない。
三崎を生かした判断も、タネを救った判断も、亮という人間の価値ではなく、操作方法を知るための材料にされていた。
「あなたも、同じ理由で選ばれたんですか」
黒瀬の右手が、左手の爪へ触れた。
「今日は、私の面談ではありません」
*
黒瀬が机へ指を触れると、白いカードに《受諾》、黒いカードに《返上》という文字が浮かんだ。
「見極め期間は終了しました。正式な選定員となるか、候補資格を返上するかを選んでください」
「正式任務は、これまでと何が違うんですか」
「対象との偶然の出会いを装う必要がなくなります。対象は組織が指定します。あなたには調査と接触の権限が与えられ、判定に必要な資料を閲覧できます」
壁に規則が表示された。
一件につき、対象は一人。
判定期限は七十二時間。
判定開始後、対象の変更はできない。
《生存》《処分》の確定後、判定は撤回できない。
対象への接触方法は、選定員に委ねられる。
判定結果に応じて、報酬および残存価値を再計算する。
「指定された相手を、俺が乗せるんですか」
「乗客になるとは限りません。あなたが接触方法を選びます」
「処分された人は、どこへ行くんです」
黒瀬は、すぐには答えなかった。
「橋本さんは生きています」
亮は机へ手をついた。
「本当ですか」
「はい。ただし、橋本隆志としてではありません」
「会えますか」
「現在のあなたには、処分後の対象に関する閲覧権限がありません」
「正式任務を受ければ?」
「権限は段階的に与えられます」
「結局、何も答えてない」
「生存しているという質問には答えました」
黒瀬は必要な規則には答える。だが、答えた内容によって、さらに別の扉があると分からせる。
橋本は生きている。
名前も仕事も家族との関係も失ったまま、どこかにいる。
「候補資格を返上したら、俺が処分されるんですか」
「直ちに対象となるわけではありません」
黒瀬は黒いカードを示した。
「選定員候補として付与された権限は失効します。残存価値は、機密情報への接触、規則違反、組織へ与える危険性を含めて再査定されます」
「今の七十から、いくつになる」
「選択前に結果は提示されません」
「選べるように見せてるだけだ」
「選択肢は二つあります」
「黒を取れば、俺の価値を下げる。ゼロになれば、俺も対象になる。そうなると分かっていて、選んだのは俺だと言うつもりでしょう」
「橋本さんのときも、あなたは自分で押しました」
亮は黒瀬を見た。
橋本の顔写真。
黒い《処分》。押したときの指先の感触まで思い出せる。
組織が資料を作り、期限を設け、恐怖を与えた。
それでも最後に押したのは、自分だった。
*
机の上の決済端末が鳴った。
小野寺からメッセージが届いている。
《明日九時、警察へ行く。お前が話す気になったなら、八時半まで待つ》
亮が読み終えるのと同時に、同じ文章が白い壁にも表示された。
「どうして、これがそっちにも出るんですか」
「面談に関係する情報だからです」
表示が、営業所の車庫を映した映像へ変わる。
灰色のファイルを開き、事故報告書を複合機へ置く小野寺。原本とコピーを分け、片方を茶色い封筒へ入れている。
撮影時刻は、午後三時十二分。
現在の映像だった。
「止めてください」
「停止しますか」
「映像じゃない。小野寺さんの監視をです」
「それを決定する権限は、私にはありません」
亮は椅子を立った。
「警察へ行く人間を、どうするつもりです」
「あなたの権限では回答できません」
「さっきから、そればかりだ」
「正式任務を受諾すれば、必要な情報へアクセスできます」
亮は黒瀬の意図に気づいた。
小野寺の映像を見せたのは、質問に答えるためではない。
白いカードを取らせるためだ。
「これも、救えると思わせれば従うっていうやつですか」
「判断材料の提示です」
「小野寺さんを材料にするな」
「対象を人間として見るか、判断材料として見るかは、選定員によって異なります」
「まだ俺は選定員じゃない」
「ですから、選んでいただいています」
亮は白いカードを見た。
受諾すれば、小野寺に関する資料を見られる。組織が彼を狙っているなら、先に知ることができる。
返上すれば、組織との関係を切れるかもしれない。
ただし、小野寺がどうなるかを外から見ていることしかできない。
「任務を受ければ、対象を生存にできますか」
「判定は、あなたの権限です」
「組織の推奨に反しても?」
「あなたは、すでに二度反しています」
「それでも俺を選ぶのは、どうしてですか」
黒瀬は壁の映像を消した。
「最終的に、組織の正しさより、自分の正しさを選ぶ人間だからです」
「それは、組織にとって都合が悪いんじゃないですか」
「自分の正しさを信じる人間は、そのための権限を手放せません」
亮は何も返せなかった。
橋本を処分したとき、残存価値が上がった。
三崎とタネを生存させたとき、正しいことをしたと思いたかった。
黒瀬の言うとおりだった。
もう一度選べるなら、次は間違えない。
権限があれば、誰かを救える。
その考えを、亮は捨てきれない。
「白を選んだ理由も、記録するんですか」
「はい」
「なら、そう書いてください。あなたたちを信用したわけじゃない。中に入らないと、壊す場所も分からないからだ」
「記録します」
亮は白いカードへ指を置いた。
カードの文字が、《受諾》から《正式任務を開始》へ変わる。
指を離せば、まだ戻れる。
小野寺が封筒へ事故報告書を入れる姿が浮かんだ。
亮はカードを押した。
机の上の決済端末が、白く点灯した。
《選定員登録完了》
《須藤亮》
《残存価値:70》
「登録を完了しました」
黒瀬が告げた。
「あなたは、今日から正式な選定員です」
*
机の中央に細い隙間が開き、一枚の資料が押し出された。
表面には《正式任務・第一号》と印刷されている。
亮は紙を取った。
対象名を見た。
《対象:小野寺誠》
亮は黒瀬を見た。
「最初から決まっていたんですか」
「正式任務の対象は、登録後に開示されます」
「答えになってない」
壁面に、小野寺の顔写真が表示された。
その横に、処分を推奨する理由が並ぶ。
十年前の接触事故における虚偽証言。
運行前点検記録の改変への加担。
機密処理後の証拠保有。
警察への情報開示予定。
続いて、生存を支持する項目が表示された。
過去の責任を認め、出頭する意思。
別居中の娘への養育費の継続。
新人運転手の事故防止への寄与。
組織による記録改変を証明できる、唯一の当事者。
最後の項目を見て、亮は顔を上げた。
「証拠を持っていることが、処分する理由で、生かす理由でもある」
「人間の行動は、一つの意味だけを持つとは限りません」
《組織推奨判定:処分》
《推奨信頼度:94%》
決済端末には、白い《生存》と黒い《処分》が現れた。
亮は白い《生存》へ指を伸ばした。
その直前、警告が表示される。
《判定確定後の変更はできません》
橋本のときと同じ規則だった。
感情だけで押せば、小野寺を生かせる。
だが、生存を選んだあとで、組織が小野寺の告発をどう妨害するのかは分からない。資料にも、まだ開いていない項目がある。
亮は指を止めた。
残り時間が表示される。
《71時間59分59秒》
数字が一秒減った。
小野寺から、もう一通のメッセージが届いた。
《橋本さんのこと、お前が知ってるなら、一緒に話そう》
亮はその文面を読み、小野寺の顔写真を見た。
第一話から、自分が断れないたびに代わりに断り、失敗するたびに教え、橋本の説教から逃げる口実まで作ってくれた男。
その男の人生を、今度は自分が選ぶ。
《71時間59分41秒》
残り時間だけが減り続けていた。




