第五話「常連」
三崎の告発でミナミ商事への捜査が始まり、二十七人の社員が自宅待機となる。亮は自分の生存判定が生んだ損害を突きつけられる。そんな中、常連客の藤堂タネから、借金を繰り返す息子を相続から外したと相談される。亮は「自分を守るべきだ」と断言する。しかし降車後、判定対象に表示されたのは息子ではなくタネだった。
『ミナミ商事をめぐる不正会計事件で、新たに複数の関連会社が捜索を受けました』
営業所のテレビから、聞き慣れた社名が流れた。
須藤亮は日報を書く手を止めた。
画面には、西新宿の雑居ビルへ段ボール箱を運び込む捜査員たちが映っている。何度も出入りしたミナミ商事の本社だった。
『内部告発を行った女性社員も、会社の資金を不正に得た疑いで事情聴取を受けています。会社側は主要な取引を一時停止し、社員二十七人を自宅待機としました』
二十七人。
三崎唯を生存させる直前、決済端末に表示された人数と同じだった。
テレビでは、自宅待機になった社員が顔を隠して取材へ答えている。
『私たちは何も知らなかった。来月の給料が出るかも分からないって、急に言われても……』
亮は視線を落とした。
机の下に置いた業務鞄から、低い電子音が鳴る。
誰にも見られないように決済端末を確認した。
画面には、通常の精算表示へ重なるように新しい文字が浮かんでいた。
保証対象:三崎唯。
現時点の推定社会損失:八千九百万円。
判定保証人:須藤亮。
残存価値:64。
損失額は、第4話の判定時より三百万円増えていた。
残存価値はまだ下がっていない。
ただ、三崎を生かした結果だけが、請求書のように積み上がっていく。
「朝から暗い顔してんな」
小野寺誠が缶コーヒーを片手に隣へ座った。
「知り合いでもいるのか、あの会社」
「いえ」
「じゃあ、そんな真剣に見るな。自宅待機になった連中まで、お前が責任感じる必要ないだろ」
亮は端末の画面を閉じた。
「そうですね」
「あの会社が悪いことしたなら、遅かれ早かれこうなってる」
小野寺はテレビを一瞥し、缶コーヒーを開けた。
「内部告発した人は、正しいことしたんじゃないですか」
「正しいんじゃないか」
「そのせいで、関係ない人が仕事を失っても?」
小野寺は缶を口へ運ぶ手を止めた。
「何かした奴と、責任取らされる奴が別なのは珍しくないだろ」
「それでいいんですか」
「いいわけない。でも、今のお前が考えて答え出る話でもない」
小野寺はコーヒーを飲み、立ち上がった。
「それより、九時の予約入ってるぞ。藤堂さん」
その名前を聞き、亮は少しだけ息を吐いた。
藤堂タネ。
週に二度の透析送迎。亮が入社して間もない頃から担当している、数少ない常連客だった。
*
西早稲田の都営住宅へ着いたのは、午前八時五十分だった。
古い住棟の前に、タネはすでに立っていた。
七十四歳。紺色のカーディガンに、淡い紫の帽子。片手には通院用の布バッグ、もう一方の腕には大きな紙袋を抱えている。
亮が車を寄せる前に、ランドセルを背負った二人の子どもがタネへ駆け寄った。タネは片方の少年へ「朝ごはん食べた?」と訊き、紙袋から小さなパンを渡した。向かいの住棟から出てきた男性には、「三〇五号室の伊原さん、昨日からカーテンが閉じたままだから見ておいて」と声をかける。
誰に頼まれたわけでもない。タネにとっては、病院へ行く前のいつもの確認らしかった。
亮は車を降り、紙袋を受け取った。
「おはようございます。今日は荷物が多いですね」
「子ども食堂に持っていく古着なの。病院の近くに回収場所があるでしょう」
「これ、全部一人で持ってきたんですか」
「まだそれくらいできますよ」
タネは笑った。
後部座席へ乗るのを見届け、紙袋をトランクへ入れる。自動ドアを閉めて運転席へ戻った。
「東京医科大学病院でよろしいですか」
「お願いします」
メーターを入れ、車を発進させる。
「須藤さんの運転は、曲がる前にちゃんと分かるから安心するの」
「分かるんですか」
「急に体が持っていかれないもの。上手な人は、止まる前から止まるって分かるのよ」
褒められるたび、亮は反応に困った。
「まだ一ヶ月ですけどね」
「一ヶ月でも、上手な人は上手よ」
決済端末の隅には64と表示されている。
タネはもちろん気づいていない。
いつもの道を走る。戸山公園を回り、西新宿方面へ向かう。
今日はタネの口数が少なかった。
信号待ちでミラーを見ると、膝の上に白い封筒を置いている。表には《公正証書》という文字が見えた。
「何かありました?」
亮が訊くと、タネは封筒をバッグで隠すようにした。
「そんな顔してた?」
「いつもより静かなので」
「須藤さん、よく見てるのね」
タネは困ったように笑った。
「息子のことでね」
信号が青になる。
亮は前を向き、車を進めた。
「一人息子がいるんだけど、昔からお金にだらしなくて。仕事も続かないし、競馬とかパチンコとか。何度も借金を作ってるの」
「藤堂さんが返してるんですか」
「最初のうちはね。でも、返してあげるほど金額が増えるのよ」
タネは封筒の上へ手を置いた。
「今回は、私が持ってるものを担保にして金を借りろって。大した財産じゃないのよ。夫が残してくれた少しの預金と、あとは保険くらい」
「断ったんですよね」
「ええ。先週、遺言も書き換えてきたの」
「遺言?」
「あの子には、一円も残さないことにしたの。残ったものは、団地の子ども食堂に寄付する」
トランクの紙袋も、その子ども食堂へ渡すものだった。
「これで、あの子も諦めると思う」
タネはそう言ったが、声には迷いがあった。
「自分の子どもを見捨てるなんて、ひどい母親かしら」
また、答えを求められた。
以前なら、家族のことだから本人同士で話した方がいい、と返していた。
しかし、三崎へ「別れた方がいい」と言ったことで、彼女は告発と自首へ動いた。二十七人が自宅待機になった一方、会社の不正は明るみに出た。
曖昧な言葉より、断言の方が人を動かす。
「藤堂さんは、ご自分を守った方がいいです」
亮は言った。
「これ以上お金を渡したら、息子さんのためにもならないと思います」
タネの表情が緩んだ。
「そうよね」
「間違ってないと思います」
「須藤さんにそう言ってもらえると、間違ってなかったって思えるわ」
胸の奥に、小さな満足感が生まれた。
自分の言葉が、誰かの決断を支えた。
橋本のときとは違う。
「人に迷惑をかけてばかりの人は、どこかへ消えてくれた方がいいのかもしれないわね」
タネは窓の外を見ながら言った。
「そんな」
「息子のことよ」
タネは笑った。
だが、その笑顔が一瞬だけ途切れた。
「私も、ずいぶん人に迷惑をかけてるけど」
「藤堂さんは違うでしょう」
「どうして?」
「病院へ通うのは、迷惑じゃないです」
「そうかしらね」
タネは、それ以上何も言わなかった。
*
病院の車寄せに、作業着姿の男が立っていた。
四十五歳前後。伸びた無精髭。片手に薬局の袋、もう一方にスポーツバッグを持っている。
タネは男を見るなり、顔をこわばらせた。
「どうしているの」
「薬、忘れてただろ」
男が薬局の袋を掲げた。
「慎吾さんですか」
亮が訊くと、男は警戒するようにこちらを見た。
「誰です?」
「いつも病院まで送ってくださる須藤さん」
タネは亮へ向ける声だけを柔らかくした。
「またお金の話をしに来たの?」
「違う。薬と着替え持ってきたんだよ」
「それを渡したら帰って」
「来月の支払い、どうすんだ」
「私のお金で払います」
「その金が足りないって言ってるんだろ」
慎吾の声が大きくなる。
病院の警備員がこちらを見た。
「ここでやめて」
「金がなきゃ、来月からここへ通えないだろ」
「だからって、また借金を増やすの?」
「俺の借金だけじゃない!」
慎吾の声が車寄せに響いた。
タネは返事をせず、薬の袋を奪うように受け取った。
「須藤さん、トランクの荷物をお願いします」
亮は紙袋を下ろした。
タネは礼を言い、病院の中へ入っていく。慎吾を一度も振り返らなかった。
慎吾はその背中を見送り、舌打ちした。
「母から、何を聞きました?」
亮へ向き直る。
「お客さんの話は、外では話せません」
「どうせ、俺がギャンブルで借金作って、母親の金を取ろうとしてるって話でしょう」
亮は答えなかった。
慎吾は作業着のポケットから、折りたたまれた紙を出した。
消費者金融の督促状だった。残高は三百万円を超えている。
「競馬もパチンコもやりました。そこで作った借金もある。それは俺が悪い」
「じゃあ、藤堂さんの話は」
「嘘じゃない。でも、全部でもない」
慎吾はスポーツバッグを地面へ置いた。
「母が透析始めたとき、入院の保証金が必要になった。通院の交通費も、介護用品も。俺、仕事休んで付き添ったんです。その間の生活費も借りた」
「藤堂さんは、それを知らないんですか」
「借金したなんて言ったら、治療やめるって言うから。遊んで使ったことにした」
「どうして、そんな嘘を」
「息子が馬鹿なら怒って生きるだろ。自分のせいだと思ったら、あの人は勝手に死ぬ準備をする」
亮は車内で聞いた言葉を思い出した。
私も、ずいぶん人に迷惑をかけてるけど。
「でも、ギャンブルは続けたんですよね」
「借金を返したかった」
「ギャンブルで?」
「馬鹿なのは分かってますよ」
慎吾は顔を歪めた。
「一度当たれば戻せると思った。負けたら、次こそって。結果はこれです」
督促状を握り潰す。
「資産を担保にしろって言ったのは」
「借金を一本化して、母の治療費も残すためです。俺がまた使わないように、司法書士を入れるつもりだった」
「それを藤堂さんに説明しましたか」
「説明して、信じますかね」
亮は答えられなかった。
「俺がどうしようもないのは本当です」
慎吾は病院の玄関を見た。
「でも、母は自分のためにかかった金を、全部俺が遊んだ金だと思ってる」
自動ドアの向こうで、タネが受付へ書類を出している。職員へ笑いかけ、深く頭を下げていた。
亮が車内で見た、穏やかな常連客だった。
「あの封筒、遺言ですよね」
慎吾が言った。
「また俺を悪者にして、誰かに寄付するつもりか」
「寄付自体は、悪いことじゃないでしょう」
「そうですね。母はいつも、他人にはいい人だから」
慎吾はスポーツバッグを持ち上げた。
「俺には、母の面倒を見る義務だけ残る」
背を向け、車寄せから去っていく。
亮は呼び止めなかった。
*
タネは、息子に金を求められる被害者だった。
慎吾は、母親のために借金を背負った息子だった。
どちらも嘘ではない。
同時に、タネは慎吾の負担を知らず、慎吾は母親のためと言いながら賭け事で借金を増やしている。
亮は車へ戻った。
決済端末から電子音が鳴る。
画面が白と黒に分かれた。
慎吾の顔が出る。
亮はそう思っていた。
金にだらしなく、母親へ資産を担保にしろと迫った男。事情はあっても、再び賭け事をしない保証はない。
表示された顔は違った。
淡い紫の帽子をかぶり、穏やかに笑う老婦人。
対象:藤堂タネ。
年齢:74歳。
判定期限:72時間。
生存。
処分。
選定員:須藤亮。
残存価値:64。
「何で……」
画面に、判定資料の一部が自動で表示される。
年間公的負担額:六百三十万円。
推定残存年数:6.4年。
推定生涯公的負担額:四千三十二万円。
それらの数字が、タネの笑顔の横へ並んでいた。
タネが毎週透析へ通っていること。
医療費の多くを公的制度が負担していること。
あと何年生き、その間にいくらかかるか。
端末は、人間一人をそれだけで説明していた。
最下部に、黒い文字が現れる。
組織推奨判定:処分。
72:00:00。
71:59:59。
亮はタネへ「自分を守るべきだ」と言った。
端末は、そのタネから社会を守るべきだと答えていた。




