第二十六話「検問」
湾岸線に入ってすぐ、亮は路肩へ車を寄せた。
決済端末の《データベース照会》を開く。
《第三管理区域・搬送予定》
一件だけ、表示があった。
《本日23:40発 物資搬送車列(3台)》
《経由:湾岸線→専用出入口》
《備考:警備体制強化中》
時刻は、23時08分。
三十分あまりしかない。
亮はアクセルを踏んだ。
*
搬送車列の出発地点は、以前橋本を見つけた場所とは違う倉庫だった。名前のない建物の裏手に、灰色のトラックが三台、エンジンをかけたまま並んでいる。積荷を確認する作業員の動きには、無駄がなかった。声を掛け合うこともなく、手元の端末とトラックの荷台を交互に見ては、次の作業へ移っていく。
亮は少し離れた路地に車を停め、ライトを消した。
《警備体制強化中》の四文字が、頭から離れなかった。
前回、亮は車列に紛れることができた。だが今回、その方法はもう組織に知られている。同じ手を使えば、入口へ着く前に止められる。
三台のトラックが動き出した。
亮はヘッドライトをつけずに発進し、テールランプの列を追った。
*
湾岸線は、夜になると急に道幅が広く感じられる。
前を走るトラックの速度は一定だった。車間も一定だった。まるで、追われることをすでに想定しているような走り方だった。
亮は車間を開けたり詰めたりしながら、見失わない距離を探った。
信号のない区間が続く。街灯だけが等間隔に流れていく。
対象者用端末が、静かに点灯した。
《残存価値:48》
《規則違反継続中》
数字は減っていなかった。まだ、決定的な違反にはなっていないということだった。
その猶予が、いつまで続くかは分からない。
スマートフォンが振動した。画面には、登録していない番号が表示されている。出るべきか迷ったが、着信は三回鳴って切れた。折り返すべきかどうか考えているうちに、今度はショートメッセージが届いた。
《今夜は、湾岸線を使わない方がいい》
差出人の情報はなかった。亮は画面を消し、前を走るトラックの尾灯だけを見た。誰の忠告だとしても、今から引き返す選択肢はなかった。
助手席で、対象者用端末が短く点滅した。
《異常な照会パターンについて、上位への報告猶予は終了しました》
猶予、という文字を、亮は二度見た。誰かが時間を稼いでくれていたのだとしたら、それはもう終わったということだった。誰が稼いでいたのかまでは、書かれていない。
*
出入口が見えてきたのは、二十分ほど走ったころだった。
以前は簡素なゲートだったはずの場所に、今夜は照明が二基、余分に立っていた。ゲートの脇に、警備員が二人。以前は一人だったはずだった。
トラックが一台ずつ、ゲート前で止まる。
警備員が運転席の窓越しに、何かを確認している。無線から、番号を読み上げる声が漏れ聞こえた。
「物資搬送、一台目、確認」
「二台目、確認」
亮は少し手前で車を停め、様子をうかがった。
このままトラックのすぐ後ろにつけば、必ず止められる。
だが、離れすぎれば、ゲートが閉まる前に間に合わない。
亮は決済端末を見た。
選定員としてのIDには、まだ有効期限が残っている。使えば、記録が残る。今夜、この場所にいたという記録が。
使わなければ、ここで終わる。
亮はIDを提示用画面に呼び出し、三台目のトラックが動き出す瞬間を待った。
*
トラックのテールランプが動いた。
亮は車を出した。
ゲートの警備員が、亮の車に気づいて片手を上げる。
亮は窓を開け、IDを提示した。
「物資搬送の追走で。夜間の緊急便です」
用意していた言葉ではなかった。とっさに出た嘘だった。
警備員がIDを機械にかざす。
数秒、反応がなかった。
亮の背中を、冷たいものが伝った。
《照会中》の表示が、警備員の端末で点滅している。もう一人の警備員が、無線に手を伸ばした。
「三台目のあと、選定員の車両が一台。確認取れるまで――」
「待て」
最初の警備員が、無線の男を止めた。読み取り機の画面を、もう一度覗き込む。
「選定員資格、有効。ただし優先度は最低」
「通すのか」
「上に聞いてる時間はない。三台目が向こう側で待ってる」
短い沈黙のあと、警備員が亮の方を見た。
「……通れ」
「次からは、事前申請を忘れるな」
ゲートが開いた。
亮は何も答えず、車を進めた。運転席の背に、汗が張りついているのに気づいたのは、ゲートを完全に抜けたあとだった。
*
ゲートの内側は、記憶にある景色よりも広がっていた。
倉庫が増え、簡易宿舎らしき建物が新しく建っていた。前に訪れたときには見なかった売店の看板が、《第五売店》という文字を掲げている。窓越しに棚が見え、値札の下には円ではなく、小さな数字だけが並んでいた。
亮は目立たない場所に車を停め、徒歩で移動した。
作業着姿の人間たちが、列を作って夜間の荷積みをしている。誰も、私語を交わしていなかった。時折、点呼のような短いやり取りが聞こえるだけだった。
「第三—二二〇」
「はい」
「第三—二二一」
「はい」
番号が一つずつ読み上げられ、答える声だけが夜の作業場に響く。名前を呼ばれる者は、誰一人いなかった。
売店の前を、亮は一度だけ通り過ぎた。シャッターは半分だけ開いていて、蛍光灯が棚を白く照らしている。
パン、二ポイント。
歯磨き粉、五ポイント。
使い捨てカイロ、一ポイント。
値札の下に、小さく《夜間労働加算対象商品》と書かれた札が挿してあった。深夜まで働けば、その分だけ買えるものが増える仕組みらしい。レジの前に並んでいた老人が、白いカードを機械へかざし、パンを一つだけ持ってその場を離れた。
橋本の姿を探した。
見つけたのは、荷台の脇で、若い作業員に何か指示を出している姿だった。以前よりも痩せていたが、立ち方は変わっていなかった。灰色の作業着の胸に、番号札がある。
亮は近づいた。
「橋本さん」
声を落として呼ぶと、橋本の動きが止まった。振り返るまでに、数秒かかった。
「……須藤か」
「はい」
「馬鹿野郎が。また来たのか」
声は低かったが、震えてはいなかった。むしろ、亮が来ることを、どこかで予期していたような響きがあった。
「一覧を見たんです。第五管理区域の移送者の名前が、何百人も並んでました」
橋本は周囲を一度見回し、若い作業員へ「先に積んでおけ」と指示を出してから、亮を建物の陰へ促した。
「見て、どうする気だ」
「まだ、分かりません」
「分からないのに来たのか」
「橋本さんに聞けば、意味が分かる気がしました」
橋本は短く息を吐いた。
「意味なら、簡単だ。ここにいる人間は、外じゃもう誰でもない。それだけだ」
「前に会ったとき、三回申請したって言ってましたよね」
橋本の目が、わずかに動いた。
「よく覚えてるな」
「あれから、増えましたか」
「一回増えた。四回とも、却下だ」
「理由は」
「毎回同じだ。《社会復帰後の受入先が確認できない》」
「そうだ」
橋本は壁に背をつけた。
「須藤。お前が今夜ここへ来たのは、俺を助けるためか、それとも自分が納得するためか」
「両方です。前にも、同じことを聞かれました」
「答えは変わったか」
亮は少し考えてから、首を横に振った。
「変わってません。でも、今日はもう一つあります」
「何だ」
「橋本さんを消した意味を、無駄にしたくないんです」
言ってから、それが黒瀬の言葉と同じ形をしていることに気づいた。橋本も気づいたらしく、片方の眉を上げた。
「監査人の女と、同じことを言うんだな」
「似てますか」
「似てる。お前も、そっち側に足を突っ込み始めてる証拠だ」
橋本は亮の顔をじっと見た。
「やめておけ」
昨夜、唇の動きだけで読んだ言葉と、同じだった。今度ははっきり声になっていた。
「何を、ですか」
「意味を探すのをやめろ。俺を消した意味も、あの一覧の意味も。探せば探すほど、お前は自分を納得させるための理由を作るだけだ。それは、あの女がやってきたことと同じだ」
「橋本さんは、俺に消してほしくなかったんですか」
「そうは言ってない」
橋本は一度言葉を切り、声をさらに落とした。
「消されたことより、消したお前が、まだ理由を探し続けてることの方が、俺には嫌だ」
亮は何も言えなかった。
「望月って女がいたな。小野寺の事故の被害者だ」
「はい」
「あの女は、謝られることも、証言することも拒んだ。理由を聞かれることさえ嫌がった。分かるか。理由を差し出せと言われること自体が、もう一度傷つけられることなんだよ」
「橋本さんは、俺に理由を差し出せと言ってるつもりはないですか」
「言ってない。言ってるのは、お前が勝手に探しに来てるってことだ」
橋本は作業着の袖で額を拭った。汗ではなく、埃を拭う仕草だった。
「ここでの生活を、聞きたいか」
「聞かせてください」
「朝五時起き。点呼。六時から食堂。七時から荷積み。十二時間働けば、風呂と個室が使える。九時間なら、相部屋と共同浴場だ。文句を言えば、翌日の労働評価が下がる。評価が下がれば、飯の量も減る」
「再審査は、次いつ出せるんですか」
「労働評価が一定を超えれば、申請枠が開く。今の稼ぎ方なら、次は半年先だ」
「四回目も、同じ結果になるかもしれない」
「かもしれない、じゃない。なる」
「なぜ、言い切れるんですか」
「基準を、向こうが教えないからだ。落ちる理由が分からなければ、直しようがない。分からないまま出し続けさせて、諦めさせる。それがここの仕組みだ」
橋本は、亮の後ろに広がる作業棟の列を見た。
「須藤。ここにいる連中の半分は、外にいたときより行儀よく暮らしてる。飯も出る。医者もいる。喧嘩をする元気も残ってない。それでも、ここは檻だ。檻の中身が綺麗になっても、檻は檻だ」
「橋本さんを、ここから出す方法を探します」
「聞き飽きた台詞だ」
橋本は初めて、わずかに口元を歪めた。笑ったのか、諦めたのか、亮には判別がつかなかった。
「出す方法があるなら、俺より先に、あの一覧に並んでる何百人を出してから来い」
*
区域内に警報が鳴った。
高い音ではない。食堂や作業棟の壁にある黄色いランプが、一斉に点滅する。
亮の決済端末に警告が重なった。
《入域許可時間超過》
《無許可経路への進入》
《既処分者との無許可接触を検知》
「行け」
橋本が言った。
「捕まれば、お前の数字がまた減る」
「橋本さんは」
「俺はもう、ここに来た日の自分とは別人だ。今さら何を減らされても同じだ」
整備場の入口から、灰色の制服を着た移送員が近づいてくる。橋本は亮の肩を軽く押した。
「須藤」
「はい」
「次に来るときは、意味を探しに来るな。それ以外の理由を見つけてから来い」
橋本はきびすを返し、若い作業員の元へ戻っていった。振り返らなかった。
*
「須藤さん」
背後から、聞き覚えのある声がした。
振り返ると、黒瀬梓が立っていた。監査人の身分証を、こちらへ見せつけるように提げている。
「ここで何をしているんですか」
「……」
「照会履歴を確認しました。データベースへの異常アクセス、規則違反の車列追走、そして今、無許可での区域立ち入り」
黒瀬の声に、怒りはなかった。ただ、事務的な確認だけがあった。
「須藤さん。あなたの残存価値は、今この瞬間から再計算されます」
対象者用端末が鳴った。
《規則違反確定》
《残存価値を更新します》
《48→……》
数字が変わろうとしている。
黒瀬は一歩、亮に近づいた。
「これ以上進めば、あなた自身が対象になります。分かっていますか」
「橋本さんが、教えてくれました」
「何をですか」
「意味を探すのをやめろと」
黒瀬の表情は変わらなかった。だが、視線だけが、一瞬だけ橋本の消えた方向へ動いた。
「賢明な忠告です」
「あなたも、同じことを思ってるんですか」
黒瀬は答えなかった。
「さっきのメッセージも、あなたですか」
「何のことですか」
「湾岸線を使うなという連絡です」
「心当たりはありません」
即答だった。早すぎる否定は、肯定より雄弁に聞こえることがある。亮はそれ以上追及しなかった。
「須藤さん。今夜のことは、正式な違反として報告します。ただし、橋本さんとの接触内容までは記録しません」
「どうしてですか」
「接触の事実は規則違反ですが、会話の内容は、私の監査対象ではないからです」
区別のつけ方が、いつも通り細かかった。だが、その細かさの中に、亮を庇うための隙間が紛れているような気もした。
答える代わりに、黒瀬は視線だけを橋本のいた場所へ戻した。
そこには、もう誰もいなかった。




