第十三話「管理区域」
灰色の車列に従い、地図に存在しない第三管理区域へ入った亮。そこは番号で管理された処分者が働き、食事と医療を受ける一方、自由に出られない町だった。移送を終えれば退出するよう命じられるが、亮は区域内の送迎車を運転する橋本を発見。指定経路を外れて追跡し、ついに再会する。橋本は亮へ「次は誰を消した」と問う。
灰色の車列が一般道を外れた。
須藤亮のタクシーも、その後ろへ続く。
カーナビには、細い灰色の線が一本だけ表示されていた。
道路名も、交差点名もない。
《人口資源適正化室・第三管理区域》
《残り38キロ》
後部座席には、東雲荘で《石田武夫》の保険証を使っていた高齢男性が座っている。
男は窓の外を見ていた。
「この道、前にも通ったんですか」
亮が尋ねる。
「二度」
「最初に連れていかれたときと、逃げたあと?」
「逃げたあとじゃない。今が二度目だ」
「では、一度目は」
「処分された日だ」
男は膝の上で、《石田武夫》の保険証を握っている。
「帰り道を覚えていましたか」
「覚えようとした。川を三回渡った。貨物線の下を通った。右側に赤い煙突が見えた」
「それで逃げられた?」
「中から出る道と、外から入る道は違う」
車列が高架下へ入った。
同時に、亮のスマートフォンから電波表示が消えた。
決済端末に通知が出る。
《保護記録モードへ移行します》
《位置情報および車外映像を保存しません》
ドライブレコーダーの画面が暗くなる。
「ここから先は、帰り道を覚えられないように作られている」
男が言った。
「道を見れば、覚えられます」
「見えている道が、帰りにもあると思うか」
高架を抜けると、灰色の線が分岐した。
先導車は右へ進んだ。
亮がバックミラーを見ると、今通ってきたはずの高架下は工事用の柵で閉じられている。
「本当の名前を、教えてもらえませんか」
男は窓の外を向いたまま答えた。
「名前は、向こうへ置いてきた」
*
車列は、川沿いの防音壁に挟まれた道を走った。
左側には高いコンクリートの壁。右側には貨物線。灰色のコンテナを積んだ列車が、車列と反対方向へ進んでいく。
壁の切れ目に、検問所が現れた。
料金所のような屋根と、四つの車線。
施設名を示す看板はない。
電光表示だけが点灯している。
《人口資源適正化室》
《第三管理区域》
《許可車両以外進入禁止》
灰色の車が一台ずつ停止する。
窓越しに移送員がカードを読み取った。
「第三—四八九、一名」
真壁省吾の名前は呼ばれなかった。
「第三—二一四、帰還一名」
東雲荘にいた若い男の番号が読み上げられる。
亮のタクシーの番になった。
灰色の制服を着た係員が、運転席の窓へ読み取り機を向ける。
「移送対象番号」
亮は後部座席の男を見た。
男は胸ポケットから白いカードを出した。
《第三—〇七四》
「第三—〇七四、帰還一名。移送担当、須藤亮」
係員が読み取り機を操作する。
決済端末へ入域許可が届いた。
《入域目的:既処分者移送》
《許可時間:24分》
《指定経路からの逸脱を禁止します》
「二十四分で戻れるんですか」
亮が聞くと、係員は前方を指した。
「診療棟前で対象者を降車後、案内に従って退出してください」
「区域内で、人を捜したいんですが」
「移送以外の行動は許可されていません」
遮断棒が上がった。
「進んでください」
*
壁の向こうにあったのは、収容所ではなかった。
集合住宅が並び、歩道には街路樹が植えられている。
作業着姿の住民が自転車で移動し、診療所の前には送迎車が止まっていた。食堂から湯気が上がり、クリーニング工場の屋上では白いシーツが風に揺れている。
信号機も、横断歩道もある。
ただし、店にも建物にも固有の名前がない。
《第三食堂》
《第三診療棟》
《居住棟C—4》
《物流作業棟B》
人間だけでなく、町全体が番号で呼ばれていた。
売店の前を通る。
棚には食品や日用品が並び、住民が白いカードで支払っている。
価格表示は円ではなかった。
食パン、三ポイント。
歯磨き粉、五ポイント。
缶コーヒー、二ポイント。
後部座席の男が言った。
「働けば増える。規則を破れば減る」
「現金は使えないんですか」
「ここではな」
「外へ出るときは?」
「外へは出ない」
亮は歩道を歩く住民を見た。
痩せている者も、具合が悪そうな者もいない。東雲荘より清潔で、安全に見えた。
「東雲荘より、生活は安定している」
「そうだ」
「それでも逃げた」
「朝六時に起きる。七時に食事。八時から仕事。部屋も、仕事も、食べるものも決められる」
「仕事を変えたい場合は?」
「適性を再審査する」
「申請すれば、区域を出られるんですよね」
男は白いカードを見た。
「二十二回、申請した」
「全部、却下?」
「理由は毎回同じだ。《社会復帰後の受入先が確認できない》」
「家族は」
「処分された日から、俺を家族だと証明する記録がない」
男は、借り物の保険証を握り直した。
「生きるためのものは全部ある。でも、何のために生きるかは選べない」
診療棟が近づいてくる。
「外では病院へも行けない。中では、どこへも行けない」
*
第三診療棟の入口で、看護職員が車椅子を用意していた。
亮が後部座席のドアを開ける。
第三—〇七四は車を降りる前に、亮へ《石田武夫》の保険証を差し出した。
「外へ戻ったら、捨ててくれ」
「真壁さんから借りたものですよね」
「もう真壁も、この名前も使えない」
「持っていた方が、また外で病院へ行けるかもしれません」
「それがあると、また逃げたくなる」
亮は保険証を受け取った。
「本当の名前を取り戻したいとは思わないんですか」
「思ってるから、二十二回も申請した」
男は車椅子へ移った。
職員が白いカードを読み取る。
「第三—〇七四、診療棟へ帰還。透析予定を再登録します」
「また、同じ曜日か」
「以前の治療計画を引き継ぎます」
男は亮へ顔を向けた。
「名前を聞いてくれて、ありがとう」
車椅子が自動ドアの向こうへ消えた。
決済端末に《移送完了》と表示される。
《残り許可時間:9分18秒》
亮は診療棟の受付端末へ近づいた。
検索欄へ、《橋本隆志》と入力する。
《処分前氏名による検索権限がありません》
顔写真を使った照合も試す。
《権限外の操作です》
「何をしているんですか」
移送員が声をかけた。
「人を捜しています」
「移送任務は完了しました。退出してください」
「橋本隆志という人です。ここで運転の仕事をしているかもしれない」
「処分前の氏名は、区域内で使用できません」
「いるかどうかだけでも」
「退出してください」
決済端末の案内が、出口までの経路を表示した。
《残り許可時間:7分56秒》
*
亮は指定経路を走った。
前方に灰色の移送車はない。真壁や東雲荘の住人がどの棟へ送られたのかも分からなかった。
交差点で信号が赤になる。
右へ曲がれば出口まで二キロ。
カーナビの矢印も、右折を示している。
そのとき、一台の白い送迎車が左から交差点へ入った。
運転席の横顔が見えた。
白髪の混じった髪。ハンドルを握る癖。信号待ちで右肩を回す動作。
橋本隆志だった。
灰色の作業着を着ている。
胸に付いた番号札は、《第三—三一八》。
亮はクラクションを鳴らした。
橋本が振り向く。
二人の目が合った。
橋本は驚かなかった。
一度だけ亮のタクシーを見て、信号が変わると左へ走り去った。
《退出経路は右折です》
カーナビが案内する。
橋本の送迎車は、左へ曲がった。
《残り許可時間:5分42秒》
亮は左へハンドルを切った。
決済端末から警告音が鳴る。
《指定経路から逸脱しました》
《直ちに退出経路へ戻ってください》
亮はアクセルを踏んだ。
*
送迎車は物流作業棟の間を抜け、車両整備場へ入った。
亮も、その後ろへ続く。
整備場の作業員がタクシーを見て手を上げたが、亮は構わず奥へ進んだ。
橋本の車が停車する。
橋本は運転席を降り、整備場の裏手へ歩いていった。
「橋本さん!」
亮はタクシーを降りた。
橋本の足が止まる。
「その名前で呼ぶな」
振り返らないまま言った。
「やっぱり、橋本さんなんですね」
「ここでは第三—三一八だ」
「覚えているんですか。俺のことも、小野寺さんのことも」
橋本が振り返った。
「忘れたと思ったのか」
「記憶まで消される可能性も——」
「消されたのは名前だ。俺が何をしたかも、お前に何を相談したかも、全部覚えてる」
亮は橋本へ近づいた。
「すみませんでした」
「それを言うために来たのか」
「助けに来ました」
「謝りに来たのか。俺を助けに来たのか。どっちだ」
「両方です」
「俺を助けて、処分した自分を許したいだけだろ」
亮は言葉を失った。
橋本が無事なら、処分を押した罪が少し軽くなる。
名前を取り戻させれば、自分の判断を修正できる。
そう考えていなかったとは言えない。
「それでも、ここから出す方法を探します」
「出して、どこへ戻す」
「営業所へ」
「橋本隆志は、会社の記録にいない」
「小野寺さんが、紙の事故報告書を警察へ出しました」
橋本の表情が変わった。
「誠が?」
「はい。全部話すと言って、警察へ行きました」
「あいつも処分されたのか」
「生存を選びました」
橋本は目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。
「そうか」
短い一言だった。
安堵したのか、小野寺だけが生き残ったことを悔しく思ったのか、亮には分からない。
「橋本さんも、再審査を申請してるんですよね」
「三回」
「却下された?」
「新しい身分を受け入れれば、区域外で働けると言われた」
「だったら」
「橋本隆志ではない人間になれってことだ」
「名前が変わっても、外へ出られるなら」
「お前は、自分の名前を捨てて外へ出られるか」
亮は答えられなかった。
「俺が橋本隆志を捨てれば、お前が押した処分は完成する」
「ここに残れば、ずっと番号のままです」
「それを決めるのは、今度は俺だ」
橋本の胸に、《第三—三一八》の札がある。
番号を着けながら、名前を捨てることだけは拒んでいる。
*
区域内に警報が鳴った。
高い音ではない。食堂や作業棟の壁にある黄色いランプが、一斉に点滅する。
亮の決済端末に警告が重なった。
《入域許可時間超過》
《無許可経路への進入》
《既処分者との無許可接触を検知》
整備場の入口から、灰色の制服を着た移送員が近づいてくる。
「俺のあと、何人選んだ」
橋本が聞いた。
「三崎さんと藤堂さん、小野寺さんは生存です」
「処分したのは」
「真壁さんを含めて、二人です」
「俺と、あの宿の男か」
「はい」
「次は誰を消した」
「次は、まだ」
「違う」
橋本は亮の決済端末を見た。
「お前が次に誰を選ぶかじゃない。俺を消したあと、お前が誰になったか聞いてるんだ」
亮は答えられなかった。
真壁を処分して、灰色の車を動かした。
東雲荘の住人を管理区域へ戻し、その車列を道しるべにした。
橋本へ会うためだった。
「俺を助けたいなら、二度と誰もここへ送ってくるな」
「それでは、橋本さんを出す方法が——」
「俺一人を出すために、あと何人送るつもりだ」
亮の後ろで足音が止まった。
「須藤さん。移送車へ戻ってください」
黒瀬梓が立っていた。
黒いスーツではなく、灰色の管理区域用制服を着ている。胸には番号ではなく、《監査》と書かれた札がある。
「どうして、ここにいるんですか」
「第三管理区域の監査日です」
「橋本さんを外へ出してください」
「橋本隆志という登録は存在しません」
「目の前にいる」
「第三—三一八さんの区域外移動は、再審査で不承認となっています」
「本人が、新しい名前を拒んだからでしょう」
「区域外で生活するには、有効な社会登録が必要です」
「元の名前を返せばいい」
「処分済みの判定は撤回できません」
黒瀬は、必要な規則だけを答えた。
「須藤さん。退出してください」
「断ったら?」
「入域資格を失い、あなた自身の残存価値が再査定されます」
橋本が亮から目をそらした。
「帰れ」
「でも」
「今のお前に連れ出されるくらいなら、ここにいる」
亮は橋本を見た。
橋本は、送迎車の運転席へ戻っていく。
「橋本さん」
呼んでも、振り返らなかった。
*
移送員に挟まれ、亮はタクシーへ戻った。
運転席へ座ると、退出経路だけがカーナビへ表示される。
車両整備場の出口で、橋本の送迎車とすれ違った。
橋本は前を見たまま、亮を見なかった。
黒瀬が助手席の窓を軽く叩いた。
亮が窓を開ける。
「管理区域を見て、どう思いましたか」
「死んでいないだけです」
「食事、住居、仕事、医療があります」
「選べるものがない」
「区域外で、名前も住居もない生活より安全です」
「だから、閉じ込めてもいい?」
「その判断も、記録します」
亮は窓を閉めた。
遮断棒が上がる。
タクシーが第三管理区域を出ると、カーナビから灰色の道路が消えた。
現在地は、一般道の上へ戻っている。
亮が振り返っても、検問所は防音壁に隠れて見えなかった。
決済端末に、最後の通知が表示される。
《区域内規則違反》
《残存価値を再査定しています》
数字の欄には、《58》も、新しい数値も出ていない。
《算定中》




