第十二話「回収」
東雲荘の住人が処分者だと知った亮は、真壁を消せば彼らも管理区域へ回収されると知らされる。真壁は住人を守っていると主張するが、病人を見捨てた過去と搾取の実態が判明する。亮は橋本を追うには回収車を動かすしかないと考え、真壁の《処分》を選択。処分者を運ぶ車列に、自らのタクシーで加わる。
「見せるものは見せた。次は、あんたが何者か話せ」
真壁省吾は宿帳を閉じた。
東雲荘の玄関には、名前のない十八個の郵便受けが並んでいる。
壁には顔写真を剥がした社員証、期限切れの診察券、無効になったキャッシュカード。廊下の先では、記録上存在しない住人たちが、聞こえていないふりをしていた。
須藤亮の決済端末には、真壁の顔写真と二つの選択肢が表示されている。
《生存》
《処分》
《残り70時間31分》
「真壁さんが、ここからいなくなった場合を調べています」
亮は答えた。
「俺が死んだらって話か」
「死ぬとは限りません」
「役所でも警察でもない。人の顔を機械に映して、いなくなったあとのことを調べる」
真壁は、助手席からついてきた御子柴慧を見た。
「あんたら、消す側か」
御子柴は答えなかった。
その沈黙で十分だった。
「何時に来る」
「何がですか」
「灰色の車だよ」
「まだ来ません」
「まだ、か」
真壁はスポーツバッグを床へ置き、宿帳を脇に抱えた。
「今夜までに全員出す」
「どこへ?」
「別の場所だ」
「橋本さんのことを、もっと教えてください」
「先に住人を逃がす」
「守るためですか」
真壁は亮を見た。
「俺の客を取られないためだ」
そう言って、廊下の奥へ住人を集めに行った。
*
「驚きました」
御子柴が、玄関の壁に留められたカードを眺めながら言った。
「何がです」
「あなたが、正体をほとんど喋ったことです」
「判定については言っていません」
「相手には伝わりました。次の評価で開示違反を取られても、俺はかばえません」
「かばう気もないでしょう」
「教官としては、卒業してほしいと思っています」
御子柴は、名前のない郵便受けを指で押した。
「これで、真壁を生かす理由ができましたか」
「まだ分かりません」
「不合格のあとも、それですか」
「真壁さんが消えたら、住人がどうなるか確認します」
「対象は真壁省吾一人です」
「それでも、結果は一人で終わらない」
御子柴は何か言いかけ、やめた。
二階から足音が下りてきた。
三十代ほどの男が、着替えを詰めた紙袋を持っている。亮たちの前を通るとき、顔を伏せた。
「少し話を聞かせてください」
亮が声をかけると、男は階段の途中で止まった。
「真壁さんに、ここを出るよう言われましたか」
「今夜、別の宿へ移るって」
「行きたいですか」
「行きたいとかじゃない。行くしかない」
「賃金の六割を取られているんですよね」
「残り四割はもらえる」
「ほかの仕事を探したことは?」
男は亮の制服を見た。
「名前を聞かれない仕事、知ってるのか」
答えられなかった。
男は紙袋を抱え直して、玄関から出ていった。
次に現れたのは、前話で亮の端末に《該当する人物は存在しません》と表示された女だった。
「移りたくない」
女は真壁へ聞こえないよう、小さな声で言った。
「向こうへ行けば、また借金が増える。ここで作られた借金も返せてない」
「真壁さんに?」
「身分証を作るのに三十万。部屋代と仕事の紹介で、毎月引かれる。いくら残ってるか教えてくれない」
「逃げればいい」
「どこへ?」
同じ質問だった。
廊下の奥から、二十歳前後の若い男が出てきた。
「灰色の車、来るんですか」
男は、亮ではなく御子柴へ尋ねた。
「どうして俺に聞くんです」
「あんた、あそこにいた人と同じ喋り方をする」
「あそこ?」
「数字で呼ばれる場所」
御子柴の表情がわずかに変わった。
「戻りたいんですか」
亮が聞いた。
「名前を返してくれるなら」
「返してもらえるんですか」
「分からない。ここにいても、真壁さんの名前を借りて働くだけだ」
男は、財布から何も印刷されていない白いカードを出した。
「向こうでは、これが名前だった」
カードには、《第三—二一四》という番号だけが刻まれている。
第三。
真壁が語った管理区域と、橋本を連れ戻した車。その番号が、初めて具体的な形を持った。
*
亮は宿帳を開いた。
真壁が住人の移動を指示している隙に、台所のテーブルへ置かれていたものを借りた。
《H・T/61》より前のページに、赤い線で消された記録がある。
《M・K/49》
宿泊期間、十一か月。
紹介先、食品加工工場。
徴収率、55%。
最後の三日間は、仕事の記録がない。
備考欄には、《発熱》《呼吸》《動けず》と短く書かれている。
四日目の欄には、《終了》とだけあった。
「この人は?」
戻ってきた真壁へ、亮は宿帳を向けた。
真壁は赤い線を見た。
「死んだ」
「病院へ連れていかなかったんですか」
「本人が嫌がった」
「今日の石田さんは連れていった」
「同じことを繰り返したくなかった」
「この人が死んでから、そう思った?」
「そうだ」
「死亡届は」
「出せると思うか。こいつの名前は、その時点でもう使えなかった」
「だから、別人として火葬した」
「放っておけば、身元不明で同じことになる」
「三日間、病院へ連れていかなかったこととは別です」
真壁は宿帳を亮から取り上げた。
「俺が殺したって言いたいのか」
「助ける機会を失わせた」
「あんたなら救えたか?」
「少なくとも、病院へ運べた」
「運べば、こいつは管理区域へ戻された。本人がそれだけは嫌だと言った」
「だったら、死んでもいいんですか」
「俺が決めたんじゃない」
真壁は声を荒らげた。
「こいつが、ここで死ぬ方を選んだんだ」
亮は、橋本を処分したときの自分を思い出した。
資料があった。期限があった。橋本にも選択があった。
最後は本人が決めた。
そう言えば、決めさせた側の責任が消える。
「本人が選んだことにすれば、真壁さんは何も決めていないことになる」
「あんたに、俺を責める資格があるのか」
「ありません」
亮は答えた。
「だから、資格がないまま決めます」
*
御子柴が、真壁を《処分》した場合の予測を表示した。
真壁の社会登録を抹消。
東雲荘を閉鎖。
偽造身分証、口座、宿帳を回収。
未登録住民を《既処分者》として回収。
管理区域へ送還。
「住人も処分するんですか」
「違います。この人たちは、すでに処分されています。判定対象は真壁省吾だけです」
「戻りたくない人もいる」
「処分された人間に、居住地を選ぶ権利はありません」
「それを権利と呼ぶんですね」
「呼び方の問題ではありません」
「真壁さんを生存にしたら?」
御子柴が予測を切り替える。
東雲荘を監視対象として継続。
真壁の偽造行為を限定的に容認。
既処分者の新規流入を監視。
居住者の回収は保留。
「組織は、ここを知っていた?」
「場所までは特定できていなかった。処分者が逃げたあと、行政の死角へ集まっていることは把握していたようです」
「真壁さんを生かせば、違法行為を容認する」
「逃走者を集める場所として使えるからでしょう」
亮は画面を見た。
真壁は、組織に反抗する存在ではなかった。
適正化室が回収しきれなかった人間を一か所へ集める、非公式な受け皿として利用されていた。
「どちらを選んでも、住人は管理される」
「社会にいる以上、誰でも管理されています」
「この人たちは、社会から消されてる」
「だから、管理する必要がある」
御子柴の答えには、矛盾がなかった。
矛盾しているのは制度の方だった。
*
真壁は、宿帳を上着の内側へ入れた。
「橋本って男を探してるんだな」
「知っていることを話してください」
「俺を残せ」
「取引ですか」
「判定っていうのをしてるんだろ。俺を残せば、あの男が話していたことを全部教える」
「先に話してください」
「先に押せ」
真壁は、亮には見えないはずの位置にある白い《生存》を指すように、空中へ指を向けた。
「橋本さんは、管理区域について何を話したんです」
「川沿いに高い壁がある。住む棟には、昼でも陽が入らない。人間を名前じゃなく番号で呼ぶ。夜明け前になると、貨物列車の音が聞こえる」
「場所は?」
「知らない。北だと言ってた」
「それだけですか」
「宿帳を渡す。橋本が着ていた上着も、まだある」
「住人を守るために、生存を選べと言っているんですか」
真壁は鼻で笑った。
「俺が消えたら、商売を続けられない」
「住人は?」
「俺が商売を続ければ、あいつらも住める」
「払える人だけでしょう」
「世の中、どこだって同じだ」
真壁は玄関を出た。
路地には、古い小型トラックが止めてある。
「一時間後に出る。あんたが決める前に、ここは空にする」
*
真壁は住人を選び始めた。
歩ける者。
日雇いの仕事を続けられる者。
移転後も家賃と紹介料を払える者。
紙袋を持った男と、若い《第三—二一四》は荷台へ乗せた。
借金を返せていない女は残された。
「私も連れていって」
「向こうで部屋代を払えるのか」
「働くから」
「今月も二日しか出てないだろ」
女が荷台へ手をかけると、真壁はその手を外した。
病院に残っている高齢男性の荷物も、玄関へ置いたままだった。
「石田さんは?」
亮が尋ねた。
「病院が終わったら、自分で戻る」
「ここは空になる」
「別の宿を教える」
「一人で行ける状態じゃない」
「全員は連れていけない」
真壁はトラックの鍵を回した。
「連れていける奴だけ連れていく」
御子柴が、亮の隣で言った。
「処分する理由は、もう十分でしょう」
亮は、トラックの荷台に座る住人と、置いていかれた女を見た。
「はい」
初めて、御子柴の判断に同意した。
それでも、すぐにはボタンを押さなかった。
真壁を処分すれば、灰色の車が来る。
住人は管理区域へ戻される。
その車を追えば、橋本がいる場所へ近づける。
真壁の罪だけで、処分を選ぶのか。
橋本を探すために、処分を選ぶのか。
二つを分けることは、もうできなかった。
*
正式期限は、四十八時間以上残っていた。
亮は、真壁の顔写真を表示した。
《対象:真壁省吾》
《組織推奨判定:処分》
《推奨信頼度:95%》
白い《生存》。黒い《処分》。二つの選択肢が並ぶ。
亮は真壁へ向き直った。
「あなたがいなくなれば、東雲荘は閉鎖されます」
「住人も連れていかれる」
「はい」
「戻りたくない奴までか」
「そうです」
「それで助けたつもりになるなよ」
「なりません」
「俺を消せば、橋本のところへ行けると思ってるんだろ」
亮は否定しなかった。
「俺が女を死なせたからか。六割取ったからか。それとも、灰色の車を呼びたいからか」
「全部です」
亮は黒い《処分》へ指を置いた。
「俺は、俺の目的であなたを処分します」
「少しは正直になったな」
亮は《処分》を押した。
確認画面が現れる。
《対象:真壁省吾》
《判定:処分》
《確定後の変更はできません》
指が止まったのは、一秒にも満たなかった。
《確定》を押す。
真壁の携帯電話から、通信が切れた音がした。
「なんだ、これ」
画面には、《契約情報を確認できません》と表示されている。
トラックのエンジンが止まった。
真壁がもう一度鍵を回しても、始動しない。
亮の端末に、処理状況が並ぶ。
《住民登録:失効》
《金融口座:凍結》
《通信契約:失効》
《運転資格:失効》
《事業登録:失効》
《判定完了》
真壁は動かなくなったトラックから降りた。
「俺の名前を消したのか」
「はい」
「俺は、まだここにいる」
「橋本さんも、そうでした」
真壁は亮の制服をつかもうとした。
御子柴が間へ入る。
「対象への接触は、ここまでです」
「お前らは、人を消して終わりか」
「終わりではありません」
御子柴は路地の入口を見た。
「回収が来ます」
*
三台の灰色の車が、東雲荘の前へ入ってきた。
営業所で橋本を連れていった車と同じ、社名も所属もない車だった。
灰色の制服を着た移送員が降りる。
真壁の腕をつかまず、番号の印刷された白いカードを渡した。
《第三—四八九》
「真壁省吾さんという登録は失効しました。以後、この番号を使用してください」
「ふざけるな」
「乗車してください」
「俺の宿だ。俺の建物だ」
移送員が端末を確認する。
「登記上の所有者は、十二年前に死亡しています。あなたと建物を結びつける記録はありません」
真壁の父親の名義だった。
相続したはずの人間が存在しなくなれば、真壁は東雲荘の管理人ですらない。
移送員は住人にも白いカードを配った。
荷台へ乗っていた者も、残された女も、同じ車へ案内される。
「戻りたくない」
女が言った。
「居住区域が確認できません。第三管理区域へ帰還します」
「帰る場所じゃない」
「登録上の居住地です」
女は後退した。
別の移送員が進路を塞ぐ。触れてはいない。ただ、逃げられる方向だけを消していく。
若い《第三—二一四》は、自分から車へ乗った。
「名前、返してもらえますか」
「管理区域で再審査を申請できます」
「返る可能性は?」
「申請時に説明します」
若者は、それ以上聞かなかった。
真壁が亮を見た。
「見ろ。これがお前の助けた奴らだ」
「助けたとは思っていません」
「じゃあ、何をした」
亮は灰色の車を見た。
「道を作りました」
「誰のための?」
亮は答えなかった。
真壁は《第三—四八九》のカードを握ったまま、車へ乗せられた。
*
決済端末に判定結果が表示された。
《判定結果:処分》
《組織推奨と一致》
《選定員適性矯正プログラム:完了》
《残存価値:47→58》
《判定報酬:240,000円》
「合格です」
御子柴が言った。
「六十分を超えました」
「正式判定が組織推奨と一致した。残存価値も五十を超えた。矯正の目的は達成です」
「御子柴さんの方法で決めたわけじゃない」
「理由は評価されません。結果が同じなら」
御子柴は、《58》を見た。
「今度は正しい判定でした」
亮は、報酬の表示を閉じた。
「正しかったかは、まだ分かりません」
「処分したあとに確認しても、判定は変えられませんよ」
「変えるためじゃない」
一台目の灰色の車が路地を出た。
二台目、三台目が続く。
そのとき、亮のタクシーへ臨時任務が届いた。
病院にいる高齢男性の写真が表示される。
東雲荘で《石田武夫》の保険証を使った男だった。
《移送補助》
《既処分者一名を第三管理区域へ移送してください》
《先導車両に追従》
「タクシーまで使うんですか」
「回収車に乗せられない事情がある人は、委託車両で運びます。あなたが近くにいるから選ばれた」
「目的地が見える」
「移送任務中だけです。記録や撮影はできません」
亮は《受諾》を押した。
御子柴が亮を見た。
「橋本さんを探すためですか」
「移送任務です」
「言い方だけは、組織の人間らしくなりましたね」
*
病院から出てきた高齢男性は、車椅子に座っていた。
医師から長距離移動を止められていたが、移送員が手続きを済ませると、退院扱いになった。
男は後部座席へ乗る前に、亮へ尋ねた。
「真壁は?」
「先の車にいます」
「あいつも戻るのか」
「はい」
「あいつは、処分されてなかったのにな」
男は、借り物の保険証を真壁へ返すつもりだったのか、手の中に握っていた。
「本当の名前を教えてもらえますか」
亮が聞くと、男は首を横に振った。
「もう、俺にも分からない」
後部座席のドアが閉まった。
亮は灰色の車列の最後尾についた。
御子柴は助手席へ座らなかった。
「俺の指導はここまでです」
「管理区域へ行ったことは?」
「あります」
「橋本さんがいるか、知ってますか」
「答える権限はありません」
「また、それですか」
「今から自分で見に行けるでしょう」
御子柴はドアを閉める前に言った。
「ただし、見つけたものを外へ持ち帰れるとは限りません」
灰色の車列が動き始めた。
カーナビの地図が切り替わる。
普段使っている道路表示が消え、灰色の線が一本だけ現れた。
一般の地図にはない分岐。
行き先のない高架下。
閉鎖されたはずの業務用道路。
画面中央に目的地が表示された。
《人口資源適正化室・第三管理区域》
《残り38キロ》
亮はメーターを入れず、先導車両のあとを追った。




