第十一話「矯正」
残存価値47となった亮は、御子柴の監督下で新たな対象・真壁省吾を判定する。真壁は身元不明者を違法に働かせ、偽造書類で利益を得る簡易宿泊所の管理人だった。御子柴は資料だけで処分を求めるが、亮は対象へ会うことを選ぶ。宿へ足を踏み入れた亮は、住人が全員、社会から処分された人々だと知る。
《矯正目標:判断速度/組織推奨一致率》
須藤亮の決済端末に、その文面が表示されたのは、小野寺誠の判定から二日後だった。
午前六時四十分。
営業所の車庫で、亮は出庫前のタクシーに座っていた。
《矯正対象:須藤亮》
《残存価値:47》
《指導担当:御子柴慧》
「四十七か。もう少し下がってると思いました」
助手席のドアを開けた御子柴が言った。
赤い配達用ジャケットではなく、黒いパーカーに薄い灰色の上着を着ている。背中の保温バッグもない。
「勝手に乗らないでください」
「今日は客じゃありません。教官です」
「教官なら、後部座席へどうぞ」
「運転を教える人が後ろに座りますか」
「判定を教えるんでしょう」
「同じですよ。迷ったまま進めば事故になる」
御子柴はシートベルトを締めた。
「俺だって、タクシーで配達するのは初めてです。楽しみましょう」
亮はエンジンをかけた。
「配達はしません」
「では、処分を一件」
決済端末の通常画面が切り替わった。
男の顔写真が表示される。
短く刈った白髪。日に焼けた顔。年齢よりも深い皺が額に刻まれている。
《正式任務》
《対象:真壁省吾》
《年齢:53歳》
《判定期限:72時間》
白い《生存》と黒い《処分》が、その下に並んだ。
《組織推奨判定:処分》
《推奨信頼度:89%》
「また正式任務なんですか」
「矯正用に選ばれた案件です」
「御子柴さんが選んだ?」
「俺にそんな権限はありません。あなたの弱点に合う案件を、システムが選びました」
「弱点って」
「対象の周囲にいる人間まで見て、判定を遅らせるところです」
正式期限《72時間》の横へ、別の数字が現れる。
《訓練目標:60分以内に仮判定》
「期限が変わったんですか」
「変わっていません。六十分で仮の答えを出すだけです。正式判定は七十二時間以内」
「仮判定に意味があるんですか」
「最初の一時間で出した答えが、一番資料に忠実です。時間を使うほど、対象の声や表情を理由にし始める」
「人に会わない方が正しいと?」
「公平です」
御子柴は《訓練開始》を押した。
《残り59分59秒》
「俺の端末ですよ」
「教官ですから」
*
真壁省吾は、二十六年前から簡易宿泊所《東雲荘》の管理に関わっていた。
元は父親が経営していた木造二階建ての宿だった。日雇い労働者や出稼ぎの客へ、一泊単位で部屋を貸していた。
父親の死後、真壁が建物を引き継いでいる。
営業許可は、八年前に失効。
現在の入居者数、行政記録上は三人。
電気と水道の使用量から推定した実際の居住者数、二十一人から二十七人。
亮は画面を下へ送った。
《違法行為》
偽造身分証、確認済み七件。
他人名義の口座利用、十二件。
無許可の職業紹介。
入居者の賃金から、家賃と手数料として最大六十%を徴収。
身元不明者一名の死亡を届け出ず、別人名義で火葬した疑い。
「これだけあれば十分でしょう」
御子柴が言った。
「死んだ人を、別人として火葬した?」
「戸籍の売買にも関わっている可能性があります。生かしておけば、同じことを続ける」
亮は《生存支持要素》を開いた。
《未登録住民への住居提供》
《代替可能性:算定不能》
それだけだった。
「未登録住民って、何ですか」
「住民票を置かずに住んでいる人間でしょう」
「二十人以上いるのに、資料が一行しかない」
「対象は真壁省吾です。宿泊者の個別事情は、今回の判定に含まれません」
「真壁さんが消えたあとのことは?」
「建物は行政が閉鎖し、入居者は福祉窓口へつながります」
「それができる人たちなら、最初から違法な宿にいないんじゃないですか」
「想像は資料ではありません」
御子柴は、画面上の黒い《処分》を指した。
「真壁が善人でも、悪人でも関係ない。何をして、どんな損失を生んでいるかだけ見ればいい」
「善悪を見ないなら、どうして処分と呼ぶんですか」
「消去でも整理でも、名前は何でもいい。あなたが刑罰だと思っているだけです」
亮は前方へ視線を戻した。
《残り43分12秒》
資料だけを見れば、処分を押す理由は揃っていた。
*
配車通知が入った。
乗車地は、真壁の経営する東雲荘の前だった。
亮は御子柴を見た。
「これも矯正プログラムですか」
「違います。通常配車です」
「こんな偶然、信じろと?」
「俺も通知を見るまで知りませんでした。対象が日常で何をしているか、確認できるなら都合がいい」
「仮判定まで、あと四十分もない」
「会わなくていいんです。近くで俺を降ろしてください」
亮は配車を受諾した。
御子柴が小さく息を吐いた。
「そういうところを直しに来たんですけどね」
東雲荘は、幹線道路から二本入った路地にあった。
隣の建物は解体され、茶色く変色した側壁がむき出しになっている。二階の窓には大きさの違うカーテンが掛かり、看板から《東》と《荘》以外の文字が剥がれていた。
建物前で、真壁が高齢の男を支えている。
写真と同じ顔だった。
「病院まで頼む。近いところでいい」
真壁は後部座席へ男を押し込んだ。
男は薄い作業着を着て、胸を押さえている。息を吸うたび、喉の奥で音がした。
「救急車を呼びます」
亮が電話を取ろうとすると、真壁が止めた。
「呼ばなくていい」
「胸が苦しいなら、タクシーより救急です」
「救急に名前を聞かれたら困る」
「この人の名前は?」
真壁は答えず、男のポケットから一枚の保険証を取り出した。
「病院では、石田武夫。七十一歳」
「本名じゃないんですか」
「本名で受付できるなら、こんなもの使わない」
助手席の御子柴が、保険証を見た。
「出発してください。病院は検索します」
「御子柴さん」
「今は判定より、搬送が先です」
亮は車を発進させた。
御子柴が指定した病院まで八分。
真壁は後部座席で男の背中をさすり続けた。
「石田さん、聞こえるか。もうすぐ着くからな」
男は目を閉じたまま、かすかにうなずく。
「その人、本当は誰なんですか」
亮が聞いた。
「今は石田だ」
「誰かの保険証を使えば、その人に請求が行きます」
「使わなきゃ、こいつは病院へも入れない」
「だからって」
「説教はあとにしろ。まず走れ」
真壁の声には、対象資料にあった違法業者の響きも、善意の救済者らしさもなかった。
ただ、苦しんでいる男を早く運べと命じている。
*
病院の受付で、真壁は《石田武夫》と書いた。
男は車椅子へ移され、処置室へ運ばれた。
看護師が生年月日を確認すると、真壁は保険証を見ながら答えた。
亮と御子柴は、少し離れた場所から見ていた。
決済端末の資料が更新される。
《他人名義の公的医療資格使用を確認》
《推奨信頼度:89%→93%》
《仮判定期限:残り8分14秒》
「確認は終わりました」
御子柴が言った。
「何が終わったんですか」
「対象が、資料どおり偽造書類を使っていることです」
「あの人を病院へ入れるためでしょう」
「目的があれば犯罪を続けていいんですか」
「真壁さんを処分したら、あの人はどうなる」
「本名を確認し、正規の福祉制度へ移す」
「本名がない人だったら?」
「本名のない人間はいません」
御子柴の答えは速かった。
亮は御子柴を見た。
「処分された人以外は?」
御子柴は端末へ目を落とした。
「仮判定をしてください」
「答えてください」
「今の課題には関係ありません」
「知ってるんですね」
「処分後の対象に関する情報は、あなたの閲覧権限外です」
「処分された人は、生きてる」
「橋本隆志さんについて、黒瀬さんから聞いたでしょう」
「どこで、どうやって生きるんですか」
御子柴は答えず、仮判定画面を表示した。
白い《生存》と黒い《処分》。正式判定と同じ二つの選択肢だが、その上に《訓練用/確定されません》と記されている。
「あの人たちのことを考えれば、真壁を残したくなる。だから、対象以外を見ない訓練が必要なんです」
「見なければ、正しくなるんですか」
「誤差が減ります」
*
処置室へ運ばれた男は、急性の心臓発作ではなかった。
医師から経過観察が必要だと告げられ、真壁は受付前へ戻ってきた。
「帰りも頼めるか」
「まだ入院するかもしれません」
「俺だけ先に戻る。着替えを持ってくる」
亮は真壁を後部座席へ乗せた。
御子柴も助手席へ戻る。
車を発進させると、御子柴の端末が訓練時間を読み上げた。
「残り六分です」
真壁には、配達予定か何かに聞こえているらしい。反応しなかった。
「東雲荘には、何人住んでいるんですか」
亮が聞いた。
「日によって違う」
「住民票がある人は?」
「ない奴の方が多い」
「偽造した身分証で働かせている」
「働きたい奴に仕事を紹介してる」
「賃金の六割を取ってるんですよね」
「よく調べてるな」
真壁は驚かなかった。
「否定しないんですか」
「家賃、食費、仕事の紹介料、書類を用意する金。全部込みだ」
「それでも六割は取りすぎでしょう」
「他へ行けば、十割取られる」
「どういう意味ですか」
「身分証がない奴へ、まともに給料を払う雇い主がいると思うか。日当一万円と言って、仕事が終われば警察を呼ぶぞと脅して追い出す。それよりは、四割でも手元に残る方がいい」
「払えない人は?」
「追い出す」
「追い出されたら、どこへ行くんですか」
「知らない」
「それで、人を助けてるつもりですか」
真壁が、バックミラー越しに亮を見た。
「助けてない。商売だ」
真壁は座席へ深く座り直した。
「俺が食ってる。あいつらも食ってる。それを外から来た人間が、どっちか一つに決めるのか」
亮は前を向いた。
御子柴の端末が、《残り1分》を表示する。
「対象は資料より悪かったですね」
御子柴が言った。
「違法行為を認め、改善する意思もない。処分で問題ありません」
亮の決済端末に、訓練用の黒いボタンが現れた。
「押してください」
《残り42秒》
「真壁さんが消えたら、宿の人たちは?」
「対象は真壁省吾です」
「分かっています」
「なら、対象だけを見てください」
「対象だけ見れば、周りの人間が消える」
「消えません。行政へ引き継がれます」
「行政の記録にいない人を、どうやって引き継ぐんですか」
《残り19秒》
御子柴は黒い《処分》へ指を置いた。
「俺は押せません。あなたの仮判定です」
「だったら、触らないでください」
「あと十秒です」
「押しません」
「対象へ会っても、資料どおりだったでしょう」
「資料より悪かった」
「なら、迷う理由はない」
「真壁さんが消えたあとが、資料にない」
《3》
《2》
《1》
数字がゼロになった。
白と黒のボタンが消える。
《矯正課題:不合格》
《正式判定期限:残り70時間59分》
「不合格ですね」
御子柴は手を引いた。
「残存価値は?」
「正式判定ではないので、まだ四十七のままです」
「なら、残り七十一時間で調べます」
「残り七十一時間を使って、間違えてください」
御子柴は前方へ顔を向けた。
*
東雲荘へ戻ると、真壁は運賃を現金で払った。
領収書はいらないと言い、建物へ入ろうとする。
亮は車を降りた。
「中を見せてください」
真壁が振り返った。
「タクシー運転手が、何を見たい」
「石田さんの着替えを取りに来たんでしょう。手伝います」
「いらない」
「真壁さんを調べています」
御子柴が助手席の窓を開けた。
「須藤さん。それは開示規則に触れます」
「判定のことは言ってません」
「十分怪しいですよ」
真壁は亮と御子柴を交互に見た。
「警察か」
「違います」
「役所?」
「それも違う」
「だったら、勝手にしろ」
真壁は玄関の鍵を開けた。
「見たあとで、正義感を出すなよ。ここを潰せば、全員助かるなんて思うな」
亮は建物へ入った。
御子柴も、少し遅れて車を降りた。
「入る必要はありません」
「教官ですから。生徒が間違うところを見届けます」
東雲荘の玄関には、木製の郵便受けが十八個並んでいた。
どれにも名前が書かれていない。
靴箱には、革靴、安全靴、子ども用の運動靴まで入っている。廊下の壁には、社員証や診察券、キャッシュカードが透明な袋に分けて留められていた。
社員証は、顔写真の部分だけが剥がされている。
「これは何ですか」
「使える名前の在庫だ」
真壁は、病院へ持っていく着替えを探しながら答えた。
「死んだ奴、逃げた奴、金と引き換えに名義を置いていった奴。年齢と顔が近ければ使える」
「石田武夫も?」
「本物は二年前に死んでる」
「死亡届は」
「出てる。保険証の失効処理が遅れてたから、今日まで使えた」
「これを商売にしてるんですか」
「そう言っただろ」
廊下の奥から、五十代ほどの女が出てきた。亮たちを見ると、すぐ部屋へ戻ろうとする。
「待ってください」
亮は決済端末を向けた。
通常なら、顔から対象資料を検索できる。
画面には、白い文字だけが出た。
《該当する人物は存在しません》
女は、その表示を見ることなく部屋へ入った。
「今の人は?」
「本人に聞け」
「記録がない」
「だから、ここにいる」
真壁は古いスポーツバッグへ着替えを入れた。
「家族に捜されてる奴。借金から逃げた奴。外国から来て在留資格が切れた奴。役所の記録から消された奴。いろいろだ」
「消された?」
亮の声に、真壁が反応した。
「知ってるのか」
「何をです」
「国に名前を消された人間がいることだ」
御子柴は口を挟まなかった。
亮は、決済端末から橋本隆志の顔写真を開いた。
「この人を見たことはありませんか」
真壁は画面を受け取らず、顔だけを近づけた。
「ある」
亮の手に力が入った。
「いつですか」
「少し前だ。三晩だけ泊めた」
「今はどこにいるんです」
「連れ戻された」
「誰に?」
「灰色の車で来た連中だよ。役所みたいな服を着て、警察より静かに人を持っていく」
橋本を営業所から連れていった無地の車。
黒瀬が立っていた、あの夜の光景が戻る。
「どこへ連れていったんですか」
「知らない。あいつも知らなかっただろうな」
真壁は玄関脇の戸棚から、大学ノートを出した。
「本名を書けない奴は、頭文字と年齢だけで残してる」
ページをめくる。
日付。宿泊日数。徴収した金額。紹介した仕事。
人間を管理する帳簿であり、行政が消した人間を残す記録でもあった。
真壁の指が、一行で止まる。
《H・T/61》
宿泊、三泊。
所持金、千八百四十円。
備考欄には、《運転手/東西自動車の上着を所持》と書かれていた。
「この人ですか」
「たぶんな」
亮は御子柴を見た。
「橋本さんは、ここにいた」
「記録上は確認できません」
「この宿帳がある」
「真壁省吾が作成した、身元不明者の帳簿です」
「何を見ても、資料じゃなければ信じないんですか」
「信じるかどうかと、判定に使えるかどうかは別です」
御子柴は《H・T/61》を見下ろした。
「ただ、その人が橋本隆志なら、処分後に管理区域から逃走したことになります」
「管理区域」
御子柴は答えなかった。
真壁が宿帳を閉じる。
「見せるものは見せた。次は、あんたが何者か話せ」
亮の決済端末に、正式判定の残り時間が表示された。
《残り70時間31分》
その下には、変わらず真壁省吾の顔と、白い《生存》、黒い《処分》が並んでいた。




