弐 主と従者
久遠の屋敷へやってきた澪は、玄関の重厚な扉に圧倒されていた。
歴史ある名家ではあるが、異国の文化も取り入れた館はやはり他のどの家よりも格式が高く、心なしか従僕達の動きも洗練されて見える。
気を抜けば緊張で震えそうになる手に力を込め、澪はその黒壇の扉に手をかけた。扉はその見た目の重厚さと裏腹に音もなく口を開く。この門をくぐれば、もう久遠の一員だと気を引き締める。
「すみません、北條から参りました澪と申します」
扉の先にいた従僕へ声をかければ、ああ、とにっこりと笑顔で迎えられた。
「お館様から話は聞いている。澪姫、案内しよう」
無造作に結わえた黒髪に鍛えられた体躯の男に、ただの従僕でなかったことに気付く。慌てて頭を下げる澪に、男はからからと笑った。
「やっぱり従者には見えんか。なに、奥方の案内役なんて愉快なお役目、他の者には任せられんよ」
「はあ⋯⋯」
何となく腑に落ちるような落ちないような。重大な、ではなく、愉快な役目、ときた。澪は首を傾げながらも男の後ろをついて歩いた。
屋敷の中は北條の屋敷と同じ木造りでこそあるが、黒壇を主に使っているせいか少し空気が重いような気がする。辺りを見渡しながら歩くのははしたないと自覚しながらも、異国の物が時たま目に入るとどうしても気になってしまう。
「お館様にお会いしたら、今日は恐らく時間が空く。それからゆっくり見て回ればいい」
目の前の男には、興味津々な様子が伝わってしまっていたようで、頬に朱が走る。
気付いても知らんぷりしてくれればいいのに。男の背を軽く睨みつけると、その視線すらわかっているのかくつくつと男の肩が揺れる。
「さあ、ここだ。澪姫、こちらにお館様がいらっしゃる」
引き戸は見慣れた障子で、それだけで何となくほっと息を吐ける気がする。
「案内をありがとうございます」
案内をしてくれた男に礼を言いながら、名前すら聞いていなかったことに気が付く。
「神楽木蓮司。お館様の従者だから、今後もよろしく」
「よろしくお願いします」
差し出された手を握ることはなく、深々と頭を下げる。神楽木の家は『断ち』の一族。武門らしい豪快な方だとひっそり思う。
改めて障子へ向き直り、深呼吸を一つしてからそれに手をかける。からからと軽快な音がした。
部屋の中が見える前に、澪は頭を下げた。
「はじめまして、久遠様。北條が娘、澪と申します」
「ああ、待っていたよ清めの巫女姫。久遠咲也だ」
頭を上げてくれ、と涼やかな声音が耳に届く。ゆっくりと視線を上げて、改めて久遠家当主を見やる。
白銀の髪は澪の物よりも少しくすんで見える。先程まで見ていた蓮司と比較してしまうためか、男性にしては華奢で線の細い男性だ。手負いの獣のような、痛々しい雰囲気も感じる。
「あの、旦那様とお呼びしても⋯⋯?」
「好きにしていい。霊災が起きない限り、君の行動に制限はつけない」
用件は他には、と問われれば、拒絶されたように感じる。心通わす必要はないとはいえ、彼と共に生涯を歩むのかと考えると気が重くなる。
「今日は神々も荒ぶる予兆がない。ゆっくり休め」
「お館様、申し訳ありませんが人払いを」
部屋の隅に立つ蓮司の言葉に、咲也は僅かに眉を上げる。続いて咳払いを一つすると、障子が再度からからと音を立てた。
「で、何だ蓮司」
二人の立ち位置は何も変わらない。けれども、澪ははっきりと二人の纏う雰囲気が変化したのを感じ取った。
蓮司ははあ、と大きなため息を吐いて咲也の元へ歩み寄る。咲也はそれを当然と、先程よりも乱雑な雰囲気でそれを待ち受けている。
「お前なあ⋯⋯」
「だから⋯⋯」
近付いて良いものか、迷っている間に男二人がぼそりぼそりと会話する。
「あーもう、だからお前は馬鹿なんだっ」
蓮司の急な大声にびくり、と肩がはねる。そのやり取りは、少なくとも主と従者の姿ではない。
「澪姫、こんな奴ですが、性根は良いはずなので、よろしくお願いします」
驚かせた詫びと共に咲也の頭を抑える蓮司の姿は、澪の知っている従者ではない。
「は、はい」
呆気に取られたまま、ただ頷くしかなかった。




