第63章 がんばれ花沢くん
ようやく迎えた受験当日の朝。冷たい空気に白く混じる吐息の中、花沢は駅の改札前で、呼び出した香苗を待っていた。
人混みの中で彼女の姿を見つけた瞬間、花沢は迷わず歩み寄り、その細い体を力強く抱きしめた。
「は、花沢くん……っ!?」
「……少しだけ。元気もらいたかったんだ」
驚く香苗の肩に顔を埋め、花沢は深く息を吸い込む。香苗から漂う柔らかな香りが、極限まで張り詰めていた彼の心を、不思議と凪いでいく。
「……香苗。俺、本当にお前と出会えて、お前がそばにいてくれて幸せだった。……ありがとな」
「……花沢くん」
香苗は一瞬戸惑ったが、彼の背中にそっと手を回した。
「……私も、花沢くんと出会えて良かったよ。……絶対、受かってよね! 頑張って!」
電車に乗り込もうとする彼の背中に向けて、香苗が精一杯の声を張り上げる。花沢は一度だけ振り返り、不敵な、それでいてどこか晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
「おう! ……あ、そうだ。俺が受かったら、一回だけデートしろよな。先生には、もう許可もらってるから!」
「えっ、先生が!?」
驚きに目を見開く香苗を置き去りにして、花沢は閉まりかけた電車のドアに滑り込んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……先生」
夜、誰もいなくなった講師室で、花沢は本原の前に立った。本原は眼鏡を上げ、淡々と花沢を見据える。
「なんだ。明日の準備は終わったのか」
「ああ。……先生、俺、必ず受かってくるから」
「頑張れよ」
本原がフッと皮肉げに笑った瞬間、花沢は踵を返し、ドアに手をかけながら言い放った。
「受かったら、香苗とデート行くからな」
「……っ、おま、……待て! 花沢!」
本原の制止する声が響くより早く、花沢は「じゃ!」とだけ残して、脱兎のごとくその場を去っていった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ガタゴトと揺れる電車の中。
花沢は参考書を開きながらも、ふっと窓に映る自分の顔を見て、力なく苦笑いした。
(……『許可』っていうか、ただ言い逃げしてきただけなんだけどな)
本原先生のあの焦った顔を思い出し、少しだけ胸がすくような、けれどとんでもない爆弾を落としてきたような心地よさに、花沢は小さく鼻を鳴らした。
(……まあいい。受かれば、こっちのもんだ)
花沢は、香苗の温もりが残る手のひらを一度強く握りしめ、再び鋭い目つきで参考書の文字を追い始めた。
「絶対受かる」
そう決意して、彼は志望校の門をくぐったのだった。




