第61章 受験は不公平
夏休みが明け、廊下に貼り出された実力テストの結果。1位には不動の「花沢」の名前。そして、少し下った20位に「香苗」の名前があった。
「……やった」
順位としてはもう少し頑張りたかったが、コツコツと積み上げてきた評定は『4.8』。指定校推薦の切符を掴むには、十分すぎる数字だった。
夢中で本原先生に報告に行こうとした、その時。角を曲がった教室から、聞き慣れた声が漏れてきた。
「ねえ、香苗って正直、先生たちに気に入られてるし、なんかズルしてたんじゃない?」
里奈の声だ。棘のある響きが、しんとした廊下に冷たく響く。
「……ズルかどうかは分かんないけど。でも、あんなに推薦で楽に受かられたら、正直ちょっと嫌かも。私たち、こんなに必死にやってるのにさ」
親友だと思っていた、ゆかりの、隠しきれない嫉妬。
(……ああ、やっぱりそう思われてたんだ)
以前の香苗なら、ショックでその場を逃げ出し、どこかで泣いていただろう。けれど、今の香苗の心は不思議なほど静かだった。
「……仕方ないよね。私が頑張ってきたことは事実だけど、でも確かに推薦でいけても私はきっと」
一般では受からない。そもそも推薦で受かるか確実ではないけど自分でも学校によって評価が違ったり、全然勉強ができなくてもいい大学に行ける人たちを見て逆の立場ならそう見られるだろうとは感じていた。
「あんまり気にすんなよ」
「え、うん。まあ大丈夫だよ」
通り過ぎた花沢は、小さく苦笑した。弱くて、放っておけなくて、守ってやりたいと思っていた少女。
けれど今の彼女の姿は、どんな時よりも眩しくて、残酷なほどに綺麗だった。
「いつのまにか強くなってたんだな」
(……ますます、好きになっちゃうだろ。これじゃ、一生勝てねえよ)
花沢は、香苗が消えていった廊下をずっと見つめていた。
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それから数週間後に学校から電話がかかってきた。
「……合格。……私、推薦、通ったんだ……」
学校からの電話を切ったあと、私はその場に泣き崩れた。夏休みのあの地獄のような勉強、周囲の冷たい視線、自分を信じられなかった夜。すべてが「合格」という二文字で報われた瞬間だった。
全く認めてくれなかった家族もこれまでの苦労を労ってくれた。けれど、喜びの絶頂は長くは続かなかった。
「……ゆかり、落ちたんだって?」
放課後の教室、里奈たちの冷ややかな声でそれを知った。同じ指定校推薦に、密かにゆかりも希望を出していたこと。そして、選ばれたのは私だったこと。
「ねえ、香苗。正直、納得いかないんだけど」
帰り道、呼び止めたゆかりの瞳は、これまでに見たことがないほど濁っていた。
「他の人たちのことはわかるよ。あの人たちはうちらより頭いいもん。でもさ、香苗とうちって、地頭変わんなくない? テストの点だって、初めの方いつも同じくらいだったじゃん。……うちは一般入試の勉強と並行してやってたから学校の勉強にそこまでさけなかった!本当ずるい」
「それは……」
「あー結局、世の中そんなもんなんだね。……もういいよ。あんたの顔見てると、自分が惨めになる」
絶交。そう言われたも同然だった。仲の良かったグループから、静かに、けれど確実に弾き出されていく感覚。
一人になった帰り道、公園のベンチで香苗は、合格通知を握りしめたまま、行き場のないため息をこぼした。
「……はぁ。私、何のために頑張ったんだろう」
報われたはずなのに、心にはぽっかりと穴が空いたようだった。その時、背後から聞き慣れた、低い靴音が近づいてきた。
「……合格おめでとう、香苗。そんなところで何を溜息をついている」
振り返ると、そこには本原先生が立っていた。先生は香苗の隣に座ると、彼女の震える肩をそっと見つめた。
「ゆかりと色々あって…」
「……こればっかりは仕方ない。選ぶのは大学側だし、お前が積み上げた『4.8』という数字だ。まあこればっかりはどっちが悪いとかではない。」
先生はそう切り捨てると、俯く香苗の細い体を、壊れ物を扱うような、けれど有無を言わせぬ強さで抱き寄せた。
「先生……」
「お前の努力を、俺は一番近くで見ていた。誰が何を言おうと、お前が勝ち取った結果だ。……今は、俺の腕の中で、自分を褒めてやれ」
先生のタバコの香りが私を満たしていく。
友達を失った喪失感を、先生の圧倒的な独占欲と優しさが、じわじわと上書きしていく。
「……おめでとう、香苗。よくやったな」
その囁きは、どんなものよりも、香苗の凍えた心を温かく溶かしていった。




