第57章 本番の夏
「……先生」
西日が差し込む誰もいない進路指導室の前。ずっとちゃんと話をするのを避けてきた。制服越しに伝わる先生の体温が、明日から始まる「会えない日々」を予感させて、胸が締め付けられる。
「……佐倉」
「避けたりしてごめんなさい、」
周りに誰もいないのを確認して、思わず抱きしめたくなる。本原はそれを察したのか彼女の頭に手を置いた。
「……俺も悪かった。だが佐倉、お前ももう受験生だろう。夏休みは勝負の時だ。講習や自習室に詰め切りになる……俺も色々仕事がある。お互いに頑張るときだな」
諭すような、けれどどこか寂しげな声。香苗は顔を上げ、先生の眼鏡の奥にある瞳を真っ直ぐに見つめた。
「……そうですね、もし受からなかったらきっと私家庭での立場無くなっちゃうし」
ふと思い浮かぶのは数日前の父との会話。
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朝起きると食卓に漂う空気は、凍りつくほどに冷たかった。父が新聞から目を離さず、吐き捨てるように言った。
「お前は、進路ちゃんと考えるのか?お姉ちゃんはこの時期しっかり勉強をして、色々調べてしっかりと準備してたぞ。お前はどうだ」
「考えては、いる。けど、どうすればいいかわからなくて」
「まあいい、とにかくしっかりと勉強するんだぞ、そして、母さん言ってやれ」
「あのね香苗、例の婚約者のこと卒業後にちゃんとしようね?」
「……っ」
返事もできず、ただ俯いた。自分には、姉のように器用に生きる才能も、両親の期待に応える力もない。だからといって、好きでもないあの人と結婚させられ、決められたレールの上で一生を終えるなんて。
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「私はどうすれば…」
「……まあなんかあったらいつでも言ってくれよ。すぐにでもお前のとこいくから」
「先生…」
「あっこれお前に渡す、それじゃあな」
そう言って先生はまとめのプリントをくれて去っていった。ちょっと雑な字だけど私のために一生懸命やってくれているのが伝わって嬉しい。最後のページを見ると、思わず笑ってしまうような冗談が添えられていてとても考えてくれたのがわかった。
「……本原先生ーー!」
先生に懐いているであろう男子が肩を組む。そんな男子に先生は嬉しそうに応じる。先生は優しいだけじゃなくて、面白くてそれでいて頼り甲斐がある、だから男女問わず人気者なのだ、そんな先生がたまらなく好きだ
「……佐倉」
先生を見つめていると、花沢くんに突然後ろから話しかけられた。
「花沢くん」
「夏休み入る前に話したくてさ、あのさ塾の夏期講習大変だけどお互い頑張ろうなって、あっそういえばお前と話したいって航平が言ってたぞ」
航平、たまあに連絡取り合ってたけど最近取り合っておらず、久しぶりにその名を聞いた。
「そっか、って2人連絡取ってたの?」
「実は塾が同じだったんだよなー、で、時々話すんだ」
「知らなかった、そか、」
「…また、夏機会あれば一緒に勉強しような」
「うん」
花沢くんは私なんかよりずっと未来に突き進んでいる。私は明確な夢や目標はないけれど、とりあえず必死に頑張って親に認めてもらおう。そして、やっぱり花沢くんにしっかりと伝えよう。




