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第58章   甘えてばかりの私

 夏期講習が始まってそれなりに経った頃、夏期講習の膨大な宿題を一緒に終わらせようと、花沢くんと航平と3人で集まることになった。

 花沢くんが来る前、久しぶりに2人きりになった洸平くんに一つの疑問をこぼす。

「にしてもさ、いつの間に花沢くんとなかよくなったの?」

「仲良くって言うか……正直いけすかない奴だけど、話しやすい相手ではあるから。……香苗が知らない間に、色々あったんだよ」

 なんだか腑に落ちなかったがそのまま、自然と進路の話になる。

「あのさ進路…どうするの?」

「俺? うーん……とりあえず、家から離れたところに行きたいな、って思ってる。一人暮らし願望あるんで」

「そっか……」

 香苗は手元のシャープペンシルを見つめ、苦笑いを浮かべた。

「みんなもー色々決まってて、焦っちゃうんだよね」

「らしくないな」

「らしくないってなにさ、私だって悩むし!」

「…まあ、なんだかんだちゃんと将来決まってるのなんて、全体の半分にも満たないんだから大丈夫だよ。……それよりさ」

 航平くんが急に真面目なトーンになって、香苗を真っ直ぐに見つめた。

「何か、俺に話したいことない?」

「?そうだね、えっと……何から話せばいいんだろう……」

 戸惑う香苗に、彼は逃げ道を塞ぐように淡々と言葉を重ねる。

「あいつ(花沢)のこと? それとも……例の先生?」

「っ、どうして……」

「言ったでしょ。色々聞いてるって。……あいつとはもちろん勉強の話もするけど、帰りとかだいたい香苗の話しか聞かないから」

「…」 

 私は航平の気持ちを知っている。知っていながら、彼を「都合のいい相談相手」のように今側においてしまっている。

「……今更だけど私、気持ちを知っておきながら、あんなことしてごめん、辛いとき……その、恋愛関係で悩んでる時に、話を聞かせる相手じゃないのに……」

「いいよ全然」

 彼はあっさりと首を振って、いつものように笑ってみせた。航平と長い間一緒にいるけど今思うとあんまり航平って顔に出ない。

「頼りにされるのって嬉しいし。それに、あいつとお前がいい感じになってたのを、途中で壊したの、俺も少しは原因あるみたいだしさ」

「いやいや、違うよ! 私が……っ」

 焦る私を遮るように、彼は少しだけ声を落とした。そこには、友達の仮面を脱いだ、一人の男としての本音が混ざっていた。

「……もちろん自分を選んでくれたら嬉しい。でも今一番思うことは香苗が幸せになる選択肢をとって欲しいってことなんだ。誰を選んでも、ね」

「あの、そんな風に言ってくれてありがとう」

「……で、香苗はどうしたいの?」

「先生のそばにいたいって、あの人の近くを見守っていたいって、見つめられたいってそう思う。」

「そっか」

 私はもう先生しか見えない。しっかり考えて先生の隣に立つのに相応しい女性になれるように私はなりたい。先生と話せば話すほどその想いは膨れ上がるんだ。

「そんな可愛い顔を香苗にさせる先生はさぞ素敵な人なんだろうね」

「え、私そんな顔に出てた!?」

 どうやら無意識のうちに顔がニヤついてしまっていたらしい。恥ずかしい。

「香苗はさ基本明るくて、後たまに面白いこと言ってくれたり、表情がコロコロ変わったりしてこっちを楽しませてくれる。だけどさ、あんまり本当の弱音って吐かないよな」

「そうかな?」

「前にそれでさやかのやつが悩んでたんだよ」

「ずっといるのにたまに掴めないって、もう少し頼って欲しいのにって」

「…さやかがそんなこと」

「まああんまり思い詰めずに自分の行きたい方向に進めよな」

「うん」

 話しているとどうやら走ってきた花沢くんがやってきた。

「2人でなんの話してるんだよ?」

「お、花沢お前遅いぞー?俺らがいい感じになってもいいのかよ?」

「は?お前ふざけるな、殺すぞ」

 花沢くんが香苗の隣に座り、ノートを広げようとした、その時だった。彼のポケットの中で、スマートフォンのバイブ音が激しくテーブルを叩いた。

「……あ、わり。ちょっと待って」

 画面を見た花沢くんの眉が、ピクリと跳ねる。登録外の番号。けれど、その番号の市外局番に見覚えがあったのか、彼は迷わず通話ボタンを押した。

「……もしもし」

 香苗は隣で、彼の表情がみるみるうちに凍りついていくのを見た。さっきまで勉強の熱気で上気していたはずの彼の肌から、さあっと血の気が引いていく。

「え……母さんが? ……どこの病院ですか。……はい、すぐ行きます。はい」

 電話を切る手がつかの間、震えていた。いつも硬派で、どんな難問にも動じない花沢くんが、見たこともないほど狼狽している。

「花沢くん……? どうしたの」

 香苗が恐る恐る声をかけると、彼は弾かれたように立ち上がった。

「……悪い。母さんが倒れて、病院に運ばれたって」

「えっ……」

「……行くわ。これ、悪いけど片付けといてくれ」

 彼は広げかけたばかりの参考書を無理やりカバンに押し込み、震える指でカバンのチャックを閉めた。

「花沢!」

航平くんが鋭く声をかける。

「……落ち着け。病院まで、電車よりタクシーの方が早い。金はあるか?」

「……あ、ああ。サンキュ」

 花沢くんは、最後に一度だけ香苗の方を振り返った。

その瞳には、自分の無力さへの苛立ちと、この場を去らなければならない切なさが混じり合い、ひどく歪んで見えた。

「……香苗。また、連絡する」

 それだけ言い残すと、彼は脱兎のごとくファミレスを飛び出していった。


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