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第48章   さようなら

 放課後の廊下。足早に立ち去ろうとする私を呼び止めたのは、聞き慣れた、でも今は聞くのが苦しいあの低い声だった。

「香苗、待て」

 振り返ると、先生が少しだけ呼吸を乱して立っていた。忙しい合間を縫って追いかけてきてくれたのだと分かって、胸の奥がチリリと痛む。

「……最近、冷たくして悪かった。学年主任の仕事にかまけて、お前のことを見てやれていなかったな」

 先生は一歩近づき、私を労るような優しい笑みを浮かべた。

「テストの結果、聞いたぞ。13位、本当にすげーよ、お前ならやると思っていた」

 そう言って、先生は大きな手を私の頭へと伸ばした。

いつもなら、その体温を感じるだけで幸せで、すべてを許せてしまったはずの手。

けれど。

 あの日、10位だったあの子の髪に触れようとしていた先生の手の残像が、鮮明に脳裏をよぎった。

「……やめて」

 私は悲鳴に近い声を上げて、先生の手を激しく振り払った。自分の出した拒絶の声に、自分自身が一番驚いて、肩が震える。

「……香苗?」

 差し出されたまま宙に浮いた先生の手。その指先が、見たこともないほど動揺して震えているのが分かった。先生の顔から余裕が消え、深い困惑と傷ついたような色が広がる。

「……っ、先生はお忙しいんです。学年主任で、みんなの先生で、私なんかより頭が良くて可愛い子が周りにたくさんいるんだから。……私に、無理に構ってもらわなくていいですから」

「どうしたんだ」

「なんでもないですから」

 先生は私を宥めようと必死だった。その宥めている手にはかつて愛した人との証である指輪を今でもはめている。忘れなきゃって言って忘れられない何よりの証拠だ。

「……さようなら」

 先生の言葉を遮るように、私は深く頭を下げた。顔を上げたら、また先生に縋ってしまいそうだったから。先生の体温も、優しい声も、今は私を壊す毒でしかない。

 背を向けて走り出した私の耳に、先生が私の名前を呼ぶ声が届く。しばらくは距離を置かなくちゃ。

 先生を拒絶して、逃げるように校門を出た私の前に、背の高い男が立っていた、花沢くんだ。

「……待ってた。この前の続きを話すために」

 彼は私の返事も待たず、当たり前のように隣を歩き出す。夕闇に包まれ始めた帰り道、彼はしばらく何も言わずに私に歩調を合わせていたけれど、不意にポケットから何かを取り出した。

「……これ。お前の、だろ?」

 差し出された彼の手のひらで、街灯の光を反射してキラリと輝いたのは、私が外したはずのあのネックレスだった。

「え……っ、あ、嘘……っ!」

 慌てて制服のポケットを探る。……ない。一体いつ落としてしまったのだろう。

「あ、ありがとう……。でも、よく私のってわかったね」

 動揺を隠そうと、なるべく平静を装って受け取ろうとした。けれど、花沢くんは手を引かなかった。それどころか、その瞳には今まで見たこともないような、鋭くて苦い色が宿っている。

「お前が大事そうに授業中とか持ってるの見てたからな」

「そっか、ありがとう」

「……先生と生徒なんて、めんどくさくねーか?」

「え……」

「そんな隠れて繋がってられないような関係、しんどいだけだろ?そりゃいい男だとは思う。男から見てもできた人間だってな。でもお前には俺の方がいいと思うぜ……俺じゃ、ダメか?」

 花沢くんの言葉は、先生の愛とは正反対で、あまりにもシンプルで、透明だった。先生は、私に計り知れない安心感を与えてくれる。けれど同時に、あの底知れない余裕が私を不安の渦に突き落とす。

「……花沢くん」

 私は、彼の真っ直ぐな瞳から目を逸らせなかった。確かに、彼の方が私のことをずっと長い間想ってくれている。

「まあ俺が言いたいのは何があってもお前の味方だつてことだ、お互いに夢に向かって頑張ろうな」

「うん」

 今はとにかく自分がどうしたいのかを必死に模索する他ないのかもしれない。1人でしっかりと向き合っていかないといけない。

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