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第46章   不安だけれど

 4月8日、最高学年になったという高揚感と、進路への漠然とした不安が混ざり合う空気の中、掲示板に貼り出された教職員一覧を見て、廊下がざわついた。

「え、本原先生、学年主任!? 若いのにすごすぎない?」

 友人たちの驚き混じりの感嘆の声を聞きながら、私は胸の奥で誇らしさが爆発しそうだった。

(……すごい。私の好きな人は、やっぱり誰よりも優秀なんだ)

 自分のこと以上に嬉しくて、早く先生に「おめでとう」と言いたくてたまらない。早く会いたい。

「でも香苗、先生が学年主任ってことはさ……相当忙しくなるよね。今までみたいに、ちょっとした空き時間に話したりするの、難しくなっちゃうんじゃない?」

「え……」

 確かに、学年全体をまとめる責任と、膨大な事務作業で忙しくないはずはない。不安を打ち消すように「大丈夫だよ」と笑ってみせたけれど、その予感はすぐに現実となった。

 先生は、もともと受験指導に詳しいことで有名だった。学年主任という肩書きがついたことで、彼の周りには常に、真剣な顔をした生徒たちが群がるようになった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ある日の放課後。

 私は意を決して、職員室の入り口で先生に声をかけた。

「……先生、あの、少しだけ……」

 先生が私に気づき、眼鏡の奥の瞳を和らげる。その一瞬の「特別」に胸が高鳴ったのも束の間。

「あ、本原先生! すみません、この志望理由書の添削、今いいですか?」

「先生、さっきの模試の結果なんですけど……」

 次から次へと、他の生徒たちが先生を囲んでいく。私と先生の間に、目に見えない、確かな壁があった。先生は困ったように、でもどこか申し訳なさそうに私をて見て短く言った。

「……悪い、佐倉。今は手が離せそうにない。……今度でもいいか?」

「……。はい、大丈夫です」

 私は精一杯の笑顔を作って、一歩下がった。今度がいつになるかなんて、先生にも分からないはずなのに。受け入れるしかない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 それから数週間経ってもなかなか先生とタイミングは合わなかった。この数週間の間でさやかはパリへと旅立ってしまったし、不安な気持ちはより一層高まってしまっている。そんな日々の中、聞き捨てならない会話が耳に飛び込んできた。

「本原先生って、近くで見るとマジで色気やばくない? 学年主任になってから余計にかっこよくなった気がする」

「わかる!なんていうか責任感でより?さっき質問した時、ちょっと袖口に触っちゃったんだけど、全然動じないの。あの余裕、ずるいわー」

 胸の奥が、痛い。今すぐに抱きしめてほしい。他の人になんて触れないでほしい。私がずっと大切に、誰にも触れられないように守ってきたはずの先生の温もりを、他の子たちが無邪気に消費している。

 教室へ戻る途中、開け放たれた進路指導室の扉越しに、先生の姿が見えた。数人の女子生徒に囲まれて、先生はいつもの冷静な口調で資料を説明している。

 一人の生徒が、あざといくらいに距離を詰めて、「ここ、わからないんです」と先生の腕のあたりに指を這わせた。

(……やめて)

 叫び出しそうな衝動を飲み込む。先生はそれを振り払うこともせず、ただ淡々と、大人の余裕で受け流していた。その「慣れている」感じが、今の私には何よりも残酷だった。先生にとって、女の子に触れられるなんて日常茶飯事なんだ。

「……こんなこと、嫉妬してる場合じゃないのに」

 私は拳を強く握りしめた。さやかは海を越えて夢に向かって頑張ってるし花沢くんも相変わらず1位をキープしている。

 それなのに私は、先生の周りにいる女の子の数に一喜一憂して、立ち止まっている。

「……頑張らなきゃ。私も」

 先生の隣に並ぶ資格があるのは、嫉妬に狂う子供じゃない。せめて、先生が私を見た時に「お前は他の奴らとは違う」と思ってもらえるような、強い自分になりたい。

 私はカバンから参考書を引っ張り出した。

「次のテスト、絶対にいい点数を取ってやる」

 そう決意してノートを開く。次いい点数取って先生にいっぱい褒めてもらうためにかんばらなきゃ!

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