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第27章   余韻のある熱と戸惑い

 文化祭の喧騒が嘘のように静まり返った教室。窓から差し込む夕闇が、床に長い影を落としている。私は一人、高いところにある装飾を外すために脚立に登っていた。

「……あ、あとこれだけ……っ」

 背伸びをして手を伸ばした瞬間、脚立がガタッと揺れる。

「あ……っ!」

 バランスを崩し、体が宙に浮いた——そう思った次の瞬間、強い力が私の体をガシッと受け

「——っと! ……お前、バカか。危ねぇだろ!」

 先生の焦った声。でも、私を支える先生の手の位置が、いつもよりずっと高くて。先生の大きな掌が、私の脇腹から胸のすぐ横あたりを、力任せに掴んでいた。

「……っ!?」

 制服越しに伝わる、先生の指の熱。心臓が口から出そうになる。先生も自分の手の位置に気づいたのか、ハッとして目を見開いた。

「……すまねぇ……慌てて、手が……っ」

 先生はすぐさま手を下ろし、私の腰へとスライドさせた。でも、離すどころか、そのままグイッと自分の方へ引き寄せ、私の体を自分の胸板に密着させる。

「…………先生?」

「……つーか、お前……腰、細すぎだろ。ちゃんと飯食ってんのか?」

 先生の低い声が、耳元で震えている。さっきのハプニングで動揺しているのを隠すように、先生は私の腰に指を食い込ませ、骨の感触を確かめるように強く掴んだ。

「……食べてますよ、これでも。……っ、先生、それセクハラですよ!」 

 赤くなった顔を隠したくて必死に抗議すると、先生はフッと自嘲気味に笑った。健康チェックだなんて意地悪く笑う先生の胸板に押し付けられて、私の心臓は、さっき脚立から落ちそうになった時よりも激しく、壊れたみたいな音を立てている。

「……っ」

 腰に食い込む指の力。そこから伝わる先生の体温が、熱い毒みたいに全身に回っていく。先生の手が触れている場所だけが、熱くて、痺れて、……もっと強く、そこを壊してほしいみたいに疼きだす。

(……どうしよう。私ってばおかしい…)

 先生の、この大きな手に、もっと別の場所も触れてほしい。さっき間違って触れかけたところに触れて欲しいだなんて

 そこを、もう一度、今度は「間違えて」じゃなく、先生の意思で触って欲しいなんて一瞬考えてしまった。

「――そういやあの時邪魔して悪かったな。」

 その言葉が耳に入った瞬間、心臓の音が大きくなった。まさか見られていたの?心にドロリとした「もやもや」が広がる。

「……っ」

「お前あの人気者の花沢と、やるじゃねえか」

「……違います」

「ん?」

「……そんなんじゃ、ありません。……先生が思ってるような、そういう……」

「そういう?」

 先生はわざとらしく小首を傾げ、私の耳元にさらに顔を寄せる。その声は、優しさを装っているようでいて、実は鋭い棘を隠している。

「だから、付き合ってるとかではなく」

 脚立の上で作業中だった私を先生が背後から腰を支えたことで、体が強制的に先生の腕の中へと引き寄せられる。

「……先生、違います。花沢くんとは、そういう……付き合ってるとか、そういうんじゃないんです!」

 なぜか必死に否定した。先生は、背後から腰を掴んだまま、楽しそうに喉の奥で笑う。

「ふうん。そんなに必死に否定しなくてもいいんだぞ? 別に俺は、お前が誰と何をしようと口出しはしない」

「そうじゃなくて」

「じゃあ、何だ? 俺にだけは、そう思われたくないのか?」

 先生のその問いかけに、香苗はハッとして言葉に詰まる。

(そう……! 先生にだけは、なんでか誤解されたくない……!)

「……私、先生にだけは……誤解されたくないっていうか……っ」

 私は多分今顔を真っ赤にしているはずだ。先生は一瞬だけ目を見開くと、その瞳から余裕の光が消え、射抜くような鋭い色が宿る。

「……どういう意味だ?」

 先生は腰から抱きかかえるようにして脚立から下ろすと、そのまま背後にあった壁へと追い詰め、逃げ場を塞いだ。いわゆる「壁ドン」の形。

「……言えよ。俺に誤解されたくないって、どういう意味だ、佐倉」

「か、揶揄わないでくださいよ、」

 距離が近い。先生の余裕たっぷりな、だけど真剣な眼差しに動けなくなってしまっている。今まで「生徒」としてしか見ていなかった先生の、剥き出しの熱を帯びた瞳を目の当たりにして、どうすればいいのだろうか

 その時先生の脳裏に、数年前の光景が、まるで鮮やかなフィルムのように蘇った。

――『……もう、からかわないでよね?』

 かつて、同じようにふざけて、同じように言い返してきたあいつのあの少し困ったような、でも愛おしそうな笑顔。

(……っ!?)

 先生は自分の視界が、今目の前にいる香苗ではなく、「もういないはずの妻」の面影と重なったことに戦慄した。香苗の顔に、かつて自分が愛し、そして失った妻の影を無意識に探していたのだと気づいてしまったからだ。先生の手が、香苗の肩の上で目に見えて震えだす。

「……っ」

「せんせ……?」

 香苗の不安げな声が、先生を現実に引き戻す。

妻の記憶と、目の前の生徒。そのあまりの乖離に、先生は自分が「何をしようとしていたのか」を理解し、猛烈な自己嫌悪と、それ以上の混乱に襲われた。

「……悪い」

先生は香苗から離れ、自分の顔を片手で覆った。

「……今の、なしだ。忘れてくれ」

「せんせ……?」

「…ちっとからかいすぎたよな?すまねーな」

 そう言って先生は香苗の頭にポンと置いて去って行った。そして一人教員室に戻ると先生は自分の指先を見つめながら自分の感情の整理をするしか他なかった。

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