第26章 鼓動と招かれざる影
さやかと山下くんが何かを察して「あ、私たち先回ってるね」と気を利かせて去っていく。二人の間に、急激な緊張感が走った。
「えっとーどうしたの、そんなに急いで」
聞いても何も答えない。話そうとしても全く聞いてくれてないみたいだ
「……ここなら、誰も来ないだろ」
花沢くんが連れてきたのは普段は使われていない屋上だった。彼は完璧に着こなしていた喫茶店の制服姿から少し乱れた服装をしている。さっきまでの「モテる男」の余裕は消え失せ、そこには真実を告げる怖さに震える、一人の青年の顔があった。
「佐倉、あの時のこと……マネージャーと、俺の……」
彼は意を消してぽつりぽりつりと話し始めた。彼の強い意志が、気持ちが私の身体に染み渡っていく
「あのね、もう何が正しいのか分かんなくて。一番辛い時に、家族にいつも無碍にされて、そんな時に花沢くんが私の支えになってくれて…」
そうだ、だからこそ、あの光景が死ぬほど怖かったのだ。どうしようもなく逃げたいと思っていて唯一の救いだと思っていた花沢くんが、自分以外の誰かと触れ合っている。その事実に、心があっけなく折れてしまった。
「花沢くんはは何も悪くないのに、勝手に避けて…本当にごめん」
彼はその言葉を黙って聞いていた。
「……謝らなくていい。お前をそんな風にさせたのは、俺が頼りなかったからだよな、俺はお前を…」
『――おいおい、遅いぞーひろ!』
『ったくうるせーぞ、生徒たちが頑張ってるっつーのにお前はよ』
階段から楽しげな2人の男性の声がしてくる。
「っ……!」
彼はとっさに腕を掴むと、屋上のすみっこにある物置のようなものの裏に隠れた。自分もその狭いスペースに滑り込み、かばうように覆いかぶさる。
「――ここでビールとか飲んだらたまらねーよな」
「おいおいここは学校だぞてめえ」
聞き覚えのある声だ。長嶋先生の豪快な笑い声と、それに続く少し低く落ち着いた声。
(……本原先生……?)
「あれ誰かいねーか?音がしたようなきがすんだが」
鼓動が、一気に激しくなる。物置の影に隠れている自分たちのすぐそばまで、先生たちの足音が近づいてきた。心臓が口から飛び出るほど張り詰めていた。すぐそばで、本原先生の足音が止まる。
一瞬の静寂。
「……いねーだろ、思ったより寒いし戻ろうぜ」
先生は少しだけ私たちの方に視線を向けたように見えたが、何も言わず、長嶋先生と共に足早に立ち去っていった。腰の力が抜けるほど安堵した。
(……よかった。気づかれなかった……)
安心したのは束の間、かなりすごいことになっていることを忘れてしまっていた。背中はロッカーの冷たい壁に押し付けられ、目の前には花沢くんの広い胸板がある。
(……熱い)
彼の服の薄い生地越しに、体温がダイレクトに伝わってくる。部活帰りではないはずなのに、微かに、汗の匂いと、男の子特有の、なんとも言えない匂いがした。
「……佐倉、行ったよな?」
鼓膜を震わすその声は、いつもより低く、掠れていて、まるで別人のようだった。少し荒い吐息が、首筋にかかっている。
(……花沢くんって、こんなに、背が高くて……大きかったっけなあ)
彼の心臓が、早鐘のように香苗の胸にリズムを刻んでいる。
「…うん、そろそろさやかたちのとこ行こっか」
「そうだな、戻るか」
なんとも言えない雰囲気になり足早にさやかたちのところへ戻って行ったのだった。




