第22章 文化祭の準備
「はい、注目ー! そろそろ文化祭の準備、本格的に取り掛かるぞー」
教壇でパンパンと手を叩く担任の声に、教室の温度が一段階上がった。黒板に大きく書かれたのは『2年A組:レトロ喫茶』の文字。
「メニュー係はこっち!」「内装の段ボール足りないんだけど!」
一気に騒がしくなる教室内で、私は流されるままに装飾担当のグループに加わった。
(文化祭、か……)
さやか達の文化祭もそういえばもうすぐか、どうしようかなほんと、花沢くんのことずっと聞かれても誤魔化してるんだよなあ。
「……佐倉、これ。どこに運べばいいんだよ」
不意に頭の上から降ってきた声に心臓が跳ねた。振り向くと、花沢くんが私の身長ほどもある大きな段ボールを二つも抱えて立っていた。
「あ、花沢くん。……それ、廊下の隅に置いておいてくれる? 看板の材料だから」
「……わかった」
彼はぶっきらぼうに応えると、軽々と荷物を運んでくれた。
「……ありがと。助かったよ」
「…………別に」
お礼を言うと、花沢くんは一瞬だけ何か言いたげに口を開いたけれど、結局そのまま背を向けて作業に戻ってしまった。以前なら、もっと当たり前に「サンキュ」って笑い合えたはずなのに。
今の私たちの間には、薄いガラスの壁があるみたいに、どうしても言葉が詰まってしまう。
「香苗ー! ちょっとここ持ってて!」
ゆかりに呼ばれて、私は慌てて思考を切り替えた。
ペンキを塗り、紙を切り、教室を飾り立てる。そんな時、衣装作りの人たちが急に盛り上がった。
「ねえ先生、喫茶店の衣装できました!チェック兼ねて着てみてくださいよ!」
「おい、俺はいいだろ……。ほら、準備に戻れって」
廊下から聞こえる賑やかな声に顔を上げると、クラスの女子たちにせがまれて、本原先生が苦笑いしながら教室に入ってくるところだった。
手渡されたのは、レトロ喫茶をイメージしたベストとネクタイの執事風スタイル。
「……しゃーねえな。一瞬だけだぞ」
数分後、着替えて戻ってきた先生の姿に、教室中が静まり返った。
(……っ!)
いつも着崩しているスーツ姿も素敵だけれど、身体のラインに沿ったベストを纏った先生は、驚くほど様になっていた。
長身でがっしりした体格が引き立ち、少し捲り上げられたシャツの袖からのぞく腕が、嫌でも「大人の男」を意識させる。
「なんだよ、静かになると怖いだろ」
少し照れくさそうに髪を掻く仕草さえ、どこかの映画のワンシーンみたいに絵になっていて。私は看板を塗る手を止めたまま、ただ呆然と見惚れてしまった。
「おーい、お前ペンキ、固まるぞ」
「あ……っ!」
先生に声をかけられ、私は慌てて視線を逸らした。心臓がうるさくて、まともに顔が見られない。
その後、放課後の片付けで、偶然廊下で二人きりになった。先生は元のスーツに着替えて明日の確認事項をまとめている。
「あの、先生……」
「ん? ああ、香苗か。まだ残ってたのか」
振り向いた先生に、私は勇気を振り絞って、熱くなった頬を隠すように俯きながら呟いた。
「……衣装、すごく、お似合いでした」
心臓が口から飛び出しそうだった。
すると、先生がふっと声を漏らして笑った。
「ありがとな。お前に言われると、なんだか着た甲斐があるよ」
そう言って、先生が私の頭を撫でようと手を伸ばした、その時だった。
背後から走ってきた男子生徒たちが「うおっ、悪い!」と先生の背中にぶつかった。
「おっと——」
勢いに押され、先生の体が私の方へ倒れ込んでくる。
ドンッ、と大きな音が響いた。
「…………っ」
気づいた時には、先生の両腕が私の頭の両脇、壁に強く押し当てられていた。いわゆる、壁ドン。でもそれは、不可抗力による「事故」で——。
あまりの近さに、息が止まる。鼻先が触れそうな距離で、先生の整った顔が目の前にあった。
先生の体から、微かに香るタバコと清潔な石鹸の匂い。そして、私の背中をさすってくれたあの大きな手が、今は私のすぐ横で壁を支えている。
「……悪ぃ。怪我、ねーか?」
先生の声が、いつもより低く、耳の奥まで痺れるように響いた。至近距離で見つめられる先生の瞳に、私の動揺しきった顔が映っている。
「……だ、大丈夫、です……」
「……そうか。なら良かった」
先生はすぐには体を離さず、一瞬だけ、私を見つめてくれたような気がした。ゆっくりと離れていく先生の背中を見送りながら、私はその場にへたり込みそうになる。
(……心臓が、うるさい……)
トクン、トクンと暴れる鼓動が、静まり返った廊下に響いているんじゃないかと不安になるほど。先生のあの「ありがとよ」という囁きが、熱を持っていつまでも耳から離れなかった。あんなに優しくしてくれてかっこよかったら好きになってしまう。いくらなんでも私ちょろすぎるのかな




