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第11章   家庭

  玄関の重厚な扉を閉めた瞬間、静寂という名の冷気が私を包み込んだ。広すぎる家、高価な調度品、大理石の床。どれもが美しく整えられているけれど、ここには「生活」の体温がまったくない。


リビングのソファには、三歳上の姉が座っていた。手入れの行き届いた指先でグラスを弄り、私を一瞥もせずに口を開く。


「ええーうんうん、わかったよー、もういい、じゃあねりっくん……ってあんたいたの?早くどっか行ってよね、見てるだけで不快にさせるんだから」


 姉の言葉は、いつも正確に私の急所を射抜く。彼女にとって私は、なんなのか。ただの八つ当たりの道具でしかないのだろうか。特に最近酷い、彼氏と上手くいってないのだろうか。それにしてもいつもいつも言われるのでいい加減ストレスがたまっている。


「……うるさいよ」


「あっそ、ほんと顔も可愛くないし誰に似たのかしら、で頭も中途半端で?ご愁傷さまでーす!」


 あまりにもムカついて返す言葉もなかった。本当に嫌い。本当に、そして机の上にはいつものようにあの人からの手紙があった。


『食事は適当にして。後成績表はリビングのトレイに。期待を裏切らないように』


 期待、期待、期待、期待。


 本当に嫌だ。いつも私のことなんて、私の気持ちなんて考えてくれてない。私が前にある事がきっかけで猛烈に不安に襲われて母に泣きついた時でさえ冷たくあしらわれた。それ以来、私は家族に期待はしないと誓った。


「……っ」


 ダイニングテーブルに突っ伏すと、冷たい木目が頬に刺さる。お金はある。着るものも、住む場所も、誰もが羨むような生活。でも、私の心は、凍りついた空洞のようだった。暗い部屋で、一人きり取り残されているようだ。


「もうなんで私ばっかり!」


 わかってる、わかってる。私は恵まれてるんだって、でもそれでも!こんな状況は耐えられない。

姉の冷たい嘲笑や、母の無機質なメモ。それらが頭の中で反芻され、自分が泥沼の底に沈んでいくような感覚。


涙も枯れ果てて、指先さえ動かす気力がなかったその時、枕元でスマホの画面が白く光った。 眩しさに目を細めながら、重い腕を伸ばして画面を確認する。


『花沢』


 心臓が、跳ねた。画面に表示されたのは、彼らしい、飾り気もスタンプもない短いメッセージ。

『今日、帰り際体調悪そうだったけど大丈夫か。明日無理すんなよ』


 「……っ、」


 声にならない吐息が漏れた。今日、というかずっと私は必死に笑っていたはずだった。みんなに明るくて笑顔なのがとりえって言われるからせめてその取り柄だけはなくさないように。


 ずっと仲良くしているさやかたちでさえ気づかなかった私のわずかな「陰」を、あのぶっきらぼうな男だけは、ちゃんと見ていた。それを、彼は「体調が悪そう」という彼なりの言葉で、真っ直ぐに拾い上げてくれた。


(……なんで。なんで、花沢くんなのよ……)


 スマホを胸に抱きしめると、液晶の微かな熱が心臓に伝わってくる。


「…花沢?」


「もしもし佐倉か、お前ほんと大丈夫かよ」


「なんでそんなこと」


「…最近ずっと辛そうだったから、って言うか本当は(本当は小学生の頃からずっと思ってたんだ。いつも明るくて元気なくせに、たまあに暗い顔することがあるって。)」


「本当は?」


「…いや、なんでもない。」


「?」


「まあ俺は何があってもお前の味方だからさ」


「…ありがとう、すごく嬉しいこと言ってくれるね、あんたがモテる理由がよーくわかるよ」


「まあ誰でも気づくわけじゃないけどな」


「え?」


「なんでもない、また明日な」


「また明日」


 多分深い意味ないんだろうなあ。けど、やっぱりいいやつだなあ。やばい、ちょっとやばいかもしれない。

 

 

 

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