6-2 魔王の卵
ヴィヴィがヒルデに説明している間、ココルはその場に立ち尽くしていた。
この部屋の空気全体がまるで凍ったかのように重い。
皮膚がちりちりする。まるで獰猛な野獣と一緒に檻にでも入れられたかのような感覚。
その女性から感じる途方もない圧力を受け、ココルはただ黙って立っていることしかできない。
「ドーラルイが信用できるかは私が決める」
ヴィヴィからの説明が終わるとヒルデは冷たい表情でヴィヴィに向かってそう言い放つ。
その途端その部屋に充満していた圧力が薄れたような感じを受けた。
「魔王の転生者を結界地に引き入れるなど既に魔王崇拝者として断罪されても文句は言えないことだぞ」
「…ラフェミナも知ってることです」
ヒルデの威圧すら感じさせる問いにヴィヴィは答える。
「ラフェミナが?それは…」
ヒルデが一瞬表情を引くつかせ、言い澱む。
「ヒルデ、頼むからあいつを討つなら俺の魔剣を人間にしてからにしてくれ。
せっかく『ラクリーアの果実』と『竜骨の棺』を手に入れてきたんだ」
横からクラントが話に入ってくる。
「『ラクリーアの果実』、『竜骨の棺』?」
ココルはヴィヴィに声をかける。
「魔法の儀式に必要になるモノ。もし現金に換えれば一生遊んで暮らせるわ」
ヴィヴィがココルの問いに小声で答える。
「…お前も魔王と取引したのか」
凍てつくような視線でヒルデがクラントを睨む。
「俺に命令するつもりか?ヒルデ?
俺の願みが叶うなら俺は悪魔にでも魂を売ると言っていたはずだ」
ココルは思わず後ずさる。今いる部屋の空気がまるで水にでもなったかのように感じた。
さながら異界にでもなったような感覚に襲われる。
「…まあいい。その件はいったん保留としよう」
ヒルデが矛を収める形となった。
ヒルデの周りからはその殺気が嘘のように消えていた。
「さて、先ずは目の前の問題を対処しなくてはな」
「目の前の問題?」
言っている意味が解らずヴィヴィは聞き返す。
「ヴァロ…『魔王の卵』がさらわれたのだろう?さらった連中の目星はついているのか」
ヒルデはどうやらさっきの話を聞いていたらしい。
どうやらこの人に隠し事は無意味らしい。
ヴィヴィはため息を漏らすと今までの経緯を話し始めた。
「ほう、カランティが?聖堂回境師を追放されたばかりのあの女がこんなに早く動いてきたと?」
ヴィヴィの話を聞き終え疑わしげな眼差しでヒルデ。
しばらくヴィヴィは考え込む。
「そうだ『魔王の卵』ってなんですか?」
ココルが話に横から割って入ってくる。
「俺も聞きたい」
さらにクラントも身を乗り出して聞いてくる。
外野からの声にやれやれと言った様子でヒルデは口を開く。
「過度な魔力抵抗力のある者のことを我々はそう呼ぶ」
「魔力の抵抗があることがどうして師匠をさらう目的につながるのですか?」
ココルは二人に問う。
「魔力と言うのは力そのもの。使い続ければ人体に不調をきたす。
実はそれは魔法使いや魔族も一緒なのよ。魔力の暴走させてしまえば自身の体すら傷つける。
だからこそ上位の魔法使いや魔族はその抵抗を有した肉体を持つ。
巨大な魔力を使うってことはそれだけ負担が大きいってことだからな」
「なるほど」
「ただし、人間の中で百年に一人凄まじいまでの魔法抵抗力を有した人間が現れる。
それを我々は『魔王の卵』と呼んでいる」
「魔法抵抗力の有無がどうして魔王の卵なんて物騒な呼び名になるんです?」
ココルの質問にヴィヴィは少し考え込む。
「そうねぇ」
「…たとえるなら『魔王の卵』とは巨大な魔力の瓶そのもの。
その抵抗力ゆえに無尽蔵といえるほどの魔力をその内に宿すことができる。
もしその躰を使えば無尽蔵ともいえる魔力を思いのまま扱える」
ヴィヴィの代わりにヒルデが答える。
「つまりもしその肉体を手に入れることができたのならば、その途方もない魔力でどんな大魔法を幾らでも放つことができるわ。
そのために巨大な魔法を扱う魔法使いはそのものの肉体を欲したがるのよ」
ヴィヴィの説明にココルとクラントは納得する。
「『狩人』もそれを知っていてヴァロの扱いに困っていた。それこそ対立する二派ができるぐらいにね。
だからこのフゲンガルデンの地で私とフィアであいつを保護していたってわけ」
ココルとクラントは納得する素振りを見せる。
「フゲンガルデンは『絶縁結界』が張られている第三魔王の封印地でもある。
その上に『魔王の卵』…お前もずいぶんと貧乏くじを引かされてるな」
ヒルデはヴィヴィの耳元でささやく。
すべての魔王の中でも最強と言われるのが第三魔王クファトスである。
七対の幻獣王を従え、三人の大魔女の父とされている。
四百年以上前に人類を絶滅寸前にまで追いやった最大級の怪物。
「…むしろこの地は静かで気に入っているのですけどね」
ヴィヴィは自嘲気味に微笑む。
「さて、私はヴァロと言う男に借りがある。こちらの事情にあいつは命を賭けてくれた。ならば私も命を賭ける必要がある」
そう言って背伸びをしながらヒルデ。
「あなたが…」
「言っておくが私はあのヴァロと言う男に貸しがある。お前のために動くんじゃないぞ」
ヒルデは遠まわしに礼は不要と言っているらしい。
「それに先達としてあのカランティの小娘にお灸をすえてやらんとな」
「相変わらずの自信家ですね」
呆れたようにヴィヴィはヒルデを見る。
「私にできないとでも?」
ヒルデの不遜なまでの態度にヴィヴィは肩をすくめる。
不遜すぎる態度だがこの状況では頼もしくあった。ヴァロの救出を考えればこれ以上の戦力はのぞめない。
この女性は『雷洸姫』ヒルデ。カーナ四大高弟の一人であり、
異邦と接しているミイドリイクで数百年、長い間侵入してくるあまたの魔獣を退けてきたのだ。
そして現役から退いたもののその伝説は色あせることはない。
「俺もだ。奴にはミイドリイクで魔剣をやったんだ。こんなところで死なれちゃ寝覚めが悪い」
クラントもそれに同調し立ち上がる。
魔剣使いクラント。魔剣の多重契約者であり、あまたの追跡者を退けてきたという。
この上ない組み合わせである。
「さて、ヴァロの奴を取り戻しに行くとしようか。ヴィヴィ、馬の手配を頼む」
散歩にでも行くかのように気軽にヒルデは言う。
「ヒルデさん」
「なんだ?」
ココルの声にヒルデは振り向く。
「ヒルデさん、私も一緒に行ってもいいですか」
ココルは意を決したかのように切り出す。
「ココル」
ヴィヴィはココルを見る。
「私も『狩人』です。暗殺者の訓練も受けてきました。その腕ならば足手纏いにならない自負はあります」
静かにそれでいてはっきりとした物言いでココルは続ける。
先ほどのヒルデの圧がココルに向けられる。
「相手は元聖堂回境師のカランティだ。どんな罠を仕掛けてくるかわからん。使えないようなら見捨てるぞ?」
ギロリとヒルデはココルを睨む。
一般の人間ならばその一睨みで足がすくんでしまうほどのもの。
「望むところです」
ココルは臆することなくそう言い放つ。
「いいだろう。ついてくるといい」
ヒルデは薄く微笑んだ。
それがどんなに困難なことかこの時ココルは知らなかった。




