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不肖宇奈月、夕飯を作りに参りました!

 そうやって彼女との一週間を思い返していると、気付けばいつのまにか夕方になっていた。

 そろそろ夕飯の準備をしないといけない。


(しかし、思い返せば思い返すほど、残念な記憶しかないな……)


 いや、普通に普通の情報だってちゃんとあったわけだけど、どうしても、インパクトの強い会話ばかりがフラッシュバックされてしまう。

 どこまでも調子のいい自分に苦笑しつつも、そんなことを考えているとどうしても、俺が彼女を本当に取り戻していいのだろうかという迷いが生まれてしまう。

 俺は彼女のことを騙して、しかも自分と好意的に接してくれる彼女のことを、きっとどこかで、好きになりかけていた。その証拠に、今だって作品に関係のある思い出ではなく、彼女との楽しげな会話ばかりを思い出してしまうのだから。


(いや、だけど、もうひとつだけ――)


 と、こんな時にいつも俺が心の支えにしている、ある場面、あの日の彼女の言葉を思い返そうとしたとき。


 ピン……ポーーン。


 と、どこか間の抜けた調子でインターホンが鳴った。

 中古だからな。壊れかけだ。

 しかし、誰が来たのだろう。何かの勧誘か何かだろうか、とモニタを確認すると、そこには見知った顔があった。

 急いで玄関をあけると、彼女は溌剌とした笑顔とともに言った。


「不肖宇奈月、夕飯をつくりに参りました!」


(ななななな、なんだって!?)


 っと、思わず心の中でさえ動揺しまくってしまう。


「い、いきなりだね」


「いやあ、最近顔色もあまりよくなかったですし、きっとろくなもの食べていないんだろうなーと思って」


「うぐっ」


 図星だった。我が家のゴミ箱はいまや、カップ麺やコンビに弁当、デリバリーピザなどの包装物でごったがえしている。しかしだからといって、彼女が俺をそこまで気遣う理由などないだろうになんで……。

 などとうだうだ考えても答えは出ないし来てしまったものは仕方がない。


「と、とりあえず、あがって」


「はーい。おじゃましまーす」



 * * *


 

「ふんふふふん~」


 キッチンから鼻歌。諺っぽい。

 宇奈月は家にあがるや否や、「じゃあさっそく作っちゃいますね」と息つく暇もなくキッチンへと足を運び、エプロン姿になって夕飯の支度を開始した。

 手伝おうとも思ったが、「どうせろくに休んでもいないでしょうから、今くらいゆっくりしててください」という彼女の有無を言わさない感じの雰囲気に押し切られ、リビングにあるソファに腰掛けていた。休むといってもまさか寝るわけにもいかないので、手持ち無沙汰にじっと待っているのもなんだったのでひとまず軽い推敲に充てているのだが。


(うう、気になる)


 全く集中できない。

 我が家のキッチンに女性が立つのは実に数週間ぶりで、俺は自然と、彼女の後姿にソードの姿を重ねてしまっていた。

 とはいえ、ソードとは背格好も髪型も違う。ソードはどちらかというと慎重高めでできる女感の漂うクールビューティ然とした後姿だったが、宇奈月はその真逆。こぢんまりとしていて小動物的後姿だ。どちらがいいということはなく、それぞれがそれぞれの良さを存分にかもし出していて、俺は久しぶりにこのえもいえぬ恥ずかしさと少しの高揚感に浸っていた。ソードのいた一週間でこの光景にも比較的慣れてきていたはずだったのだが、その慣れもとうにリセットされている。

 ソードが現れる前の俺に言わせれば、こんなものはあり得るはずのなかった非日常、ファンタジーなのだ。


 などと気持の悪い独白を繰り広げていると、「あ、今更ですけど、食べられないものとか、ないですよね?」と声がかかって、「大丈夫」と短く答える。あるわけがない。いやあったとしても、それが食べると命を落とすとされる代物であったとしても、俺は喜んで食べる。


「よかった~」そう言って彼女はまた、鼻歌交じりに夕飯の支度を再開する。天使かよ。しかも、ときおり横向きになったときに窺える、サイズが若干小さ目らしいエプロンがぴたっとくっついてできているのであろう縦皺。それが、彼女の胸の大きさをこれでもかと強調してさえいる。ああ、眼福だ。この状況のあまりの有難さとその後姿のあまりの神々しさに自然と拝むようなポーズをとっていて、すると宇奈月の背中から天使の羽が生えているような錯覚にさえ陥りそうになる。


 ……って何を言っているんだ俺は。誰か止めてくれ。


 そんな控えめに言っても気持ち悪すぎる独白を展開している間に、「よしっ、できましたよ~」夕飯の支度を終えたらしい宇奈月がエプロンの紐を解いて寄ってくる。かわいい。最早たったそれだけの仕草で、いちいちドキドキしてしまう。

 俺は(平常心……平常心……)と心の中でつぶやきつつ、なんとか心臓を落ち着かせながら、彼女の用意してくれた品々や食器、箸なんかをテーブルへと運ぶのを手伝い、共に食卓についた。

 ……が、俺の控えめな「いただきます」に「召し上がれ」と慈しみにあふれる笑顔と共に返されて、俺のインスタントな平常心など容易く吹き飛ばされてしまう。そして、照れ隠しに頬張った肉じゃがの味に、


「うんまっ!?」


 一瞬で夕飯のことしか考えられなくさせられる。

 そう。そこには間違いなく、(彼女にそんなつもりはないにしろ)完全に年下女子にいいようにされているおじさんがいた。いいんだ。もうこの子には勝てないって分かってるから。



 * * * 



 そんな毒にも薬にもならない食事パートを終えて、俺はしかし満ち足りた気持ちでソファに腰をうずめていた。なんだこの幸せ。


「あえか、料理上手なんだな……」


 思わずそう口に出してしまうくらいには、本当に彼女の料理には舌鼓を打たされた。


「意外でした?」


「んー」


 どう返そうかと一瞬唸りつつ、俺は宇奈月の家、もとい邸宅を思い出して素直に言った。


「うん、意外だった」


「ひっどいな~」


 あははと笑いつつ、「これでも家では、家事全般をさせてもらってるんですよ?」と少し唇を尖らせて見せる。KAWAII。しかし、本当に意外だった。あの邸宅、そんじょそこらの一般家庭ではないということなど、誰だってわかる。そもそも、


「せっかく使用人さんたちがいるのに?」


 そう。彼女の家には使用人さんたちがいたのだ。それなのに彼女が家事全般をこなしているというのは、意外と感じるに余りある事実だろう。


「そうですね~。実際、中学生くらいまではたしかに、任せっきりでした。というか」


 少し言葉を切って、


「わたし、他人との関わりとか、苦手だったんです。それは家族に対してですらそうで、だから、家事とかバイトとか、今は普通にできてますけど、そんなのはもってのほかでしたね」


 そう続けた。

 俺は今度こそ目を丸くして驚かざるを得なかった。意外とかそういう問題じゃない。他人との関わりが苦手? 宇奈月が? ないないない。そんな風に即座に首を振ってしまえるくらいには、彼女のコミュニケーション能力の高さというか、自由さ? みたいなものは群を抜いて高いように思える。


「へえ。何か心境の変化でもあったってこと?」


「まあ、そうですね」


「えっと、それってどんな……?」


 と口に出して、軽々しく聞いていいことではない理由である可能性に思い至って、無理して言わなくてもいい旨を伝えようと口をひらこうとしたところで、


「言ってしまえば、江口さんのおかげですね」


「え――」


 全く意味が分からない。俺は宇奈月の言葉を、量りかねていた。

 宇奈月が中学生の頃――つまり少なくとも4年ほど前。俺と彼女に接点など――


 ――ああ、ひとつだけある。


「ある小説を、読んだんです」


 宇奈月は、ぽつりぽつりと語り出す。


「その小説は、近年のファンタジーには珍しいくらいにどこまでも幻想的で、でも少しだけこの世界のルールを持ちこしてもいて、その塩梅が絶妙かつ前衛的で、どこまでも自由だったんです――」


 彼女は俺の目を見る。


「でも、その自由はどこか不自由で、ともすればそれは、その物語を書いている人のその時の状況だとか、苦しみだとか、そういったものの裏返しにも思えたんです」


 彼女は、俺の顔を覗き込むようにして言った。

 いつもならそのゆるめなシャツからちらりと覗くたわわな胸に目が行くところだ。

 だが俺はこの時、この子の目から、目が離せなかった。だってその目は――


「私は当時、軽いいじめを受けていたんです。だから、分かったんです。もしかすると、この本を描いた人も――」


 私と、同じなんじゃないかって――。


 だってその目は、俺の心を、見ている気がしたから。

 だってその目は、あの日のソードと同じ目をしていたから。


 そして俺は、宇奈月が来る直前に思い返そうとしていたあの日のことを、フラッシュバックした。

 あの日――。

 ソードに、あくまでも他人の過去のはなしとしてではあるが、作家になる前の、俺の過去を語った、あの日のことを。彼女のシャツから覗く双丘に、一瞬だけちらりと目をやりながら――。


 ……やっぱり、そこは気になる。我慢はよくない。

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