私が、江口くんの才能を支えます
「導師、これは捨ててもよいものですか?」
ソードが紙束を手に訊ねてくる。
「それは捨てておーけー」
「承知しました……と、ようやく折り返しというところですか……」
「め、面目ないです」
「むしろ私の潔癖に付き合わせてしまって……」
「いや、冷静に考えたら結構散らかってたし、ありがたいよ」
申し訳なさから声を小さくしてそう言う俺に、ソードはふふと笑って、
「そう言っていただけると気が楽になりますね」
天使かな?
監修4日目。
俺がバイトから帰ってくると、彼女は家の片づけを始めていた。
男の一人暮らしが長かったせいでちょっと感覚がマヒしていたが、彼女にとってこの家は、しっかりと掃除する必要があると判断する程度には散らかっていたらしい。
とはいえ、主のいない間に勝手な判断でゴミと断罪するわけにもいかないため、本格的な掃除を行う前に、ひとまず俺に必要なものとそうでないものを確認している段階のようだ。
床に並べられた品々を三角巾を頭に仕分ける姿は、異世界人であるというのになぜだか堂に入ってすらいる。
「これはどうでしょうか?」
ソードが手にしたのは、一冊のノート。表紙には『日記』とだけ書かれている。
あれは確か……。
「あー、それはちょっと大事なものだから、取っておこうかな」
「おや、承知しました。……日記、ですか? あのぅ……もしよろしければ、目を通してみても」
……まずい。
俺は異世界からきた大魔導士という設定だ。対してあの日記は俺が中学時代につけていたもの。年齢など、彼女に不信感を抱かせるような記述があるかもしれない。
「いや、その……恥ずかしいから――」
彼女の手からさっとその日記をとりあげたのだが、
「「あっ」」
あろうことか、手を滑らせて取り落としてしまう。しかも、ばさり、という音とともに、ノートが開かれてしまっていた。そのページには、
「いじめ……?」
ああああ。
「あー、その、それは……そう、知り合いの作家の日記なんだけど、家に来た時に忘れていっちゃって」
く、苦しいか……?
「そうだったんですね」通じた。
「ですが、いじめとは穏やかじゃないですね……。何があったんでしょう」
でも食いつかれた。
そうだこの人、正義感溢れる騎士様だった。
「あー、俺もよく知らないんだけど……」
そして俺も、この日記をみたときから一つ、彼女に聞きかせてみたいことがあった。
自分のこととして聞かせるわけにはいかないからあきらめてはいたが、口をついてほかの作家のものだと言ってしまったのだから、そういうことにして話してみるのもありかもしれない。そう考え出すと、自然と口が動いていた。
「その、さ。この人には高校時代一人だけ友達がいたらしいんだけど、その友達から、小説を書いてネットに投稿してみようって誘われたらしいんだ」
「ほほえましいですね」
「その人も本を読むのが好きだったし、ちょうど憧れてるファンタジー作品の作家さんもいて書いてみたいと思ってたから、軽い気持ちで誘いに乗って、投稿してみたらしいんだけど――」
* * *
「どうしてお前の小説だけそんなにたくさんみられてるんだよ!」
小説を投稿しだしてから1週間後。
学校へ行くと、一緒に小説を投稿した友達から校舎裏へと呼び出され、そんなことを言われた。
「いや、わかんないけど……」
俺はまごついて、そんなことしか言えなかった。理由なんて本当にわからなかったし。
しかし確かに、俺の小説は驚くほどに伸びていた。閲覧数も評価数もランキング入りするほどで、多くのコメントやレビューさえもらっていた。それが嬉しくてたまらなくて、コメントやレビューには全てレスポンスし、続きを書く手が止められなくなるほどだった。
だが、そんな俺の作品の高評価の影で、友達の作品は伸び悩んでいた。
反応がゼロだったわけではないが、その多くが稚拙さを論うものだった。
稚拙さという面で言えば、俺の作品だって相当稚拙だったはずなのに。
「絶対、俺の小説のほうが面白いのに……」そう呟く友達は、拳を握り締め目に涙をためていた。
「コメントのことなら、気にする必要なんてないよ。一回ああいうコメントが先行するようになると、どうしてもそういうイメージでみられちゃうだけで……」
励ましのつもりで言った言葉だった。だが今思えば、これが逆に、彼の感情を逆なでしてしまったのだろう。
彼は厳しい目つきで俺を見据えて、
「ただ運がよかっただけのくせに調子に乗んじゃねえよ」
と言って去って行った。
次の日から、彼は俺を避けるようになり、学校ではあらぬうわさが流れるようになった。
あいつは小説を書いてて、自分の作品のために他人の作品を貶して蹴落とすのだ――と。
すぐにそんなことはないと反論できればよかったのだろう。だけど俺には、それができなかった。
確かに俺は運よく評価されただけだ。彼には訪れなかった幸運を運で掴んだのだから、これくらいのしっぺ返しはあって当然だ。しかも、ここで反論してさらに彼の立場が危ぶまれることになれば、今度こそ彼は、小説の世界だけではない、この現実の世界でも居場所が無くなってしまうかもしれない。そう思うと、どうしても、彼の流した噂は虚言だと、嘘を暴く気にはなれなかった。
そんな風に考えて、柳に風を装って過ごすうち、気付けば俺は学校で、大々的にではないが確実に、いじめの対象となっていた。
だから俺は、より一層小説にのめりこむようになった。
それは、学校では居場所がなくても、この小説の世界でなら自由でいられたから。小説を書いている時間だけは、純粋に楽しいと感じることができたから。
そして、高校2年になった春、ネットで連載していた小説を書き終え、それをベースに書いた小説をファンタジー小説の新人賞に応募。
一度は一次審査で落選し、まあそんなもんかと空笑いを浮かべていた矢先、審査委員特別賞を受賞した旨の連絡が飛び込んできて、俺は晴れて、小説家の仲間入りを果たしたのだった。
* * *
そんなことを、あくまで他人の話として説明し終える。
俺はこの話を、これまで誰にも明かすことはなかった。だが、別の世界の住人である彼女になら、話すことができるのではないかとかねてから考えてはいたのだが……思わぬところでその機会が巡ってきたものだ。
俺はこの出来事を、これまで誰とも共有せずに、一人で長い時間をかけて消化してきた。しかしそれでも、誰かと共有してみたいと思う自分も、確かに存在したのだ。それは、この話を聞いた自分以外の誰かが何を感じるのかを、知りたかったから。
一通りの話を聞き終えて、ソードは一つ首をかしげて言った。
「技術的には、その日記を書いた方も、そのお友達だった方も、同程度だったんですよね? だとしたら、どうして評価に差が出てしまったんでしょうか。本当に、運だけの差だったのでしょうか」
「それは……」
なるほど、そういう観点ね。
確かにあの頃は、そこまで深く考えることはなかった。そこにあったのはただの運だけだったのだと、分かったふうに結論付けていた。
……だが、今ならわかる。今ならはっきりといえる。
「違うな」
「二人の間にあったのは、運の差ではなかった、と?」
「運の差だけではなかった、かな」
世界は全ての物事に評価を下す。そしてそれはクリエイティブなものであればあるほど、運やタイミングの力が大きく作用するようになる。そんな時勢やチャンスを読んで成功を掴むような人ももちろんいるだろう。
あの時も、多少の運の偏りがあったことは間違いないはずだ。
「では、運のほかにあった要因とは……」
だけどそれ以上に、あの時二人の間に存在したのは――。
「楽しんでいたかどうか、じゃないかな」
一瞬間があり、ソードは呟くように言った。
「楽しむ、ですか」
「うん。俺――いや、その日記を書いた人の作品にも、最初は批判的なコメントだってあったらしいんだよ。でもその人はそれすらも、いや、むしろその批判をこそ、ありがたい指摘だと受け止めて、作品を書くことのモチベーションに昇華させていたんだ。それに対して、友達のほうは恐らく、その批判的なコメントに反発することしかできなくて、モチベーションを低下させていった。そうやって、楽しんで書くことができなくなっていったんだ。作者が楽しんで書いているものって、多少文章や展開に粗があっても、雰囲気みたいなものが通じるものなんだよ。書いてる人が楽しんでれば、自然と読んでるほうも楽しめるっていうか」
もちろん例外はある。どれだけ楽しんで書いていても、作者のひとりよがりになって受け入れられなかったりすることだってしょっちゅうだ。
だけど、作者が楽しんで書いた作品とそうでない作品であれば、たとえ技術的に同じでも、同じような展開であっても、前者が書いた作品のほうが、十中八九面白い。
楽しみながら書く。それだけのことが実は、物書きにとっては一番大事だったりするんだと思う。
そしてそれは奇しくも、俺がデビューしてから徐々に失っていったものでもあった。
俺はそれを、ようやく本当の意味で認識できた気がした。
(やっぱり、ソードに話してよかった)
過去、俺と友達との作品の明暗を分かったもの。
俺が、失ったものの正体。
それがまさしく、『楽しむ』ことだったのだ。
デビュー当初は、学校に居場所がない分小説の世界に浸って、ひたすら楽しみながら小説を書いていた。しかし、高校卒業と同時に作品が終了し、第二作目を立ち上げるにあたり、次第に評価を気にしだして、俺はいつしか、楽しむことを忘れてしまっていた。
楽しんで書いていない作品に、センスがついてくるはずもない。
自分で考えることを放棄して、どこかで見たような設定を寄せ集めて、評価を取りにいく作品を追い求めてしまったのだから。
多分、総曲輪さんが俺を受賞させてくれたのだって――
* * *
「滑川さん」
「……総曲輪くんか。直接オフィスに来るなんて、めずらしいね。どうしたんだい?」
私は、デビューから10年近くたち、はじめて新人賞の審査委員を務めた。そして、あの作品を読んで、その余韻冷めやらぬまま、ある朧げな決意を胸に、出版社に足を運んでいた。
「私、作家を辞めて編集者になろうと思います」
私は気付けば、担当編集にそう告げていた。
「ええええっ!?」と、いつもは冷静な担当が椅子から転げ落ちる。
「どどど、どうして!?」
上ずった声でたずねてくる担当に、私は一つの原稿を差し出した。
「これを、今回の審査委員特別賞とします。そして……、これを書いた子を、私の手で育てたいからです」
「ん……ってこれ、技術力不足を指摘されて、一次時選考落ちしてるじゃないか! こんなものまで読んでたのか……?」
「審査委員特別賞の選考基準は、特に定められていなかったように記憶していますが」
「いやまあ、そうなんだけどさ……」
すっころびながら、呆れたように見上げて来る。まあ、そうだろう。私だって、名前に目が行かなければ読むことはなかった。だが、
「読んでみてください。1章だけでいいです。それで、納得いただけると思います」
それは、運命だったのだと思う。
「……わかった」
滑川は椅子に座りなおして、デスクに原稿を置いてその小説を、才能を、読み始めた。
「やっぱり、文章の粗が目立つな……」
「それは認めます。でも――」
「……おお……いや、確かにこれは……」
ぺらぺらと次つぎ頁が捲られていく。1章まででいいといったのに、2章、3章と読み進め、結局、最後まで読んでしまった。額には汗が浮かんでいる。
「……どうですか」
そう問うのは少し緊張したが、結果は明らかだ。
「ああ……。確かにこれは、育てたくなる。だけど、どうして総曲輪くんが辞める必要がある?」
滑川は、まるで何かを避けるようにそう口にする。でも、逃さない。私は、逆に尋ねる。
「もうわかっているでしょう? 率直な意見を聞かせてください。私とこの子、どちらの方が上ですか?」
「……」
「滑川さん」
……はああ、という大きなためいきとともに、ったく俺に言わせるんじゃないよ、といいながら、その答えが返ってくる。
「才能だけで言えば、君以上だ。……こんなに心底楽しんで書いてる人間には、あったことがない」
「……わかりました」
正直にと言ったのは私だけど、やはり多少は傷つく。だが、それ以上に、私の目に狂いはなかったと確信できて、興奮もした。
私は一度、一つの道を一人で究めた末に、大切な人を失っている。だけど私は、そのことから、彼女から、一つ学んだ。一人で先を走るだけが、全てではないってことを。誰かのために生きるということの、尊さを。
そしてここには、私以上の世界を見せてくれる人がいる。
それならば私は、この小説の作者のために……私の本当の名前に似た、この人のために。伴走者として、全てを捧げよう。
「滑川さん。私は、作家『総曲輪庵』を辞めて、編集者『総曲輪庵』として、『江口』くんの才能を支えます」
一人の女性のことを脳裏に浮かべながら、私は言った。
「この子がいつか、書くことを楽しむことを忘れてしまったとき。その大切な才能をもう一度、一緒に見つけだせるように」




