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「あんたはいつも私を馬鹿にしてッ! 私はね、一人で生きていけるのよ! 指図ばっかりしないでッ!
そこまで文句言うのなら、出て行け!!
ほら、早く出て行きなさいよ!!
あんたはね、養われている立場なの! 指図できる立場じゃないのッ!」
毎日、祖母にそう言われる夢を見た後、飛び起きるように目が覚める。
目を三角にして、殺気で満ちたあの目を思い出すと、震えが止まらなくなる。
夢と現実がわからなくなるほど、あの時感じた殺気をその夢から感じた。夢だとわかっているのに恐怖から動悸が激しくなり、過呼吸とまではいかないが、呼吸する速さがいつもより速くなる。
いつもなら、この夢を見た時は二日酔いのような症状が出るのに、今日は違った。
ふと、近くにあったテーブルの上に置いておいた倉主晴人と書かれた名刺が目に入った。あの人の優しくて穏やかなあの声を思い出した時、いつもなら酷くなる一方の症状が驚くくらいあっさりと治っていってしまった。
……また、助けられてしまった。
そう思ったと同時にこの名刺を手放すことは出来ないなとも思った。
社会人になったら、倉主さんが言っていた通り、多少の風邪ぐらいでは休むことは出来ない。幸い、俺はあまり風邪が長引くタイプではないし、ひどい症状も出ないから、風邪を引いても勤務に影響することはないけど、悪夢を見てしまった日にはもう、通勤することすらもしんどくなってしまうくらい体調が悪くなってしまう。このことが一番不安材料だったから、一番大きな心配事が取り除けて気持ちが楽になった。
……後でお礼を渡さないとな……。
不安材料がなくなった訳ではない。それでも、嬉しかった。悪夢による体調不良がなくなるだけで少しだけ働きやすくなるのもまた事実だから。
毎日、毎日怒鳴られ続け、何処で怒らせるかわからない状態で、ビクビクと怯えながら会話をしていた毎日は、思いの外精神的にダメージを与えていたらしい。
今は実家から出て直後よりは状態は酷くはない、その時は精神状態が今以上に不安定で精神安定剤を飲んでいた。どんなに精神安定剤を飲んでも、女性に触れられたり、肩が触れたりしただけで吐気がしたり、触れた場所を掻きむしってしまうことだけはやめられなかった。
だから、悪夢を見た後の体調不良を抑えられる方法を見つけられたことで、どれだけ気持ちが楽になることか。
毎日、飲んでもいないのに二日酔いのような症状に苦しめられながらの仕事をこなさなくて良いと言うことがどれだけ俺の気持ちを楽にさせているのか、倉主さんには理解出来ないかもしれないが、お礼が言いたい。
何度お礼を言っても足りないくらい、俺にとって、この名刺の存在は大きな存在となったと言っても過言ではないくらいだ。
他にも、女性に触れられたりすることだけではなく、人の怒鳴り声も駄目だったりする。
何年か祖母から離れて暮らして、触れられた瞬間に掻きむしったり、吐気がすることはなくなったが、ふとした時に思い出すとまだその衝動を自分だけで抑えることは難しい。
祖母は病気なんだ、暴言を言うのも病気が言わせていたんだと言い聞かせても、女性が全員祖母のような症状が出るわけじゃないんだよと自分で自分を言い聞かせても、この衝動はなかなか直ることはなかった。
「……頭では理解してる、それでも何年経っても病気のせいでばあちゃんは暴言を吐いているんだと俺の心が理解してくれない。だから、こうして悪夢として見てしまうのかな」
もっと、側にいてあげたかったと思う自分もいるし、逃げられたことをホッとする自分もいて、どうしたら良かったのかわからない。
側にいたらこんなにも後悔しなかったのかな? ……それとも、側にいても後悔していたのかな?
生徒にもし、自分のような体験をして、苦しんでいる子がいるのなら、全く後悔をしないのは無理だろうけど、少しでも後悔しない選択が出来るように相談に乗りたい。
自分の後悔とも上手く向き合えていないのに相談に乗って良いものかとも思う。
だけど、体験したことないよりは理解してあげられると思うから、自分の後悔とどう向き合いながら、悩む生徒と向き合っていくのか、その時が来てから考えていくことにしよう。今、悩んだところで考えた通りに物事は進んではいかない。
「……考えすぎても杞憂になるだけなことをわかっているのに、考えすぎることをやめられないのは、俺がまだ未熟だから……」
……悩みすぎてしまう時、あの人だったらどうするんだろう? と、あの人のことばかり考えてしまう。
「ジャケットがあるから、ここまであの人のことを考えてしまうんだ。早く、早くこのジャケットをクリーニングに出して、返してしまわなければ……」
たった何分間の出来事だったのに、こんなにも興味を持ったことは初めてだったから、どうしたら良いのかわからなくて、どうこの気持ちから逃げるかばかり考えてしまう。
なのに、ジャケットをなくしたらどう言う風になって行くんだろうと思う自分がいる。
……そうすれば、また倉主さんに会える口実になると期待する自分がいることに気づいてしまった。
ジャケットをクリーニングに出して返してしまえば、倉主さんとはそれっきりの関係になってしまう。
ジャケットをなくしたと言うことにしてしまえば……、弁償するために何回かは会えるんじゃないかと期待してしまう自分がいたことを見て見ぬ振りをできないくらい、その思いは自分の中で大きい存在となっている。
そうしてしまえ、そう言う悪魔の囁きに負ける前にさっさとクリーニングに出してしまおうと出掛ける準備をして、クリーニング屋に徒歩で向かった。
クリーニング屋までは徒歩で十五分くらいの距離だ。毎日見る夢だとは言え、あの夢の後に車の運転をするのは正直辛い。あの人のおかげで、心労からくる二日酔いの症状は治っているとは言え、毎日見ている夢ではあるが、毎日動揺して精神的に不安定なことは変わらない。
仕事でない限り、こう言う状態では運転をしたくない。
「……何年経っても、駄目だな。病気のせいだとわかっていても、暴言や暴力だけはまだ昨日あったことのように鮮明に思い出せてしまう」
一番苦しい日に、倉主さんに出会わなければ良かった。そしたら、こんなに会いたいと思わなかったと思うから。
……救われてしまったのだ、あの人にとっては何気ない一言でも俺にとってはその一言が何よりも救いで。
倉主さんのことを忘れられなくなってしまった。……側にいたいと望むようになってしまった。
出会ってから一日も経っていないのに、こんなにも依存してしまっている。
「……早く、早く。倉主さんから離れなきゃ。そうじゃなきゃ、また依存して困らせてしまう……」
だから、優しくしないで。
……俺は家族を作りたくないんだ。
好きな人だからこそ、理性が効かなくなり、内心では言いたくないと思っている言葉を言わせたくないし、そのことを気づいた時に傷ついている姿を見たくない。だから、側から離れられるうちに離れないと、倉主さんが大切な存在になってしまう。そうなる前に、あの人に心を見せない努力をしておかないといけない。
「……俺は誰も大切な人を作らないと決めたじゃないか……。店長を困らせてしまったあの日から、誰に対しても心を開かないときめたじゃないか……。それなのに、また懲りずに誰かに惹かれている。
……大丈夫。今ならまだ間に合う。あの人に心を開いては駄目だ、また困らせてしまう。クリーニングさえ出して、倉主さんにジャケットを返してしまえば、きっとそこであの人との縁は切れるはずだ……。何事も縁、縁がなければもう会うこともないはずだ……」
……なのに、何で? どうして、クリーニング屋に着いたのに出しに行くことを拒む自分がいるんだろう?
縁が切れることを望んでいるのに、なのに何で、俺の意志に反して足はクリーニング屋に入ることを拒んでいる?
今までだってそうしてきたじゃないか。
店長の時だって、言い逃れが出来るように冗談半分のように聞こえるように、「店長と一緒にいたい」と言って、困惑したような顔を見せたから、冗談じゃないのに冗談だと言った。
今までは出来たことだ。この気持ちを無視して、あの人との切れやすい関係を切ることなんて自分が耐えれば出来ることだったはずなのに……。
どうして足は動かない?
どうして涙が出てくるんだろう?
店長もそうした方が気が楽だろうから、店長と連絡を絶った。
店長には大切な人がいる、俺はその間に割って入って我が物顔で店長に依存できない。
その時は躊躇いなくそうすることが出来た。店長のことを人として好きだから、その関係を手離すことは苦しかったけど、そうする以外に自分を保てる方法がわからなかった。




