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10話 化物の往診

 

 語学の勉強、図書館の雑務、チラシの複製を行う生活を1週間ほど繰り返した。


 その甲斐あって語学の面では日常生活に支障が出ないほどに上達した。


 根気強く勉強に付き合ってくれたホワイトくんに感謝だ。


 そして、図書館の来館者に関してはチラシを毎日配った効果が出た。


 ……というか、効果が出すぎた。


 最初の数日間は緩やかな来館者の増加が見られた。図書館前の道を通った人が、看板を見て気まぐれに来てくれたのだろう。


 チラシの効果が出たのはその後の休日だった。来館者が急増して、その日は常に席が埋まっていた。


 その後は平日であっても常に大半の席が埋まる状態が続いている。


 想定通り来館者の大半が頭脳労働者で、ドリンクサービスが功を奏したのか仕事途中の休憩として来ている事が多い。


 そういう状態が続いていて、開館している時間にホワイトくんと時間を取るのが難しくなった。


 なので、今後は閉館後に互いの近況を話す時間を設ける事になった。俺は語学に関する質問をして、ホワイトくんは図書館関係の問題を相談するという約束だ。


 今は、その約束をした次の朝で、閉館する夜までの時間で何をしようか考え中。


 宿のベッドの上でゴロゴロしていると、


(今日は何するの?)


 と、桜ちゃんの声。


(町の人とスムーズに会話できるようになったから、そろそろ仕事を探すつもりだ)


(医者になるんだよね?免許を取る必要がありそうなイメージだけど)


(その辺はまだ調べていないが、まぁ、勝手に診療所を作るのはダメだろうな)


 もし免許が必要なら、免許を発行するのはそれなりに地位の高い人間であるはず。


(あ、そうだ。今日は領主に会いに行こう)


(……ぅえ?)


 桜ちゃんが震えた声を漏らす。


(領主なら医療関係のシステムを知っている筈だし、娘さんの容態も気になる)


(それに何より、今があの子を助けた褒賞の使い所だろう)


(そ、そうだね……)


(あ!そうだ、思い出した!私、今日までにやらないといけない仕事があったわ!)


(集中しないといけないからそっちを覗けないし、呼ばれても気付けないかもしれないけど、悪く思わないでね!宜しく!)


 やはりあの子には会いたくないのか。


 俺としてもトラウマを刺激する気はないので放っておこう。


(はいはい)


 という事で、今日は最初に領主の館へ行こう。


 大通りを歩いて町の中心部へ。少し大通りから外れた道を進むと、一等地に大きな館。


 門は開放されていて、役所を利用する人なら誰でも庭を通って建物内に入れるようになっている。


 アポは取っていないが、取り敢えず突撃しよう。追い返されたらまた考えればいい。


 館の大きなドアを開けて入ると、そこにはカウンター越しに受付しているスーツを着た男性。


 そして、受付の対応を待っている住民の方々。


 冒険者然とした戦闘服を着た人が律儀に椅子に座って待っている光景に違和感があって面白い。


 いや、面白がっている場合ではないな。


 俺も受付の列に並ぼう。


 少し待ってカウンターの前に進む。


「ご用件をお伺いしても宜しいでしょうか」


 領主の娘が病気であることは隠していたはず。


 その事をこの人が知っているのかどうか分からない。


 それなら領主の怪我を治したという事にした方が、向こうにとって都合が良いか。


「私は少し前に領主様の怪我を治した医者でして。その経過観察として今日伺ったのですが」


「……失礼ですが、お名前は?」


 疑われて当然だろう。


 もし領主が怪我していたのなら、この場で働いている人間が知らない筈が無い。


 だが、「領主が病気である」と言うと、大事になるだろうから怪我と言う他ない。


「カイトと申します」


「確認して参りますので少々お待ちください」


 門前払いじゃなくて助かった。


 暫くその場で待っていると、館の階段から見知ったメイドが降りてくる。


 前に俺を領主の部屋まで先導した人だ。


 彼女は俺の目の前で止まって、


『こちらへどうぞ』


 と、以心伝心を使う。


 もう以心伝心は必要ないが、訂正する必要もない。


 先導されて到着したのは以前と同じく領主の部屋。


 そこには顔色が良く、表情も柔らかい領主の姿。


 状況を尋ねずとも理解できる。娘さんの状態は好転しているようだ。


『カイト殿!よく来てくれた!』


 領主は俺が部屋に入ったのを見るやいなやこちらに歩み寄り、感謝の言葉を述べながら強く握手を交わした。


『どうぞ座ってくれ!』


 心底嬉しそうな声で俺を迎え入れる領主。余程の歓待ぶりだ。


 腰を下ろして話をする姿勢を正す。


『受付に話す際、娘のリリィの件について配慮してくれたようで、感謝する』


「いえいえ。こちらこそアポなしで来たのに丁寧に応対してくれてありがとうございます」


 領主は一瞬驚いて目を見開くが、すぐに笑顔に戻る。


「丁度予定が空いていたので問題ない。それよりも、今日はリリィの容態を見に来てくれたのだろう?」


「それもあるんですが、褒賞に関して相談がありまして」


「おお!そうかそうか!何でも言ってみなさい」


 領主の立場としては成果に対して正当な報いを与えることは重要だ。


 しかし、この町の住民ではない人間に何の褒賞を出すのか迷っていたのだろう。


「それなら、この国で医師として仕事ができる免許が欲しいのですが」


 免許について詳しく知らないが、この国で医者としての仕事ができれば充分なので、それを言ってみた。


「……」


 予想外に空気が一変した。地雷を踏んだのか?


 先程までの温和な雰囲気はなく、緊張感に包まれている。


 領主は一層低い声で俺に問い掛ける。


「……この国か?この町ではなく?」


「はい」


「流れの医者なら知っていると思うが、この国で医者になる難しさは他の国と比較にならない」


 へー、そうなんだ。知らなかった。


 とは、口が裂けても言えない雰囲気だ。


「それでも私に免許が欲しいと願うか?」


「当然。この国で仕事をする資格が欲しい」


「……」


 睨み合う。こういう時は日和ったら負けなんだよ。


「そうか……わかった。免許を得る資格を持つ医者がいると、首都の医師局に上申しておこう。袖の下を使ってな」


「いやぁ、迷惑をかけて申し訳ないです」


 交渉は度胸だな。


「謝る必要はない。“何でも”と言ったからな」


「それに、免許を得る資格があるというのは嘘ではない。全国医師免許を持つ有名な先生にも治せなかった娘の病気を治したのだから」


「そう言ってもらえると助かります」


「……だが、条件がある」


「条件とは?」


「娘のリリィは自分の病気を治した医師に興味津々でな。しきりに医師になりたいとも言っている」


「だから、リリィに医師としての経験と知恵を色々と教えてやってくれ。それが条件だ」


「了解しました。この町に居る間は定期的に往診して、その時に教えますよ」


「頼んだぞ」


 お互いに立ち上がって再度握手を交わす。


「免許証が届いたら往診のタイミングで渡すから待っていてくれ」


「はい。それでは娘さんの所に案内して頂いても?」


「ああ」


 領主は扉の外で待つメイドを呼んで部屋に入らせる。


「失礼致します」


 そう言い、恭しく礼をして入るメイドは顔を上げると、僅かに領主を睨み付けた。


 領主は目を合わせない。この2人のパワーバランスが垣間見えたな。


 賄賂を贈って首都の医師局に免許証を発行してもらうという俺の要求は、かなり無理をして了承したのだろう。


「では、こちらへどうぞ。カイト様」


 毎回同じメイドに先導され、部屋を出る。


 と、俺が扉を出た瞬間。


「リリィに手を出したら殺すからな」


 背後から凄みのある声で釘を刺された。出さねぇよ。


 建物の最上階の廊下を進み、角部屋に辿り着く。


 俺の助言通り、地下に娘を閉じ込めるのは止めたらしい。


「こちらで御座います」


 メイドは扉をノックして声を掛ける。


「お嬢様、カイト様をお連れしました。入っても宜しいですか?」


 扉の向こうから、「良いですわよ!」と少女の声が聞こえてくる。緊張していて少し声が上擦っている。


 メイドがドアを開けると、以前彼女を治療した部屋の家具や小物類がそのまま移されて、レイアウトとしては全く変わっていない。


 天蓋の付いたベッドも、ファンシーなぬいぐるみも、淡い色の壁紙もそのままだ。


 だが、日当たりは以前とは比べ物にもならない程改善されていて、今もカーテン越しに光が差し込んでいる。


 部屋を見回していると背筋を伸ばして椅子に座っている少女と目が合った。


「カイト先生。どうぞ、こちらにお掛け下さいませ」


 普段の声を隠すように必死に大人びた口調を使っている。それに、何故かガチガチに緊張していて空気が重い。


 というか、アポなしで来たのに何で準備されてるんだ。


 あぁ、情報源はメイドか。


「はい、ありがとうございます」


 紅茶と洋菓子が用意されたテーブルを挟んで反対側に着席して向き合う。


 数週間しか経っていないが、改めて顔を見るとその回復ぶりが顕著だ。


 以前は栄養失調でやつれていて、目の下の隈が濃くて、顔も髪もぐしゃぐしゃだった。


 それがこんな美少女に変貌するとは。本当に可愛らしい顔をしている。


 容姿は大きく変わっていない筈だが、健康体で身なりを整えているだけで印象が全く違う。


 それに、以前は明らかに常人と異なっていた体内魔素の流れだが、今は全く問題ない。


 でも、1つ。笑顔が硬いのが気になる。


「こんにちは。ご存知だと思いますが、医者のカイトと申します」


「ごきげんよう。わたくしはリリィと申します。ご自由にお呼びくださいまし」


「では、お嬢様と呼ばせていただいても?」


「ええ、もちろんですわ」


「それで、あの……お父さまから話をお聞きになっていますか?」


「はい。医者という職業に興味がお有りということで」


「あの日のことはあまり覚えていないのですが、カイト先生のお手が私を救ってくださったのはこくめいに記憶しておりますわ」


「人を痛みから解放するお医者さまはなんと尊いのだろうと思いまして。私もカイト先生のようなお医者さまになりたいのですわ」


「ぜひ()()()()()に医者になるための知識や技術をお教えいただきたく思っておりますの」


 ……他の医者でも良くないか?とは、言わんよ流石に。


 しかし、本当に医者になる気があるのかはまだ分からないが……


「了解しました。その考えは素晴らしいと思います。是非私にも協力させて下さい」


 どちらにしろ領主との取引で教える事になっているから関係ないな。


「ですが、先に医者としての仕事をさせて下さい」


 とは言っても、俺には軽い健康診断しかできないが。


「わかりましたわ」


「普段バランスの良い食事は摂れていますか?」


「ええ、よく食べていますわ。でも、食べすぎてしまうことが多くて、少し体型が気になっていますの」


「それは正常に戻っているだけなので、食事を抜こうとは考えないで下さいね。特にお嬢様は成長期なので」


「次に、充分な睡眠時間を確保できていますか?」


「ええ、よく眠れていますわ」


「朝起きて日光を浴びていますか?」


「その事に関してはお父さまに言われてじっせんしていますわ」


「良いですね。その習慣は続けて下さい」


「運動に関しては体力は戻ってから少しずつ運動量を増やして下さい」


「わかりましたわ」


「他に何か気になる身体の不調があれば、何でも仰って下さい。精神的なことでも大丈夫です」


「身体のことは大丈夫なのですが、別の事でお願いしたいことがありますの」


「何ですか?」


 心臓のドキドキを鎮めるように胸に手を当てて、彼女は言う。


「あの……カイト先生の方が年上ですし、もっとくだけた話し方で話して欲しいですわ」


 そう来たか。


 正直こちらとしては敬語で距離のある関係の方が都合が良いのだが。


 う〜ん。


 まぁ、いっか。


 定期的に会うことを考えると、この緊張感のある関係性のままだと可哀想だし。


 でも、名前呼びは距離が近すぎるかな。


「じゃあ、こんな感じでいいか?お嬢」


「ありがとう存じますわ」


 言葉遣いが硬い。意気込みすぎなのか?


「そんなに丁寧な言葉遣いで話さなくていいよ。俺はそんな偉い人間じゃないから」


「そんなことありませんわ!カイト先生はすばらしい先生ですもの!」


 机の上に身を乗り出して力説するお嬢。


 過剰に俺が上げられている。


 そこそこ居心地悪いな。


「……まぁ、言葉遣いはそれで良いよ。でも力は抜こう。お嬢に緊張されると俺も緊張するから」


「ごめんなさい」


「わたくし、こんなにも人に嫌われたくないと思ったのは初めてで……でも、何をすればいいのかもわからなくて……」


「取り敢えず、深呼吸しよう」


「ほら、吸って……吐いて……」


 俺の言葉に合わせるようにして深呼吸を行うお嬢。


「ふぅ。なんだか気持ちが落ち着いてきましたわ」


 深呼吸の後、お嬢は椅子に深く座って背中を丸め、表情も柔らかくなっていた。


「やっぱりお嬢は自然な表情を出した方が魅力的に映るよ」


「本当ですの!?嬉しいですわ!」


 本当に心の底から嬉しそうな反応を返してくれる。ここまで素直な表情を見せてくれると嬉しい。


 お嬢は表情を作らなくても感情に合わせて自然と表情が出るタイプだ。思った通りだった。


「それにしても、深呼吸で気分が落ち着くなんて不思議ですわ」


「じゃあ、最初の授業はそれについて解説しよう」


 とは言ったものの、どの程度科学を理解してくれるのか。


 探ってみよう。


「呼吸が浅く短くなると酸素不足で緊張する」


「深呼吸すると、身体中に酸素が行き渡ってリラックスできるようになる」


「人は無意識に呼吸が浅い状態になりやすいから意識的に深呼吸を行うことで自律神経のバランスが整うんだけど……この説明で理解できるか?」


「ええ。少し分からない言葉もありますけれど……酸素というのは空気中の小さな粒ですわよね?」


「じりつしんけいというのは何ですの?」


 酸素は知っていて自律神経は知らないと。


「自律神経は、自分の意思とは関係なく働いて生命維持に必要な機能を調整している身体の器官だ」


 お嬢はふむふむと熱心に聞いている。


「そんなに体にくわしいお医者さまにはあったことがありませんわ!」


「やっぱりカイト先生は他のお医者さまよりも博学ですわ」


 いや、酸素の知識がある国の医者で人の身体に詳しくないとかあり得るか?


 お嬢が医者について知らないだけなのでは。


「それはどうも」


「じゃあ、1つ質問。健康のために普段どんなことをしてる?」


「そうですわね……手洗うがいはみんな習慣になっていますわ。それにアルコールでの除菌も」


「除菌?細菌について知っているのか?」


「ええ。汚い所を触ると菌が付いて、それを身体の中に入れると病気になるのですわよね?」


「大体合っているが、妙に詳しいな」


「子供でもそのくらいの常識はあるのですわ」


 お嬢は頬を膨らませてぷんぷんしている。


 常識のない子供であると俺に思われてると勘違いしたのだろう。


 というか、この町の文明レベルから考えられないほど細菌や酸素についての分野が異常に発達している。


 しかし、多少でも医学の知識を知っているのは有り難いな。教える時に楽だ。


「まぁ、大体どんな教材を使えば良いのか把握したから次回持ってくるよ」


「お願いしますわ」


 ここで互いに沈黙。


 そろそろ帰ろうかと思った時、


「あの……もう少しお菓子を食べていきませんか?」


「今お菓子食べて昼食食べられるか?」


「大丈夫ですわ!私これでもよく食べる方ですの」


 それから少し世間話をしていたらいい時間になったので領主の館を後にした。

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