第2話 聖女様の便です
セラ・エーデルワイスは偽名である。
本名はセシリア・トライブルク。
魔術師の名家であるトライブルク伯爵家令嬢であり、彼女自身も将来有望な魔術師としてその名を知られていた。
セラとなったのは今から約1年前。訓練で負傷し療養している病室に、彼女が所属する第二魔術連隊のトップが訪ねてきた時からだ。
糞尿処理科への転属を命じられた時は絶望した。
具体的に何をしているかは知らなかったが字面からして不潔な内容だろうし――何より、あの変人として名高いブリリアン卿の部署である。
連隊長が色々と説明していたが全く頭に入ってこず、身体が治ったら絶対に仕返ししてやるとだけセラは思っていた。
上司の命令なので表面上は了承し、連隊長が部屋から出て行った直後に実家へ送る嘆願書をしたため、王宮にいる姉に泣きついた。
双方から「ガンバレ!」と返ってきた時、セラは夢を見ているのだろうと考え、ベッドでふて寝することにした。
――
「セラ君、出力が少し低いです。80エトスまで上げてください」
「か、簡単に言わないでくださいよ……」
標準的な魔術師の最高瞬間出力は100エトスと言われており、80エトスは英俊のセラと言えど息が上がるほどの出力である。
これまで3刻ぶっ続けで実験を続けており、しかも得意でない――変換効率の悪い雷撃術式を強いられているため、なおさらだ。
「えっ、セラもう限界なの?」
ウルフがガラス窓から全く目を逸らさずに、馬鹿にしたような声音で言ってくるのを聞いて、セラはまなじりを尖らせた。
「よ、ゆうっ、に決まってるでしょ!!」
「が、頑張ってください……!」
セラを団扇で扇いでいたフェルトは、小鳥の刺繍のある白いハンカチを取り出すと、セラの額に浮かぶ汗を拭った。
セラが両手をかざしている先にはラッパ型の金属があり、そこから伸びるチューブは幾つかに分岐している。
メーターの付いた機材や蒸気をあげるビーカーなどを経て、最終的に机上の金属塊へと繋がっていた。
約50センチ立方の塊にはガラス製の窓が付いており、科長とウルフが真剣な表情で内部をのぞき込んでいる。
中に何があるかというと、当然便と尿だ。
――修練場の爆発事件から5日が経過していた。
セラの姉や上司の伝手で魔術局の術式解析科に自身たちの魔術痕跡が無いことを証明してもらったり、魔道具科や錬金局の先進開発科などが可燃性物質の関与を示唆してくれたりと、間接的な証拠は積みあがっているが、状況は芳しくない。
セラが姉に聞いた話によると、近衛騎士団が方々へ圧力をかけているらしい。糞尿処理科を襲撃してしまった手前、無実を証明されては堪らないのだろう。
それに加え複数の貴族が動いている気配もある。
次期国王最有力であったレエブン公爵が昨年の水難で亡くなり、半年前に陛下も体調を崩され、陛下の実子であるサイモン殿下は未だ5歳。
そこで一躍脚光を浴びることになったのがクラウス殿下だった。
幼い頃に人質として大公領へ預けられていたクラウス殿下が、急遽王宮へ戻ってきたのが数ヶ月前のこと。
関係を結びたい貴族が、クラウス殿下と親密な近衛騎士団へ恩を売ろうとしている、ということだった。
「おおっ!?」
科長とウルフの声が重なって聞こえて、セラは思考の渦から現実へと戻ってきた。
二人とも食い入るような目でガラス窓の中をのぞいている。
「どうしたの?」
ラッパから手を外したセラは、フェルトの手を引いてふたりの背中側へとまわった。
「これは……どういうことでしょうか、科長?」
「ふむ、検証しなければ確実なことは言えませんが、多量の魔術を注ぎ込んだことにより形質が変化したと考えるのが自然でしょう。先ほどカルトナージュ=ボッシュの定理に基づき概算しておきましたが、測定値との誤差はかなり小さいようです」
「……概算って、普通は複数人で数日がかりで計算するものですよ? まあ、科長ならできても驚きませんが」
「あくまで概算ですから大したことではありません。正確な計算はウルフ氏に任せるので、明日までに資料にまとめておいてください。私は応用――」
「ど! う! し! た! の! って聞いてるんだけど!!」
1文字ごとにふたりの頭に手刀を落とすと、ようやくセラたちの存在に気付いたようだった。
憮然とした表情のウルフと無表情な科長は顔を見合わせて、ひとつ頷いた科長が抑揚のない声で言った。
「お疲れ様でした。実験は成功です」
〇〇○
ウルフ・ノーマンは偽名である。
本名はウルベルト・カルロスタット。
貧しい農家の五男として生まれた彼は、小作人か物乞いか、運が悪ければ餓死する定めであった。
しかし、たまたま村を通りかかった司祭にその頭脳を見初められ初等学院へと入学。
めきめき頭角を現し、3年前に高等学院を主席で卒業した後、鳴り物入りで錬金局へ入局した鬼才であった。
ウルフとなったのは今から約1年前。局長の部屋へ呼び出された時からだ。
糞尿処理科への転属を命じられた時は困惑した。
具体的に何をしているかは知らなかったが字面からして不潔な内容だろうし――何より、あの変態として名高いブリリアン卿の部署である。
局長に一束の論文を手渡され、その最初のページに目を通した時、ウルフは瞠目した。
そこにあったのは、ウルフには思いもつかない奇天烈な内容だった。
しかし……ウルフの頭脳は、その一見絵空事に見える主張の底に、深いエミリア海のような知性があるのを見逃さなかった。
ふたつ返事でウルフは転科を了承し、ウルベルトは海外の研究所へ留学することになった。
――
『雷撃術式による多重干渉と糞尿の形質変化及びその応用について』
錬金局長に絶賛されたその論文は、発刊翌日に全て回収されてしまった。管理局より準規制図書に指定されたためだ。
論文の作成に3日3晩、寝食を忘れて全力を傾けていたウルフは、糞尿処理科の窓辺で魂が抜けたように突っ伏していた。
フェルトが室内を意味もなくうろうろしながら、心配そうにウルフへ視線を向けているのに耐えかねて、セラは魔術書を机に置いた。
カツカツとヒールを鳴らし、栗色の頭を勢いよく引っ叩く。
「……なにすんだよ」
むくりと、ウルフが濃いクマのある顔を上げた。
「いつまで落ち込んでるのよ! そりゃ、あれだけ頑張ってた論文が握り潰されちゃったのは悔しいだろうけど、私たちが評価されないのはいつものことじゃない!」
「……違う」
評価をされないことは問題ではない。そもそもウルフは偽名だし、人生の大半で絶賛されてきたウルフにとって、評価されること自体に大きな価値はない。
あの論文は非常に価値があるものだった。
通常、魔術や錬金術で用いられる触媒は、竜などの魔法生物の身体や、霊脈で稀に生成される魔鉱石など、非常に特殊な物質に限られる。
あの論文は、糞尿というありふれた物質が、不完全ではあるが触媒足りうる可能性を示唆するものだった。
それを、政略などという陳腐なもので握りつぶされたことが、ウルフには腹立たしく、ただただ悔しかった。
……とはいえ、それを二人に説明したところでポカンとした顔をされるだけだと分かっていたので、ウルフは代わりにふかーいため息をついた。
「なんか、ムカつくんだけど」
セラが睨みつけてきたので、もう一度ふかーいため息をつくと、セラの髪の毛が淡く赤色に光りはじめた。
魔力光を出すほどの術者が、糞尿処理科なんて場所にいるのが不自然であることを、ウルフは当然知っていたが……いつものようにスルーして、おろおろしているフェルトへ目を向けた。
「そういえば、科長は?」
「えっと……まだ、来られてないです」
さすがの科長といえど、自宅で傷心しているのか?
「科長なら、今朝スキップしながら門を出ていくのを見たわよ」
セラがムスッとした声で言うのを聞いて、ウルフは科長が変態であったことを再確認した。
――
科長が糞尿処理科に来たのは午後になってからだった。
小袋を両手で大事そうに抱えている。
いつも通り無表情であるが、どこかそわそわした様子なのを見て、3人で目配せをする。
また厄介ごとを持ち込んだのか?
「……それ、どうしたんですか?」
セラが代表して、おそるおそるといった声音で質問すると、科長は大きく頷いた。
「素晴らしい試料を手に入れることができました」
言いながら小袋の中から金属製の円筒を2つ取り出した。順番に机の上へ置き、ピンセットを手に取ると、慎重な手つきで片方の蓋を開ける。
中からピンセットで摘み上げたのは、見慣れた物体だった。
「聖女様の便です」
「ひぇっ!?」
フェルトがそんな声をあげるのを、ウルフは初めて聞いた。
〇〇○




