第八話 豚骨ラーメンの匂いで宇宙艦隊が動いたら、地球から骨が消えた
午前五時。
『らーめん銀次』の厨房で、豚骨スープが白く泡立っていた。
「今日は本格的な豚骨ラーメンだ」
健太は寸胴の火加減を確かめた。
クックが香りを分析する。
『濃厚な脂質と揮発成分を検出。味噌ラーメン用出汁とは大きく異なります』
「骨を使うのは前にも教えたよな?」
『はい。しかし、ここまで強く炊き出す調理法は未経験です』
「そういうことだ」
そこへガルが駆け込んできた。
「店主! 艦隊の化学センサーが警報を発しています!」
「またか。豚骨の匂いだよ」
「司令部は『未知の高濃度物質』として調査を開始しました!」
「前に食った味噌ラーメンにも豚骨は入ってたろ!」
「ですが、今回は匂いの規模が違います!」
昼前、皇帝とゼルガードが現れた。
二人は白濁したスープを見て目を丸くした。
「こんなに白いのか」
「長時間炊いて、脂と水分が混ざった状態になってるんです」
健太は細麺、チャーシュー、キクラゲ、青ネギを盛りつけた。
「どうぞ」
皇帝がレンゲを口に運ぶ。
「……なんということだ」
「どうです?」
皇帝は震える声で言った。
「濃厚なのに、飲み続けたくなる!」
健太は笑った。
「豚骨をじっくり煮込んで、うま味を引き出してるんですよ」
ゼルガードもスープを飲んだ。
「……おお!」
そして麺をすすった。
ズズズッ!
「細い麺がスープによく絡む!」
二人の箸が止まらない。
皇帝は夢中で食べ始めた。
しかし、しばらくすると箸を止めた。
「健太よ」
「はい」
「……麺がなくなった」
「そうですね」
「だが、スープは残っている」
「はい」
皇帝は真剣な顔で尋ねた。
「……これは、どうすればよい?
健太は笑った。
「替え玉できますよ」
「……替え玉?」
皇帝は立ち上がった。
「気になっていた、あの替え玉か!」
「今日は豚骨ですからね。麺だけ追加できます」
「頼む!」
ゼルガードも手を挙げた。
「私もだ!」
健太は新しい麺を茹で、二人の丼へ入れた。
皇帝がうっとりとつぶやく。
「一杯の中に、二度目の喜びがあるとは……」
「食べすぎには気をつけてくださいよ」
ところが、午後になると問屋から電話が入った。
『銀次さん、大変です! 豚骨が仕入れられません!』
「……は?」
『銀河帝国が、国内の豚骨を全部買い付けようとしてるんです! いつもの仕入れ先まで、帝国の発注が先に入ってしまって!』
健太は受話器を握り直した。
「全部!?」
そのころ帝国の調達本部では、皇帝の「全艦隊でも替え玉を楽しめるように」という伝言を、担当官が「地球の豚骨を可能な限り確保せよ」と拡大解釈していた。
「何杯分を用意すればよいのですか?」
若い職員の問いに、上官は胸を張った。
「陛下は全艦隊とおっしゃった。足りぬより余るほうがよい。購入可能な在庫をすべて押さえろ!」
「地球の飲食店の分は?」
「陛下の御意向が最優先だ!」
必要量の計算も、地元業者への確認もないまま、発注端末には桁外れの注文数が並んでいた。
『ラーメン店も食品工場も困ってます! 隣町の店は今日の仕込みを止めたそうです!』
電話の向こうで、問屋の店主がため息をついた。
『うちは何十年も付き合ってきた店に、骨を一本も渡せないんですよ。こんなの初めてです』
美咲の端末にもニュースが流れてきた。
『銀河帝国、豚骨を戦略物資に指定』
『各地のラーメン店で仕込み中止』
『地元商店街の豚骨専門店、臨時休業を発表』
『精肉加工業者に宇宙船が殺到』
「……何してくれてんだ」
健太は皇帝に連絡した。
「陛下! 豚骨の買い占め、今すぐやめてください!」
『だが、兵士たちにも食べさせたいのだ』
「気持ちは分かります。でも、地球の店が作れなくなったら意味がないでしょう!」
皇帝は黙った。
『……その通りだ』
健太は続けた。
「そもそも、骨だけ買っても豚骨ラーメンはできません。血抜きや下処理、衛生管理、火加減。全部必要です」
『ならば、どうすればよい?』
「まず買い占めた分を市場に戻す。ただし、勝手に店先へ骨を山積みにせず元の業者に数量と保管温度を確認して、受け入れられる分から順番に返すんです」
『なるほど』
「必要な量を相談して、加工業者と長期契約する。それから現地で作れる材料と技術を育てるんです。買い占めで迷惑をかけた店には、仕込みを止めた分の補償もしてください」
『……それも当然だな』
『時間がかかるな』
「うまいものを広めるには、時間がかかるんですよ」
皇帝はしばらく沈黙した。
『分かった。命令を撤回する』
その日の夕方。
銀河帝国の輸送艇が、買い集めた豚骨を冷蔵状態で各業者へ返し始めた。
だが、伝票と現物の照合に時間がかかり、すべては戻らなかった。
健太の店にも問屋から連絡が入る。
『銀次さん、明日の分は何とか確保しました。でも隣町の店は、あと一日かかりそうです』
「分かりました。うちの在庫を少し回してください。今日は味噌と醤油でしのぎます」
『助かります!』
美咲が健太を見た。
「健太さんのお店だって、余裕はないのに」
「ラーメン屋がラーメン屋を困らせてどうするんだよ」
翌朝、隣町の店主が銀次に顔を出した。
「健太さん、骨を分けてくれて助かったよ。今朝、ようやく寸胴に火を入れられた。店の前で待ってた常連が、湯気を見て拍手してくれてさ」
「よかった。帝国の補償は、休業した日数と廃棄した材料の記録を出して、きっちり請求しましょう」
「しかし宇宙人相手に、仕入れの相談をする日が来るとはね」
「俺だって、豚骨を軍需物資にされたくなかったですよ」
二人は顔を見合わせ、苦笑した。
健太はクックに告げた。
「今後、帝国が食材を大量発注するときは、先に地元の問屋と生産者に相談する。勝手な一括購入は禁止だ」
『了解。銀河帝国購買局へ、事前協議と発注上限の設定を提案します』
「ようやくラーメン屋らしい仕事に戻れそうだな」
だが一つ問題があった。
ガルが報告する。
「店主! 返品伝票の品名がすべて『国家重要防衛骨材』になっています!」
「普通に豚骨って書け!」
その日の午後、帝国購買局から正式な回答が届いた。
『休業日数と廃棄材料の記録に基づき、損失を補償します。今後の仕入れは地元業者と事前協議し、発注上限を守ります』
「よし。それなら筋が通る」
健太は回答を隣町の店主にも転送した。
ほどなく「休業分まで面倒を見てくれるなら、従業員にもちゃんと払える。ありがとう」と返事が届いた。
続いて問屋から写真が届いた。
帝国が支援するという冷蔵設備の設計図だった。
「……これ、宇宙船の格納庫じゃないか?」
『大型冷蔵庫です』
「店よりでかい冷蔵庫を置く場所がねえよ!」
クックが仕込みを再開した。
『師匠。今日の豚骨は確保できました』
「よし」
クックが仕込みを再開した。
『師匠、皇帝陛下から「次は骨抜き豚骨ラーメンを」とご注文です』
「骨を抜いたら豚骨ラーメンじゃねえだろ!」




