第三話 きつねうどんを食べた宇宙人が、銀河最大の戦争を中止した
午前六時。
東京の下町。
ラーメン店『らーめん銀次』の店主、佐藤健太は、いつものように厨房でスープを仕込んでいた。
大鍋から湯気が立ち上る。
鶏ガラ。
豚骨。
昆布。
煮干し。
昨日、銀河帝国から提供された時間加速装置のおかげで、仕込みの時間は大幅に短縮された。
もっとも、便利になったからといって、すべてを機械任せにするつもりはない。
「……よし。今日はいい感じだな」
健太はスープを味見した。
店の電話が鳴った。
「はい、らーめん銀次です」
『地球人、佐藤健太か』
低く、威厳のある声。
健太は聞き覚えがあった。
「……ああ、昨日のうどんの人?」
『うどんの人ではない!』
「じゃあ、誰でしたっけ?」
『銀河麺類禁止連邦、最高指導者ゼルガードである!』
「ああ、ゼルガードさん」
『気安く呼ぶな!』
「じゃあ、何て呼べばいいんです?」
『最高指導者閣下だ!』
「……長いですね」
『…………』
電話の向こうで、深いため息が聞こえた。
『それより、昨日の約束は覚えているか?』
「きつねうどんの店を紹介する話ですか?」
『そうだ!』
「覚えてますよ」
『……本当か?』
「はい」
『……大盛りも、七味も、いなり寿司も?』
「全部あります。だから、まず地球に着いてください」
長い沈黙。
『…………』
「もしもし?」
『……すまぬ』
「はい?」
『少し、泣いていた』
「朝っぱらから何やってんですか」
午前八時。
地球上空。
銀河麺類禁止連邦の艦隊、五万隻。
その巨大な艦隊が、地球へ接近していた。
当然、世界中が大騒ぎになった。
国連では緊急会議が開かれた。
「また宇宙艦隊だと!?」
「今度こそ侵略では!?」
「銀河帝国と敵対している勢力だそうです!」
「目的は何だ!」
地球上のあらゆる通信機器に、同じメッセージが表示された。
『地球文明の代表者に告ぐ』
世界中が息をのんだ。
『我々は銀河麺類禁止連邦である』
『要求はただ一つ』
『きつねうどんを一杯いただきたい』
「…………」
国連会議室が静まり返った。
「また麺類かあああああ!」
事務総長の叫び声が響いた。
同じ頃。
『らーめん銀次』。
健太はテレビを見ながら腕を組んでいた。
「……宇宙人って、そんなに麺が好きなのか?」
アルバイトの田中美咲が答えた。
「銀河帝国も麺類禁止連邦も、食文化が失われてるんですよね」
「そうらしいな」
「だったら、ラーメン以外にも食べさせてあげたらどうですか?」
健太は考えた。
「……それはいいけど、うちはラーメン屋だぞ」
店の前に、黒い高級車が止まった。
降りてきたのは、昨日も訪れた内閣府の職員だった。
「佐藤さん!」
「今度は何です?」
「また地球の危機です!」
「……今度は何を注文されたんです?」
職員は一瞬、黙った。
「……きつねうどんです」
健太はうなずいた。
「でしょうね」
「驚かないんですか!?」
「昨日、本人から電話がありましたから」
「本人!?」
「ええ。ゼルガードさん」
職員は青ざめた。
「最高指導者を、さん付けで!?」
「名前で呼んでくれって言ったら怒られましたけど」
「……何を話したんです?」
「うどんの注文確認です」
職員は頭を抱えた。
「……銀河外交が、完全に飲食店の予約電話になっている」
午前九時。
健太は、近所のうどん店を訪れていた。
店の名前は『手打ちうどん山下屋』。
創業六十年。
店主は山下源蔵、六十七歳。
健太の父親の代から付き合いのある、頑固な職人だった。
「おう、健太じゃねえか」
「源蔵さん、ちょっと頼みがあるんだけど」
「何だ?」
「きつねうどん、一杯作ってくれない?」
「何だ、そんなことか」
源蔵は腕を組んだ。
「食ってくのか?」
「いや、俺じゃないんだけど」
「誰だ?」
「宇宙人」
「…………」
源蔵は黙った。
「……お前、朝から酒飲んでんのか?」
「飲んでねえよ!」
健太は事情を説明した。
地球に宇宙艦隊が来たこと。
銀河帝国が味噌ラーメンに感動したこと。
そして、銀河麺類禁止連邦の最高指導者が、百五十年前に食べたきつねうどんを探していること。
源蔵は黙って聞いていた。
「……なるほどな」
「分かってくれた?」
「ああ」
源蔵は腕を組んだ。
「で、そいつは何人で来るんだ?」
「一人です」
「なら一杯だな」
「ただ、護衛が五万隻ほど」
「…………」
源蔵はしばらく考えた。
「……うち、四人掛けのテーブルが六つしかねえぞ」
「護衛は店に入れなくていいから!」
午前十時。
地球上空。
銀河帝国第七艦隊と、銀河麺類禁止連邦の艦隊が向かい合っていた。
銀河帝国側、十二万八千四百隻。
連邦側、五万隻。
双方の兵器が起動する。
緊張が高まった。
帝国艦隊司令官が通信を開いた。
『銀河麺類禁止連邦に告ぐ!』
『こちらは銀河帝国第七艦隊司令官である!』
『地球への軍事行動を直ちに中止せよ!』
連邦側から返答があった。
『我々に敵対するつもりか!』
『当然だ! 地球は我々の重要な友好惑星だ!』
『ならば戦争も辞さぬ!』
両軍の兵士たちが身構えた。
連邦最高指導者ゼルガードが通信に割り込んだ。
『待て』
『最高指導者閣下!』
『一つ確認したい』
帝国司令官は警戒した。
『何だ?』
『地球のきつねうどんは……』
『…………』
『大盛りにできるのか?』
帝国司令官は固まった。
『……何?』
『大盛りにできるのかと聞いている!』
『知らん!』
『なぜ知らん!』
『我々はラーメン専門だ!』
『役立たずめ!』
『何だと!?』
両軍の司令官が怒鳴り合った。
その様子を見ていた地球側の外交官が、恐る恐る通信に割り込んだ。
『あの……』
『何だ!』
『きつねうどんの大盛りは可能です』
『…………』
ゼルガードが静かになった。
『……本当か?』
『はい』
『いなり寿司もございます』
『…………』
長い沈黙。
『全艦隊に告ぐ』
ゼルガードが命令した。
『戦闘準備を解除せよ』
連邦艦隊の兵士たちが驚いた。
『最高指導者閣下!?』
『戦争は中止だ』
『なぜですか!?』
ゼルガードは静かに答えた。
『……うどんが伸びる』
こうして。
銀河史上最大級の宇宙戦争は、開始前に中止された。
午前十一時。
『手打ちうどん山下屋』。
店の前に、一機の黒い宇宙船が着陸した。
扉が開く。
現れたのは、黒い衣装をまとった巨大な宇宙人だった。
身長二メートル半。
四本の腕。
頭には二本の角。
銀河麺類禁止連邦最高指導者、ゼルガード。
その姿を見た警備員たちが震え上がる。
しかし、ゼルガードは周囲など見ていなかった。
ただ、店の暖簾を見つめていた。
『手打ちうどん山下屋』
ゼルガードの四つの目から、涙が流れた。
「……百五十年」
健太が声をかけた。
「ゼルガードさん」
「……何だ」
「入らないんですか?」
「…………」
ゼルガードは震える声で答えた。
「……心の準備ができていない」
「うどん食うだけですよ」
「貴様には分からん!」
ゼルガードは叫んだ。
「百五十年だぞ!」
「はいはい」
「百五十年間、あの味を探し続けたのだ!」
「分かりましたから」
「もし、あの味と違ったら……!」
健太は腕を組んだ。
「……違ったら?」
ゼルガードは真剣な顔で言った。
「もう一杯食べて確認する」
「食う気満々じゃねえか!」
店内。
源蔵は、いつものように厨房に立っていた。
「いらっしゃい」
ゼルガードは緊張した様子で席に座った。
「……きつねうどん」
「はいよ」
「……大盛り」
「はいよ」
「……七味」
「置いてあるよ」
「……いなり寿司」
「二個でいいか?」
ゼルガードは震えた。
「……二個も?」
「普通は二個だよ」
「…………」
ゼルガードは天井を見上げた。
「……なんという豊かな文明なのだ」
健太はため息をついた。
「昨日も聞いたな、そのセリフ」
源蔵は麺を茹で始めた。
大鍋の湯が踊る。
白いうどんが、ゆっくりと湯の中で揺れる。
ゼルガードは食い入るように見つめた。
「……あれが」
「うどんだよ」
「……本物の」
「そうだ」
ゼルガードは涙を流した。
「……美しい」
源蔵は首をかしげた。
「……うどん見て泣く客は初めてだな」
健太が答えた。
「百五十年ぶりらしいです」
「そりゃ腹も減るだろうな」
「そういう問題じゃないと思いますけど」
数分後。
源蔵は一杯のきつねうどんを完成させた。
澄んだ出汁。
白く輝くうどん。
甘辛く煮た大きな油揚げ。
刻んだネギ。
湯気が立ち上る。
「お待ちどうさま」
源蔵が丼を置いた。
ゼルガードは動かなかった。
「…………」
健太が尋ねた。
「どうしました?」
「……同じだ」
「え?」
「百五十年前と……同じ香りだ」
ゼルガードの手が震えた。
ゆっくりと箸を取る。
ズズズズズッ!
うどんをすすった。
一秒。
二秒。
三秒。
ゼルガードの動きが止まった。
「…………」
健太が心配になった。
「……大丈夫ですか?」
ゼルガードは震え始めた。
「……あ」
「あ?」
「……ああ」
「うまああああああああああああ!」
店全体が揺れた。
「うわっ!」
「これだあああああ!」
ゼルガードは号泣した。
「百五十年!」
ズズズズズッ!
「百五十年、探し続けた!」
ズズズズズッ!
「この出汁!」
ズズズズズッ!
「この麺!」
ズズズズズッ!
「この油揚げ!」
ズズズズズッ!
「……うますぎるうううう!」
源蔵は腕を組んだ。
「……大げさな客だな」
健太は苦笑した。
「宇宙人って、みんなこんな感じみたいです」
ゼルガードは、きつねうどんを完食した。
そして、いなり寿司を一口食べた。
「…………」
動きが止まった。
「……何だ、これは」
源蔵が答えた。
「いなり寿司だよ」
「……油揚げの中に、米が入っている?」
「そうだよ」
「……なぜ?」
「うまいからだよ」
ゼルガードは、もう一口食べた。
「…………」
「……うまい」
四つの目から、再び涙が流れた。
「……油揚げは、麺だけでなく米まで包み込めるのか」
健太は笑った。
「そうですよ」
ゼルガードは震えた。
「……なんという万能食材」
源蔵は腕を組んだ。
「おかわりするかい?」
ゼルガードは即答した。
「する!」
「何を?」
「全部だ!」
「全部?」
「きつねうどん大盛り、いなり寿司、七味!」
源蔵は笑った。
「はいよ!」
ゼルガードは突然立ち上がった。
「全艦隊に告ぐ!」
健太が驚いた。
「え?」
ゼルガードは通信装置を起動した。
『最高指導者閣下!』
「緊急命令だ!」
『戦争再開ですか!?』
「違う!」
ゼルガードは叫んだ。
「銀河麺類禁止令を、全面撤廃する!」
『…………』
通信の向こうが静まり返った。
『……何ですって?』
「麺類禁止令は、今この瞬間をもって廃止する!」
『なぜですか!? 百五十年の国是ですぞ!』
ゼルガードは丼を置いた。
「百五十年前、私は地球でこの味を知った。帰国してから何度も再現を命じたが、誰にも作れなかった」
ゼルガードは、甘辛い油揚げを見つめた。
「失敗するたび、私は料理人を責めた。やがて『ぜいたくは国を弱くする』と命じ、麺料理そのものを禁じた。二度と手に入らぬものを、誰にも欲しがらせたくなかったのだ」
「だが、間違っていた。私が味わえなかった悔しさと、民から食べる楽しみを奪うことは、何の関係もない」
通信の向こうから、年老いた大臣の声がした。
『閣下。私の孫は、麺というものを絵でしか知りません』
「……そうだろうな」
『あの子は、いつか本物を食べられますか』
ゼルガードは目を閉じた。昔、地球の食堂で隣り合った親子が、一杯のうどんを分け合って笑っていた。その光景まで、今になって思い出した。
「食べられる。お前の孫も、その友人も。私が奪った自由は、私が返す。まずは禁令を解き、地球の料理人に教えを請おう」
ゼルガードは通信装置に向かって頭を下げた。
「連邦のすべての民に謝罪する。禁止令は撤廃だ。まずは料理人を育て、誰もが食べられる店を作ろう」
『……最高指導者閣下!』
「ただし、最初の一杯は順番を守って食べること。私も今日、教わった」
源蔵が鼻を鳴らした。
「長い演説だな。うどんが伸びるぞ」
「……そうだった!」
銀河麺類禁止連邦の歴史が、音を立てて変わった瞬間だった。
その日の午後。
銀河帝国皇帝と、銀河麺類禁止連邦最高指導者による緊急会談が開かれた。
会談場所。
『手打ちうどん山下屋』。
皇帝は巨大な通信映像で参加していた。
『ゼルガードよ』
「何だ」
『貴様、本当に麺類禁止令を撤廃したのか?』
「そうだ」
『なぜだ?』
ゼルガードは静かに答えた。
「……きつねうどんを食べた」
皇帝は固まった。
『……何?』
「きつねうどんだ」
『……ラーメンとは違うのか?』
「違う」
『……どちらがうまい?』
ゼルガードは腕を組んだ。
「……それは難しい質問だ」
皇帝は身を乗り出した。
『まさか、ラーメンよりうまいというのか!?』
「どちらにも良さがある」
『…………』
皇帝はしばらく黙った。
『……私も食べたい』
健太が通信に割り込んだ。
「食べればいいじゃないですか」
皇帝が驚いた。
『佐藤健太殿!』
「はい」
『きつねうどんを、私も食べられるのか!?』
「もちろんです」
『……いくらだ?』
源蔵が答えた。
「大盛りで九百円だよ」
『…………』
皇帝は固まった。
『……九百円?』
「そうだよ」
『……ラーメンより安いのか!?』
「店によるだろうけどな」
皇帝は立ち上がった。
『銀河帝国全軍に告ぐ!』
健太が慌てた。
「ちょっと待ってください!」
『何だ!?』
「また艦隊で来るつもりですか!?」
『当然だ!』
「一人で来てくださいよ!」
皇帝は考えた。
『……なるほど』
「はい」
『では、護衛艦は千隻に減らそう』
「多いわ!」
夕方。
『らーめん銀次』。
健太は厨房で帳簿をつけていた。
美咲がテレビを見ながら言った。
「健太さん」
「何だ?」
「すごいことになってますよ」
テレビでは、世界各国のニュースが流れていた。
『銀河麺類禁止連邦、百五十年続いた麺類禁止令を撤廃!』
『銀河帝国と連邦、歴史的な和平交渉へ!』
『きつねうどんが銀河外交を変えた!』
『日本政府、うどん文化の保護を検討!』
美咲は興奮していた。
「健太さん! 宇宙戦争がなくなったんですよ!」
「そうらしいな」
「すごいじゃないですか!」
「まあ、よかったな」
健太は帳簿を閉じた。
そして、静かに言った。
「……それより」
美咲が嫌な予感を覚えた。
「……はい?」
「今度は小麦粉が足りねえ」
「…………」
「ラーメンもうどんも、小麦粉使うだろ」
「……そうですね」
「銀河中から注文が来たら、どうなると思う?」
美咲は青ざめた。
「……まさか」
健太はうなずいた。
「味噌の次は、小麦粉だ」
店の電話が鳴った。
健太が受話器を取った。
「はい、らーめん銀次です」
『佐藤健太殿!』
聞き覚えのある声。
銀河帝国第七艦隊司令官だった。
「今度は何です?」
『重大な報告がある!』
「……またですか」
『銀河帝国と麺類禁止連邦が、共同で新たな計画を立ち上げた!』
「何の計画です?」
司令官は誇らしげに答えた。
『銀河全域に、地球の麺料理を普及させる計画だ!』
「……へえ」
『まず一億店舗を目標とする!』
「いきなり一億!? 小麦粉はどうするんです?」
『農業惑星三万個で麦を育てる! 地球の農業技術者にも協力を求める予定だ!』
「店を建てる前に、作れる人を育ててくださいよ!」
『……なるほど。料理人の養成から始めよう!』
「そうしてください!」
司令官は真剣な声で続けた。
『佐藤健太殿』
「はい?」
『あなたには、銀河麺文化普及計画の最高責任者になっていただきたい』
「……あの」
『何だ?』
「俺、明日も店を開けるんですけど」
『…………』
「朝四時から仕込みがあるんですよ」
『…………』
「最高責任者とか、無理です」
司令官は震える声で言った。
『……銀河全域の食文化を変える機会なのだぞ?』
健太は答えた。
「そんなことより、明日の味噌ラーメン百二十杯をちゃんと作らないと」
長い沈黙。
『……分かった』
司令官は静かに言った。
『ならば、我々がすべて準備しよう』
「……何を?」
『あなたが、ラーメン作りに専念できるように』
健太は少し笑った。
「……それなら助かります」
『任せてくれ!』
通信が切れた。
健太は受話器を置いた。
「……なんか、嫌な予感がするな」
ところが、その夜。
銀河帝国から新たな連絡が届いた。
『明朝、食材供給支援の第一便を地球近傍に到着させる』
「……第一便?」
『惑星一個分の容量を持つ、巨大な小麦粉倉庫だ!』
「いや、そんなに小麦粉使わねえよ!」
健太は受話器を置いた。
「……明日も、朝から大変そうだな」




