第15話 公平な犠牲
グルアシエルアは。
母の追記を読んだあと。
長く。
黙っていた。
「ここから先は」
資料庫の奥。
鍵のかかった小部屋。
「閲覧制限記録です」
クアイドエンが。
すぐ問う。
「今まで隠していた?」
「はい」
グルアシエルアは。
否定しない。
「理由は」
「王室の判断です」
「あなたの?」
「私も、維持してきました」
その言い方。
責任から。
逃げない。
だからこそ。
ハフソには。
怖い。
*
十二年前。
王都を救うため。
地下で。
大規模な封鎖作業。
「何が起きていたのですか」
ハフソが聞く。
「発端は」
グルアシエルア。
「記録が意図的に欠かされています。私にも断定できません」
「分からない?」
「はい」
「分かっていることは」
「王室が旧術式を使ったこと」
机の上。
古い計算表。
「三百人の時間を、地下へ押し込み」
次。
「封鎖を成立させたことです」
「三百人は、選ばれたのですか」
「はい」
「どういう基準で」
グルアシエルアは一度黙る。
「封鎖区画へ動員可能な者。身元確認が容易な者。術式適合が高い者」
人が条件へ変換されている。
「本人の同意は」
「ありません」
テググが顔を背ける。
「家族は」
「多くは事故死、または封鎖災害による死亡として処理されました」
名前。
死因。
時間。
全部。
切られた。
部屋が。
静かになる。
「時間」
テググ。
「って」
「人間の生の時間です」
クアイドエンの声が。
低い。
「命を奪ったという意味か」
「はい」
「三百人も?」
テググの表情。
怒り。
そのまま。
「はい」
グルアシエルアは。
受け止める。
言い訳しない。
マーカスが。
記録を。
震える指で読む。
「全員」
「死亡しています」
母の追記。
『押し込めただけで、戻してはいない』
意味。
分かる。
三百人。
切られた時間。
地下へ。
固定。
*
「今」
クアイドエン。
「十二年前の封鎖が弱っている」
「そうです」
「旧術式で直すなら」
「再び」
グルアシエルア。
「多数の死が必要です」
ハフソの胃が。
冷える。
「三百人を」
「私は選びません」
即答。
グルアシエルア。
「だから」
別の計算表。
新しい。
「一人の命を丸ごと代価にする旧術式ではなく」
線。
全国。
「全国民から、ごく短い時間を同時に徴収する方式を設計しました」
王族。
貴族。
平民。
彼女自身。
「全員が同じだけ負担する方が公正です」
「子どもも?」
「はい」
「老人も?」
「はい」
「王族も?」
「はい」
「あなたも?」
「当然です」
例外を作らない。
それがグルアシエルアの公正。
「病気の人も」
「同じです」
例外を作れば、誰かが多く背負う。
だから全員。
理屈は徹底している。
「公正です」
マーカス。
「数式としては」
「はい」
グルアシエルア。
「人を数値として扱うなら」
ハフソが言うと。
彼女の目が少しだけ揺れた。
言葉は。
整っている。
数学的にも。
たぶん。
筋が通る。
「数分?」
マーカス。
「負荷量へ換算した短時間です。旧術式の三百人の人生と単純換算するものではありません」
そこは。
はっきり。
「封鎖装置へ必要な負荷を、広く薄く分散する」
「死なない?」
「計算上は」
グルアシエルア。
「誰からも命そのものは奪わない」
正しい。
そう。
聞こえる。
でも。
ハフソは。
胸の奥に。
引っかかる。
「全国民から」
「はい」
「奪う権利なら、あるのですか」
「ありません」
グルアシエルアは目を逸らさない。
「告知は?」
「本稼働の直前です」
「選ばせるのですか」
「拒否権は設けません」
即答。
「なら」
胸がはっきり冷える。
「公正にするために、全員から選ぶ権利を奪う?」
「そうなります」
「それを正しいと?」
「正しいとは言いません」
グルアシエルア。
「必要だと判断しています」
必要。
その言葉が。
ハフソの古い傷へ触れる。
部屋。
静か。
「それでも」
彼女。
「三百人を殺すより、損失が小さいと判断しました」
公正。
最小の被害。
選ばないために。
全員から。
少しずつ。
*
「もし」
マーカス。
「徴収される数分が、眠っている間なら」
グルアシエルア。
「個人差を認めると、公平性が崩れます」
「痛みの少ない時間を選ぶのも?」
「選べる人と選べない人が出る」
アニサ。
「では、病人も同じ時間?」
「同じです」
「幼い子も」
「同じです」
例外を作らない。
その徹底が。
また。
理屈としては分かる。
テググ。
「でも、道路だって」
全員が見る。
「同じ幅にすれば公平、じゃないです。急な坂なら広くするし、雪が降るなら排水を変える」
「条件差を考慮するべきだと?」
「人間なら、なおさら」
グルアシエルア。
少し。
考える。
「差を考慮した瞬間、誰が多く負担するかを決める必要があります」
「だから全員同じ」
ハフソ。
「はい」
公平。
同じにすること。
公正。
違いも含めて扱うこと。
二つは。
同じではない。
でも。
どちらを取っても。
誰かの時間へ手を入れる。
ハフソは。
簡単な反論がないことを。
改めて思い知る。
だから。
第三を探さなければならない。
*
ハフソは。
もう一つ。
聞かなければならない。
「今の」
喉。
乾く。
「今の時間の欠落を起こしているのですか」
「はい」
また。
即答。
「北の古道が消えたのも?」
「徴収経路が局所的に過剰反応しました」
「十七秒も?」
「同じです」
「黒い馬車も」
「本稼働のための経路調整の一部です」
テググが。
机へ拳を置く。
「試験で、人の時間を飛ばした?」
「はい」
怒鳴らない。
でも。
怒っている。
「危険は分かってた?」
「計算上の危険は」
「現実に起きた」
「はい」
グルアシエルアは。
全部。
認める。
だから。
余計に。
簡単に悪人と呼べない。
公平に。
傷つける。
誰も選ばないため。
全員を選ぶ。
それは。
ハフソがずっとやってきたことと。
どこか似ている。
誰にも嫌われないよう。
自分の希望を少しずつ削る。
大きく傷つかない代わりに。
少しずつ自分をなくす。
グルアシエルアは。
国全体でそれをやろうとしているのかもしれない。
誰か一人を犠牲にしないために。
全員の選択を少しずつ切る。
それは。
正しいのか。
ハフソには。
まだ。
答えられなかった。
*
グルアシエルアの説明が終わっても。
誰も。
すぐ席を立たなかった。
紙の上。
数式。
人数。
負荷。
数字は。
静か。
でも。
その数字の外に。
人がいる。
「あなたは」
ハフソ。
「自分の数分も取ると言いました」
「はい」
「それで、公正だと思えるのですか」
「少なくとも、私だけ例外にするよりは」
「でも」
言葉を探す。
「自分も傷つくから、他人を傷つけていいとはならない」
グルアシエルア。
少し。
目を伏せる。
「その通りです」
否定しない。
「では、なぜ」
「他に成立する方法を見つけられなかったからです」
初めて。
彼女の答えから。
確信ではなく。
疲れが見えた。
「十二年間」
グルアシエルア。
「探しました」
ハフソは。
胸が少し詰まる。
悪い人だから。
この計画を作ったのではない。
諦めずに考えた人が。
最後に選んだ答え。
だからこそ。
「それでも」
ハフソ。
「私は、まだ選びません」
「はい」
「別の方法を探します」
グルアシエルアは。
初めて。
ほんの少しだけ。
ハフソを見る目を変えた。
「見つけてください」
お願いでも。
挑発でもない。
ただ。
事実のように。
そう言った。




