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愛されたいだけなのに婚約を解消された針仕事令嬢は、途切れた時間を縫い直して辺境伯に愛される  作者: 乾為天女


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第12話 グルアシエルア

 王室資料庫の閲覧許可は。


 驚くほど早く下りた。


 「早すぎる」


 許可状を見て。


 クアイドエンが言った。


 「普通は?」


 「封鎖関係なら数日。場合によっては却下」


 「それが半日」


 「事前に待っていたような速さですね」


 マーカスが小さく言う。


 「俺もそう思う」


 クアイドエン。


 申請したのは昨夕。

 封鎖資料なら普通は複数部署の確認がいる。


 「私たちが来ると分かっていた?」


 「あるいは、来させたい人がいる」


 赤い箱。

 地図。

 銀針。


 誰かが道筋を作っている。


 許可印。


 王室参謀。


 グルアシエルア。


 ハフソは。


 その名を。


 赤い箱の中では見ていない。


 でも。


 なぜか。


 胸が少しざわついた。


     *


 王室資料庫。


 高い天井。


 長い書架。


 古い紙と革の匂い。


 受付の奥から。


 女が一人。


 歩いてくる。


 背筋が伸びている。


 表情は静か。


 目だけが。


 こちらをよく見ていた。


 「ハフソ伯爵令嬢」


 「はい」


 「クアイドエン辺境伯。テググ工務官。マーカス測量官。アニサ殿」


 全員。


 知っている。


 「グルアシエルアです」


 「報告書を?」


 クアイドエン。


 「すべて読みました」


 「早い」


 「必要なものは早く読みます」


 女は淡々と答える。


 「辺境伯の三時間欠落。北の旧道。異常馬車。測量局の規則点。眠り薬」


 アニサの目が細くなる。


 「私のことも?」


 ハフソ。


 「婚約解消を含めて」


 事務的な返事。


 自分の失恋まで、一枚の報告書になっている。

 少し居心地が悪い。


 「許可をありがとうございます」


 ハフソが頭を下げる。


 「礼は不要です」


 すぐ返される。


 「不都合であることと、存在しなかったことにするのは別です」


 ハフソは顔を上げる。


 「封鎖資料を」


 「閲覧を許可します」


 「理由を伺っても?」


 「起きたことは、起きたことです」


 落ち着いた声。


 公正さを。


 そのまま形にしたような人。


 けれど。


 クアイドエンは。


 横でまだ警戒している。


     *


 最初に。


 銀針。


 グルアシエルアへ見せる。


 彼女の目が。


 ほんの少しだけ変わった。


 「その紋章をご存じですか」


 ハフソ。


 「はい」


 「母の一族の?」


 「そうです」


 「この針は?」


 グルアシエルアは。


 すぐには答えない。


 「十二年前の封鎖作業で使用された道具の一つです」


 「母が?」


 「その記録もあります」


 やはり。


 知っている。


 「赤い箱は」


 クアイドエンが聞く。


 「ご存じですか」


 沈黙。


 一拍。


 「調査中の案件です」


 「否定はしない」


 「はい」


 「あなたが関わっている?」


 「今は、その質問へ答えません」


 嘘をつくのではなく。


 答えない。


 ハフソには。


 それが余計に気になった。


 「なぜ」


 思わず。


 自分から聞く。


 「なぜ、そこまで資料を開くのですか」


 グルアシエルアは。


 ハフソを見る。


 長く。


 「あなたは」


 「はい」


 「愛されることと、必要とされることを混同しない方がいい」


 胸へ。


 針を通されたようだった。


 「……なぜ」


 「見れば分かります」


 「何が」


 「何かを知るたびに」


 静かに。


 「自分が役に立てるかを先に考えている」


 「それは、悪いことでしょうか」


 「悪いとは言っていません」


 グルアシエルア。


 「国を動かす仕事では、役に立つかを考えることは必要です」


 「なら」


 「ただし、自分の価値までそれだけで測るなら危険です」


 彼女の表情に。

 一瞬だけ。

 自分自身へ向けたような影が見えた。


 ハフソは。


 何も返せない。


 資料庫で会ったばかり。


 なのに。


 「それが悪いとは言いません」


 グルアシエルア。


 「ただ、必要とされることを愛と呼べば」


 少しだけ。


 視線が遠くなる。


 「いつか、自分の時間まで差し出します」


 時間。


 その言葉が。


 今の事件と重なる。


 「どういう意味ですか」


 「資料を見れば」


 それ以上。


 答えない。


     *


 資料庫の奥。


 グルアシエルアが去ったあと。


 クアイドエンが低い声で言う。


 「協力はしている」


 「はい」


 「だが、まだ信用はしない方がいい」


 「正しいことを言っていました」


 ハフソ。


 「そうですね」


 「それでも?」


 「正しいことを言う人が、正しいことしかしないとは限らない」


 クアイドエン。


 「俺も含めて」


 「あなたも?」


 「当然です」


 「肩書きも正論も、判断を預ける理由にはしないでください」


 以前なら。

 王室参謀が正しいなら、その通りにしたかもしれない。


 今は。

 保留する。


 自分で確かめる。


 「私もそう思います」


     *


 資料庫の棚。


 封鎖。

 測量。

 工務。

 医療。


 一つの事件が。

 複数の分類へ分かれている。


 「同じことを調べているのに」


 ハフソ。


 「棚が違うんですね」


 係員。


 「部署が違いましたから」


 十二年前。


 誰かは道を見て。

 誰かは薬を見て。

 誰かは地図を見た。


 今の自分たちと。

 少し似ている。


 「封鎖の中心記録だけ見ても」


 マーカス。


 「全部は分からない」


 「医療記録も?」


 アニサ。


 「見たいです」


 「工事記録も」


 テググ。


 クアイドエンは。

 閲覧票へ。

 追加項目を書く。


 ハフソは。

 その横で。


 グルアシエルアの言葉を思い返す。


 正しい情報。

 隠す情報。


 どこまで。

 何が残されているのか。


 「一つの資料だけで、決めないようにしましょう」


 自分から言う。


 「母のことも」


 銀針。


 「事件のことも」


 クアイドエン。


 「同意します」


 ハフソは。

 少しだけ。

 胸を張った。


 誰かの答えを。

 受け取るだけではなく。


 複数のものを。

 自分で比べる。


 その準備が。

 ようやくでき始めていた。


 そのとき。


 胸元。


 銀針が。


 強く震えた。


 「お嬢様」


 アニサ。


 「向こうです」


 書架の奥。


 大きな平箱。


 古い封印札。


 十二年前。


 ハフソは。


 息を呑む。


 箱を開く。


 中には。


 王都そのものを縫い取ったような。


 巨大な刺繍地図が。


 眠っていた。

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