第66話「二月四日、ビターチョコ」
二月四日、火曜日。
チョコレートは、刻んで溶かして固めれば、それなりの形になると思ってた。
一回目にできあがったものは、それなりですらなかった。
型から外そうとしたら角が欠けた。
慌てて押さえたせいで、表面には私の親指の跡がくっきりと残ってる。
玲さんに「渡しなよ」と言われた翌日、私は仕事帰りにスーパーに寄って、板チョコと型とラッピング用の袋を買った。
初めてなのだから、まずは簡単なものから始めればいい。
そう思って、簡単って書かれてるレシピのとおりに作ってみたけど、全然簡単じゃなかった。
チョコを刻む大きさは揃わないし、お湯が入らないように気をつけると今度はボウルを落としそうになる。
やっと溶けたと思ったら、型に流している途中で固まり始めた。
それでも、欠けた一粒を食べてみた。
「……甘い」
味は、普通。
きっと普通に渡せば、普通に食べてもらえる。
でも係長に渡すものが「普通」で終わるのは、なんだか嫌だ。
私は欠けたチョコをもう一粒、口に入れてスマホを開いた。
大人の男性 バレンタイン 甘さ控えめ
検索欄に入れてから、「大人の男性」という言葉に自分で緊張した。
相手は四十歳なのだから間違ってない。
でも係長をそう言い換えただけで、なんだかいけない検索をしているような気持ちになった。
表示された画面には、高級そうな箱がいくつも並んだ。
カカオ五十五パーセント、七十パーセント、八十六パーセント。
数字が上がるほど苦くなるらしい。
係長はどれだろう。
好きな食べ物を知らない。
嫌いな食べ物も知らない。
ブラックコーヒーばかりを飲んでいることは知っているけど、あれは好きで飲んでるのか、眠いから飲んでるのか、それすら分からなかった。
こんなに毎日見てるのに。
◆
試しに全部、食べてみた。
五十五パーセントは、食べた瞬間から甘かった。
八十六パーセントは、苦いというより、口の中で断られているような苦さがある。
七十パーセントは、最初に苦みが来て、少し遅れて甘さがきた。
「……これかも」
そこから私の台所は、お菓子作りをする場所というより、どこかの実験室になった。
ブランデーを混ぜる。
香りはよかったけれど、少し入れすぎて、食べたあとに喉が熱くなった。
ジンジャーを混ぜる。
最初は普通なのに、飲み込んでから辛さが追いかけてくる。
何でもない顔で、ときどき私を眠れなくさせることを言う係長に、どこか似ている。
次はシナモン。
香りが柔らかくて、思っていたより優しい。
これも悪くない。
……私は手を止めた。
何を入れても係長になる。
最後に、唐辛子を入れてみた。
一口食べる。
「からっ……」
慌てて冷蔵庫を開けて牛乳を飲んだ。
これは違う。
係長はここまで辛くない。
そう思ったけど、時間を置いてもう一粒食べると、最初よりおいしく感じた。
係長なら顔色一つ変えずに、「辛いな」と言って、普通に二つ目を食べそうだ。
……見たい。
唐辛子入りも残すことにした。
翌日も、その次の日も、仕事から帰るとチョコを刻んだ。
形が崩れれば作り直して、香りが弱ければ量を変えた。
小さな袋にB、G、C、Tと書いた紙を貼って、食べるたびに気づいたことを書き足していく。
ブランデーは香りが強い。
ジンジャーはあとから辛い。
シナモンは優しすぎるかもしれない。
唐辛子は、これを食べる係長の顔が見たい。
気づけば冷蔵庫がチョコで埋まってた。
◆
週末、美術館のカフェに向かった。
選んだのは、少し奥まった隅っこの席。
ここなら小さな袋をいくつも広げても、それほど目立たない。
カウンターで注文したミルクティーとチーズケーキを持って、席についた。
店員さんが離れたのを確認して、バッグから四つの紙袋を取り出した。
ブランデー。
ジンジャー。
シナモン。
唐辛子。
すべて、カカオ七十パーセント。
私はチーズケーキのお皿の脇に一粒ずつ並べて、まずブランデー入りをかじった。
苦みのあとに香りが広がった。
そして少し遅れて身体が温かくなった。
「……これかな」
ジンジャーを食べる。
「……こっちかも」
シナモン。
「…………」
唐辛子。
「からっ」
なぜかこれは外せない。
ミルクティーを飲んで、チーズケーキを一口食べる。
そしてもう一度ブランデー入りをかじって、ジンジャー入りもかじった。
「……全然分からないや」
思わず声に出た。
四種類も作れば答えが出ると思ってた。
最初は苦い。
でも、あとから少し甘い味。
……なんか、ずるい。
また係長みたいだと思ってしまった。
このチョコを渡されても、係長はたぶん何も気づかずに、「うまい」と言って全部食べる。
それで私は、その一言を毎晩毎晩思い出す。
「……」
ブランデー入りをもう一度かじった。
味見の二周目を終えたころ、もう味がよく分からなくなっていた。
三周目に入る。
真剣に考えているのに、チーズケーキまで挟んだせいで、口の中はもう審査をする状態じゃない。
それでも私はブランデー入りを持ち上げて、もう一度かじった。
係長は、どれを選ぶだろ。
いっそ本人に食べてもらえたら――
――そう思ったとき、ギィーっと、隣の椅子が引かれた。
◆第67話「風宮が選んでくれ」、明日20時に更新します




